あぁ、いつもながら毎日が速い。速すぎる。しかもくたびれている。
振り返ってみると、1日は月次処理の対応で休出、2日は従姉妹の結婚式。
そして8日、日中は母の通院の付き添い、夜はご近所の太公望夫妻と飲み会。
楽しかろうとそうでなかろうと、くたびれた一週間ではあった。
そのなかでも一番のイベントはやっぱり結婚式。
もともとスマートな従姉妹だけれど、ますますスリムになっていて、
シンプルなのにキュートなデザインのドレスがよく似合っていた。
花婿殿はその日が誕生日でもあり、二重に御めでたい日であった。
叔母からは地味目な披露宴にするらしいと聞かされていたが、
なかなかどうして華やかな宴になった。
挙式から招待されたのはものすごく久しぶりのこと。
最初はスーツにしようかとも考えたのだけれど、
そもそも仕事でスーツを着ることはまずない上、
結婚式に似合うようなスーツは仕事では着られっこない。
あと何回出番があるかわからないけれど、一着くらいあってもいいか…
何かとお世話になった叔母夫婦に恥をかかせてもいけないし…
というわけで、ロングドレスにケープにミュールを買い、慣れない装いで夫と出席した。
振袖もドレスも他人が着ているのを眺めるのは好きだが、
自分が着るとなると、汚しちゃいけないとか、肩が凝るとか、とにかく面倒臭い。
小学生の頃はレースのカーテンを身にまとっては、
インド人や古代ギリシア人の優雅な格好を真似していたのに、
どこで変わってしまったのだろう…いや、変わってよかったのだろうけれど。
そんなこどもの頃、夏休みのたびに泊りがけで従姉妹と遊んだ。
一人っ子の私にとって、従姉妹二人と遊ぶのはとても楽しかった。
3日間も一緒にいるとすっかり本当の姉妹みたいな気がした。
帰り際になるといつも泣きべそをかきながら見送ってくれた。
中学になってからは次第に疎遠になってしまったのが他愛ないけれど。
しかし、私にとっては思い出深い従姉妹でも、
妻の従姉妹といったら夫からすれば本当に赤の他人なのに、
なぜわざわざ招待してもらったかというと、
叔母夫婦を始めとする親戚に夫を紹介するという目的があったから。
結婚して5年にもなるのに、どうしたわけだか、
まだ叔母夫婦の家にさえ挨拶に行っていなかったのだ。
遠方に住んでいる親戚はともかく、
たかだか2時間半で行ける叔母夫婦宅に行かなかったのなぜだろう。
私たちの仕事の都合が合わなかったり、夫方の行事が立て込んだり、
母が病気になってそれどころではなくなったり、
とそれなりに理由はいろいろあるけれど、
結局、早く行かなかったがために次第に行きづらくなってしまった、
というのが本当のところか。
周りにハガキで結婚を知らせても、
親戚には実際に顔を見せてご挨拶をするのが本来は筋というもの。
私が夫方の親戚に顔を覚えてもらえた(だろうと思う)のは、
夫にくっついて幾度か法事に出る機会があったからであって、
それがなければ双方の親戚に無作法をしていただろう。
結婚式も披露宴も何もしない、お役所で判をついただけのジミ婚それ自体には
今でも満足だけれど、その一方でどこかで礼を失したような気がしてならない。
儀式にはやはり何がしかの意義はあるのかもしれない。
形式ばったことが嫌いだった母の影響を強く受けて育った私には、
あえてその形式に則ってみる覚悟が足りなかっただけなのかもしれない。
確かに最初は、小学校で慣れ親しんでいたキリスト教式の挙式を考えていたのだから。
それにしても、顔の皺が目立ってくる前に、
せめて結婚記念写真くらいは撮っておかねば、と思うのだが。
(次を読む)
振り返ってみると、1日は月次処理の対応で休出、2日は従姉妹の結婚式。
そして8日、日中は母の通院の付き添い、夜はご近所の太公望夫妻と飲み会。
楽しかろうとそうでなかろうと、くたびれた一週間ではあった。
そのなかでも一番のイベントはやっぱり結婚式。
もともとスマートな従姉妹だけれど、ますますスリムになっていて、
シンプルなのにキュートなデザインのドレスがよく似合っていた。
花婿殿はその日が誕生日でもあり、二重に御めでたい日であった。
叔母からは地味目な披露宴にするらしいと聞かされていたが、
なかなかどうして華やかな宴になった。
挙式から招待されたのはものすごく久しぶりのこと。
最初はスーツにしようかとも考えたのだけれど、
そもそも仕事でスーツを着ることはまずない上、
結婚式に似合うようなスーツは仕事では着られっこない。
あと何回出番があるかわからないけれど、一着くらいあってもいいか…
何かとお世話になった叔母夫婦に恥をかかせてもいけないし…
というわけで、ロングドレスにケープにミュールを買い、慣れない装いで夫と出席した。
振袖もドレスも他人が着ているのを眺めるのは好きだが、
自分が着るとなると、汚しちゃいけないとか、肩が凝るとか、とにかく面倒臭い。
小学生の頃はレースのカーテンを身にまとっては、
インド人や古代ギリシア人の優雅な格好を真似していたのに、
どこで変わってしまったのだろう…いや、変わってよかったのだろうけれど。
そんなこどもの頃、夏休みのたびに泊りがけで従姉妹と遊んだ。
一人っ子の私にとって、従姉妹二人と遊ぶのはとても楽しかった。
3日間も一緒にいるとすっかり本当の姉妹みたいな気がした。
帰り際になるといつも泣きべそをかきながら見送ってくれた。
中学になってからは次第に疎遠になってしまったのが他愛ないけれど。
しかし、私にとっては思い出深い従姉妹でも、
妻の従姉妹といったら夫からすれば本当に赤の他人なのに、
なぜわざわざ招待してもらったかというと、
叔母夫婦を始めとする親戚に夫を紹介するという目的があったから。
結婚して5年にもなるのに、どうしたわけだか、
まだ叔母夫婦の家にさえ挨拶に行っていなかったのだ。
遠方に住んでいる親戚はともかく、
たかだか2時間半で行ける叔母夫婦宅に行かなかったのなぜだろう。
私たちの仕事の都合が合わなかったり、夫方の行事が立て込んだり、
母が病気になってそれどころではなくなったり、
とそれなりに理由はいろいろあるけれど、
結局、早く行かなかったがために次第に行きづらくなってしまった、
というのが本当のところか。
周りにハガキで結婚を知らせても、
親戚には実際に顔を見せてご挨拶をするのが本来は筋というもの。
私が夫方の親戚に顔を覚えてもらえた(だろうと思う)のは、
夫にくっついて幾度か法事に出る機会があったからであって、
それがなければ双方の親戚に無作法をしていただろう。
結婚式も披露宴も何もしない、お役所で判をついただけのジミ婚それ自体には
今でも満足だけれど、その一方でどこかで礼を失したような気がしてならない。
儀式にはやはり何がしかの意義はあるのかもしれない。
形式ばったことが嫌いだった母の影響を強く受けて育った私には、
あえてその形式に則ってみる覚悟が足りなかっただけなのかもしれない。
確かに最初は、小学校で慣れ親しんでいたキリスト教式の挙式を考えていたのだから。
それにしても、顔の皺が目立ってくる前に、
せめて結婚記念写真くらいは撮っておかねば、と思うのだが。
(次を読む)
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