みのもり雑記

旅行関連が多くなるかと思いますが、ふと書きたくなったことを気の向くままに、という感じで。

2023年愛媛旅行 - 2日目その4(伊達博物館、天赦園)

2023-05-05 23:08:52 | 2023年愛媛旅行
目次

2023年2月24日11時過ぎ
無事に次の目的地である伊達博物館に到着です。


……あ、ここ、裏手の駐車場なので入り口が別ですね。

改めて、到着です。


伊達宗城の像


……と、中から大量のキッズが出てきました。
学校の校外学習があったようですね。中でかち合わなくて良かったです。
地域のお子様ご一行とぶつかるのは、八戸市立博物館に続いて2回目ですね。

キッズたちが撤収するまでの待ち時間に庭を眺めて時間を潰します。


ちなみに残念ながら庭園内は立ち入り禁止


あ、もうすぐこの建物移転するのね(工期が書いてないけど)



さて、建物内ですが、聞いてみたところ「撮影OK」と掲示されているものは写真を撮って良いそうです。
原則NGな場所も多いので、助かりますね。

のっけから苦労話を見てしまいましたが、
表高(名目)10万石の宇和島藩ですが、実質は7万石くらいしかなかったそうです。
それを新田開発や植林(治山・治水目的)でなんとか増収を図ったのだとか。


8代藩主の具足(鎧兜みたいな大物が写真OKなのは意外でした)


豹皮敷皮


白羅紗臣の字陣羽織
※白地の羅紗(フェルトみたいな布地)で背中に「臣」の字が付された陣羽織


裏地が鯛!さすが宇和島!


……というか、さっきから思った以上に写真OKですね。
他の博物館と比べて、相当太っ腹です。


3代藩主の具足。なんというか風車だ……。


鉄板が桜型の鋲で留めてあります。



生首!


これ、宇和島藩の家老である松根家の旗指物です。
祖先の松根新八郎が武者修行中に体験した逸話に由来するんだそうです。すごい。
なおこの松根家の子孫が、城山郷土館で触れた松根東洋城です。

野始絵巻より。
このサイズだと分からないでしょうけど、左翼に生首の旗指物もあります。


箏(銘 玉簾)


蒔絵だの螺鈿細工だの、めちゃめちゃ豪華



撮影NGだったので撮りませんでしたが、「梨子地沢瀉紋散海松具文蒔絵文机」というのがありまして、
銘の通りオモダカ紋が施されていました。
オモダカ紋といえば毛利だと防府旅行で学んでいましたが、なんで伊達家に?
と思って解説を読んでみると、毛利の姫が9代藩主に嫁いでおり、その際の嫁入り道具だそうです。


伊達政宗から伊達秀宗(宇和島初代藩主)に送られた茶壺(銘 冬寒)


金地孔雀之図屏風(狩野松栄)
松竹梅も添えられて、めでたさ満載





ひな祭りが近いですからね。
2020年2月下旬に行った山口県防府市の毛利博物館でもひな祭りの企画展がありました。


顔出しパネルと小道具たち……の後ろが大事ですよ!


宇和島藩の絵地図です。
ちなみに中央に白くなっている部分がありますが、そこは陸続きであるものの他藩の所領ゆえ白地図となっています。


宇和島!


艦これプレイヤーとしては省けない! 日振島!



さて、ひな人形です。
……ひな人形?


へー、すごい人形だな。
……というか宇和島藩、明治になって皇族とのパイプすごい。


球体関節的な?


7代藩主夫人のひな人形
さすがに豪華


徳川家茂の遺品だそうで。


ちょいちょい、令和になって作られた作品も展示されていました。


へ~


十二人囃子。もはやオーケストラ感がある。


へえ、こんなのもあったのか。




またしても徳川家茂系


それにしても細かい




さっきよりは大きいけど、豪華にもほどがある



なおこのひな人形コーナーで一番目を引くのは、これです。


これらは1924年の作品ですが、実に圧巻です。



と、次の展示室は産業系でした。
トラフ楮を原料とした泉貨紙の生産が盛んだったようです。
「御国産第一之品」とうたわれたのだとか。
……え、泉貨紙ってそもそもは宇和島だったの?マジで?
※この辺全部撮影NGだったので写真なし


ふぅ、なかなか楽しめました。11:45ごろ、撤収です。
平日午前ということもあってか、他にお客さんはほんの数人しかいませんでしたね。
博物館が移転すると、建物のサイズ的には少し大きくなるようですので、どう生まれ変わるのか期待ですね。



さて、お次はすぐ近くの「天赦園」です。
どのぐらい近くかと言うと、100m圏内です。


7代藩主伊達宗紀(春山公)の隠居場所として作られた回遊式庭園です。
ご本人は、なんと100歳まで生きたのだとか。


入り口で料金を支払い、進みます。
……今は2月なんですよね。正直ここの見頃は藤の花が咲く頃なんですよ。。。



意図しているのか分かりませんが、カエルが赤い実を狙っているかのようだ。


追手門、戦前はこんな立派なものが残っていたんですね。
(よく天守閣は燃えなかったな)


平地の少ない宇和島城下(埋め立てが進んでいない当時はなおさら)において、こんな広大なスペースをお城近くに確保するとは……相当な強権ですね。


梅なら咲いている!


花菖蒲は……3ヶ月待たないとですね。


おお、広い広い。


伊達家なので竹(家紋に使われている)


親王家の姫と結婚して伯爵に……なんなんだその皇族とのパイプは。


池が見えてきました。


こんなミニチュアサイズが養老の滝だと!?(西美濃関係者として気になってしまう)



あれ、てっきり立ち入り禁止かと思ったら、入れるようです。


だまされた!!


ちなみにこの茶室、皇太子時代の昭和天皇も休憩されたことがあるんだとか。


あれ、てことは東京で言う浜離宮みたいな感じだったんですかね?


なるほど甲羅のようだ


ようやく池に出ました。


こ、鯉が寄ってくる!!! ごめんよ、餌は持っていないんだ。
ちなみに向かいへ渡る途中にある突き出た石は、8代藩主伊達宗城の腰掛石だそうです。
なんと実際に腰掛けている写真が残っているそうです。


臥牛石。確かに牛に見える。


あ、天守閣が見えました。


苔の小路
右手の川(枯川)の両岸には紅葉が植えられており、秋には紅葉がきれいなのでしょうね。


……あかん、輪切りにした魚肉ソーセージに見えた。
そろそろお腹が減ってきているようです。もともとそのつもりでしたが、ここが終わったらお昼ご飯にしましょう。


と、12時になったら音楽が流れてきました。
夕方ならともかく、12時というのは珍しいですね。
……何の曲だろう、分からないな。こういうのは著名な童謡と相場が決まってますが、ひょっとして例の「鉄道唱歌」でしょうか?


上り藤。今時分はさみしい。。。


再び池に出ました。いいですね~。回遊式庭園はこうこなくっちゃ。


……道なりに来たはずなのに、作業小屋に出たでござる。
もうちょっと隠してくれればいいのに。。。


天赦園の碑。春山公の揮毫です。


天赦園最大の見所、白玉上り藤です。
……咲いていれば。


四阿


まさかの松本零士。
この11日前(2月13日)に亡くなられたんですから、驚きです。
※報道されたのは4日前(2月20日)


大僖びの鐘


白玉上り藤
極楽浄土へと導いてくれる白い太鼓橋


咲いていれば。


わーい、咲いている花だ!(何かは知らん!)


一番奥行きを感じる


鴨猟場跡
海につながっていた当時はここに鴨が入ってきたそうで、それを狩って殿様が食べたんだとか。


なんかすごい寄生されてますが、大丈夫です?


おお、ありがたい、すごい咲いてる!(何かは知らん!)


春雨亭(入れません)


……おお、さっきよりも奥行きを感じる。
向こうの山が、いい借景になってますね。回りの建物もよく隠れてますし。


入り口付近まで戻ってきました。
まさかこんなところに丸いポストが隠れていたとは。



ということで12:15ごろ、撤収です。
個人的にはありがたいのですが、ちょうどお昼時とはいえ、他に誰もお客さんがいませんでした。。。

さ~て、お食事お食事!

……天赦園を出てすぐのところ(伊達博物館との間)に、なんか気になるものが。
日々がんばっていらっしゃるのでしょうね。


行きはあまり気にしていませんでしたが、伊達博物館の向かい(天赦園は左手)は公園になっています。
この奥の方が、博物館の移転予定地ですね。


そしてそんな場所にて、かつて伊達宗城と西郷隆盛が会見をしたそうです。
本題とは関係ないですが、宇和島に来ることを「来宇」って言うんですね。



さて、あとはテクテクと前回最後の方で紹介したお弁当屋さんの近くまで北上するだけですので、ここで区切ります。


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