設計はライフスタイルに従う

住まいをつくるとは「ありたい生活」をデザインすること。気候風土・環境地形を考慮し、端正で豊かな空間を目指す建築家の雑感。

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モバイル中毒

2007-06-07 22:49:51 | Weblog
川の中でカカシがペコペコおじぎをしている。

今日は忙しい合間をぬってどうしても来たかった今年初めての鮎の友釣りに
気田川にでかけた。

竿を片手に携帯で業務連絡している姿は、はたから見るとちょっとおかしな光景である。

みんな休暇をとって遊びに来ているというのにどうしてオフにできないのでしょうか。
日本人のサガなんですかね。

というよりいまや携帯が鳴らないと不安な人が多いのでは。
自分もその予備軍になりつつあるのが怖い。

なまじフィールドが送受信圏内であるのがそうさせるのか。
ここ数年前からの光景である。

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正直な建築

2007-05-31 23:03:10 | Weblog

「薄皮まんじゅうのような建物がいい」とある偉大な建築家がいっている。

ようするにあんこが室内空間だとすればその空間の形態を正直に外側の形に現れていて
外観にウソがないことだ。なにも建築だけにに限ったことではない。

さらにその外観はそこの土地や地形、自然環境、地域作法においてもあるべき姿でなければ長い間には物理的にも淘汰されるであろうし、それ以前に見るに耐えない。

「形態は機能に従う」とある偉大な建築家がいっている。100年以上も前に。

そこで人間の生活や営みがあるかぎり内部があっての外観であり、それでいて美しいものはどことなく品というものが漂っていると思う。

なにも建築に限ったことではない。世の・・・・もそうあってほしいものである。
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物欲と豊かさ

2007-05-27 23:12:28 | Weblog
物を買うのは本能。

物を捨てるのは知性。

これはある知人の名言です。

ショーウィンドーに陳列されているときはとてもまばゆいオーラを発していた
ブラウスが自宅のちゃぶ台の上に広げられたものはトテモ同じ物とは思えぬほど
輝きがうせていた。

タダほど高いものはないとは、本日限りの限定商品をお買い上げになるともれなくついてくるオマケ、今会員になるとお鍋がだだでもらえますとか。
そんなタダでいただいたものやたいして欲しくもないもので広くもない住まいが占領されてはいませんか。
タダだからともらわなければ買わなければ損だと思わせるいやらしさとそのワナにはまってしまうあさましさ。

タダでいただいたり何も使わないものに、一番たかい家賃を支払って狭い狭いと嘆いていること。収納が少ないといっても使わないものでいっぱいになった押入れや収納。

ものがあふれた貧しい生活。

ものの豊かさが生活の豊かさだと勘違いしている感覚もそろそろみなさん気が付きはじめたのでは。

百個のガラクタより一個の本物、お気に入りのなかで暮らす豊かさがどんなに心地よいのかを一人でも多くの人に知ってもらいたいとおもいます。
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高い県産材

2007-05-19 00:35:37 | Weblog
木造住宅の設計に携わって最近思うこと。

県産材を使ってくれと行政が音頭とりであらゆるところからそのこえがきこえてきますが・・・。

特定のブランドのお墨付きがないと県の補助金が使えない普及を妨げる矛盾。
その補助金抽選に外れたことを喜ぶ施工者。それは補助金が使える県産材のほうがコストが高いからだ。さらに言わせてもらえばおなじ性能の県産材であればブランドをはずした材は安い。

材木屋さんに聞いてみたら「高い分を補助金でまかなう。」ということらしい。
現状ほとんどの消費者は県産材のこだわりはない。

これで消費者に納得してもらえるとでも思っているのでしょうか。
そしてその補助金の還元先はどこにいくのでしょうか。
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二種類の人間

2007-05-14 23:47:03 | Weblog
「13歳のハローワーク」という本、ご存知でしょうか。その著書である村上 龍氏が
冒頭分のなかで述べている非常に現代を象徴している一文がある。「この世の中には2種類の大人しかいないと思う、自分の好きな仕事、自分に向いている仕事で生活の糧を得ている人と、そうでない人のことです。」実に的を得た名言だと思う。自分に振り返って考えてみると今は自分に向いているかどうか別にして自分の好きな仕事で生活の糧を得ていることに日々充実としあわせを感じられている。そういい切れるのはそうではない仕事についていたころはひたすら休日をまっていた自分がいた。今は休日という休日はないが、多くの人が人生の大部分の時間が大人として費やされていて、そこが楽しくなかったら仕事が楽しくなかったらすごく不幸だとおもう。だだ仕事というからにはどんなに好きであってもお金を頂くからには困難と苦痛がともなうことがほとんど。浜野流にいえば楽と書いてラクではないということ。それをこなす大前提の哲学がそこにあると思う。ほんとうにその仕事が向いている向いていない、好きか嫌いかはなかなかわからないと思う。特に若いときは。自分の拙い経験からすれば、これだと思われるぜんぜん別の仕事についたときはっきりとわかった。回り道をしてもたどり着けたことにいまは感謝している。そして師と仰げる人物に出会ったことが大きかったと思う。類は友を呼び自分のまわりは好きな仕事をしている人が多い。
じつにしあわせな人たちばかり。いまのところはね。自分も含めズッコケないようにしたいものである。
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ドアーと引き戸

2007-05-05 10:33:21 | Weblog
部屋と部屋との間、外と室内との間、それらをつなぐ物、建具としてドアーと引き戸あるいは障子や襖があることは、ご存じのこととおもいます。じつはこの二種類の開閉機構は全く異質なつながれた空間をつくりだすのです。
それは自然や外部との関係、人と人との関係において日本と諸外国とのとらえ方の違いのようにおもいます。
同じ部屋同志にあけられていてもドアーはお互いをへだて、つねに閉鎖しておくことを前提に考えられているし錠も設置しやすい。かたや引き戸のほうは開けっぱなしの状態を意識していて二つの空間どうしをつないでいる閉鎖ツールとなっている。さらに3本建て、4本建てともなれば、壁でない壁として存在している。
どうやら引き戸の考え方は日本のオリジナルな物事のとらえ方によるもののようです。高い精神文化のもと、襖がしまっていればむこうから聞こえてくる音は聞こえないとするモラルや外と内とを明確に区別するのではなくあいまいなうちに一体としてとらえる自然観からきていることは日本人なら体験的に感じられることでありましょう。
家造りにおいて単にドアーのほうが安くつくからという経済的側面からだけでなく、今一歩すすんで、どう家族とコミュニケーションしていくか、自然と向き合うのかという方向から検討することが大事だとおもいます。せっかく一生に一度の家ですから。
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つれずれなるままに

2007-05-02 09:27:02 | Weblog
さて、何を書こうとか思いつかずただいまパソコンにむかっています。
えらく、難儀なことをはじめてしまったようにもおもいます。
できるだけ身近なことや、すまいのことを中心に話して行けたらと。
もちろん質問ウエルカムです。そんななかで話をふくらめていけたらなによりです。
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私にとっての住まいづくりとは

2007-05-01 20:16:17 | Weblog
気候・四季・風土・環境、そしてメンテナンスを考慮したライフスタイル提案を通して、端正で豊かな空間を持った建築を、一つ一つ丁寧に創ることを追求したいと思っています。
自然素材のを多用し、極力ローコストで、またスローライフ的住宅をメインに「真に豊かな生活とは何か」を考えながら創造活動をしています。
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