今日で2012年が終わる。
去年の年末はどんなだったかなと思い出そうとするが、既に転職を決めた立場で
参加したワンマンの事業部長の独り舞台だった会社の空気の重たい納会、
女房が作った息子の弾けるような笑顔の年賀状にあわてて住所を書き連ねたこと、
年初めのテニススクール通い、柴又帝釈天への参詣、寒空の中凧揚げを
しようとして、息子が何故か号泣したことなどしか思い出せない。
今年初め新しい会社に入ったはいいが、およそ上場会社らしからぬ企業文化を
理解できず、そのまま上海に出され、更に想像がつかない企業文化の工場で
異質のもの、新しいものにケチをつけたがる輩とぶつかり、更には縦の部門
でしか思考しようとしないトップとやりあい、日々発生する細々とした
労務問題、政府への密告レターによる呼び出し、自分が一番頭がいいと
思っている幹部とのぶつかりあい・・・
2003年に北京で日本人一人MBAプログラムに参加し、理解しあえる友人が
全くいない状況で、タスクだけは積み重なっていった時と同じようなプレッシャー、
焦燥感、そして孤独感を久々に味わった気がした1年だった。
2013年は中国初上陸から10年。上海から更に奥に入った田舎につくる大規模
工場の立上げ、新しい日中の政治体制がどう影響してくるだろうか。
去年の年末はどんなだったかなと思い出そうとするが、既に転職を決めた立場で
参加したワンマンの事業部長の独り舞台だった会社の空気の重たい納会、
女房が作った息子の弾けるような笑顔の年賀状にあわてて住所を書き連ねたこと、
年初めのテニススクール通い、柴又帝釈天への参詣、寒空の中凧揚げを
しようとして、息子が何故か号泣したことなどしか思い出せない。
今年初め新しい会社に入ったはいいが、およそ上場会社らしからぬ企業文化を
理解できず、そのまま上海に出され、更に想像がつかない企業文化の工場で
異質のもの、新しいものにケチをつけたがる輩とぶつかり、更には縦の部門
でしか思考しようとしないトップとやりあい、日々発生する細々とした
労務問題、政府への密告レターによる呼び出し、自分が一番頭がいいと
思っている幹部とのぶつかりあい・・・
2003年に北京で日本人一人MBAプログラムに参加し、理解しあえる友人が
全くいない状況で、タスクだけは積み重なっていった時と同じようなプレッシャー、
焦燥感、そして孤独感を久々に味わった気がした1年だった。
2013年は中国初上陸から10年。上海から更に奥に入った田舎につくる大規模
工場の立上げ、新しい日中の政治体制がどう影響してくるだろうか。