大府市議会議員 たかばとくこ の日々

2007年、政治の素人が議会に飛び込んでみました。

「南海トラフ大地震は来る!~妊婦・乳幼児・女性を守るために~」に参加して。その4

2016-12-29 00:59:21 | 大府市

12月3日に参加した表題のシンポジウムからのメモです。

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認定特定非営利活動法人アレルギー支援ネットワーク事務局長 中西理映子氏から事例報告「アレルギーの子どもの命を守るために」

【以下、資料とメモから】
避難所という環境が薬品、物資の不足や衛生環境から、もとより症状を悪化させるものである(のは想像に難くないが)
緊急性の高い疾患や外傷の治療が優先されるから、さらに厳しい状況となる
平時でも「アレルギーは甘え」という人がいるくらい。避難してる環境でなかなか周囲の理解は得られない。
SOSを受けて薬品や対応食を現地に送ろうとしても、現地では正確に(←ここ重要)仕分けできる環境ではないため、熊本に送るために福岡病院に物資を送り、そこで仕分け→大牟田病院が受け取り、直接患者に届けに行った
こうした体制ができるまでに8日かかった。それまでは自分でなんとかする、という準備が必要と実感した。
炊き出しはありがたいが、材料に何が入っているか書いて掲げ、使った調味料は並べて手にとって見れるようにしてもらえるだけでとても助かる
スキンケアをするのにプライバシーが確保できる場所がない

【所感】
乳児や産褥期のお母さん、慢性疾患、アレルギーなどは「ケアができるなら自宅で生活ができる」わけで、避難所は「ケアができない環境」との前提が必要。
アレルギーに限らず「個別ケアが必要」な在宅者は、まず自己防衛が必要であることをもっと防災教育としてやる必要がある。福祉避難所など、インフラとしてどう整備するかの議論から、弱者に「自分のケースはこういう備え」と自覚してもらう防災教育。
さらに「ケアができない環境」を「不十分なりにケアが可能な環境」にするためにどこまでどうしたら、ということと、
一般の理解が高まること必要。
薬を個々で備蓄することについては、医療機関や処方に際しての規制(何日分以上出せない等)の議論も必要かと。
なお、私の子どもたちも、幼少時には気管支喘息の発作で夜間病院に駆け込んだことが何度もあったり、成人した今も保湿クリームが手離せない生活をしていたりする。

写真の黄色のものは、折りたたんで携帯できるカードサイズのもので、裏表で並べて撮影してあります。


 

Facebookの個人フィードにメモ書きしていたものを再掲。内容ごとに7回に分けてあります。
個人フィードに掲載後、主催者されたみなさんにも、内容を確認していただいています。
主催側の公式なまとめではなく、参加者として書き留めたものです。
個人フィードに掲載後、日にちが経ってから見に来てくださる方もかなりいらっしゃるので、より共有しやすいウェブログにも掲載することにしました。


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