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お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

逃げきれた夢

2023-06-17 | 映画(な行)

◼️「逃げきれた夢」(2023年・日本)

監督=二ノ宮隆太郎
主演=光石研 吉本実憂 工藤遥 松重豊

この映画のラストシーン。スクリーンの向こうから次の言葉が発せられるのを注目しながら待つ、無言の時間がある。劇伴なし、流れるのは日常音だけ。画面には主演の二人に向けられたカメラが真っ直ぐに表情を捉える。気の短い観客なら「なんか言わんかい」と口にしたくなる長さ。でも言葉を発する前のふっと変わる表情一つ一つにも気持ちが込もってる。このシーンを演技の"間"だと言うのならそうだろう。実生活でも口ごもる相手を前にして気まずくなる瞬間ってたまにあるけれど、それをスクリーンを通して感じるなんて。こんな緊張を味わう映画、他に何かあっただろうか。

現実からしばし逃避しようと映画館に行ったのに、この映画には自分と地続きの現実がたくさん散りばめられている。ちっとも逃避できなかった。それはロケ地の風景を見慣れているのはもちろんだ(背景が気になって時々映画に集中できなくなるw)が、それだけではなかった。光石研演ずる主人公を、俺とは違うと思いながら観ていたはずなのに、どうも"自分"がチラついてしまうのだ。主人公の様に忘れてしまう病気でも今のところないし、家族ともそれなりの関係は維持してる。だけど、この冴えない主人公のダサさに共感できる何かがある。

妻と子供に「ご苦労様くらい言えんか?」と悪態をつく場面。ダッセェなぁ、んなこと言わなきゃいいのに…と思う。けれども、その後すぐに卑屈になるのを見て、結局誰かに自分を認めて欲しいんだろうな、なんかわかるな…とおっさんの悲哀を感じてしまう。松重豊演ずる幼馴染と呑む場面でも、なかなか本当に言いたいことが言えない。カッコつける必要もないのに…と思いながらも、自分が抱えている不安な気持ちを打ち明けられない。それを見透かされて自分勝手と言われてムキになる。ダサい。でも、なんかわかるのだ。

"自分"がチラつくのは、僕がセンセイと名がつくお仕事やってた時期があるのも理由。主人公末永の職業は定時制高校の教頭。学校で日々接していた生徒たちの方が、家族よりも自分を理解してくれるのでは、という淡い思いがあるのだろう。それなりに生徒思いでいい事も言う。吉本実憂演ずる卒業生の平賀からも
「"そのままでいい"って、あの時言ってくれて、救われました。」
って言われるんだもの。でも生徒が自分の理解者かというとそれは別な問題で、本当に淡い期待でしかない。映画のクライマックスではキツい言い方もされる始末。例えが悪いかもしれないけど、「バトル・ロワイヤル」のラスト、北野武先生が抱いていた偏った気持ちにどっか通じる気がする。寂しいけど、それは現実。

主人公がこれまで自分がまとってきたいろんなものから、少しずつ自由になっていくんだろう。職業柄、相手を励ます言葉を口にしてきただろうけど、一方で相手を肯定する言い方しかできず、本音を口にすることはできなかったのかもしれない。「海外で暮らしたい」と言う平賀の言葉をきっちり否定するラストシーン。不器用な先生が口にできた精一杯かも。でもそそれまでの自分からは発し得なかったひと言なのではなかろうか。

気にしちゃいけないんだけど、見慣れた背景がある映画は地理情報がどうしても気になって仕方ない(笑)。
黒崎を歩く→
戸畑のお店でコーヒー→
喫茶店を出たら若松!😆
でもいい場所を選んでるからいい雰囲気なのだ。この映画のロケ地選び、北九州のランドマークを外して、様々な日常的風景をにしているところも面白い。松重豊とのコテコテの会話。「病院跡地のホールが…」「しゃーしぃー」こんなローカルな会話の映画がカンヌ映画祭で上映されたのかと思うと、ちょっと面白い🤣。






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