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☆東ローマ帝国(東方教会)
(農業・交易という意味では豊かであった)
(東ローマ帝国の衰退で、首都がコンスタンテイノープルは減亡
☆西ローマ帝国(西方教会)
(グルマン民族の移動によリ、多くの民族の侵入を次々に受ける)
(蹂躙したゲルマン民族は、西方教会によってカトリックに改宗)
(古代ローマ帝国の精神的支柱を担ったローマ教会)
☆ヨーロッパの歴史とキリスト教の関係
(古代の国々では、王が王たる理由を社会に納得させる方法が必要)
(神の代理人(教会のトップ)が認めた者を王とすることが有効でした)
☆東西両教会の皇帝と教会の立場の違いが、後の歴史で宗教運命を決めた
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☆ローマ教会の最高位は教皇(ローマ法王)と呼ばれ、独立国、バチカン市国に法王庁がある
☆ゲルマン人の国家・フランク王国のカール大帝は、教皇より西ローマ帝国皇帝として戴冠された
(西欧では教皇から戴冠を受けた者が「皇帝」を名乗るシステムとなる)
☆西欧では、教皇はいずれの王侯にも属さず、教皇の権力と王侯の権力が分離していた
☆西方教会は、誰が神聖ローマ皇帝になろうが自らの勢力基盤への影響が少ない
☆西方教会は、権謀術数によって危機を乗り切ることができた
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☆ユステイエアヌスー世が旧西ローマ帝国領を奪回
☆イスラム帝国の侵入を阻止し、首都コンスタンテイノープルが東西交流の中心として繁栄した
(東西文化融合した”ビザンティン文化が生まれた)
☆東ローマ帝国では、東ローマ皇帝=ビザンツ皇帝が教会のトップも君臨した
☆東ローマ帝国の教会のトップまでもが皇帝、皇帝の力が衰えるとともに衰退
☆イスラム勢に征服され、1000年続いた東ローマ帝国は減亡
☆東方教会は、新たな保護者を求める苦難の歴史を迎えた
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☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
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キリスト教がローマ帝国のシンボルに(2)
(『手にとるように宗教がわかる本』記事より画像引用)
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