久々に日記を書く。
日記どころか、ネットにもほとんどアクセスしていなかった。
私の中では、書くことと読むことは対になっているらしい。
書けないと、いつものサイト巡りどころか、ニュースサイトさえ開かない。
そんな時は新聞もろくに読まないのだが、なぜかTVは普通に見ている。
「読む」という行為は、それほど能動的だったろうか?
このところ、何かのきっかけで書く気がなくなる場合が多くなった。
プライベートに限らず、世の中の様々な出来事も含めてである。
イヤなことはもちろん、楽しいこともストレスの一種とはいえ、
平常心でないと文章が書けないというのはなんなのか。
これが「年のせい」というものなのだろうか?
いや、そんなことはもう、どうでもいい。
考え出すとまた、最初に書きたいと思ったことが書けなくなってしまう。
日記を書くというのは、寿司を握るようなもの。
いつまでもこねているようではダメなのだ、きっと。
日記どころか、ネットにもほとんどアクセスしていなかった。
私の中では、書くことと読むことは対になっているらしい。
書けないと、いつものサイト巡りどころか、ニュースサイトさえ開かない。
そんな時は新聞もろくに読まないのだが、なぜかTVは普通に見ている。
「読む」という行為は、それほど能動的だったろうか?
このところ、何かのきっかけで書く気がなくなる場合が多くなった。
プライベートに限らず、世の中の様々な出来事も含めてである。
イヤなことはもちろん、楽しいこともストレスの一種とはいえ、
平常心でないと文章が書けないというのはなんなのか。
これが「年のせい」というものなのだろうか?
いや、そんなことはもう、どうでもいい。
考え出すとまた、最初に書きたいと思ったことが書けなくなってしまう。
日記を書くというのは、寿司を握るようなもの。
いつまでもこねているようではダメなのだ、きっと。
失礼をどうかご容赦ください。
>長年の勘でブレーキが効き過ぎてるのか
ああ、私にもそんな面がありそうです。
自分自身の立場で素直に書くことが、年々難しくなっているように感じます。
年をとって丸くなったのではなく、臆病になったような……。
臆すると物は書けませんよね。
>お互い、気張らず自然に言葉が流れでてくる境地に向かって!
>精進、精進、ですかね
仰る通り、ですね。
とにかく書いてみるしか、ないのかもしれません。
ありますね、そういうことが日々いっぱい
ブログを開いて、はて、、さて、なに書くんだっけ??
うーん、ダメだぁ、また今度…
これ書こうかなというのは、よく浮んでくるのに
いざ、となると、まあどうでもいっか
なんなんでしょうね
瞬発力が衰えてるのか
はたまた、長年の勘でブレーキが効き過ぎてるのか
何事もコネとか、こねこねになっちゃうと
柔軟性がなくなって、面白くない面ばかり浮き出てしまんと川
「難しいからこそ、面白いのもこれまた文章なり
書かないことには、なにも生まれない、だから毎日書くんだよ」
なんて去年教えてもらったはずなんだけどなあ>自分
お互い、気張らず自然に言葉が流れでてくる境地に向かって!
精進、精進、ですかね