マニアの戯言

映画マニアの勝手な映画感想日記

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「アマロ神父の罪」

2009-05-08 09:24:13 | 2000~2010年代 映画

El Crimen de Padre Amaro (アマロ神父の罪) 2002年 メキシコ作品



監督 カルロス・カレラ
出演 ガエル・ガルシア・ベルナル アナ・クラウディア・タランコン サンチョ・グラシア

勝手なあらすじ(自分の解釈の上でのストーリー)
2002年のメキシコ。
バスに乗って若き神父アマロはアルダマ地方にやってきた。来る途中でバスが強盗に襲われ、彼には被害がなかったが、隣に座っていた男性は全額取られてしまった。アマロはその男性にお金を渡しバスを降りた。ベニト神父の元に来た彼は、そこに出入りしている16歳の少女アメリアと出会う。アマロは、ベニト神父やナタリオ神父の悪い噂を耳にして心を痛めていた。
そして、懇親的に尽くすアメリアへの欲望も抑えきれなくなり・・・。

勝手な感想(自分の思い込み多々)
1875年発表のエッサ・デ・ケイロスの小説が基のお話。(読んだ事はとんとないが。(^◇^;))
以前から言っている通り、宗教がどうも苦手なich。

聖職者であればなんでもありなのか?
とこの作品を鑑賞した時に思ってしまったのだった。

早いですが、ガエル君。主人公のアマロ神父だった。
若くしての神父は、始めは理想に燃えているようだった。
こうあるべきだ!みたいに先輩の神父達が行っている行為に心を痛めていた。

ふと調べたら
『聖職者』とは、多くの人からの尊敬を集めるような善行をたくさん行っている人間であれば、聖職者と呼ぶ場合もある。(By Wikipedia)
と書かれていた。

そう考えると多くのというか、一部の人々に対してだけだが、ベニト神父やナタリオ神父は尊敬を集めていたり、善行をしているので呼ばれてもおかしくないと思ってしまったのだった。
人間一人が出来る範囲(救える?)というのは限られて来る。
この人達は現実に向き合いその場にあった事をしているのだと思ってしまった。

それに比べたらアマロ神父のしている行為は・・・。

申し訳ないが、全編彼にイライラしながら見てしまった。
彼は自分の立場をいいことに好き勝手にしているようにしか思えなかったのだ。
苦悩というよりも、自分の事を棚に上げといてその態度はなんだよ!と何度も思ってしまったのだ。
彼女に対しての対応も、そしてよくもそんなシャーシャーとした態度がとれるものだと。
さらに、あの一番偉い人の家の豪華さ。なんであんな凄い家に住めるんだ!

もし仮に“神”がいるとしよう。
そんな奴を自分の意思の伝道者にしていいのか?と思ってしまった。

個人的に宗教を批判している訳ではない。
自分だって信じているものがある。
だが、
何が苦手かというと、信じている宗教を他人に押しつける行為が根本的に嫌なのだ。
それによって争いは絶えないし・・・。
人間にとって信じる心というのは、必要不可欠だと思ってはいるのだが。

この作品は信者の方にとっては相当ショックだったように思える。

これを書いた作者の人は何を言いたかったのだろうか?
宗教批判ではないよね、きっと。(苦笑)

 


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