目次へ
2023年2月23日13:35頃
道後温泉の坊ちゃんカラクリ時計から南下すること100m少々。
本日午後のメインである湯築城に到着です。
平山城ではありますが、高くても30mほどなので松山城と比較すれば遙かに優しいです。
余談ですが近くの駐車場に柑橘な看板が。
さ、さすが愛媛!
さて、では入りましょうか。
まずは資料館へ。
分かった上で回らないとね。
顔出しパネル。
キャラ自身の顔出しじゃないのは比較的少数派ですね。
さりげな~く猫の顔出しは可能です。展示を見れば分かりますが、実はここ、猫にゆかりがあります。
さて、中に入るとボランティアスタッフさんが数名と、お客さんが1桁後半(意外と多い)いました。
ちょうどローテーションで流しているビデオ上映が始まるということでしたので、奥の部屋で視聴します。
ナレーションが江守徹!?
では改めて。戦国時代にこの辺を仕切っていたのは河野氏でした。
湯築城はその河野さんの主城です。
河野氏の興りは12世紀だそうで、源平合戦で手柄を立てて所領をゲットしたそうです。
ですが承久の乱で後鳥羽上皇側についてしまい、戦後に所領を召し上げられてしまいました。
その後は大分苦労したようですが、元寇の折に「河野の後築地(うしろついじ)」と呼ばれる活躍を見せて、再び所領をゲットしました。
※後築地:元寇で海岸線に防塁が築かれたのは有名ですが、河野さんはわざわざその前(砂浜側)で戦ったのだとか。
南北朝期には伊予守護職に任じられます。
……そして秀吉の四国平定戦で湯築城は包囲され、降伏することとなりました。
10分15分の映像でしたが、なるほど、非常に勉強になりました。
さて、次は展示を見て回りましょう。
大部屋1つだけなので、そこまで時間はかかりませんが。
まあ、瀬戸内海といえば海上交易ですよね。
中国の陶磁器がたくさん
ジオラマ。やっぱこれだね!
中央に見えているのはむき出しの大岩です。
同じ史跡でも、この辺はいわゆる憩いの場になっちゃってるエリアです。
逆サイド(資料館がある方)
こっちはまさに史跡ですね。
ネコチャン!!
城内に捨て場があったんですね
河野氏家系図と湯築城周辺のお城たち
ちなみに河野氏で一番の有名人は、一遍上人です。承久の乱時点で10歳、その後60年ほど経過してから時宗の開祖になるんですからすごい。
そりゃお家が領地没収ともなれば、やってられない気分にもなるでしょう。
剥ぎ取り地層
捨て場(移設?)
と、ここでボランティアガイドさんが再び話しかけてきてくださいました。
さあ、うんちくを聞けるぞ!!
驚いたこととしては、思った以上に河野家が中央とつながっていたことでしょうか。
なんと北条時政の娘を妻に迎えていたりだとか、室町時代にも幕府が細川氏に対抗するために、将軍から2度にわたって一字拝領をしています。
家紋も、漢数字の「三」を菱形で囲ったものなのですが、記憶違いで無ければ源頼朝・北条時政に次ぐ序列3番目の場所に座ったゆえだとか。(大三島の大山祇神社だっけ?)
あと面白かったのは、先ほどジオラマで紹介した大岩ですが、
ちょうど湯築城は地層の境目だそうでして、大岩のある南側は丘の北側や周囲の平坦地とは地質が異なります。
実はここには土塁の断面が見られる場所もあるそうでして、「これはタモリさんが好きそうですね、ブラタモリで来れば良いのに」的なことを言ったら
実はもう来たと言われました。
ただ、なんと湯築城の北端にある湯釜までしか来ていないのだとか。同様に、松山城も天守閣の手前まで来てそれより先には進まなかったと。
い、言われてみればぼんやりとそんな記憶が……!
あとはテレビつながりだと、湯築城のてっぺんにある展望台からDASH島が見えるそうです。
DASH島って結構標高あるし、近いんですね。
最後に個人的なことになりますが、
河野氏が元寇で活躍して所領をゲットした話、実は結構いろんな場所をもらっていまして、九州や美濃・信濃・甲斐などに一族が広まっていきました。
で、その1つが岐阜県大垣市の林荘だそうです。
すごい偶然ですね、母方の実家がある場所ですよ。うちは先祖代々ってわけではありませんが。
さて、思ったより長居してしまいました。もう14時半ですね。
続いては城内を見て回りつつ、展望台を目指しましょう。
土塀
映画『マイマイ新子と千年の魔法』で清少納言(子ども時代)が花の種を植えさせていた場所ですね。
武家屋敷
連歌をやっているさま
横の台所では茶の準備中
これらの穴は、劣化ではなくそういう遺構があったという再現です。
ただし用途不明
まだまだあるよ、史跡エリア
武家屋敷2
同じでは芸が無いというのもあるかもですが、再現パターンが2つあるということで、あえて再現では無く展示として使われています。
青森県八戸市の根城跡でも城内に鍛冶場がありましたね。
上部が失われていますが、それでも複雑さがうかがえる
さあ、上級武士の居住区へ!
おや、池がありますね。
なるほど、庭園があったんですか。
海上交易は儲かりそうですからね~。
さて、では続いて土塁の断面を見に行きましょう。
内部はかなり奥行きがあり、土塁の大きさが感じられます。
そして壁面には当然ながら解説も。
こんなに層を分析するのも大変でしょうに。
「柱穴」が、どれだけ頑張ってもよく分からなかった。プロはすごい。
余談ですが、ここを見ている時に少しして後から女性が1名入ってきました。
後がつかえていると思うと焦りますね。
そして、まあ見るところも当然同じようなルートですので、この後展望台までほぼずっと1分差くらいで追いつかれることを繰り返してました。
展望台のあとは、下山ルートが違ったのか見かけませんでしたが。
では、次です。
ははぁ、廃城になったのによく残ってますね。
すぐ近くに城を建て直すと石材はごっそり持って行かれるものですが。
いよいよ大岩の対岸に来ました。
足下で花を付けている梅の木から、スケール感をお察しいただければ幸いです。
天然の石垣ですね。
「地質が違う」と言われれば、そりゃそうだと返す勢いで周囲とは異なっています。
遮蔽土塁(大手口がこのすぐ先にあり、今いる上級武士エリアを隠すなどの目的)
さて、公園でわいわい遊んでいる子どもたちを尻目に、大岩を回り込みます。
岩崎神社というのがありました。大蛇を鎮めるのが起源のようです。
放射状の石段が面白いですね。ルートをよく分かっていませんが、たぶんまっすぐでしょう。
……反対側にもルートがありますが、、、まあ、気にしないことにします。
あ、祠があります。これが岩崎神社ですかね。
ちなみに河野家の家紋があり、お供え物もしっかりとしていました。よく信仰されているようです。
すでに結構高い
神社を過ぎて、さらに進みます。
本当にこの道でよいのか、ちょっと不安になりますね。
あ、展望台が見えた!
やった!間違ってなかった!
てことで展望台
ちなみに誰もいないようにしか見えませんが、上から話し声が聞こえます。
先ほどの鳥居からここまで写真を撮りつつで5分なので、本当にあっという間ですね。
登ってみると、10人近い人がいました。
ごく若い人もいますし、ご年配の方もいますね。ちょっとした憩いの場になっているようです。
(おかげで展望台の様子は写真に収められませんでしたが)
松山城方面
というか結構高いですね。拡大してみると、10階建てのマンションの屋上が見えますよ。さすがに15階建ては無理ですが。
ちょっと拡大してもう1枚
松山城本丸エリアが広く平坦なことがよく分かります。
そして注目はその右手、写真中央やや右にうっすら見えている山! これこそDASH島です!(ボランティアガイドさんの解説が本当なら)
北東、伊佐爾波神社方面(左側のマンションの裏側)
……寄ろうと思えば寄れた、かな?
道後温泉方面
右手に伸びている平地は、いわゆる二之丸的なエリアですね。
ほぼ南(南南西)方面。山を越えてはるか向こうに宇和島があります。
四国、「四国山地」という割に結構険しいですね。
展望台を降りて、下山していきます。まず本壇エリア。
山腹の二之丸エリア(杉ノ壇)。わりと広い。
おお、なかなかに大きい木です。
北西方面を回り込むようにして降ります。
ここにも郭があったんでしょうね~。
お、湯釜!
これがブラタモリでも出たという!
※「重要文化財」とありますが、国指定ではなく県指定です。
さて、いよいよ下まで降りてきました。
ちょうどトイレに行きたかったのですが、目の前にあるとは素晴らしい!
※下山ルート中にもあったのですが、ちょっと湿っぽい場所だったので見送ってました。
そしてトイレ前にもさりげなく遺構の解説が!
※黒いブロックを結んだ線が、外堀と土塁の境目だそうです。
いよいよ松山観光も終了です。
2023年2月23日13:35頃
道後温泉の坊ちゃんカラクリ時計から南下すること100m少々。
本日午後のメインである湯築城に到着です。
平山城ではありますが、高くても30mほどなので松山城と比較すれば遙かに優しいです。
余談ですが近くの駐車場に柑橘な看板が。
さ、さすが愛媛!
さて、では入りましょうか。
まずは資料館へ。
分かった上で回らないとね。
顔出しパネル。
キャラ自身の顔出しじゃないのは比較的少数派ですね。
さりげな~く猫の顔出しは可能です。展示を見れば分かりますが、実はここ、猫にゆかりがあります。
さて、中に入るとボランティアスタッフさんが数名と、お客さんが1桁後半(意外と多い)いました。
ちょうどローテーションで流しているビデオ上映が始まるということでしたので、奥の部屋で視聴します。
ナレーションが江守徹!?
では改めて。戦国時代にこの辺を仕切っていたのは河野氏でした。
湯築城はその河野さんの主城です。
河野氏の興りは12世紀だそうで、源平合戦で手柄を立てて所領をゲットしたそうです。
ですが承久の乱で後鳥羽上皇側についてしまい、戦後に所領を召し上げられてしまいました。
その後は大分苦労したようですが、元寇の折に「河野の後築地(うしろついじ)」と呼ばれる活躍を見せて、再び所領をゲットしました。
※後築地:元寇で海岸線に防塁が築かれたのは有名ですが、河野さんはわざわざその前(砂浜側)で戦ったのだとか。
南北朝期には伊予守護職に任じられます。
……そして秀吉の四国平定戦で湯築城は包囲され、降伏することとなりました。
10分15分の映像でしたが、なるほど、非常に勉強になりました。
さて、次は展示を見て回りましょう。
大部屋1つだけなので、そこまで時間はかかりませんが。
まあ、瀬戸内海といえば海上交易ですよね。
中国の陶磁器がたくさん
ジオラマ。やっぱこれだね!
中央に見えているのはむき出しの大岩です。
同じ史跡でも、この辺はいわゆる憩いの場になっちゃってるエリアです。
逆サイド(資料館がある方)
こっちはまさに史跡ですね。
ネコチャン!!
城内に捨て場があったんですね
河野氏家系図と湯築城周辺のお城たち
ちなみに河野氏で一番の有名人は、一遍上人です。承久の乱時点で10歳、その後60年ほど経過してから時宗の開祖になるんですからすごい。
そりゃお家が領地没収ともなれば、やってられない気分にもなるでしょう。
剥ぎ取り地層
捨て場(移設?)
と、ここでボランティアガイドさんが再び話しかけてきてくださいました。
さあ、うんちくを聞けるぞ!!
驚いたこととしては、思った以上に河野家が中央とつながっていたことでしょうか。
なんと北条時政の娘を妻に迎えていたりだとか、室町時代にも幕府が細川氏に対抗するために、将軍から2度にわたって一字拝領をしています。
家紋も、漢数字の「三」を菱形で囲ったものなのですが、記憶違いで無ければ源頼朝・北条時政に次ぐ序列3番目の場所に座ったゆえだとか。(大三島の大山祇神社だっけ?)
あと面白かったのは、先ほどジオラマで紹介した大岩ですが、
ちょうど湯築城は地層の境目だそうでして、大岩のある南側は丘の北側や周囲の平坦地とは地質が異なります。
実はここには土塁の断面が見られる場所もあるそうでして、「これはタモリさんが好きそうですね、ブラタモリで来れば良いのに」的なことを言ったら
実はもう来たと言われました。
ただ、なんと湯築城の北端にある湯釜までしか来ていないのだとか。同様に、松山城も天守閣の手前まで来てそれより先には進まなかったと。
い、言われてみればぼんやりとそんな記憶が……!
あとはテレビつながりだと、湯築城のてっぺんにある展望台からDASH島が見えるそうです。
DASH島って結構標高あるし、近いんですね。
最後に個人的なことになりますが、
河野氏が元寇で活躍して所領をゲットした話、実は結構いろんな場所をもらっていまして、九州や美濃・信濃・甲斐などに一族が広まっていきました。
で、その1つが岐阜県大垣市の林荘だそうです。
すごい偶然ですね、母方の実家がある場所ですよ。うちは先祖代々ってわけではありませんが。
さて、思ったより長居してしまいました。もう14時半ですね。
続いては城内を見て回りつつ、展望台を目指しましょう。
土塀
映画『マイマイ新子と千年の魔法』で清少納言(子ども時代)が花の種を植えさせていた場所ですね。
武家屋敷
連歌をやっているさま
横の台所では茶の準備中
これらの穴は、劣化ではなくそういう遺構があったという再現です。
ただし用途不明
まだまだあるよ、史跡エリア
武家屋敷2
同じでは芸が無いというのもあるかもですが、再現パターンが2つあるということで、あえて再現では無く展示として使われています。
青森県八戸市の根城跡でも城内に鍛冶場がありましたね。
上部が失われていますが、それでも複雑さがうかがえる
さあ、上級武士の居住区へ!
おや、池がありますね。
なるほど、庭園があったんですか。
海上交易は儲かりそうですからね~。
さて、では続いて土塁の断面を見に行きましょう。
内部はかなり奥行きがあり、土塁の大きさが感じられます。
そして壁面には当然ながら解説も。
こんなに層を分析するのも大変でしょうに。
「柱穴」が、どれだけ頑張ってもよく分からなかった。プロはすごい。
余談ですが、ここを見ている時に少しして後から女性が1名入ってきました。
後がつかえていると思うと焦りますね。
そして、まあ見るところも当然同じようなルートですので、この後展望台までほぼずっと1分差くらいで追いつかれることを繰り返してました。
展望台のあとは、下山ルートが違ったのか見かけませんでしたが。
では、次です。
ははぁ、廃城になったのによく残ってますね。
すぐ近くに城を建て直すと石材はごっそり持って行かれるものですが。
いよいよ大岩の対岸に来ました。
足下で花を付けている梅の木から、スケール感をお察しいただければ幸いです。
天然の石垣ですね。
「地質が違う」と言われれば、そりゃそうだと返す勢いで周囲とは異なっています。
遮蔽土塁(大手口がこのすぐ先にあり、今いる上級武士エリアを隠すなどの目的)
さて、公園でわいわい遊んでいる子どもたちを尻目に、大岩を回り込みます。
岩崎神社というのがありました。大蛇を鎮めるのが起源のようです。
放射状の石段が面白いですね。ルートをよく分かっていませんが、たぶんまっすぐでしょう。
……反対側にもルートがありますが、、、まあ、気にしないことにします。
あ、祠があります。これが岩崎神社ですかね。
ちなみに河野家の家紋があり、お供え物もしっかりとしていました。よく信仰されているようです。
すでに結構高い
神社を過ぎて、さらに進みます。
本当にこの道でよいのか、ちょっと不安になりますね。
あ、展望台が見えた!
やった!間違ってなかった!
てことで展望台
ちなみに誰もいないようにしか見えませんが、上から話し声が聞こえます。
先ほどの鳥居からここまで写真を撮りつつで5分なので、本当にあっという間ですね。
登ってみると、10人近い人がいました。
ごく若い人もいますし、ご年配の方もいますね。ちょっとした憩いの場になっているようです。
(おかげで展望台の様子は写真に収められませんでしたが)
松山城方面
というか結構高いですね。拡大してみると、10階建てのマンションの屋上が見えますよ。さすがに15階建ては無理ですが。
ちょっと拡大してもう1枚
松山城本丸エリアが広く平坦なことがよく分かります。
そして注目はその右手、写真中央やや右にうっすら見えている山! これこそDASH島です!(ボランティアガイドさんの解説が本当なら)
北東、伊佐爾波神社方面(左側のマンションの裏側)
……寄ろうと思えば寄れた、かな?
道後温泉方面
右手に伸びている平地は、いわゆる二之丸的なエリアですね。
ほぼ南(南南西)方面。山を越えてはるか向こうに宇和島があります。
四国、「四国山地」という割に結構険しいですね。
展望台を降りて、下山していきます。まず本壇エリア。
山腹の二之丸エリア(杉ノ壇)。わりと広い。
おお、なかなかに大きい木です。
北西方面を回り込むようにして降ります。
ここにも郭があったんでしょうね~。
お、湯釜!
これがブラタモリでも出たという!
※「重要文化財」とありますが、国指定ではなく県指定です。
さて、いよいよ下まで降りてきました。
ちょうどトイレに行きたかったのですが、目の前にあるとは素晴らしい!
※下山ルート中にもあったのですが、ちょっと湿っぽい場所だったので見送ってました。
そしてトイレ前にもさりげなく遺構の解説が!
※黒いブロックを結んだ線が、外堀と土塁の境目だそうです。
いよいよ松山観光も終了です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます