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ナニをしているのかよくワカラナイ

FLEE

2022年06月13日 | 映画・テレビ・動画

Flugt




デンマーク製アニメドキュメント
ヨナス・ポヘール・ラスムセン監督

2022年6月11日(土)シネマイクスピアリ

ほのぼのアニメ絵柄に 難民密入国&ゲイのヘビーな内容
その時代のアフガニスタンとロシアの情勢が
あんな感じで 難民の亡命はどんな感じだったのかとゆのがわかる
ドキュメント

アフガニスタンから難民としてロシア→デンマーク
亡命 密航 密入国船 
ロシアの警察 



親友が初めて明かした壮絶な難民の経験。『FLEE』監督はアニメと実写でいかに映画化したのか

(2022.6.10.CINRA)

本作の革新は、アニメーションを匿名性やプライバシーを守る手段として活用したことである。アミンが幼少期に紛争中の祖国から逃れ、モスクワを経由してコペンハーゲンへと定住地を求めた過酷な旅路と、結婚を考えている現在のボーイフレンドとの家探しの過程が織り交ぜられて語られていくが、およそ25年間誰にもデンマークにたどり着く前の過去を打ち明けることのできなかったアミンは、アニメーションというバリアによって、初めて自身の物語を語るという選択肢を選ぶことができたのだ(本作の「共同脚本」としてもアミンはクレジットされている)。 



─今作の制作にあたり、子どもの頃からの友人であるアミンの過去を初めて知ったとき、どのように感じ、それをいかにしてひとりの人間の物語として語りたいと思いましたか。 

ラスムセン:長いあいだずっと聞きたいと思っていたことだったので、初めて聞いたときは感動的な経験でした。秘密があることによって、私たちのあいだにはいつも一定の距離があると感じていましたし、「秘密が暴かれてはいけない」と慎重なところが彼にはずっとあったように思います。すべて話せる状況になったことで、より仲も深まりました。 私にとって、この映画を作るうえで最も大切だったことは、彼が明かしてくれた証言にできるだけ正確に、かつ真実に沿って忠実に描くよう心がけることでした。そして過去を生き生きと蘇らせ、命を吹き込む方法として、アニメーションという形式を見つけました。 アニメーションを用いたことで、彼が話すのが難しい記憶やトラウマがどのようなものかを掘り下げることができ、彼の深い心のうちにある感情が高揚する瞬間や、トラウマになることがどのような感覚かを表現できたと思います。

 ─たしかにアミンの物語を犠牲者としてではなく、ひとりの人間の物語として、ジャン=クロード・ヴァン・ダムに恋した幼い頃の記憶など、さまざまな感情にも目を向けて描いていますね。これまでのメディアにおける「難民の物語」の描かれ方に何か問題意識を抱いていましたか。 

ラスムセン:最初は、アミンの物語が、「難民の物語」だとは意識していませんでした。なぜなら、本当に友人に対する好奇心から始まったからです。私たちは25年にわたる友人ですが、出会ってから初めて彼が自身の物語を話してくれ、映画をつくる過程で視点が変わってきたのです。 私が15歳のとき、彼がアフガニスタンからデンマークの私の故郷の町にひとり突然やってきたのが、私たちの出会いでした。当時、どうやって来たのだろう、なぜたどり着いたのだろうかと気になったので聞きましたが、そのとき彼は話したがらなかったので、以降もそれを尊重して聞くことはありませんでした。一緒に育っていくなかで、そのことは私たちの関係においてブラックボックスのようなものにもなっていました。

 ラスムセン:友人についての映画をつくろうと企図したのが2013年のことでしたが、2015年にヨーロッパで難民危機が発生し、特に多くのシリア難民がやってきたときに、新しい視点がもたらされました。アミンの身に起こった出来事は、およそ30年前のことですが、メディアで報道される難民の物語とまた違った描き方ができるのではないかと思ったのです。 難民の方がそのアイデンティティーそのものを難民として描写される、ということはよくあると思います。しかし私はアミンのことをよく知っていて、難民であることが彼のアイデンティティーではないということはわかっていました。たまたま人生においてそういう状況にあるだけ、状況自体が難民であるに過ぎないのです。願わくば彼らはその状況から脱して、別の状態になりたいと切望している。私たちの友情の内側から語られることで、難民の物語に新たな視点を与え、ひとりの人間の物語として、人間の顔を見せることができるかもしれないと考えました。

 ─あなたの前作『What He Did(原題)』(2015年)に続いてゲイカルチャーの温かさを描きつつ、決してアミンがゲイであることを強調していないことも重要ですね。クィア表象にはどのような意識を持っていますか。 

ラスムセン:そのように描写することは、私にとっては本当にごく自然なことでした。ふたりの人間のあいだにある普通の愛情なので、自分たちとは異なるものだというふうに何かエキゾチックなものにしたり、極端なものにしたりすることなく、そのまま表象することが重要だと考えていました。 劇中で男性のアニメーションのキャラクターがふたりでキスするシーンがありますが、それが何ら特別なことではなく、普通であると感じることに焦点を当てたかった。それはほかのどんな人間関係でも起こる愛の行為であり、ふたりのあいだに温もりがあることを示すだけでなく、日々繰り返される習慣の行為なのです。

 
─冒頭で幼い頃のアミンが聴くa-ha“Take On Me”のミュージックビデオも本作同様に実写とアニメーションの融合ですね。RoxetteやDaft Punkなどの楽曲も使用されていますが、劇中のポップソングは実際にアミンが聴いていた曲だったのでしょうか。 

ラスムセン:そのとおりです。最初に行なったインタビューのときに一番古い記憶について聞いたところ、姉からプレゼントでもらったウォークマンの話がすぐに彼の口から出てきました。 そのときにどんな音楽を聴いていたのか尋ねたら、地元のアフガニスタンのバンドなどが挙がるかと思いきや、スカンジナビアのエレクトロポップバンドや、私も当時聴いていたマドンナやホイットニー・ヒューストンを同じように聴いていたことがわかりました。なので、今回使っている楽曲のほとんどは、a-haを含め、彼自身のその頃のプレイリストからきています。
ラスムセン:彼が子どもの頃に聴いていた曲を観る者も知っているということで、面白いサプライズが生まれたのではないかと思います。観客が映像を通してカブールに着いたときにアフガニスタンの楽器の音楽ではなく、大衆的なポップソングが聞こえてくる。観客はその意外性を感じ取るとともに、共感することができます。 アフガニスタンの少年も世界中の私たちもa-haを聴いていた、みんな同じなのだというところから話が始められるのも、とても良いなと思ったのです。私たちがいかに似ているかということを示すことができる。1984年に私も彼も同じように“Take On Me”を聴いていたわけです。

─『What He Did』でも証言と再現劇を重ねることで過去の出来事を再構築していましたが、今作ではアニメーションによって、アミンの記憶とトラウマを再現しています。アミンの話を聞くうえで再トラウマ化を起こさないよう、どのように注意しましたか。 

ラスムセン:アミンがこの映画のアイデアを受けてくれてから、ふたりでどうしたらうまくいくか試行錯誤に多くの時間を費やしました。 最初の1年~1年半はインタビューを始めてはいましたが、いつでも彼が辞めたいと言えば辞められるし、まだ話す準備ができていないことがあれば話さなくていいと約束しました。映画をつくりたくないと言えばそこですべてを中止する。彼がコントロールでき、安全に感じられる場所をつくったうえで、話を聞くように進めていったのです。話を聞くときも部屋は私たちふたりだけの状態にしました。 もともと私たちの友情があったおかげで安心してもらえたし、信頼してもらうことができたので、彼のトラウマのトリガーにならないような状態が最初の段階で生まれたのだと思います。

 ラスムセン:それから彼にとってはセラピーのような部分もあったと思います。困難な状況を見直して話すことで、何が起きたのか、なぜそうなったのかを掘り下げて理解できるようになる。それを何度か繰り返すうちに、そのことが和らいでもっと話しやすくなり、自分のなかで打ちのめされるようなこともなくなっていく。再現をうまくできれば、そのようにして自分の内側にある黒い塊のようだったものが塊でなくなっていくような効果があると思います。 しかしもちろん、映画でそれを行なうのはとても難しいことです。被写体に対してとても大切に、デリケートに接しなくてはなりません。 

─「再現」という意味では、『アクト・オブ・キリング』(2012年)の編集者ヤヌス・ビレスコフ=ヤンセンが本作には参加されていますね。仰るように『FLEE フリー』は制作プロセス自体が一種のセラピーセッションのようですが、『アクト・オブ・キリング』からのインスピレーションもあったでしょうか。

 ラスムセン:『アクト・オブ・キリング』はマスターピースであり、同じドキュメンタリーというフィールドで、リナエクトメント(再現)を扱った映画でもあるので、似た方向性の作品づくりという意味で間違いなくインスピレーションを受けていると思います。製作会社(ファイナル・カット・フォー・リール)も同じで、監督のジョシュア(・オッペンハイマー)のことも知っています。 『アクト・オブ・キリング』は、被写体が自身の取った行動を理解していく過程を作品として昇華させる手法が素晴らしかった。ただ、本作の場合は、アミンが自分自身の過去に起きたこととあらためて向き合って、その経験に折り合いをつけ、それをいかにして自分の人生の一部にしていくのかという道のりを映しています。なので『アクト・オブ・キリング』とはやっていることが異なりますが、関係性はたしかにあると思います。

─本作はロトスコープ・アニメーションのようにも見えましたが、どのようにアニメーション化したのでしょうか。また一般的なアニメーションと異なり、キャラクターの表情や仕草が控えめにつくられていますが、その狙いを教えてください。 

ラスムセン:まず、ロトスコープではなく、すべて手描きの2Dアニメーションで制作しました。予算的にさまざまな制約があったためです。 キャラクターの表情が控えめであることは予算の関係もありますが、アニメーションは主に子ども向けであることから、感情を誇張して表現する傾向がありますよね。ちょっと大袈裟に、泣くときは目から涙が飛び出たり、笑顔のときも大きな目になったりします。 しかし今回そのような誇張されたアニメーションの表現を使ってしまうと物語の信憑性が失われ、観客が少し冷めてしまうのではないかと考えました。これはドキュメンタリーであり、アニメーションの下には実際の人間がいるので、大袈裟に見せる必要はない。アミンの言葉を聞いて、その表情を見る、それだけで十分に語ることができると思っていました。 今回一番大変だったことのひとつは、キャラクターを大きく表現したり動かしたりすることに慣れているアニメーターたちに、誇張した表現をしないようにお願いすることでした。ちょっとした動きやディテール、顔の表情の変化、それ以上の表現は必要ない。本物の声と証言に根差しているので、可能な限りシンプルにすることを心がけました。
─レバノンの難民キャンプで暮らす少女とその家族をストップモーションと2Dで描いたノルウェーのアニメーション映画『ザ・タワー』(2018年)のプロデューサーであるパトリス・ネザンは、近年、歴史的な事実を基にした「クリエイティブ・ノンフィクション」が大人向けのアニメーションで増えつつあることに注目していました。あなたにとって『FLEE フリー』に「ドキュメンタリー」というラベルを付けることは重要でしたか。

 ラスムセン:この映画がドキュメンタリーだと呼ばれることはたしかに重要でした。当事者であるアミンの生の声で、彼が実人生について初めて語っている証言を私たちは聞くことができるからです。そして、先ほども言ったようにアニメーションの下にはフィクションではなく、実在の人物が存在する。その人物が経験したあらゆることは、世界で起こった歴史的な出来事に起因しているということが物語に大きな重みを与えています。 これは誰にでも起こり得る、どこにでも起こり得ることなのだとより感じられるために、この物語が実際に起きたリアルストーリーだということとして観客に経験してもらうことは重要だと思っています。 

─先駆的なアニメーション・ドキュメンタリーである『戦場でワルツを』(2008年)の監督アリ・フォルマンは、ドキュメンタリーがカメラ前で偶然に起こる瞬間をとらえるとすれば、作為的なアニメーションはその趣旨に反するため、今後もアニメーション・ドキュメンタリーは主流にはならないだろうと発言していました。あなたはアニメーション・ドキュメンタリーという表現にどのような可能性を感じていますか。 

ラスムセン:アニメーション・ドキュメンタリーには多くの可能性があると考えているので、私はその意見に完全に同意とは言えません。映画をどうつくるかの問題だと思います。 例えば、本作の場合、アミンとパートナーが家を探しているシーンで、ひとりが猫、ひとりがヘーゼルナッツの木を見ている瞬間があったのですが、実際にあれは偶然その瞬間に起きたことで、それを後でアニメーションにして表現しています。なので、そのように偶発性をとらえつつ、アニメーション作品を作ることは可能だと私は思っています。 アニメーション・ドキュメンタリーにまつわる大きな問題は、もっと構造的なものだと思います。ドキュメンタリー映画はあまりお金がかからない一方で、アニメーションはお金がかかってしまうという製作費の問題です。そもそもドキュメンタリーはそれほど投資が望めない分野でもあるので、資金をいかに調達するかという面でかなり頑張らないといけません。 でもいまはより安価な新しいソフトも出てきて、アニメーションを制作しやすくなってきてはいると思います。アニメーションとドキュメンタリーのミックスは、たしかにメインストリームにはならないかもしれない。しかし、この種の映画には多くの可能性がまだまだあるので、今後もたくさんつくられると良いなと思いますし、多くの人にぜひこの方法で表現してほしいと願っています。

─現在、ロシアの軍事侵攻によって多くのウクライナの人々が祖国を追われており、この映画のアクチュアリティーはさらに増したとも言えます。アミンが語る「故郷」の意味は一層重く響きますが、あなた自身は本作を経て何か考え方に変化はありましたか。 

ラスムセン:映画制作の過程で、私の視点やものの見方が変わった瞬間が何度もありました。当初は友人に対する好奇心もありましたし、自分にもナイーブさがあったと思いますが、そこから難民の方たちが日々の生活でどれほどの影響を受けているのか、難民であるということを背負っていることが意味するものを少しずつ理解していきました。 そして私自身にも難民の背景があることを認識するようになりました。私の祖母は難民として生まれ、子ども時代のほとんどを難民として過ごしていたことをあらためて考えさせられたのです。 自分が安全な場所で生まれ育ってきたことへの感謝と、それがいかに幸運なことだったかをあらためて感じました。私は、自分の人生を自分で決めることができる。自分がいる場所から強制的に追い出される、あるいは選択の余地なく逃げなければいけない状況が一切ありませんでした。自分の道を自分で選ぶ可能性がまったくないような環境に置かれたことがなかったわけで、いかにそれが幸運だったのかを本当に思い知らされました。



 



 
アミン・ナワビはデンマークで、10代の頃からアミンを知っているヨナス・ポーア・ラスムッセン監督のインタビューを受けている。ジョナスは、難民としてアフガニスタンからデンマークに逃亡するなど、アミンの人生についてのドキュメンタリーを制作しています。アミンは、彼が結婚する予定のボーイフレンドのカスパーを含む誰とも彼の話の完全な詳細を共有していません。彼の過去のトラウマはアミンの落ち着く能力に影響を与え、彼はプリンストン大学のポスドク研究員として米国のカスパーから離れた立場を考えています。
アミンはまず、カブールでの幼少期の物語を母親のタヘラ、姉妹のファヒマとサビア、兄のサイフと分かち合うことから始めます。アミンの父親は、ソ連・アフガン戦争の勃発後、脅威として認識されたとして投獄され、彼らの人生にはいない。サイフは、戦うために徴兵されるのを避けるために、定期的に警察から逃げることを余儀なくされています。ソ連がアフガニスタンから撤退した後、家族はムジャヒディン軍による差し迫った侵略のためにカブールから逃げる。彼らはロシアに飛び、そこでアミンの長兄アッバス(彼は数年前にアフガニスタンを逃れてスウェーデンに住んでいる)に会う。アッバスは人身売買業者が家族をスウェーデンに密輸するよう手配する。ロシアを離れるのを待っている間、彼らは不法にロシアに滞在しているので、屋内にとどまることを余儀なくされています。アミンの姉妹たちは最初に密輸され、数十人の難民とともに貨物船の貨物コンテナに乗せられた。二人は生き延びるが、旅の難しさのためにトラウマを負う。
現在、ジョナスはアミンのきょうだいがまだ生きていてスウェーデンに住んでいることに驚きを表明しているが、以前はアミンには生きている家族がいないと思っていた。アミンは、彼が主張したように孤児難民としてデンマークに来たのではないことが明らかになった場合、アフガニスタンに送り返されるのではないかという恐れから、真実を隠していることを明らかにしている。アミンとカスパーは、結婚後に住むための将来の家を見学します。カスパーは、アミンが長期間1か所にとどまる能力について懸念を表明している。過去には、アミン、サイフ、タヘラは仲間の難民のグループと一緒にトラックでロシアを逃れました。一行は船に乗り込み、バルト海を渡ってスウェーデンへ向かう。ボートは旅行中に悪天候に遭遇し、エンジンを死に至らしめる。漂流して数日後、彼らはノルウェーのクルーズ船によって発見されます。アミンと彼の家族は、ロシアに強制送還される前に6ヶ月間エストニアに囚われの身となった。
現在、アミンはプリンストンでの地位を受け入れることを決定しており、彼とカスパーの間に口論を引き起こします。彼はジョナスの家を出て留まります。過去には、タヘラはロシアに戻った後に病気になります。サイフは家族の責任を負って、アフガニスタンに強制送還されるのを避けるために、自分は孤児だと言わなければならないと彼に言う、より高価だがより信頼できる密輸業者を使って、まずアミンをロシアから送り出すことに決めた。アミンはウクライナにたどり着くが、スウェーデンではなくコペンハーゲン行きのフライトで送られる。そこに着くと、彼は難民として当局に身を投じ、アッバスと連絡を取り、アッバスは家族が殺されたことについて嘘をつき続けるように指示します。数年後、アミンはストックホルムのアッバスと彼の姉妹たちを訪ねる。自分がゲイであることを彼らに認めた後、アッバスは彼をゲイクラブに連れて行き、家族がいつも彼のセクシュアリティについて知っていたと彼に告げる。
現在、ジョナスはニューヨーク市のアミンを訪れ、生涯にわたって常に警戒していたため、落ち着きたいという願望を表明します。彼はデンマークに戻り、そこでカスパーと再会する。4ヶ月後、二人は結婚し、一緒に家を購入しました。エピローグは、アミンの兄弟と母親が最終的にロシアを脱出し、父親の運命がまだ不明のままであることを明らかにします。

アミン・ナワビ
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