広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

伽羅橋

2016-09-27 23:27:44 | 
秋田県立美術館に展示されている藤田嗣治(レオナール・フジタ)の大壁画「秋田の行事」。
その画面中央左に、小さな橋が描かれている。異なる季節のさまざまな行事を1枚にまとめた絵の中で、場面転換というか区切りを示す役割を果たしているのだとか。

その橋は、実在の橋をモデルとしている。
秋田市内にある「香爐木(こうろぎ・香炉木)橋」という木製の橋だそう。別名「伽羅(きゃら)橋」とも呼ばれ、今は新しく架け替えられたという話もある。※名前の由来には諸説あるようですが、ここでは割愛します。

見たことがなかったので、現地へ行ってみた。今年の早春のことなので今さらのアップですが…
場所は、秋田市北部の中央部寄り、寺内地区の高清水の丘を抜ける旧国道から、西方向の脇に入った道。
以前、坂の向こうに海が見える道を紹介したが、その2本中央部寄りに当たる道で、旧国道からは秋田城跡歴史資料館入口の500メートルほど手前を曲がる。

今は建物配置などで見落としそうな狭い道だけど、古四王(こしおう)神社の参道とまっすぐにつながる道なので、由緒ある道のようだ。むしろこっちが旧街道か。道路の周辺には大ケヤキや湧き水もある。
進むと住宅が途切れて斜面が迫って草木が多くなり、下り坂になる。海は見えないけれど、2本隣の道と似たシチュエーション。やはり夜は通りたくない道。
なお、現在の町名では、この道が寺内大小路(北側)と寺内神屋敷の境界。
左が神屋敷・右が大小路
下り坂はやがて上り坂に転じる。その“谷底”に、橋のようなものが。

これこそが、描かれている橋のモデル。代替わりしたけど。

橋というよりも、道路に手すりだけ付けたようにも見えるが、なるほど、下には小さな川と言えるかどうかも微妙だけど、水は流れている。量は少ないけれど、水はきれい。
地図を見ても川の名前などは付いていないが、高清水の山中(?)に源を発しここまで来て、ここを過ぎて間もなく別の同じくらいの流れと合流して、国道7号線(臨海バイパス)をくぐり、秋田運河(旧雄物川)に流れこんでいる(そしてすぐに秋田港へ注ぐ)。ということは、いちおう「雄物川水系」に含まれるの??
上流側

下流側。この先遠くないところに臨海バイパスがあるとは思えない環境

橋で一般的なように、「親柱」には、その名称や竣工年が記されている。川の名前はない。
それによれば名前は、
逆光と風化で読みづらいけど「伽羅橋」?
反対側は、
「きゃらばし」
ひらがな書きでは「とおりまちはし」「ゆりはし」などと、「~ばし」や「~きょう」ではなく、「~はし」と表記するが通例のようだが、ここは珍しく「~ばし」。(下面影橋もそうだった)

竣工年は、
「昭和十五年」。月は表記なし
1940年か。
うまく撮影できなかったが、反対側には「皇紀二千六百年」とあった。1940年は神武天皇即位から2600年。その記念の意味もあって架け替えたのだろうか。

となると、かなり古い橋ということになる。
以前、飯島の天ノ袋橋をアップした時、秋田市が行った「橋りょう点検」の結果を調べた。
それによれば、いちばん古いのは太平八田の「八田三号橋」で1935年架橋(ただし現在は下が川ではなくなり、安全上は無問題らしい)、その次が1955年の天ノ袋橋だった。じゃあ、伽羅橋は対象外?

やはりこれは「橋」ではないのではないだろうか。
はっきりと確認はできなかったが、道路の下にトンネルを掘って水を通しているようだ。その上の道に手すりを付けたという、第一印象そのままが実態なのかもしれない。


「秋田の行事」は、1937年完成。
したがって、それからすぐに橋(手すり?)が新しくされてしまったことになる。
また、現状としては、橋に「伽羅橋」とあるのだから、それを正式名称としてとらえるべきで、「香爐木橋」を別名とせざるを得ないだろう。
ちなみに、当時のここ一帯は南秋田郡「寺内町」。1941年に、土崎港町などとともに秋田市に編入されることになる。

反対側から来た道を振り返る
橋の“対岸”は、北側は引き続き寺内大小路、南側は寺内後城に変わる。
寺内大小路側の丘には階段がついていて、上が墓地(後城側も低い墓地)になっている。そこには、江戸時代の紀行家で、秋田県内をくまなく歩いた菅江真澄(すがえますみ)の墓があるとの標柱がある。
おじゃましてみたが、他のお墓に混じって、ちょっと立派なくらいのものだった。
【28日補足】菅江真澄の著作の中で、この橋の由来に触れたものがあるらしい。

上り坂の道を進むと、再び住宅が増えてくる。海が見えた道とも合流。そして、旧国道に戻る。
出た場所は、「寿光園入口」バス停のそば、住所では土崎港南一丁目で、イオン土崎港店や中央高校の裏側が近い。知らない世界から、一気に現実にワープしたような感覚。
古四王神社付近から土崎港南付近へ徒歩または自転車で移動する場合、旧国道よりも通行しやすい道かもしれない。旧国道はカーブが多く、車の通行も多いが、こちらは気にならないので。ただし、アップダウンと夜間の暗さは別として。距離は伽羅橋経由のほうがわずかに長く、1キロくらい。

橋は替わってしまっても、周辺の環境も含めて、どことなく絵の世界に通じるものを今も残しているような、伽羅橋であった。
【28日補足】現地には、説明板のようなものは特に見当たらなかった。その点でも、昔と変わらない(橋は替わってますが)風景がそのまま、静かにひっそりと残るであろう場所に感じられた。

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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2016-09-28 20:48:31
この区間では、現在の旧国道ではなくこちらの道が羽州街道であるとの説明を受けたことがあります。
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やっぱり (taic02)
2016-09-29 00:11:06
やはりそのようですね。
改めて調べると、1979年8月20日付「広報あきた」の連載「秋田市ものがたり」にそんなことが書いてありました。
江戸時代前は、伽羅橋の先から港方面はもっと西寄りに道があったのが、雄物川に浸食されてなくなったとか、現在の旧国道は明治時代に造られたといったことも分かりました。
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