~暮らしの中の小さな幸せ~

ログハウスに住みながら・・・
日々の暮らしと趣味の色々を綴ります

大人の社会見学「万田坑」 ~part2~

2023年03月17日 | おでかけ
万田坑見学の続きです。

有料区域に入ると直ぐ目の前に国の重要文化財である第二竪坑巻揚機室を見上げ・・・
コチラの見学は最後となるようで・・・
順路に従い右手にある事務所や職場の見学しました。
事務所(旧扇風機室)

事務所左手の建物は現在工事中でした。



万田坑は1951(昭和26年)に石炭採掘の役目を終え
その後1997(平成9年)の三池炭鉱閉山まで主に坑内水排水の役割を担っていましたが
最後はここで10人ほどの人が働いていたそうです。

以前は扇風機室だったそうで左のコンクリート部分が煙突になり
事務所になって窓が作られたとか・・・

職場

手前に見える鉄管は水を汲みだすためのもので
管の内部には当時の水垢が分厚く付いたままでした。

ダイナマイトなどを保管していた倉庫


昭和初期に建設された職場
坑内で使用する機械類の修理や工具の工作を行う施設です。


「ご苦労さん」の標語(看板) 私は一番先に目がいきました。



機械類をベルトの付け替えによって原動機1台で全てを動かす仕組みと
ガイドさんの説明に興味津々のオジサン

専属でガイドしてくれるので色々質問し見学時間も長くなります(笑)

機械の説明にはチンプンカンプンの私でしたが・・・
時間が経過した機械類の雰囲気に魅かれつい写真を撮り過ぎます(笑)

次に向かったのは第二竪坑櫓と竪坑坑口

滑車にワイヤーロープを引っかけてゲージ(エレベーターのかご)を吊り下げ
人や資材を昇降させていました。

トンネルの中へ


人をのせるゲージ(エレベータのかご)
定員25名
ゲージの床にはトロッコをそのままのせるためのレールもあります。



右手の柵がある場所が坑口 約8.5×4.4m 深さ地下264mの穴
当時は1分間で昇降していたそうですが現在は土で埋められています。

左の建物は信号所施設
巻上機室の運転手や竪坑とベルや電話で連絡を取り合っていたそうです。


ゲージを吊るす部品

左側と右側に各1台のゲージがあり「つるべ」式の井戸のように片方が地上にある時は
もう片方は抗底にある仕組みでしたので現在1台は土の中だとか・・

見上げた先に竪坑櫓

坑口までは立ち入り禁止の柵がありますが・・・
ガイドの方と一緒なので入らせていただけました。

壁にはツタが生え・・・

竪坑口を見学中に銀髪のカツラをかぶりコスプレをした若い女性と
カメラマンがやって来ましたが私達の見学が終わるとトンネル内で撮影していました。
万田坑はコスプレイヤーに人気だそうで、ガイドさんもよく見かけるそうです。

入り口のヘルメットが二種類あるのは組合が二つあったからだとか・・・
私はコードに繋がれた四角いものが何かわからず質問すると・・・
オジサンが「ライトを照らすためのバッテリーたい!」と馬鹿にされました(笑)
手に持つと結構重たく大変さが伝わりました。
エレベーターや洞窟など苦手な閉所恐怖症気味の私は
狭く暗い地下での長時間作業を想像しただけで怖くなります。

第二竪坑口から外に出て、階段を上り見晴らしの良い広い場所へ
旧選炭場や第一竪坑があったそうです。


大牟田の方に宮原抗が見えました。(望遠で撮ってます)
万田坑より規模は小さく住宅街の中にあるそうです。
官営炭鉱時の宮原坑は近くにある三池集治監の囚人労働が行われていたそうです。
他にも色々説明いただき一生懸命聞いたのに半分くらいしか覚えていないのが悔しい(笑)

第二竪坑櫓がとても近くに見えます。

今年1月13日に三池炭鉱専用鉄道で使われていた「炭鉱電車」2両が万田坑に運ばれ設置され
旧選炭場から見下ろす形で観られたそうですが現在はブルーシートで覆われています。
早ければ夏頃には一般公開され短い区間ですが動く姿も見れるかも?だとか・・・

さて、ここまででの見学時間は既に40分を過ぎ、興味ある説明に時間を忘れるほどです。
「地下足袋」は三池炭鉱の炭鉱夫が最初に使用したから、そう呼ばれたという説もあるとか?
話の流れで巨人の原監督の父親が三池工業の監督をし甲子園優勝したことなど
炭鉱に関係ない色んな話も聞かせてもらった今回のガイドさん
堅苦しさがなく、わかり易い言葉での説明はとても私達向きの方でした。

今回も長くなり、とても終わりそうもありませんので・・・
第二竪坑巻上機室の中の見学は次回と言うことで
・・・・続く・・・・