DOUBLE「和」の空間

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転院しました・・

2017-09-14 10:07:46 | 闘病記録
入院中のじーちゃんネタです

結論から書きますと、先週7日の木曜日に、5月21日から3ヶ月半ほどお世話になった大病院から我が家直近の病院へ転院いたしました。

その間、3回の抗癌剤治療、そして脳腫瘍に対する抗癌剤治療を1週間。

並行して感染症との闘いにも大量の抗生物質投与を続け、相当な労力を費やしてきました。

身体の中の画像上に見える癌は消滅している、けれど画像判断が不可能な脳神経に浸潤していると予想される癌に対抗できる治療が見あたらない。

結果、これ以上の治療は継続できないと。

効果もそんなに認められない状況の中、これ以上の治療継続はそれこそ命を削り落とすだけのものにしかならないと。

要は・・・痛みをコントロールするだけの緩和治療への方向転換を迫られたんです。

つまるところ・・・この大病院は急性期医療を対象としているので、治療対象でない患者は速やかに転院先を探さないといけないのです。

じーちゃんを緩和治療をしている病院への転院・・

もちろんセカンドオピニオンをもらいに行くことも考えました。

でもそれをしている間にもじーちゃんは痛みとの闘いになるわけです。

闘いを中止して、余生をラクに・・・

この病院に居る限り、15歳以下面会禁止のため、じーちゃんは生きがいであるひよやまにずーーーーーーっと会えないでいたわけで・・・

転院することでじーちゃんは残された日々、ひよやまに好きなだけ会える・・・


この決断をするか否かで・・・ぱぱさんは悩み苦しみ・・・体調不良がピークに達しました。

毎日1日も欠かすことなくお見舞いに行っていたのに、2日間、どんな顔をして親父に会いに行けばいいんや・・・とお休みしてましたから。

暑い室温であっても突然「寒い!寒い!寒くてたまらん!」と布団を何枚も被ってみたり・・・

涼しいのに・・・汗が止まらず、ひんやり枕を使用してみたり・・・

じーちゃんの事情を知るかかりつけ医に・・・とうとうかるーい安定剤を処方されたほど。

「飲むか飲まへんかは自分で判断したらええ。処方だけしとく」と言われて。

どうするかな?とさりげに見ていましたが・・・

ぱぱさんは・・・その処方箋自体をゴミ箱へ捨てていました。

私は・・・多分人生最大の試練の今、精神的にダメージを受けまくっているぱぱさんではありましたが、まだ精神の根っこのところはかろうじてぱぱさんらしさを持ちこたえているのだとちょっと安心しました。



ぱぱさんは我が家近所に2つある転院先のどちらかにして欲しい、と病院に依頼。

すると・・・片方の病院からOKが出て・・とりあえず下見に2人で行ったんです。

綺麗な病院でした。

ただ、じーちゃんの病状を診る血液内科がない方だったんです。

消化器内科の主治医を予定してます。・・・だそうで。

もう1つの病院で、できれば血液内科の先生に診てもらいたいと希望していたんですが、原則、転院は受け入れない病院方針だそうでダメだったんです。

我が家から徒歩2分ほどのところで、この上なく良い選択肢だったんですが。

紹介された方は、緩和なのでそんな主治医の診療科目なんてすでにどうでも良かったんですよね。

で、下見の帰り道・・

「要はさ、遺される家族がどれだけその後の人生を後悔なく過ごせるか、やと思うねん。私は自分の父親が亡くなった時の後悔が一杯ある。なんであの時、もっと頑張れなかったんだろう、と今でも涙が出る。だからあなたにはここで踏み間違って欲しくはない」と私。

「今がラストチャンスやで。あがくんやったらあがかんと。あなたが何もしなかったらじーちゃんは木曜日にはこの病院に来て消化器内科の先生に痛み止めをうってもらうだけになるんやで。私はもうこれ以上は言えん。あなたのお父様やねんから決めるのはあなたとお母様や

すると・・・2時間ほど経って・・

「もう一回、もう一つの病院が何とかならんかダメもとで交渉してくるわ

転院は互いの病院の地域連携科を通してしか交渉できないんです。

・・・。

ぱぱさん、大病院の相談員相手にかなり粘ったようです。

粘り勝ち!

とりあえず希望病院の事務方さんが話を聞いてくれる、との返事。

ぱぱさんらしさが戻ってきました


で、翌日、ドクターの受け入れOKが出たと有り難い返事

身体的にかなりしんどい状況にあることは変わりないですが、ゆっくりだましだましの治療と共に、ひよやまの空き時間にさっと会いに行ける環境確保ができました

しんどく長い闘いになってきましたが、頑張っています



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再入院中・・

2017-08-07 16:17:31 | 闘病記録
先月末の金曜日、じーちゃんが退院しました

血液検査の結果から見ると、まだまだ炎症値も高いし、微熱もあったし、正直この状態で帰すか!?のレベルだったんですが・・・主治医のGOサインが出たんです。

かかりつけ医に検査結果を見せても「この値で帰すなんてチャレンジャーやな」と。

でも本人からしたら少しでも病院から出たいでしょうしね・・

あっつい中、退院した訳なんですが。

じーちゃんは全ての行動に介助要だし、ばーちゃんも連日の暑さと疲労とでダウン寸前だし・・・

ぱぱさんがサポートのため、ほぼ24時間体制で実家滞在になりました。


ただ15歳未満面会禁止の病院なので、退院しないとひよやまに会えないじーちゃん。

早速、退院当日の金曜日にひよやまも実家へ

前回の退院中は、大和は発熱のため自宅待機で会えなかったので、ほぼフタ月ぶりの再会。、

短期間の滞在でしたがそれだけは良かったです。


・・・2日後の日曜夜、再び緊急入院したので。

熱がどんどんどんどん高くなって・・・

食べ物も受け付けなくなって・・・38度2分になって病院へ電話したら「様子見で」と言われ・・・

38度5分超えで、再度病院へ連絡を入れ、ちょっと強引気味に緊急外来へ入れてもらい・・・そのまま入院となりました。


そして現在、再び感染症との闘いのため、抗生物質投与の点滴生活。

癌自体の存在は・・・すでに目視の範囲でクリア・・・らしいんです。


ただ、今までの入院生活と違ってきたのは、じーちゃんが少しでも経口摂取しようと少しずつ食べる気力が沸いてきていること

今までは、においがダメだと言って、病院食をほぼスルーしていたんで。

抗生物質を変えたので、その影響かもしれませんが、家族にとっては何より有り難いこと。

異常気象の暑さなので、もう少し気候が良くなるまで入院の方がじーちゃんの体力的にもラクなのかもしれません。

ぱぱさんは、1日に2回ほど食事の介助がてらお見舞いに行って多忙ではありますがね。

病人を抱えると・・何かと本当に大変だと実感しております。

みんなで・・頑張ってます






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じーちゃん退院・・

2017-07-30 15:52:55 | 闘病記録
一昨日朝、じーちゃんが退院しました

先月、一度退院したものの、1週間もしないうちに吐血して救急車で逆戻り・・・

ICUに入り、胃までの内視鏡に問題がなかったところから、前回の入院時に行った胆管のステント処置のやり直し(←恐らくここからの出血との判断)をしてそのまま入院継続していました。

実は・・・3回目の抗癌剤投与に前後して黄色ブドウ球菌(MRSA?)に感染してしまったらしく、発熱状態が続いていたので抗生物質の投与が続いていたんです

それがある程度治まってきたな・・と思ったら・・・今度は口周辺の麻痺とモノが二重に見える「複視」症状に苦しめられ・・・

ステロイド剤も含めて治療が続いておりました。

なんかねー、モグラ叩きじゃないですけど、症状が出たところを叩けば別のところからまた不安になる症状がぴょこっと出てくる、の繰り返しで・・・

特に顔面の麻痺は、脳の神経系統に癌が巣くったかも・・・これが脳の呼吸系統をアタックすれば心臓が止まる・・なんてドクターからの脅しもあって・・・

ま、ドクターも最悪のケースばっかり説明するんでね・・・

こちらとしてはちょっと良くなって安心していたら・・・また奈落の底へ突き落とす、的なことがあったわけです。

そんな乱高下するぱぱさんの精神状態を支えてくれたのは・・・

我が家の10年を超えるかかりつけのドクターでした。

比較的言うことが緩いと言うか軽い(?)先生で、患者にとって好き嫌いが出る方ではあるのですが、大病院勤務経験が長く知識が豊富で、我が家的には何でも言えるし、はっきり言ってくれるし、頼りになる先生。

今回、悪性リンパ腫と診断され、ツラい治療を始めるかホスピスを選ぶか、と病院に迫られた際、諦めかけたぱぱさんに

「闘わない選択肢は自分にはない。自分の家族であっても絶対に闘わせる。だって助かる可能性があるんやろ?なんで闘わへんねん?」と言い切った先生。

それを聞いて奮起したぱぱさん。

それ以降も、何か凹む内容を突きつけられる度に相談に乗ってもらっております。

多分、先生がいなかったら・・ぱぱさんの精神状態はひっどいモノだっただろうな、と素直に思います。

と言うのも、じーちゃんの担当は、わっかい主治医と研修医のおねーちゃんで。

経験不足なのか、説明がイマイチ足らないし、どんな治療をしているのかすら不明なことがあって・・・

じーちゃんには説明していたのかもしれませんが、難しいことなんて本人にはわからないじゃないですか?

それによってすっごくじーちゃんの体調がアップダウンするんで、毎日お見舞いに行くぱぱさんは不信感を募らせていたんです。

推測される治療内容を含めてかかりつけドクターに相談してみると・・・

「だから病院は選ばなアカンっていっつもゆうてるやんでもまあ、やっていることは偏差値60や70とまでは言わないけど、55くらいやから。若い主治医でもちゃんと科全体のドクターと話し合って治療方針立ててやってるはずやから。とりあえず規定の抗癌剤6クール終えて、その時の対応で転院するかどうか決めたらええ。今、転院するタイミングじゃない」とぴしゃり。

で、ある程度落ち着いてきたんで・・退院したんですが。

ステロイドの副作用か、血圧が上が70を切ったりするので立ちくらみがひどく・・・

食欲も体力もなく・・・ぱぱさんが実家に滞在して全面サポートをしております。

ちょっとずつリハビリ・・・です。

慌てない慌てない・・。


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一般病棟へ・・

2017-06-28 17:23:00 | 闘病記録
一昨昨日午後、じーちゃんがICUから一般病棟へ移動しました

ステントの再処置を受けてから吐血はなくなり、下血が1度ありましたが、それによって溜まっていた血が外へ出たようで、輸血をして落ち着きを取り戻したようです。

一安心・・かな

それに伴ってお粥を含む食事が復活しているようです

不味い!とお粥以外は手を付けていないようですが

リハビリもスタートしたようですし、オオヤケの病院は甘やかしてくれません。

ホント容赦がないです


前回も書きましたが、吐血辺りのタイミングでぱぱさんが見せてもらった画像では、じーちゃんに巣くっていた癌腫瘍は、目視ではっきり分かるほど小さくなっていたそうです。

抗癌剤自体は「激烈に(←主治医がこの言葉を使ったそう)」効いているそうで。

このまま勢い上向きにお願いします!ってところです





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再入院・・

2017-06-24 10:53:11 | 闘病記録
一昨日朝、じーちゃんが再入院しました

リハビリ的にも血液検査の数値や検査画像的に見てもドクターの予想を遙かに超えた回復を見せて、こちらとしても少し未来が見えてきたかな?と肩の力を少し抜き始めた矢先・・・

突然の吐血

・・・再び入院となりました。

それもICU対応で。

意識はしっかりとあるし、元気なのが頼みの綱。


内視鏡でどこからの出血かを確認したのですが、上から胃の下辺りまで問題なし。

・・・と言うことでやっぱり当初の胆管のステント処置を施した周辺か、となり・・・

再び、結構な量の吐血があったタイミングで、緊急にカテーテルステント処置のやり直しをしました。


・・・。

すっごく元気になってたんです、退院して。

歩く練習にも積極的だったし、頑張って食べてましたし、会話のキャッチボールもかなり復活してきてましたし・・


上昇気流に乗って、復活に向けて少しずつ加速度つけて行こうと家族が一丸となっていたその勢いが・・ちょっぴり削がれたようで、かなりダメージがありました。

ちょっと上向きになってホッとさせられたかと思うと、新たな敵が出現してまた落とされ・・・

1ヶ月近く経ち・・・ちょっと家族にも疲れが見えてきました。

癌自体は、抗がん剤が激烈に効いているようで、びっくりするぐらい小さくなっているそうです。

それを心の拠り所に踏ん張ります。

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通院治療へ・・

2017-06-18 17:57:03 | 闘病記録
一昨日午後、じーちゃんが退院いたしました

お気遣いをいただきました皆様に厚く御礼申し上げます

今後、3週間で1クールの抗がん剤治療を残すところ5クール分、通院治療にシフトして行っていきます。

その1クールでは、2日連続で抗がん剤を長時間掛けて流し入れ、さらに10日後にもう1日、点滴治療して経過を見る予定となっております。


で、当初のドクターからの説明では、第2クール中の早い時期に症状を見ながら退院して通院治療へと考えています、とのことだったので、こちらとしてもそのつもりだったのですが・・・

第1クールの終了を待つことなく、バタバタと退院の運びとなりました。

抗がん剤が効いたのか腫瘍のサイズが小さくなったようで、症状的にも落ち着き始めたから、と言うのもあったのですが・・

それでもまだまだ1回に10錠以上の薬を服用し、さらに痛み止めのモルヒネらしきも手放せず、トイレまで支えがないと歩けず、常に吐き気と闘っているこの段階での退院はいささか強引だと映ったのですが・・・

それでもドクターが退院勧告に踏み切ったのは・・・

ひとえに「脳の衰えを食い止めるため」

・・・でした。

入院前のじーちゃんは活動的に動いていたこともあって、体力的にも精神的にも79歳とは思えない日々を送っておりました。

ひよやまの居るところにじーちゃんの姿あり、ってくらい刺激的な日々だったんです。

昨年まで大峯山の修行もしていましたし、お友だちと飲みに行ったり・・。

それが突然、世界が病室のベッドの上だけになり、さらに薬漬けの日々になり・・・

脳的に驚くような状態になったんです。

確かに麻薬に近いお薬の影響も大いにありますが、脳への刺激ストップが・・以前とのギャップが大きかったんだと思います。

高齢者の入院は、急激な身体的衰えだけでなく・・・脳の活動的にもダメージが大きいことを実感しました。

ドクターは「もう1週間もこのままにしておけない」と。

身体的な状態が何とか自宅療養で持ちこたえられるレベルまで戻るのを待って、速効退院となりました。

身体的状況と脳的状況を天秤にかけ・・・どちらもぎりぎりのラインで手を打ったわけです。

ただし、発熱、食事が摂れない、トイレができない、痛みが我慢できない、などがあったらすぐに連絡をください、と。

救急対応しますと。


・・・。

で、ばーちゃん1人ではそんなじーちゃんの生活をいろんな場面で対応しきれないので、現在、ぱぱさんが実家に泊まり込んでおります。

しばらく二重生活になるかと。


そして昨夕、日和がじーちゃんに会いに行きました

愛しのひよちゃんとほぼヒト月ぶりの・・・感動の(?!)再会

大和は・・残炎ながら発熱に付き、無念の自宅待機

わかっちゃいましたが、ひよちゃん効果はじーちゃんには抜群の破壊力があったようで、共にした夕食では驚くほどの量を口にしたそうです


明日から抗がん剤治療の第2クールがスタートします。

さらなる効果を期待しています。




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ビデオレター・・

2017-06-13 09:34:05 | 闘病記録
現在、闘病中のじーちゃんはひよやまにメロメロな人です

世間一般的に、祖父母は孫に激甘っかとは思いますが、うちのじーちゃんも相当なもんです。

特に日和

日和の存在は・・・そうですね・・一言で言えば「免罪符」ですね

何でもOK!何をしてもOK!何をされてもOK!

無条件降伏状態です

じーちゃんは一人っ子、さらにぱぱさんも一人っ子。

そこにじゃーんと出現したのが女の子の初孫、日和さん

おおおぉぉぉ・・・って感じだったんでしょうか

記憶にあるのが、日和が1歳にもならない頃、昼頃にじーちゃんが突撃ピンポンでやってきて・・・

日和をわきに抱えて前後させてブランコみたいにして大喜びさせて遊ぶこと10分ほど。

「じゃ、帰るわ」とお茶を出す暇もなく帰って行ったことがありました。

その時はよくわからなかった私は・・・唖然。

「な、何しに来た???」

一駅隣に住んでいるじーちゃん。

電車に乗ってわざわざその10分のために・・・やってきたようで

ただ当時はじーちゃんのキャラ的に・・・メロメロだなんて信じられないレベルだったもんで。

でも今ならわかります。

その時点ですでに日和に懐柔されまくっていたと言うことを

顔が見たかったんでしょうね。

大きくなった今でも突撃ピンポンはしょっちゅうでしたし


一方の大和はですねー

やはり第2子でそれも男の子とあって新鮮さに欠けたか、日和と扱いは違ってましたねー。

でも大和は、将棋にしても算数の成績にしてもいろんな方面でおおっ!やるやん!的なものを見せるわけです。

そんな・・ぱぱさんになかった才能の一端を垣間見せるものだから、最近は積極的に習い事とかの付き添いをかってでてくれてました。

またキャラ的に大和は加護欲をそそるタイプで・・・

日和とはまた違った可愛がり方をしてました

「大和が泊まりに来たら、夜中に布団を蹴ってないか心配で寝られへん」って感じで

それでも「大和、いつ泊まりにくる?」と笑顔で誘ってましたし。


そんなじーちゃんが入院して・・・15歳以下は面会禁止ゾーンにいるんです。

やはり子どもはいろんな菌ホルダーなんで。

白血球値をトコトンまで落としてしまう抗がん剤治療中は敵なんです。

ひよやまに会えないのが何より辛そうで。

じーちゃんがキツい抗がん剤治療を選んだのも、恐らくこれからもひよやまを見続けたいから。

なので・・・毎日、ひよやまからのメッセージを撮影して、ぱぱさんに病室に届けてもらっています。

薬の影響か、刺激の無い入院生活のためか、ちょっとぼーっとしているじーちゃんですが、このビデオで

「じーちゃん!」と語りかけられると・・・表情がキッと戻るんです。

動画に向かって・・・「そうかそうか」とか目尻を下げてめっちゃ嬉しそうに話してますしね。


ビデオレターは、じーちゃんへの一番の薬みたいです




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じーちゃん入院中・・

2017-06-12 10:33:05 | 闘病記録
半月ほどご無沙汰しておりましたひよやまままです。

実は先月21日夕方にじーちゃん(←ぱぱさん父)が緊急入院し、現在も入院しております


かなり前から右足首に激痛があったじーちゃん。

駅の階段で踏み外したことに端を発していたので、整形外科で月2回ほど、痛み止めの注射を打ってもらって凌いでいたんです。

それが・・・

入院する半月程前から、右足の付け根の股関節周辺に激痛が続き、鎮痛薬のロキソニンを頻繁に服用していたんですが効果があまりなかったんです。

じーちゃんの「痛みが移動する」って言う意味がイマイチ理解できず。

で、鎮痛薬の飲み過ぎで消化器系が傷んで、数日前から食事量もかなり落ち、痛みで眠れないでいたんです。

そこで大和の骨折を診てもらっていた整形外科に行く際に、一緒に行って診察を受けたんです。

「腱が伸びているから、しっかりと鍛えて」とドクター。

痛み止めの薬を処方され「これで治らなかったら内科的なモノも疑って」と。


で、21日午後。

あまりの痛がりように、翌22日の朝イチに我が家近くのかかりつけ医に行って内科的に診てもらおうと我が家にじーちゃんを連れてきたんです。

横になって身体を休めてもらってたら、激痛で表情苦しく、また人一倍暑がりのじーちゃんが、気温的に寒くもないのに「窓を閉めて」と言うので・・・

「じーちゃん、調子悪くなってから熱を測りました?」と聞いたら「いや、測ってない」と言うので検温。

どんぴしゃり

38、6度。

大人ですからね。子どもだったら平気なこの数字も、大人には問題大あり。

風邪症状もないのに・・これは身体のどこかで炎症が起きているはず。

で、出かけていたぱぱさんに連絡を取って・・・心配のしすぎかもしれんけど、この状況は尋常じゃないと思うから市内の大病院の救急に直接コンタクトを取ってみて、と依頼・・・

初めは別の病院に誘導されたそうなのですが、そこはぱぱさん、得意の(?)粘り勝ち

「診察まで3時間は待ってもらう」との病院側の条件を呑んで予約成功

ぐっじょぶ


で、救急での検査結果を待ってそのまま入院。

翌日から消化器内科での検査のオンパレード。

初めはね・・・膵臓と胆嚢が問題あり、と出たんですけどね。

それだけではなさそうだと、わっかいドクターは、整形外科、泌尿器科、そして血液内科的アプローチもしたんです。

で、金曜日、入院から6日目に出てきた結果は・・・一番後者の異常でした。


悪性リンパ腫。ステージⅣ。

そうです。血液の癌でした。

血管を移動するので進行が早いんです。

じーちゃんの痛みが移動する、って表現は正しかったのかも。

もうね・・・ドクターの説明に久しぶりに大粒の涙がボトボトボトと落ちましたよ。

で、きちんとした検査結果が出るまで待てない状況なので、治療に合意されたらすぐに抗がん剤を始めますと。

治療しなかったらヒト月持たないでしょう、と。

いわゆるホスピス系の選択肢もあります、と。


ぱぱさんは悩んでました。

じーちゃんも来春には80歳の声を聞きます。

そんなじーちゃんに「癌と向き合え」とキツい副作用との闘いをさせるのか、と。

のんびり余生を送らせてあげた方が良いのでは、と。


で、結論が出せないぱぱさん・・・かかりつけ医に相談に行きました。

すると

「助かる見込みがあるのになんで闘えへんねんや?」と闘わない選択肢は自分にはない、とドクターにスパッと言われました。

このドクターは良い意味で普段はと~ってもアバウトで有名な緩~い先生。

でも必要な時には急に目がマジになるんです。


ぱぱさん、決めました。

闘うと。

いや、実際闘うのはじーちゃんで、エラい目にあうのもじーちゃんで・・・周囲は何も出来ないんですけど、できる限りのサポートをすると。

親父を俺が説得すると。

・・・で翌月曜日、私たちも同席し、じーちゃんにドクターが告知しました。

じーちゃんはどう出るかな?と思ってましたが・・・

1日考えてお返事ください、とドクターが言ったその場でじーちゃんは自ら「同意書」を書きました。治療の。

もうね・・・私が泣いても仕方ないんですけど、涙が次々出てきましたよ。



で、翌日から治療が始まってます。

長い闘いになると思います。

でももっと発見が遅れていたら間に合わなかったかも。

大病院に最初から診て貰えて・・見つけて貰って・・・初動は間違えてなかったはず。

私は、自分の父親を突然死させてしまった後悔が常にありました。

大袈裟!と言われても良いからなぜもっと早く大病院に連れて行かなかったのかと。



じーちゃんの現在のこのラッキーが実を結ぶことを祈っています。



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