コメント
 
 
 
Unknown (WJ)
2020-02-08 11:08:48
高見先生

2004年水フォーラムでのご講演を会場で拝聴致しました。当時の先生のご様子が今でも脳裏に浮かびます。

ご指摘の通り、官庁ダムは当時渇水寸前で、周辺には事実上の警戒線が張られ、環境ジャーナリストや北京市で活動するNGO等が接近すれば拘束されかねない状況でした。

南水北調は汚水北調とも言われますが、上記でご指摘の通り、水資源を北方へ移し、南北間の水資源バランスを動かすことで、毛沢東が当時意図した通りかどうかはともかく、官庁ダムの渇水緩和に寄与したことは確かではないかと推察致します。
 
 
 
まったくだいじょうぶでしたよ。 (高見邦雄)
2020-02-08 16:08:06
え~っ、きいていただいたんですか。ありがとうございます。私はあのとき、上海総領事だった杉本信行さんはじめ、何人かの発言者に参加してもらうために多少の役割をはたしました。
官庁ダムも北京から大同にむかう途中でみたんですけど、そんなに緊張しているとは思えませんでした。まあ、広いしね。
その年だったでしょうか、官庁ダムが危ういというので、大同の冊田ダムの水を流しました。それを北京の新聞が報道したんですけど、方角その他に大きなまちがいがありました。ああ、水源のことをまったく知らないんだな、と思ったのです。
 
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