じょいフルデイズ

おいしいとか、いい匂いとか、手作りとか、覚悟とか

心配じゃなくて確信

2006-07-15 01:30:01 | じょいフルな日々
昨日、
ブリちゃんの電話が通じませんでした。
それで、
ブリちゃんは
どこかで事故に遭って
ICUに入ったんだと思っていました。

楽観的で
人からもポシティブシンキングと言われる割に
あっさりと最悪の事態を考えます。
もしも悪いことが起きてるんだったらどうしようと
心配したりはしません。
ただ
ああ悪いことが起きたに違いない、と確信します。

ブリちゃんは几帳面な性格だし
私が電話をするのは知っていたはずなので、
電話を掛け直してこないなんておかしい。
ゆかたの続きを縫いながら、
どうして電話がつながらないのかを
まずは理論的に考えてみました。
もう仕事は終わってるだろうし、
お風呂なら出てから掛けてくるよね。
ひょっとして事務所に残って勉強をしてて
携帯を家に忘れてきてるのかな。

おくみの印付けが済んで
背中心を縫い終わったのは
もう夜中の2時でした。
まだ電話はありません。
いくらなんでも、こんな時間まで
事務所に残って勉強してるなんて考えられない。
試験前で自暴自棄になって飲みに行ったかな。
いやいや、性格的にないな。
携帯をトイレに落としたとか。
でも呼び出し音は鳴ってるわ。

袖の袋縫いができる頃には、
これはどうしても電話が掛けられない事態に
陥ってるに違いないと考えていました。
仕事の帰りに事故に遭って、
身元不明のままどこかのICUに収容されているか、
事務所に強盗が入って刺されて倒れてるか、
十二指腸潰瘍が穿孔を起こして大量出血して運ばれたか。
でも岡山にいる私にはどうしようもないなぁ。
今ごろICUの看護婦さんがお財布を調べて
免許証からカルテを作ってるのかも。
可哀想なブリちゃん、
あんなに試験勉強
頑張ってたのにな。
願わくば、
ちゃんとICUに収容されていますように。
血の海になった事務所の床に倒れてるとか
鴨川の河原で
ジョギングのおじさんに発見されるとかじゃなくて。


チュニジアで
スースから砂漠に向かう
長距離バスを待っていた時のこと。
トイレを探してくると言って
通りを歩いて行ったじょい兄が
いつまでたっても帰ってきませんでした。
一体どこまで行ったんだろうと
待っているうちに、
いくらチュニジアの田舎町とはいえ、
こんなに遅いなんて普通じゃない、
きっと何か事件に巻き込まれたんだと
思い始めました。
まさかここでこんなことになるなんて。
二人分の荷物を抱えたまま
警察で英語が通じるかな、とか
パスポートがなかったらじょい兄は困るだろうな、とか
じょい兄が無事に帰れなかったらともちゃんに申し訳ない、とか
色々考えながら、
でもとりあえずはここで待っているしかない。
日が暮れるまでここでいて、
いよいよとなったら一人でチュニスに戻って
大使館に行かなくちゃ、って
そう思いながら座っていました。
だから
勝手に無事を諦めていたじょいフルは
「トイレ、見つからなかったよ」と
じょい兄が戻ってきたのを見て、
「ずいぶん遅かったね」と言いながら、
あれ、誘拐犯組織から逃げ出して来れたんだね
と思っていました。


小さい頃からの
空想癖のせいかもしれないし、
それとも理屈っぽい性格だから
どうしてそんなことになってるのか
理由をつけようとしてるのかな。
どっちにしても
じょい兄はスースの街で拉致されて、
ブリちゃんはICUに収容されたことにしないと、
私の不安はおさまらなかったわけです。




生死をさまよったはずのブリちゃんは
携帯の置き忘れであったことが
確認されました。
よく無事だったね。
いや、心配なんかしてないよ。
ただ
ICUにいると確信していただけ。



「地球の歩き方」さん

2006-07-13 19:10:35 | 行ってきちゃったチュニジア
じょいフル 様
            (株)ダイヤモン・ビッグ社
               地球の歩き方編集室

前略
このたび採用させていただいた原稿が掲載されている
「地球の歩き方 チュニジア編」ができあがってまいりましたので、
見本誌をお送りいたしました。
ご査収ください。
今度とも「地球の歩き方」ガイドブックをよろしくお願いいたします。
                                草々


忘れてたけど、
「地球の歩き方」があまりにデタラメばっかりだったので
一言モノ申さないではいられなくなって、
チュニジアから帰ってから
あれこれ書いて送ったんだった。
あのホテルはタオル替えてなかったぞ、とか
ここのバスは週に3回しか来ないよ、とか。

ガイドブックの中でも
ダントツの情報量の「地球の歩き方」は、
リュックにすっぽり入る大きさのくせに
現地のちょっとした情報がたっぷりで
ほんと使えるヤツです。
じょいフルのバックパック旅行には
いつもなくてならない存在だったので
その恩返しと、
ますますいい本になってちょうだいという
エールを込めて。

で、
「地球の歩き方 チュニジア編 06~07」、
じょいフルが書いたと思われる箇所を見つけました。
お世話になった「地球の歩き方」に参加出来るなんて
光栄なことです。


…読んでみてびっくり。
何を書いてるのかよく分からないわ。
元の文章はずいぶんハショられて
コンパクトなスペースにおさまってるけど、
これはちょっとハショリ過ぎじゃないかしら。
どれが主語なのかも分からないし。
「こっちの方がオススメ」って言ってる文章なんだと気が付くまでに
書いた私が3回読み返しました。
これじゃぁ他の人には通じないんじゃないかなぁ。
こんなのでいいんですか、編集室さん。
他の人の文章はと見てみると
いままで愛用してきた「歩き方」の情報通りに
ちゃんと意味は分かります。
…なんでだろう。
自分で書いた文章だと引っかかるのかな。
意外と他の書いた人もみんな
「おいおい、こんなんじゃ読んだ人に通じないよっ」って
思ってるのかな。


でも本当にあの本は
そこを旅した人からの情報で出来ているんだと分かりました。
どうか私の情報も
これからチュニジアに行く人の役に立ちますように。

多分じょいフルは
これからも個人旅行派を貫くので、
末永くお世話になりますね、
「地球の歩き方」さん。



おシゴト真っ最中

2006-07-10 14:51:55 | お仕事ですよっ
無事に宮崎空港に降り立って、
タクシーで直行したのは
学会会場じゃなくて
チキン南蛮のお店でした。
宮崎はチキン南蛮の発祥地らしい。
土地の文化風俗も
この際学んで帰ろう。

ホテルに着いたら
早速準備しなくちゃね。
学会恒例の
現地飲み会の準備。
成長した姿を見てもらって
研修時代のことを思い出して初心にかえる、
これも学会の大事なおシゴトです。
厳しい修行をさせてもらった
研修病院の先生達との一年ぶりの再会には
やっぱり体調は万全でないと
失礼ですからね。
汗を流してお化粧したら、
さぁ、宮崎の繁華街に向かいましょう。

そうして、地鶏と焼酎で
宮崎第一日目の夜は更けていきました。




ご安心ください。
さきほど
無事に会場入りしました。
やっぱり宮崎は遠かったな。
岡山を出てもう3日目だよ。

昨日の飲み会で
朝ごはんは食べずに出てきたので、
まずはランチョンセミナーで
お弁当をゲットしよう。


あー、なんかお腹膨れてきた。
会場も暗いし、
なんか

眠いな…


……

おシゴトおシゴト…


寄り道

2006-07-08 19:06:13 | じょいフルな日々
学会のために
宮崎に向かってるはずなんだけど、
どういうわけか
こんな海沿いの町に立ち寄りました。

同じ系列の病院なら
岡山のも福山のも新しくて立派だったけど、
岩国となると
ちょっと様子が違うみたい。
降りた駅は無人駅だし、
タクシーもいないので
キャリーケースをガラガラ引きながら
海沿いの道をてくてく。

病院の門のところに
ちょうどじょい兄の姿が見えました。
2人の新居は官舎なので、
新婚生活はもちろん病院の敷地内。
仕事の後、白衣のまま帰ってくることもあるらしい。
古い病院の官舎だけど、
部屋は新婚さんの初々しい生活感にあふれていて、
若奥さんになったともちゃんは
お昼ごはんでもてなしてくれました。
新しく家庭は
こうやってできるのねぇ。
この家の子供はこのハンバーグが
お母さんの味になるのねぇ。


じょい兄とその彼女だった人に会いに
ふらっと寄ったつもりだったけど、
2人は夫婦として
私をもてなしてくれました。


ちょっと憧れる気持ちを持ちながら、
さぁ、九州に向けて
出発出発…。





これもおシゴト

2006-07-08 08:52:39 | お仕事ですよっ
久しぶりにキャリーケースの出番です。
目指すは南国宮崎♪

遊びじゃないのよ、おシゴトおシゴト。
でも外来も病棟も丸投げで遠くに行けるのが
学会に行く人の特権です。
うふふ。
ウキウキしてるように見えるけど、
最先端のトピックを仕入れてきて
今後の診療方針に役立てるのだっ。
これも責任重大なおシゴトなのです。
決して観光やら
宮崎地鶏やら焼酎のためではないのです。


学会とはいえ
何があるかわからないからね。
デジカメもサンダルも
普段はつけられない香水も
いちおう持って行っておこうかな。


準備万端。
行ってきまーす♪


私にはまだ…

2006-07-07 22:04:05 | 私のカラダ
ヨガと太極拳と
ピラティスを組み合わせた、だなんて
そりゃまぁなんて
オイシイとこ取り!
じょいフルはどれもやったことがないけど、
あれでしょ、
ロハスとかそういうココロザシの人が
「自分の身体との対話」とか
そういうのをするあれでしょ。
なんかそれだけで
きれいなおネエさんっぽい。

じょいフル的イメージでは、
腰回りぴっちりで裾がフレアのパンツに
タンクトップ姿が正統派のヨギー女子。
コート岡山南のレッスン会場に現れたコーチは
まさにそんな感じでした。
姿勢もいいし、
何となく芯の通った女性に見えるような気がします。
いいですねぇ、ヨガ。
かっこいい。
もしかすると私もこの一日体験で
ヨギー女子の仲間入りかも。

……

1時間後、
他のレッスンを終えて待っていたケイちゃんは
よれよれの私を見てニヤニヤ。
なんなのよぅ、あれ。
気持ちいいどころか、
太腿も腹筋もぴくぴくだったよぅ。
したこともない姿勢で
ありえない動きをさせられたよぅ。
えーんえーん、つらかったよぅ。


どうやらヨガはまだ
私にはオトナ過ぎたみたい。
だいたい私は体が固かった。
立位体前屈なんてマイナスだもん。
その体であんな姿勢になって精神統一なんて、
そりゃ無理な話よ。
はい、タンクトップのヨギー女子は諦めて
おとなしく
いつものフィットネスに戻りましょう。




(そうやってヨガの厳しさを知ったのが
 水曜日。
 どうして
 今日になって
 体じゅうが痛いんだろう?
 どうして筋肉痛が
 2日後なんだろう?
 どうしてなのかなぁ…)


ライブのオーナーさん

2006-07-03 23:53:04 | 愛する人たち
名前を言える建築家なんて、
「安藤忠雄」と、
その「ル・コルビュジェ」という人と、
あとは「岡田さん」くらいです。
コンクリートの美術館をたくさん作ったのが安藤忠雄で、
ブリちゃんちにポスターがあったのがコルビュジェ。
岡田さん、は
じょいママとケンカをしながら
倉敷のじょい家を建てた人。

なので、
コルビュジェのエスキース展って言われても
なんのことか分からないけど、
ケイちゃんと美味しいごはんも食べたかったので
「アトリエライブ」に行ってみました。

たしかに、
家の設計図に見えますが…。
写真の家は、
普通のおしゃれな白いお家、みたいですが…。


カウンターではいつものように
「アトリエライブ」のオーナーさんが
ご飯を食べていたのだけど、
私がコルビュジェを前にちっとも感動していないのが
見ていられなかったのでしょう、
わざわざ箸を止めて
説明を始めてくれるではありませんか。
「この空間の連続性が…」
「ここに壁がないのは当時としては画期的な…」
あの、いつもフラッと入ってきては
「カレー、ご飯じゃなくてパンで食べたい」って特別注文をしたり
「こないだカモを食べてね」って言いながらハモの話をする
マイペースなオーナーさん、
そういえば
上の事務所の建築家さんだったのでした。

一所懸命説明をして下さるのだけど
やっぱり私には普通の設計図にしか見えない。
屋上庭園だって、壁一面が窓なのだって、
ふつーに見えるのだけど…。
壁一面が窓の家の設計図が
そんなにすごいのかな。
オーナーさんはこの建築家のことが
どうやら好きみたいなので、
なるべく失礼にならないように聞いてみよう。
「その…いま見るとふつーに見えても
 当時としてはすごいことだったので…しょうか?」
オーナーさんは気を悪くした風でもなく、
でも私が何も分かっていないのを分かったようで、
「そうそう、何でもその時の時代背景まで考えに入れないとね」
「ベートーベンの楽譜が飾ってあるみたいなもんだよ」

…なるほどなるほど。
ベートーベンの楽譜ですか。
それならどの楽器屋さんにも売ってるけど、
べートーベンがその楽譜を書いたということは
多分すごいことだ。


恐れ入りました。
あのオーナーさん、
毎日「アトリエライブ」のご飯が食べられていいなー
カフェのオーナーっていい仕事だなー
って思ってたけど、
自分の大好きな建築家の設計図の前で首を傾げる客に
一言モノ言わずにはいられない
建築家先生だったのですね。



いいなぁ、私もやってみたいなぁ。
ただのカフェの女性オーナーかと思ったら、
人体模型展をしているギャラリーで
突然熱く語り出すお医者さんだった、なんて
カッコイイじゃないですか。



無言館展

2006-07-02 02:01:58 | じょいフルな日々
岡山デジタルミュージアムに
展示されているのは
画学生の描いた絵でした。

戦争で死んだ画学生の描いた絵です。

目の前の絵の
この絵の具を塗った人が、
その後に銃弾や手榴弾で死んだのかと思うと
戦争映画なんかよりずっと生々しい。
出征の万歳を聞きながら恋人を描いた人も、
生きて還ったら仕上げると言い残して
死んでしまった人も、
みんな21歳とか24歳とかそんな歳です。

絵が伝えるのは、彼らが
絵を描くことを愛していたこと、
恋人や妻を愛していたこと、
両親に感謝していたこと、
生きていることに感謝していたことです。
この人たちほど強く感じることは
今の私には出来ていない
と思いました。

会場は40~60代の人がほとんどでした。
あの絵に込められたような思いを
感じなくなってしまった若い人こそ
見るべき絵だと思いました。