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やろうと思えばできるということ

父が、大工さんが自分の道具を鉄類処分場に売ってしまうことが、2年ぐらい前から徐々に増えているという話を処分場の人から聞いたようです。
だいぶショックだったらしく、今の時代がいかに厳しいものかを痛感していましたた。同業者のこういった話には、やはり考えさせられるものがあるのでしょう。

私は、「昔はよかった」と言えるほど年齢を重ねたわけではないので、比較ができません。そもそも過去を美化することに抵抗があります。

ただ、仕事がなくて大工を廃業し、道具を鉄やアルミとして売って処分するような時代が、少なくとも大工さんにとってよい時代とは思えません。
もちろん、その原因を社会(世の中)のせいというあやふな表現にするつもりはありませんし、自由競争の世界では、より上質なサービスを提供できる存在が勝ち上がるわけですから大工さん自身に責任が皆無だったわけではないでしょう。それに大工さんの中には成功している人も多数存在します。
つまり、詳細な調査を実施したわけではありませんので、この話だけで結論を出すのは適切ではありません。

しかし、それでも私はこの話に深い悲しみを覚えます。



住宅産業は、年々進歩していますが現場生産という形は変わっていません。つまり、完成したものを購入するわけではないということです。
確かに搬入されたものをただ組み立てて取付ければよいという施工は増えました。大工職人ではなく、取付業者と表現した方がよい大工さんもいます。でも現場で働く大工さんに支えられて成り立っていることに変わりはないはずです。

さきほど私は、社会(世の中)のせいというあやふな表現にするつもりはないと書きました。しかし、あえて書くとすれば、人と人との「コミュニケーション」の方法が変わったことに大きな原因があると思っています。
その変化に上手に対応したところは成功し、対応できなかったところは失敗しただけという分析しています。(いささか極端ですが)

私は、コミュニケーションを苦手としている大工さんは非常に多いように感じます。上手に自分の意見や考えを述べることができなくてもどかしい思いをしている人が意外と多いかもしれません。
少なくとも私の父がそうでした。

その父の姿を子供のころからみていた私は思いました。
このまま仕方がないとか昔はよかったという形で父を終わらせたくないと。

緻密な計算によって今日までやってきたわけではありません。
多くのお客様に支えられて、建築業に身をおけることは幸せなことです。道具を売るどころからメーカーの人間にそそのかされて最新式の道具を購入している父をみるといさめたい気持ちもありますが、どこか幸せも感じます。

ここ最近、テレビや新聞に登場して、私たちの存在を知る人も増えました。
はっきりいって、ギャラをもらっているわけでもありませんし、それによって仕事の受注が増えたわけでもありません。
では、なぜ出演するのかといえば、大井川町といういわば田舎の大工と建築士でもやろうと思えばテレビくらいでれるのだということを伝えたかったのかもしれません。おそらく建前はともかく本音の部分はそうだと思います。
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