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ポルトガルの歴史

2023年02月12日 | 観光
🌸ポルトガルの歴史3

ポルトガルをハプスブルク家が統治
 ☆イベリア半島で、スペイン王がポルトガル王を兼ねた 
 *フェリペ2世甥のアウストリアをポルトガル総督に任命した
 ☆フェリペ2世ポルトガルで寛大な統治を実施した
 *ポルトガルの自治が尊重されただけでなく
 *ポルトガル人はスペイン国内でも優遇を受けた
 *ポルトガルは宮廷の維持費の負担からも解放された
 *新大陸のスペイン領への進出で、商人は大きな恩恵を受ける
 ☆スペイン艦隊のイギリス遠征にはポルトガル艦船も加わっていた
 *スペイン艦隊はイギリス艦隊に敗北
 *ポルトガルの海運も痛手を受けた
 ☆海外のポルトガルの支配領域のアジア、西アフリカ、ブラジル
 ☆ポルトガルとオランダの抗争
 *オランダの進出で、アジアのポルトガル人の勢力は減退したが
 *オランダは西アフリカ、ブラジルから退却した
 ☆東アフリカのポルトガルの拠点はオスマン帝国に占領された
 ☆フェリペ3世の時代からポルトガルの自治は遵守されなくなる
 *スペインは、フランスとの抗争で多額の戦費必要だった
 *民衆の間にスペイン支配に対する反感
 ☆ポルトガルを解放する救世主信仰が湧き上がる
 *ポルトガルに生まれた反カスティーリャ運動を事前に阻止で
 *スペインは、ポルトガルの貴族にカタルーニャ遠征の従軍を命じた

ポルトガル再独立を達成
 ☆ジョアン4世の治世
 *スペインとの戦争に備えた軍事力の増強、軍費の捻出に費やされた
 *ポルトガルはインド洋世界の植民地の大部分を喪失した
 ☆ポルトガルは再独立を宣言したが
 *多くの貴族と高位聖職者、異端審問所はスペインを支持していた
 ☆ジョアン4世はスペインと敵対する勢力に援助を仰ごうとしたが失敗
 ☆ジョアン4世の死後、王妃ルイサはイギリスに支援を求める
 *ポルトガルとイギリスは友好条約を締結
 *ポルトガル王女とイングランド王太子の結婚が取り決められた
 *イギリスの援助はポルトガルの再独立を支える原動力になる
 *ポルトガルはイギリスに対して従属的な立場をとるようになる
 ☆イギリスに接近する政策に反発する一派のクーデターでルイサは失脚
 *モンテス・クラロスの戦いでポルトガルはスペインに勝利する
 *スペインはブラガンサ王朝の正統性を認めて
 *ポルトガルは再独立を達成し植民地が復帰する

⛳王権の強化、財政改革
 ☆ポルトガルの経済状況は悪化する
 *ポルトガル経済を支えていたブラジルの砂糖生産は衰退
 *富裕層のイギリスの毛織物、フランスの贅沢品の輸入量の増加等で
 ☆ジョアン5世はブラジルの金によって得た経済力を元に
 *国政に深く関わってきた大貴族を排除し絶対王政の確立を志向した
 *金は王室に多大な収入をもたらした為
 *貴族、聖職者、都市、異端審問所が持つ
 *伝統的な特権と習慣に介入することはできず
 *国王が行使できる権力には制約がかけられていた
 ☆ジョアン5世は国家の威信の回復を図って対外戦争に参戦
 *ポルトガルはサクラメントの割譲と引き換えに
 *条約で取り決められた境界線を越えて西に広がっていた
 *土地の領有権を認めさせ、ブラジルの境界線がほぼ確定する
 ☆ポルトガル、教皇庁の要請に応じて対トルコ戦争に参加
 *マタパン岬沖の海戦でポルトガル艦隊は勝利を収めた
 *ポルトガルはヨーロッパ諸国の係争に対して中立的な立場をとり
 *50年近い安定を享受することができた
                      (敬称略)                                     
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『WIKIPDIA』『地球の歩き方』





ポルトガルの歴史3
(地球の歩き方記事より画像引用)

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