鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

半世紀前の学校の先生の住まいの思い出

2015年02月02日 | Weblog
学校の門のすぐ前にあった校長先生宅は別にして、半世紀前は、地元鷹泊の出身で自宅から通勤していた先生が一番多かったと思う。汽車通勤の先生が数名で、下鷹にあった牧野旅館を宿舎にしている先生が一人だった。
教員住宅がなかったわけではない。二階建ての教員住宅は、S君の家と農協との間にあり、古い建築物であった。
オンボロ住宅で、隣に高い木が生えていたこともあり、よけいにお化け屋敷のような雰囲気をかもし出していた。
当時担任だったT先生は、卒業後間もない女の先生で、汽車通勤していたが、冬場には汽車通勤がたいへんだったのか、その教員住宅を使用した年があった。当時、学校は石炭暖房であったが、一般住宅はまだ薪暖房主体であった。冬が来る前に、燃料を自分で調達しなければということで、竜水の同級生宅から薪を購入して馬車で運搬した。
小学校低学年ではあったが、手伝いするのが嬉しくて、多くの級友とともに馬車に積まれた薪を腕に抱えて、二階まで運んだ。
昭和33年秋のことだったと思う。そのT先生をお迎えして昨年9月に同期会を開いた。楽しい薪運びの思い出から、計算すると56年の歳月が経過していた。


写真は、竜水にあった、薪の調達先のクラスメートの家があった付近を望んで、西から東方向を写した。中央に見える木立は金比羅神社があった場所。