中国の内陸部での緑化協力にかかわる報告です。
続々・黄土高原レポート
1264話)「チクショウ!」の波紋

大同で緑化協力をはじめてすぐの1993年。期間は長くなかったけど、カウンターパートのLさんとはほんとに仲よくし、彼の自宅を訪ねて、おつれあいやかわいい娘とも親しくしていたのです。
1994年の初夏、私の旧友のWさんが北京から通訳にきてくれて、彼女がLさんとも話をしたんですけど、そのときLさんが「高見とはとても仲よくしてきたけど、一度だけ許せないことがあった」と話したそうです。
私が彼のことを強烈に罵ったんですって。友人のWさんは「高見がそんなことをするはずがない」と取りなしてくれたんですけど、それはどうもこういうことのよう。
私は中国語を解しませんし、そのころ大同には通訳がいなくて、旅行社のガイドさんにたのんでいました。でも、彼女、彼たちの多くはそのころ、まる覚えの観光案内をしゃべるだけで、生きた日本語を理解していたわけじゃないんですね。
なにかうまくないことがあったとき、私が「チクショウ!」と小声で言ったようです。どちらかというと自嘲の言葉でしょう。
それをそのガイドさんは、私がLさんに「人間でない」といってる、と伝えたのです。たしかに「畜生」は人間ではありません。そして「人間でない」というのは、ここでは最悪の罵り言葉のようです。
大同では歴史問題が深く横たわっていましたからね。不用心な言葉が、とんでもない問題を引き起こすかもしれません。このときを契機にしばらく私は言動を用心していました。
でも、私の性格ですから長くはつづきません。そうやって、自制していることが、私自身の暴発を招かないかと心配になったのです。
1994年の初夏、私の旧友のWさんが北京から通訳にきてくれて、彼女がLさんとも話をしたんですけど、そのときLさんが「高見とはとても仲よくしてきたけど、一度だけ許せないことがあった」と話したそうです。
私が彼のことを強烈に罵ったんですって。友人のWさんは「高見がそんなことをするはずがない」と取りなしてくれたんですけど、それはどうもこういうことのよう。
私は中国語を解しませんし、そのころ大同には通訳がいなくて、旅行社のガイドさんにたのんでいました。でも、彼女、彼たちの多くはそのころ、まる覚えの観光案内をしゃべるだけで、生きた日本語を理解していたわけじゃないんですね。
なにかうまくないことがあったとき、私が「チクショウ!」と小声で言ったようです。どちらかというと自嘲の言葉でしょう。
それをそのガイドさんは、私がLさんに「人間でない」といってる、と伝えたのです。たしかに「畜生」は人間ではありません。そして「人間でない」というのは、ここでは最悪の罵り言葉のようです。
大同では歴史問題が深く横たわっていましたからね。不用心な言葉が、とんでもない問題を引き起こすかもしれません。このときを契機にしばらく私は言動を用心していました。
でも、私の性格ですから長くはつづきません。そうやって、自制していることが、私自身の暴発を招かないかと心配になったのです。
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