第12詩集。80頁に22編を収める。
詩集は「川の名前」「川のある世界」などといった川にまつわる作品ではじまる。
「川の名前」は、話者がこれまでの人生で交差したり寄り添ったりしてきた川の思い出の作品である。話者が生まれた産院のほとりの川、通学の時に木の橋で渡った川、そしてアメリカでめぐりあった川。そして今、
わが身体を絶え間なく流れる川
深夜
その音に耳をすます
未だ流れているかどうかと
川の流れは、話者の身体の中で生命を司っている血の流れと重なってきているのだろう。だから「川のある世界」でも、流れる水は「耳元で水たちが立ち騒ぐので/夜中に何度も目覚める/見回しても/川などどこにもないのに」と詩われるのだ。
直接には川に触れていない作品ででも、その底の部分では作者のゆっくりとした川が流れているようだ。わずかな自分の宝物を遺品として誰に譲るかをユーモア溢れるタッチで書いた「わが財産目録」、兄弟を詩った「わが家系」や「弟の背広」など、飾った部分のない自然にひろがる作品世界がある。
「雨の日は」は断章のように散文体で書かれた作品だが、いくつもの雨の日がどこか郷愁を誘うものとして差し出されている。
雨の日は、ほの暗く、ひっそりとしている。家人はそっと息を吐き、
囁くように話し、足音を消して亡霊のように歩くので。
最後に置かれている作品が「河口にて」。「ただ水色の水のひろがりがあるばかり」の河口は、流れてきた水がその旅を終えて海にたどり着く場所である。
わたしの川は
谷を流れ
野を流れ
町を流れて
この光る海に流れこむのか
遠い記憶そのままに
川を眺め、川の流れとともにはじまったこの詩集も、この作品で作者の今の気持ちにたどり着いたのだろう。これから作者がおくるであろう「光る海」での作品に期待したい。
詩集は「川の名前」「川のある世界」などといった川にまつわる作品ではじまる。
「川の名前」は、話者がこれまでの人生で交差したり寄り添ったりしてきた川の思い出の作品である。話者が生まれた産院のほとりの川、通学の時に木の橋で渡った川、そしてアメリカでめぐりあった川。そして今、
わが身体を絶え間なく流れる川
深夜
その音に耳をすます
未だ流れているかどうかと
川の流れは、話者の身体の中で生命を司っている血の流れと重なってきているのだろう。だから「川のある世界」でも、流れる水は「耳元で水たちが立ち騒ぐので/夜中に何度も目覚める/見回しても/川などどこにもないのに」と詩われるのだ。
直接には川に触れていない作品ででも、その底の部分では作者のゆっくりとした川が流れているようだ。わずかな自分の宝物を遺品として誰に譲るかをユーモア溢れるタッチで書いた「わが財産目録」、兄弟を詩った「わが家系」や「弟の背広」など、飾った部分のない自然にひろがる作品世界がある。
「雨の日は」は断章のように散文体で書かれた作品だが、いくつもの雨の日がどこか郷愁を誘うものとして差し出されている。
雨の日は、ほの暗く、ひっそりとしている。家人はそっと息を吐き、
囁くように話し、足音を消して亡霊のように歩くので。
最後に置かれている作品が「河口にて」。「ただ水色の水のひろがりがあるばかり」の河口は、流れてきた水がその旅を終えて海にたどり着く場所である。
わたしの川は
谷を流れ
野を流れ
町を流れて
この光る海に流れこむのか
遠い記憶そのままに
川を眺め、川の流れとともにはじまったこの詩集も、この作品で作者の今の気持ちにたどり着いたのだろう。これから作者がおくるであろう「光る海」での作品に期待したい。