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キリスト教がローマ帝国のシンボルに(2)

2018年05月11日 | 宗教
キリスト教、皇帝や王とのつきあい方で運命が決まる

 ☆東ローマ帝国(東方教会)
 (農業・交易という意味では豊かであった)
 (東ローマ帝国の衰退で、首都がコンスタンテイノープルは減亡
 ☆西ローマ帝国(西方教会)
 (グルマン民族の移動によリ、多くの民族の侵入を次々に受ける)
 (蹂躙したゲルマン民族は、西方教会によってカトリックに改宗)
 (古代ローマ帝国の精神的支柱を担ったローマ教会)
 ☆ヨーロッパの歴史とキリスト教の関係
 (古代の国々では、王が王たる理由を社会に納得させる方法が必要)
 (神の代理人(教会のトップ)が認めた者を王とすることが有効でした)
 ☆東西両教会の皇帝と教会の立場の違いが、後の歴史で宗教運命を決めた

西ローマ帝国(ローマ教会が聖ペテロの後継者)
 ☆ローマ教会の最高位は教皇(ローマ法王)と呼ばれ、独立国、バチカン市国に法王庁がある
 ☆ゲルマン人の国家・フランク王国のカール大帝は、教皇より西ローマ帝国皇帝として戴冠された
 (西欧では教皇から戴冠を受けた者が「皇帝」を名乗るシステムとなる)
 ☆西欧では、教皇はいずれの王侯にも属さず、教皇の権力と王侯の権力が分離していた
 ☆西方教会は、誰が神聖ローマ皇帝になろうが自らの勢力基盤への影響が少ない
 ☆西方教会は、権謀術数によって危機を乗り切ることができた
東ローマ帝国(東方教会)
 ☆ユステイエアヌスー世が旧西ローマ帝国領を奪回
 ☆イスラム帝国の侵入を阻止し、首都コンスタンテイノープルが東西交流の中心として繁栄した
 (東西文化融合した”ビザンティン文化が生まれた)
 ☆東ローマ帝国では、東ローマ皇帝=ビザンツ皇帝が教会のトップも君臨した
 ☆東ローマ帝国の教会のトップまでもが皇帝、皇帝の力が衰えるとともに衰退
 ☆イスラム勢に征服され、1000年続いた東ローマ帝国は減亡
 ☆東方教会は、新たな保護者を求める苦難の歴史を迎えた
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『手にとるように宗教がわかる本』


キリスト教がローマ帝国のシンボルに(2)
(『手にとるように宗教がわかる本』記事より画像引用)

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