たかはしけいのにっき

企業研究者の書く日記。歩くコンプライアンス。

手法が一般化されている学問と対象が一般化されている学問

2016-10-11 00:45:15 | 自然科学の研究
 「車を運転できる」ということは、ほぼすべての車を(少し説明を受ければ)すぐに運転できるということだ。トヨタの車は運転できるようになったが、日産の車は運転できない、ということはありえない。
 それは、車というものがユニバーサルデザインになっており、各社で共有している前提知識の数が多いからだ。

 だが、A社の顕微鏡を使えるからといって、すぐにB社の顕微鏡が使えるだろうか?そら、一回も顕微鏡使った事の無い人よりは他社の顕微鏡も使えるとは思うが、それなりに説明をきちんと聞かなくてはならず、真面目にやろうとすれば、業者と何度も連絡を取っていきながら、徐々に使い方をマスターせねばならない。それは、顕微鏡という実験装置がユニバーサルデザインになっていないからだ。
 (ちなみに、本筋から離れ、顕微鏡などの生物・化学系の研究室でよく用いる実験装置に関しては、という話になるが、最近の実験装置は、なんでもやたらに装置の純正ソフトウェアを使わせる傾向がある。そして、やたらめったらボタンや機能が沢山ついていて、よくよくどーなっているのかと訊いてみると、あらゆる業者で、ちゃんと分かっている人がなかなか出てこず、やっと出てきたかと思ったら、かなり微妙なこと(というか、完全な誤魔化し)をやっていることも多い。これは非常に危険な雰囲気だということを研究者は認識せねばならない。諸君らは作業結果を出力するだけの人間ではなく研究者なのだから、ブラックボックスのなかで物理的に何をやっているのかを追及し続ける義務がある。ここの欠如が甚だしい熟練研究者や成果至上主義者達が目に余る。PIや立場のある人間は、政治力学に終始しながら文章作成に一生懸命になっている場合ではなく、学生やPDやテクニシャンから指摘を受ける前に(実際に実験をしている人間が装置そのものの誤魔化しを指摘できるのは理系として当然だが、それ以前の話ね)、こういうところにきちんと踏み入らないといけない。「研究機器をなめているのか?」と業者と喧嘩しなくてはいけない。それとも、プロとしての自覚が無いのかい?もちろん、数少ない有能な先生は、こういう問題点を把握しているし、どうにかしようと務めている人も、それなりにはいるが・・・全然少ねーんだよ笑)

 しかし、それでもまだ、分子生物学の実験というのは、総じて、ユニバーサルデザインに近づきつつある。電気泳動を一回でもしたことが、あれば、まぁ、そのラボでのルールは確かにそれなりにはあるが、だいたいは出来てしまうだろう。(もちろん、新参者に「できない」的なテイを出してくるラボは沢山あるけどね)
 実は、これまであまり公で語っていなかったが、生物学としての(一番の)強みは、実験手法がユニバーサルデザイン化されつつあることだ。あらゆる実験が「キット化」され、非常に悪く言えば「バカでも使える」状態として、各研究室で提供されている。これは非常に素晴らしいストロングポイントである。バカでも使えるようにするためには、それなりに思考力を使わなくてはいけない。これは大変なことだ。少数精鋭の生物系のトップ集団が、これをトップダウン的に押し付けてきている歴史には、(俺ですら)敬意を払う。

 この生物学の最大の強みについて、物理学ではあまり考慮できていない。ユニバーサルデザイン化することにめんどくささを感じてしまっているのが、物理学を専門としている人間の悪い癖だ。
 三次元直交座標の基底ベクトルは、(i, j, k)と書くのか(ex, ey, ez)と書くのかすら、一本化されていない。結晶構造を精緻に記述する為の群論にいたっては、いまだに、シェーンフリース表記とヘルマン・モーガン(国際)表記の2種類の教科書が存在している。そういえば、フーリエ変換すら、周波数なの?角周波数なの?えーっと、この場合だと2πはどこにつけたらいいんだっけ?ってなりがち。っま、本質的には同じだからいいじゃん、って思うけど、初心者を惑わせることにも寄与してしまっています。それは、きちんと定義されていれば、基本的に好きな記号を使っていい、というルールがあるから、というのが強い。
 抽象概念を持ってくれば、その本質さえ誤らなければ使う文字はどうでも良く、じゃぁ多様的なほうがイイじゃん!という発想で、それはそれで良いっちゃイイのですが、それにしても統一化できるところまで統一してないので、長年扱っていても、わけわからなくなることが多いです。

 生物学はユニバーサルデザイン化された武器を用いて、多様的な対象を取り扱います。だから、ラボを極端に変えても、生物系内だったら、まぁやってることはほとんど同じ。ゆえに、狙ったタンパク質が面白いか?にかかっているわけです。
 それとは対照的(対称的?)に、物理学は抽象度が高い多様的な武器を用いて、ユニバーサルデザイン化された対象を扱います。ね、だから、みんな調和振動子が大好きでしょ?わかりそうなことしかわかろうとしない率がものすごく高いわけです。だから、研究室を選ぶ時も、物性理論、物性実験、素粒子理論、素粒子実験、の4つから選べや、ってなるじゃないですか、極論。いや、世界はもっともっと多様だぞ、っと言いたくなるから、一定数、コレ以外の変な事やってる研究室にわざわざ行きたがる人がいるわけで(俺もその一人かな?)。

 ユニバーサルデザイン化、生物系の言葉で言えば「キット化」されていることのデメリットは、多くの人が考えないようになってしまうこと。考えなくても済むようにユニバーサルデザインを導入する訳だから、当然なんだけどね。だから、21世紀にもなって、中卒でもスマホを使いこなしているのにも拘らず、博士号を持ってても、マッチひとつ、まともに自分で作れない。
 生物学はこのやり方で本当に正しいのだろうか?と考える時間が圧倒的に短く、物理学はこの対象を扱うことは本当に正しいのだろうか?と考える時間が短い(ただし、物理の場合は"圧倒的に"短いわけではない)。考える時間が短いというのは、得になるし、すべてが無意味にもなる。このメリットとデメリットを上手に組み合わせて戦略を立てれば、我々が知りたい壮大な問題のいくつか(生命とは何か?、とかね)について、解ける確率がものすごく高まると思う。

 このユニバーサルデザインということのメリットとデメリットを意識してみると、あらゆることが、個人レベルor集団レベル問わず、進捗しやすくなるんじゃないだろうかと思う。
 んなわけで、今日は、そんな話題提供をしてみました。これについてはまだ考え中なところも多いので、また何か書くかも。
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