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幕藩体制での「天皇の権威」2(最終回)

2021年11月27日 | 歴史
🌸幕藩体制での「天皇の権威」2(最終回)

庶民が、天皇を発見した
 ☆江戸時代の天皇の地位が低かった
 ☆幕末に天皇の存在感が大きくなった理由

 *江戸時代、天皇自体はパッとしない存在だった
 *幕末には天皇の存在感が絶大だったことは間違いない
 *「庶民が天皇を見つけた」たことが大きな理由
 ☆江戸時代は平和な時代だった
 *庶民が自分たちの歴史を学び、過去の自分たちを勉強で考えた
 *生まれたのが、「国学」という学問
 *当時の知識人「歴史」といえば、中国史を指していた
 *自分の国である日本の歴史を知らない人圧倒的多数でした
 *貴族でも日本史をほとんど知らないという状態だった
 ☆本居宣長たちが国学を生み出し、神話世界を復活させた
 *江戸の後期、日本史が多くの人の興味の対象となった
 ☆国学を学ぶにつれて、庶民たちが天皇の重要性気が付いた
 *庶民が天皇を発見し
 ☆庶民によって発見された天皇、将軍へのアンチテーゼにもなった
 ☆ペリーが来航した際の幕府の対応から
 *「将軍ではダメだ」と世間の声が高まった
 *天皇の価値が相対的に上昇していった
 ☆将軍の存在を否定するため、天皇が注目された

天皇の存在感をより高めた、堀田正睦の失態
 ☆黒船の来航以降
 *「将軍が日本を治めているようではダメだ」との世論が盛り上がった
 ☆堀田正睦老中の外交面での大失態
 ☆強面で迫るアメリカに、江戸幕府は開国を要求される
 *堀田正睦は、ペリーの強圧に耐えかね
 *鎖国を破らざるを得ないところまで、追い詰められる
 ☆堀田正睦は、朝廷の力を利用することを思い立つ
 *孝明天皇が、何か励ましの言葉をくださると思いお伺いを立てた
 *幕府がやると言つたことに、朝廷は反対できない
 *天皇の賛同も多少の役には立つだろうと考えた
 ☆孝明天皇は、堀田正睦の言葉に接して
 *「朕は、外国人は嫌い。日米修好通商条約は駄目」と言い出した
 *天皇にお伺いを立てた堀田正睦が悪い
 *幕府はこれまで通り、事後報告だけすればよかった
 ☆反開国派は、「さすが天皇さま」と天皇を持ち上げた
 *幕府の権力失墜に大きな働きをすることになる
 ☆幕末期に天皇の地位が高まったのは
 *忘れられていた天皇を、庶民たちが見つけたから
 ☆江戸時代、天皇の威光が強くなかった根拠
 *現代では、皇族の方御用達の神社として知られる伊勢神宮
 *江戸時代は今のように神格化された存在ではなかった
 *ごく普通の神社のひとつだった

「定説」の重みを、軽んじるべからず
 ☆本書の全体をまとめ
 *学者も人間「目立ちたい」「偉くなりたい」気持ち持っている
 *これは健全な野心で否定するつもりはない
 *自分の野心を学問の良心で押さえ、バランスを取るのが必要
 ☆「自分が目立つためには、極論も厭わない」という研究者もいる
 *長い歴史を通じて、多くの先人たちが積み上げてきた定証
 *それなりの重みを持ち、簡単には崩れるものではない
 ☆『定説の重みを、軽んじるべからず』
                        (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『日本史の論点』


幕藩体制での「天皇の権威」2(最終回)
(ネットより画像引用)

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