自己と他者 

自己理解、そして他者理解のために
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メス

2010-12-16 21:36:32 | 日記・エッセイ・コラム・メモ

ある人が使った場合には、それは静脈を傷つける武器になり、後任のある人が使うとやさしく損傷した部位を修正するための道具となる。

こういったことは現実に存在する。

問題としては、国家資格を持った医師である点では同じで、これは患者や家族にはわからない。

別の視点でいうと同じ給料をもらっているとしたら問題とはならないか。

それでは、ランク付けすることで解決するのだろうか。そしてそのランクによって給与が決められるべきだろうか。

さらに別の視点で、前者の武器としてしまう医師は、影ながら大変な努力をしている。ただ本番に弱いのだ。こうした場合には免許の話のつながりとしてどうだろう。努力などは人の命を扱う職業には何らの関係もない。たとえば偉そうにしていようが、テクニックがあれば許されると考えることは正当か。

望むべくは、平素は穏やかで、メスを持つとやさしく厳しく、そしてぴか一の腕の外科医、だろう。しかし、こういった人間は限りなく希少だろう。医師を例に挙げたが、この職に限った話ではない。これはいろいろな職に当てはまり、人間性の話であり、法律の話であり、テクニックの話で、経済の話である。

努力しているが、うまくならない、医師は職を変えるという選択肢が残されているとして、どういった道を探すべきなのだろうか。答えなどないのだ。