瀬崎祐の本棚

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詩集「エチュード四肆舞」 池田康 (2018/07) 洪水企画

2018-09-06 16:54:59 | 詩集
 107頁。作品はすべて4行×4連の形でまとめられている。個々のタイトルはなく、「壱」から「肆」の4つの章にそれぞれ12編、計48編を収める。

 「壱」に収められた作品はかなり哲学的である。感情というよりも思考に支配されて言葉が動いている。

   しかしどこにでも行けるは幻想
   ものが正しく見えるなんてあり得ない
   言葉は嘘ばかりつく魔物だ
   この世はいつなくなってもおかしくない
                     (「壱ⅲ」第2連)

 「弐」になると作品のなかで感情が動き始めている。そして感情が動くということは他者との関わりが生じてくるということでも在る。そのようにして、「参」では外部事象とのつながりが生じてきている。「参ⅱ」では獅子舞が詩われている。

   笛の調べを食べたいと思う
   太鼓の音を食べたいと思う
   なんでもかんでも食べたいと思う
   獅子は悲しい
                  (第3連)

 「肆」は他者が構築している世界のなかに在る自分がいる。自己の観念のなかをさまよっていた話者は、「ハムレットの亡霊をさがす都市」や「戒厳下の都」をさまようようになっている。父母を探し、転がるフラフープを追っていくのである。

 4行×4連という詩形では起承転結も意識されているだろう。このように定型化して作品を作り上げることは、不自由でありながらもその制約のなかでは自由だという、矛盾したような開放感もあり得るだろう。あえて詩形への拘束という選択は、そのなかでどれだけ自分を解き放てるかという挑戦でもある。
 「壱」から「肆」までかなり単純化して捉えてしまったので、おそらく作者は苦笑いしていることだろう。

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