気がつけば思い出Ⅱ

日々の忙しさの中でフッと気がついた時はもう
そのまま流れていってしまう思い出!
それを一瞬でも残せたらと...。

はじめての俳句🖊7~春の夢

2021年03月27日 | 喜代の俳句

※利根大堰付近/オフィスティケー/写真AC

季語:春の夢(春)

春の夢は、昔から「春の夜の夢のごとし」とか「昔日富貴、一場春夢」などのように、
華やかだがはかない人生のたとえに用いられる。※俳句歳時記

作品の背景:
コロナ自粛で今年もその風景を見ることができなかった郷里。
そんなに遠くの故郷ではないのに、帰ることができないと思うとなおさら帰りたくなる。
明け方(今日は南風が吹いているなあ)と、うとうとしているといつの間にか故郷の夢を見ていた。

提出した句:【風の音遠き故郷の春の夢】

先生の添削:「春の夢」という季語にふさわしい内容の作品で関心しました。
ただ、このままではやや表現が込み入っている印象があります。
そこで語順や言葉遣いを整理して、読み手にすんなり伝わる表現を心がけて見ました。

【風音の遠くに故郷春の夢】

<風音の続きに故郷春の夢><風音の運ぶふるさと春の夢>とも詠めそうです。

        

今年は早いのか、もうこの辺の桜も満開になった。

子供がいなかったため、妹の子だった私たち3人のきょうだいを、
我が子のように愛しんでくれた伯父(母の兄)が亡くなったのは4年前の4月2日。(ブログ掲載:17/04/05付)

ホームで一緒に暮らしていた伯母が亡くなってから、一人になって1年と3ヶ月経った頃だった。

母の代わりに弟が施主として執り行った通夜、告別式はともに暖かい良い天気で、
前の週に降り続いた雨のために足踏みしていた桜の花が一気に咲いて、満開だった。

思わず「伯父さん、いいお天気だよ~桜が満開だよっ」って叫びたいほど・・・。

その日より満開の桜を見ると伯父を思い出す~悲しくても美しい思い出になった。

【さまざまのこと思い出す桜かな】 松尾芭蕉

はじめての俳句テキスト~俳句への招待~で小島健先生が紹介されていた句

元禄元年(1688)芭蕉が奥の細道の旅に出る1年前の45歳の時に詠んだ句で、
ふるさとである上野に帰って、以前仕えていた今は亡き旧主藤堂良忠(25歳の若さで急逝)の庭前に招かれ、
昔のように咲き乱れている桜を見て、自分が若い旧藩主に仕えた日のことなど、
この桜にまつわるさまざまのことが思い出され詠った句と言われている。

満開の桜を見て、私もまさにこの句の心境・・・。

このような誰でもが感じること、それをそのまま詠った句。

でも・・・詠えそうだけれどなかなか詠えない句。
しかもこの句は、難しいとされるまたがり)
基本的に五七五の17音節で意味的にも上五、中七、下五で切れるのが普通だが、なかには音律の切れ目と意味上の切れ目が合わないものがある。)

やはり芭蕉さん(俳聖を近所のおじさんみたいに呼んでごめんなさい。)は流石です。

丘の上の桜※m.maeda/写真AC

古代蓮の里(花の見ごろ:6月下旬から8月上旬)※chiakimru/写真AC

写真サイトで郷里近くの写真を探し、その中から見出しの利根大堰、桜、蓮の写真を頂いた。
蓮の花時は春では無いけれど、伯父の名の中にある一文字なので・・・。

この花が見られる頃には、実家や伯父のお墓参りができるようになっていればいいのだけれど…。

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