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音楽の優劣

2004年10月15日 | 音楽コラム
 僕には音楽に優劣は存在しないという考えがある。
 音楽に限ったことではないが、よく言われることに時代によって作品の評価は変わる、というのがある。それが僕の考えとリンクするのだ。
 レディオヘッドのOKコンピューターは01年か02年頃までは年々評価が上がってきたものではあるが、OKコンピューターは「発表から3,4年経ったときの間」ほど現在の評価が高いかと言われたらそうでもないだろう。むしろキッドAの評価が近年高まったきたように感じる。音楽評論家の方とレディオヘッドについてしゃべるにしても、OKコンピューターはあまり触れられず、キッドAについての話題に終始することが僕の経験上ではあるが多い。
 それはキッドAは現在勢いのあるポストロックやエレクトロニカと表される音楽とリンクする音楽性を持った作品だということが挙げられるのではないか。(ポストロック、エレクトロニカという言葉も古いと言う方もいるが)。

 僕は絵画のことは全くと言っていいほど知らないが、作者が亡くなった後、評価が高まった作品がある、という話をよく聞く。
 時代によって評価は変わると思うのだ。現在の価値観で「これは素晴らしい」という作品であっても数十年後、いや、数年後は駄作と呼ばれているものもあるだろうし、現在「駄作」と呼ばれている作品も数年後は傑作と呼ばれている可能性だってあるのだ。
 よって時代を超えた絶対的な優劣をつけるのは困難であるし、優劣などないと考えるのもあながち間違いではないと思うのだ。

 そしてこれまた音楽に限ったことではないが、人が優れていると感じるモノ、駄作だと感じるモノ、それらは相対的なものだとも思う。冒頭に「音楽に優劣は存在しないと考えている」と記したが、もちろんというか、僕にも「この作品は駄作だろ」と感じる音楽もある。たとえば僕はフランツ・フェルデナンドの音楽に何の感銘も受けない。何が良いのか分からない。もちろん視点を変えて聴けば良さも分ってくるのだろうが。
 ただ、その僕が何の感銘の受けないフランツ・フェルデナンドを聴いてエキサイトする人がいるのは事実だし、素晴らしい音楽だと感じる人がいるのも事実だし、もしかしたら涙するひともいるのかもしれない。

 そう、手に垢のついたような表現だが、感じ方は人それぞれなのである。僕にとっては何の魅力も感じない音楽であっても、他の人にとってみれば素晴らしい音楽であったりする。前述したように相対的なものなのだ。誰にでも受け入れられる最大公約数的音楽もあるが、それだって、ある人によっては糞みたいな音楽になりうると思うのだ。

 ジャズを聴く人によくいるのだが、演奏技術的な観点で下手糞な音楽は糞、上手い音楽は優れている。というのがあるが、それだって個人の趣味嗜好であって、演奏技術的な観点で音楽を聴かない人にとってはどうでもいいことだったりする。
 世界中の全ての人に受け入れられる音楽は存在しないと思っている。それゆえ人の心に響くという点で絶対的な高評価を与えられる音楽はないと思うし、優劣はないと思っているし、その優劣はどうでもいいことなのでは、とも思うのだ。

 ただ、これはポピュラー・ミュージックにおいての話だ。音楽評論家は「ポピュラー・ミュージック」という言葉をよく使う。いつか書いたが「ポピュラー・ミュージック」とは人々に聴かせること、または売られることを前提とした音楽の総称だ。
 別に音楽はポピュラー・ミュージックが全てではない。音楽として聴く人がいる以上、海の音は音楽だし、人のしゃべり声だって音楽だし、にわとりの鳴き声だって音楽だ。これらの音楽には「優劣」といった価値観が入り込む余地はほとんどと言っていいくらいないだろう。ただ単に楽しむものであるわけだから。
 「音楽の優劣」それは音楽が芸術と捉えられてでてきた概念だ。芸術と捉えられる前にも音楽はあったわけだし。僕は音楽に優劣をつけることはそんなに大事なことだと思わないし、必要ないのではないか。そんなことを思う。
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