狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

宮村「侘び状」に対する大阪地裁判決文

2009-08-25 06:42:32 | ★集団自決
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宮村幸延氏の「詫び状」について、常識ある人間なら当然抱くはずの疑問を、KOBAさんと涼太さんのコメントで代表させていただきました。

泥酔させられて書いた詫び状 (KOBA)
2009-08-24
 不思議の思うのですが、その「詫び状」の筆跡はどうなっているのでしょう?
 「酔った状態で書いた」なら判読しがたい筆跡になっていると思うのですが、誰が観ても判読可能な筆跡なら、「酔って書いた」というのは無理があるのではないでしょうか? 
 裁判官はどういう判断で、「詫び状」を「泥酔した状態で書かされた」と判断したのでしょう?

                    *

Unknown (涼太)
2009-08-22

<何より信じられないのは、酒を飲まされて詫び状を書いた。です。そしてそれを認めた異常な判決です。もしそんなことが認められたら、契約社会そのもが崩壊します。人を殺しても酒を飲んで覚えていない。婦女暴行しても酒を飲んで覚えていない。こんな言い訳が通用するような判決です。

                    ◇

自筆押印の書類を、「泥酔して書いたから」と否定されたら、涼太さんのご指摘を待つまでもなく契約社会の屋台骨が崩壊してしまう。 

署名捺印の借用書を差し入れて、借用書も「泥酔していたので記憶にないから無効」で通ってしまうわけである。

裁判官は社会常識に欠けるので、一般社会人の常識を判決に導入するのが「裁判員制度」であるとすれば、署名押印の書類を、泥酔を理由に無効とする裁判員は一人もいないだろう

さて、問題の「侘び状」に関連する部分を「大阪地裁判決 文」から抜粋して引用する。

引用は当日記に時折「一太刀」を浴びせておられni0615さんのサイトを利用させて頂いたが、立場こそ違っても資料保管・整理の労力には謝意を表しておきます。(太字強調は引用者)

なお、「大阪地裁の判断」で出てくる、梅澤氏作成と思われる類似文面のもう一枚の「侘び状」とは、実際に詫び状を書く際に良く生じる例である。

口頭で謝罪した経験はあっても、侘び状を書いた経験のある人は少ない。

そこで、「あなたが見本を書いたら、それに倣って書きます」と見本を要求する例が多い。 ただ、その見本を破棄するのが普通だが、梅澤氏は迂闊にもその見本が相手方の手に渡るのを気にしなかったようだ。

裁判官は、世間ではよくある「見本文」の存在でもって、「侘び状」の信憑性を否定する重要な根拠にしているが、それこそ裁判官の社会常識が欠落しているという証左である。

以下引用。

                    ◇

被告らの主張

 宮村幸延の証言について

宮村幸延は,「証言」(甲B8)を作成し押印した記億はなく,宮村幸延が作成し押印したものではないと述ぺている(乙17及び18)。

宮村幸延は,その経営する旅館に宿泊した原告梅澤から,昭和62年3月26日,
「この紙に印鑑を押してくれ。これは公表するものではなく,家内に見せるためだけだ。」
と迫られたが,これを拒否した。同月27日,原告梅澤が同行した2人の男が宮村幸延に泡盛を飲ませ,宮村幸延は泥酔状態となった。宮村幸延は,この時に「証言」を書かされた可能性があるが,そうだとすれば,「証言」は仕組まれたものであり,宮村幸延の意思に基づくものではないことは明らかである。

宮村幸延は,座間味島の集団自決があった当時,山口県で軍務についており,集団自決の経緯について証言できる立場になかったし,また,実兄である盛秀助役が自決命令を出したなどと証言するはずがない。

原告らの主張

d 宮村幸延の「証言」
(a) (親書の手交)*
座間味村の遺族会長であり,当時の援護係として「座間味戦記」を取りまとめた宮村幸延は,原告梅澤に対し、昭和62年3月28日,「証言」と題する親書(甲B8)を手交した。この親書には,「昭和二十年三月二六日の集団自決は梅澤部隊長の命令ではなく当時兵事主任(兼)村役場助役の宮里盛秀の命令で行なわれた。之は弟の宮村幸延が遺族補償のためやむえ得えず ママ 隊長命として申請した,ためのものであります」と記載されている。

宮村幸延の談話は,昭和62年4月18日付けの神戸新聞にも記載されている。

(b) (原告梅澤が語る経緯)*
被告らが主張する「証言」の作成経緯は全く理由がない。

原告梅澤は,合同慰霊祭が行われた昭和62年3月28日,集団自決に関する座間味村の見解を尋ねるぺく,村長の田中登に会ったが,補償問題を担当していた宮村幸延に聞くように言われたため,1人で宮村幸延を訪ねた。原告梅澤と宮村幸延は,面識があったため,再会を懐かしんだ。

原告梅澤が訪問した理由を話すと,宮村幸延は,突然謝罪し,援護法を適用するために軍命令という事実を作り出さなければならなかった経緯を語ったのである。

「証言」(甲B8)は,このような経緯で宮村幸延が述ぺたことを文書にしてほしい旨,原告梅澤が依頼し,宮村幸延自身が一言一言慎重に言葉を選んで作成したものである。決して,原告梅澤が原稿を書き,宮村幸延に押印だけさせたものでもないし,泥酔状態の宮村幸延に無理矢理書かせたものでもない。原告梅澤が原稿を書いたのであれは,末尾宛名の「裕」の字を間違えるはずがないし,宮村幸延が泥酔状態であれば,筆跡に大きな乱れが生じるはずである。

また,宮村盛永の息子である宮村幸延は,集団自決当時,山口県にいたとしても,その後,村に帰ってから,集団自決の真相を知ったことは明らかであり,「証言」を作成する立場になかったとの被告ら指摘も当たらない。

また,神戸新聞の中井和久記者は,宮村幸延に対する電話取材を確かに行い,記事記載のコメントも確かにもらったと述べている(甲B34)。神戸新聞が,記事中で「Aさん」とされている宮村幸延のコメントを捏造する理由はない、宮村幸延から神戸新聞に対し抗議があったこともない。

 

◆大阪地裁の判断

オ(宮村幸延「証言」について)*

(ア)(「証言」の記述)*
盛秀助役の弟である宮村幸延が作成したとされる昭和62年3月28日付け「証言」と題する親書(甲B8)には、
「昭和二十年三月二六日の集団自決は梅澤部隊長の命令ではなく当時兵事主任(*兼)村役場助役の盛秀の命令で行なわれた。之は弟の宮村幸延が遺族補償のためやむえ得えず隊長命として申請した、ためのものであります   右 当時援護係 宮村幸延  」 との記載がある。

(イ)(経緯から真意かどうかの疑問)*
しかしながら,宮村幸延は, 「別紙証言書は,私し(宮村幸延)が書いた文面でわありません」 との書面(乙17)を残しているほか,証拠(甲B5,33,85,乙18,41,宮城証人及び原告梅澤本人)によれば,昭和62年3月26日の座間味村の慰霊祭に出席するために座間味島を訪問した原告梅澤は宮村幸延の経営する旅館に宿泊したこと,宮村幸延は,原告梅澤から,昭和62年3月26日, 「この紙に印鑑を押してくれ。これは公表するものではなく,家内に見せるためだけだ。」 と迫られたが,これを拒否したこと,同月27日,原告梅澤が同行した2人の男が宮村幸延に泡盛を飲ませ,宮村幸延は泥酔状態となったこと,その際,原告梅澤は,宮村幸延に対し,自らが作成した 「昭和二十年三月二十六日よりの集団自決は梅澤部隊長の命令ではなく助役盛秀の命令であった。之は遺族救済の補償申請の為止むを得ず役場当局がとった手段です。右証言します。昭和六十二年三月二十八日元座間味村役場事務局長宮村幸延」 と記載された文書(甲B85)を示したこと,宮村幸延は,これを真似て前記昭和62年3月28日付け「証言」と題する親書(甲B8)を作成したことが,それぞれ認められる。

こうした事実によれば,宮村幸延の昭和62年3月28日付け「証言」と題する親書(甲b8)が,その真意を表しているのかは疑問である。

(ウ)(証言間で異なる梅澤証言は措信しがたい)*
原告梅澤は,その陳述書(甲B33)で,宮村幸延が前記「証言」と題する親書(甲B8)を,その意思で作成したかのように記載する。そして, 原告梅澤の陳述書(甲B33)では, 「私は宮村幸延氏に,是非とも今仰った内容を一筆書いて頂きたいとお願いした。宮村幸延氏はどのように書いたら良いでしょうかと尋ねられたので,私は,お任せします,ただ,隊長命令がなかったことだけははっきりするようお願いしますとお答えしました。」

「大手の清水建設に勤務され,その後厚生省との折衝等の戦後補償業務にも携わっていた経歴をお持ちの宮村幸延氏は,私の目の前で,一言々々慎重に『証言』(甲B8)をお書きになりました。」 と記載されている。

しかし,そのような作成状況であれば,前記「証言」と題する親書(甲B8)と酷似する文書(甲B85)が存すること自体不自然で,原告梅澤の陳述書(甲B33)は,この部分で措信し難いし,原告梅澤が沖縄タイムスの新川明に前記「証言」と題する親書(甲B8)の作成状況として語った内容(乙43の1及び2・5頁)とも異なり,措信し難い。すなわち,原告梅澤は,新川明に対しては, 「今度,忠魂碑を,部下の切り込んだやつの忠魂碑を建てるために今度行った。その時に聞いたら,彼はまあ,酔ってないとは言いませんが,彼がそういう風に私に 『本当に梅澤さん,ありがとうございました。申し訳ございません』 とこうやってね,手をこうやってね,謝りながら書いたんですよ。
『一筆書いてくれんか』 って。
『いやー書くのは苦手だけれどもなあ』 と。
『だってあんたは役場におった人でいろいろ文書も書いたろうと。わかるだろう』 と。
『どういうふうな書き出しがいいでしょうか』 と言うから,
『そうか』 と,
『書き出しはこれぐらいのことから書いたらどうですか』
と私は2,3行鉛筆で書いてあげました。そしたら彼は
『あ,分かった分かった,もういい。あとは私が書く』
と言って,全然私が書いたのと違う文章を彼が書いてああいう文書をつくったわけです。まあ,よく聞いてくださいよ。それで結局私は 『ありがとう』 と。
『ついでに判を押してもらえたらなあ』 と言ったら,彼は商売しておるから店の事務所の机の上から判を持ってきて押して
『これでいいですか』 と。
『ありがとう』 と。
『これはしかし梅澤さん,公表せんでほしい』
と言った。
『公表せんと約束してくれと』 と。
私はそれについては
『これは私にとっては大事なもんだと。家族や親戚,知人には見せると。しかし公表ということについては,一遍私も考えてみよう』 と。
公表しないなんて私は言っておりませんよ。やっぱりこれはですね,沖縄の人に公表したら大変だろうけれども,内地の人に見せるぐらいは,しらせたいというのが私の気持ちだから。そういうふうなことで別れた。」

「あの人はね,まあ言うたらやね,毎日,朝起きてから寝るまで酒を続けています。」 と語っており,この新川明に語った作成状況と原告梅澤の陳述書(甲B33)の前記記載内容は異なっており,原告梅澤の陳述書(甲B33)の記載に疑問を抱かせる(なお,原告梅澤の陳述書(甲B33)には,沖縄タイムスの新川明との対談の経緯等についての記載もあるところ,この陳述書(甲B33)が被告らからの反論を踏まえて検討して書かれたものであるにもかかわらず(同1頁冒頭),前記新川明との対談の経緯等は,乙第43号証の1及び2に照らして措信しがたく,この陳述書(甲B33)全体の信用性を減殺せしめる。)。

また,前記のとおり,証拠(乙43の1及び2)によれば,原告梅澤が沖縄タイムスの新川明に語った前記「証言」と題する親書(甲B8)の作成状況では,宮村幸延がこれを酔余作成したことを認めている(乙43の2・5頁)。

(エ)(宮村幸延の集団自決時不在と座間味村の回答)*
そして,原告梅澤が沖縄タイムスの新川明との会談で認めていたとおり(乙43の1及び2),宮村幸延は,座間味島で集団自決が発生した際,座間味島にいなかったのであって,前記「証言と題する親書(甲B8)にあるように, 「昭和20年3月26日の集団自決は梅澤部隊長の命令ではなく当時兵事主任(兼)村役場助役の盛秀の命令で行われた。」 と語れる立場になかったことは明らかで,この点でも前記「証言」と題する親書(甲B8)の記載内容には疑問がある。

沖縄タイムスが,昭和63年11月3日,座間味村に対し,座間味村における集団自決についての認識を問うたところ(乙20),座間味村長宮里正太郎は,同月18日付けの回答書(乙21の1)で回答したことは,第4・5(2)ア(ア)mに記載したとおりである。座間味村長宮里正太郎は,前記回答書(乙21の1)で 「宮村幸延氏も戦争当時座間味村に在住しておらず,本土の山口県で軍務にあった。」 として,その記載に疑義を呈するとともに,
「遺族補償のため玉砕命令を作為した事実はない。遺族補償請求申請は生き残った者の証言に基づき作成し,又村長の責任によって申請したもので一人の援護主任が自分勝手に作成できるものではな」い,「当時の援護主任は戦争当時座間味村に住んでなく,住んでいない人がどうして勝手な書類作成が出来るのでしょうか。」 とも記載している。

(オ)(まとめ)*
こうした事実に照らして考えると、宮村幸延が作成したとされる昭和62年3月28日付け「証言」と題する親書(甲B8)の記載内容は、
「昭和20年3月26日の集団自決は梅澤部隊長の命令ではなく当時兵事主任(*兼)村役場助役の盛秀の命令で行われた。」
との部分も含めて措信しがたく,併せて,これに関連する原告梅澤の陳述書(甲B33)も措信し難い。

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信用性 (ni0615)
2009-08-25 09:24:17
狼魔人さん
判決文を私のところから引用なさったようで。

判決文を読めば、江崎さんの
>裁判官は、世間ではよくある「見本文」の存在でもって、「侘び状」の信憑性を否定する重要な根拠にしているが、それこそ裁判官の社会常識が欠落しているという証左である。

このような結論が出てくる余地はないのですよ。

なぜなら判決文は、江崎さんの当稿における主張と同様の原告側主張に、既に次のように答えているからです。

======
(ウ)
原告梅澤は,その陳述書(甲B33)で,宮村幸延が前記「証言」と題する親書(甲B8)を,その意思で作成したかのように記載する。

そして, 原告梅澤の陳述書(甲B33)では, 「私は宮村幸延氏に,是非とも今仰った内容を一筆書いて頂きたいとお願いした。宮村幸延氏はどのように書いたら良いでしょうかと尋ねられたので,私は,お任せします,ただ,隊長命令がなかったことだけははっきりするようお願いしますとお答えしました。」「大手の清水建設に勤務され,その後厚生省との折衝等の戦後補償業務にも携わっていた経歴をお持ちの宮村幸延氏は,私の目の前で,一言々々慎重に『証言』(甲B8)をお書きになりました。」 と記載されている。

しかし,そのような作成状況であれば,前記「証言」と題する親書(甲B8)と酷似する文書(甲B85)が存すること自体不自然で,原告梅澤の陳述書(甲B33)は,この部分で措信し難いし,原告梅澤が沖縄タイムスの新川明に前記「証言」と題する親書(甲B8)の作成状況として語った内容(乙43の1及び2・5頁)とも異なり,措信し難い。
======

つまり、「見本文」があるからという理由以上に、「見本文」の存在を否定するような梅澤さんの証言に照らすと、大いに矛盾すると述べています。

その都度その都度クルクルと話を変える梅澤さんの社会常識のなさこそが、信用性を損なわれたのです。それが「詫び状」の証拠能力を失わせた一番大きな理由です。
返信する
しかし (ヒロシ)
2009-08-25 10:53:05
しかし住民に対して自決せよという命令の証拠は60年以上探しても出てこない。
返信する
裁判官の資質 (京太郎)
2009-08-25 11:20:41
京太郎は、裁判官の資質をもっとよく吟味すべき時にきていると思いますね。

幼少期から学生時代までの間、遊んでいては、司法試験には通らない。

しかし、様々な人間関係のなかでもまれて育たなければ、円満が人格は備わらない。

そもそも、「鉄の暴風」のように記述内容がほとんどデタラメな本を戦記として認めたご人が正しい判断をしましたなんぞと言えはしない。

事実と合致していた記述は、防衛隊員の数とポツダム宣言のビラをまいた日にちのみ。

渡嘉敷の上陸から住民の投降、日米の協議の日付と参加者、赤松隊が降伏した日付、特攻隊員の人数、整備隊、朝鮮人軍夫等々数字はことごとく、大幅に違っている。

また、米軍の上陸した地点から、特攻艇を収容していた場所・・・

ことごとく間違っている。

著者の片割れ、太田某は古波蔵村長や宇久校長から証言を受けたと曽野綾子女史への発言を後に訂正しているが、この二人が間違いようのない、自身の投降した日付がそれぞれ、一ヶ月以上も違うということはどういうことなのか?

太田某は1974年のある対談で戦記は、事実を記述するのではなく戦争観で書くものという趣旨の恐ろしい発言をしている。

現在ある沖縄戦史は、根本から検証し直さなければならないと京太郎は思うね。

返信する
裁判官の常識の欠落 (狼魔人)
2009-08-25 11:29:24
ni0615さん

判決文を引用させてもらったので、予想はしていましたが、それにしても早々のご来場、ごくろうさんです。

残念ながら判決文を読めば、以下の感想はさらに確信を増します。

>裁判官は、世間ではよくある「見本文」の存在でもって、「侘び状」の信憑性を否定する重要な根拠にしているが、それこそ裁判官の社会常識が欠落しているという証左である。

常識ある社会人の代表として、冒頭にKOBAさんの次のコメントを紹介しました。

>「酔った状態で書いた」なら判読しがたい筆跡になっていると思うのですが、誰が観ても判読可能な筆跡なら、「酔って書いた」というのは無理があるのではないでしょうか? 

さらに、「原告らの主張」にも次のくだりがあります。(太字)

>宮村幸延が泥酔状態であれば,筆跡に大きな乱れが生じるはずである。

社会人のKOBAさんの主張と法律の専門家の原告代理人の主張が見事に一致しています。

「侘び状」の信憑性の有無は、誰でも考えるとおり、「記憶にないほど泥酔して書いたなら、筆跡に乱れが現れる」という最重要ポイントです。

記憶がないほど泥酔した運転だったら、運転にも乱れが生じることは世間知らずの裁判官でも分かるはずです。

ですが、裁判官はこの最重要ポイントの筆跡の乱れには敢えて論評を避けて、もっぱら90歳のご高齢の梅沢さんの20数年前の記憶のわずかな齟齬を重要視して、「侘び状」を措信し難い、と決め付けています。

問題の筆跡ですが、あなたもご存知の通りしっかりとした筆跡で微塵の乱れも見えません。

泥酔して書いたといわれる「侘び状」の信憑性の有無については、筆跡の乱れの有無が最重要論点であり、
それを作成するとき作った見本文についての思い違いは、高齢の梅沢さんの年齢や20年も前の出来事であることを考慮すれば、
取るに足らない些細な良くある出来事である。

これが常識ある社会人の常識です。

従って、裁判官の常識の欠落をますます確信するわけです。
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常識はずれの判決 (雲タマギル)
2009-08-25 12:26:31

「しっかりとした筆跡で微塵の乱れも見えない」文字で書いた「詫び状」を、泥酔して書いたので、無効だと判断した裁判官は、常識はずれです。

この判決文は常識はずれの判決文として歴史に残るでしょう。
返信する
沖縄戦史の書き換えが必要 (狼魔人)
2009-08-25 13:46:47
ヒロシさん

「隊長命令があった」というのは、被告側の挙証責任であり、原告側は最悪の場合、「隊長命令が無かった」と証明出来なくとも、被告が挙証できなければ原告の勝ちです。

「侘び状」は原告側の「隊長命令はなかった」を立証する重要証拠物件ですが、裁判長の恣意的判断で退けられました。

だが、しかし、それでもなお、

仰る通りで、被告側の自決命令が証明出来なければ、裁判長の「侘び状」への奇妙な判断は、実はどうでもよいことなんです。



京太郎さん

「鉄の暴風」のデタラメ記述については、今さら言及するのも疲れるほどです。

著者の太田良博氏は1985年8月15日付沖縄タイムスで、「『鉄の暴風』の取材背景」と題する文を書いているが、その中で、「梅澤隊長の生死の誤記」は「ウワサはあった」から書いた、とデタラメ記者の本性を現しています。

>太田某は1974年のある対談で戦記は、事実を記述するのではなく戦争観で書くものという趣旨の恐ろしい発言をしている。

太田氏は「ある神話の背景」でも、曽野氏のインタビューに答えて、同じような主旨のことを言っています。

「時代が違うと見方が違う」と発言しているが、曽野氏は次のように太田氏の執筆姿勢を説明しています。

《当時の社会情勢は、アメリカ軍をヒューマニスティックに扱い、日本軍閥の旧悪をあばくという空気が濃厚であった。 太田氏は、それを私情をまじえずに書き留める側にあった。 「述べて作らず」である。 とすれば、当時そのような空気を、そっくりその儘、記録することもまた、筆者としての当然の義務の一つであると思われる。》(「ある神話の背景」)


>現在ある沖縄戦史は、根本から検証し直さなければならないと京太郎は思うね。

同感です。



雲タマギルさん

改めて裁判官の常識欠落を感じました。
返信する
信用できる人ばかりでは・・。 (もみ)
2009-08-25 16:21:08
このサイトに来る人はまともな人ばかりだと
安心していたのですがni0615という方はどうやらかなりの左翼のようですね。管理人様や皆が真剣に話し合っているのに嘘で引っ掻き回して一体何が楽しいのでしょうか?
私は勉強不足なところがあるので、頓珍漢な答えを書き込まないように注意していますが、
この方のはどう考えても左翼の嫌がらせみたいで腹が立ちます!もっと管理人様が伝えたいことに目を凝らすべきではないでしょうか。
返信する
もみさんへ (ヒロシ)
2009-08-25 17:40:57
自分が信じていたことが間違いであった時に、自分の考えを正す人とそれでも自分が正しいと疑わない人がいます。
世の中にはいろんな人がいます。
反面教師と思いましょう。
今の教師には多いですね(笑)
自分たちの祖父らの事を悪く云うのは世界中でも日本の左翼だけと聞きました。
そんなに祖国が嫌いなら外国へ移住したらいいのに(笑)

日本人になりたい外国人は沢山います。日本はいい国です。
いい国日本を永遠に継承していきたいです。
返信する
Unknown (涼太)
2009-08-25 21:49:26
狼魔人様

まったく、狼魔人様の仰るとおりです。
何より不思議なのは、「自決を命じた残忍な隊長」と酒を酌み交わすでしょうか。それも泥酔するほどまでに。
何よりも、宮村氏は泥酔して憶えていない。と言いながら、病床における証言では梅沢さんとのやり取りを、詳細に証言しています。不思議です。
返信する
Unknown (涼太)
2009-08-25 22:34:18
狼魔人様

もし、事件を起こして(どんな事件でもいいです)
逮捕された容疑者が当日のことは酒を飲んでいて憶えていない。と証言したとき。検察側は犯行現場に残されているであろう、指紋などの物的証拠を提示し、容疑者の証言の矛盾点を指摘すると思います。
今回のケースに例えて考えた場合、本人の自筆で書かれて印鑑まで押した詫び状は、まさに物的証拠です。それさえも否定するとなると、もう司法の崩壊とまで言えると思います。
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