よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします
本日(8日)は沖縄メディアや竹富教育長支持派が最後の望みを賭ける井戸端会議(全教委教)が開かれる日。
大方の予想はついていたが、沖縄タイムスの一面トップはこれ。
全教育委員会きょう協議
八重山教科書 県側立会い
全教委教の会議が本日行われるのはともかく、協議会の場に「県側立会い」と県側も必死の様子だが、「中東の笛」を持った県教育委が審判役になっても、事態を混乱させるだけだけ。
県側は、何の法的権限もない井戸端会議に必死で「権威付け」しようとの魂胆が見え見えの「立会い」である。
立会いについて、「中東の笛」を期待する沖縄タイムスの記事は、こう説明している。
≪県教育庁が同地域の採択分裂を重く見て同日の総会に法解釈などを支援する「審判役」として立会うことも7日までにわかった。≫(沖縄タイムス 8日)
県側が審判役として法解釈などを支援するというが、色眼鏡をかけて「中東の笛」を持った県教育委がどちらを支援するかは、これまでの経過を見てきた者には火を見るより明らか。
誰にファウルの笛を吹くのか。
言うまでもなく玉津協議会長に決まっている!(怒)
それを示す証拠を八重山日報が特ダネとして暴露している。
何と、県教委は「事実誤認」の情報に基づいて玉津協議会長を「指導」していたというのだ。
■八重山日報社 9月7日
「事実誤認で指導」
県教委の文書に市教委が疑義
教科書問題で、県教育委員会が教科用図書八重山採択地区協議会(会長・玉津博克石垣市教育長)に対して行った一連の指導助言や要請について、協議会事務局の市教育委員会が「事実誤認に基づいて」と指摘していることが6日までに分かった。県教委はあいまいな事実認識のまま、指導助言や要請を行ってきた可能性がある。
市教委が指摘しているのは、8月17日と31日に県教委に提出された「教科用図書八重山採択地区協議会の状況について」という文書。
協議会で混乱が生じている要因として
(1)規約に定めた役員会を省いて調査員が選任された
(2)協議会委員の中から学校関係者が省かれた
(3)規約が採択作業の途中で変更された
という事実認識を示している
このうち規約の変更については、6月27日の協議会で承認された。承認後、新規約に基づいて委嘱された新委員によって、同日から教科書採択作業が開始されている。市教委は協議会は「規約が採択作業の途中で変更された」という事実はないとしている。
また、規約変更で委員から「省かれた」のは教育委員職員の指導主事や補助職員で「学校関係者ではない」(市教委)。調査員の選定については、後日の役員会で、さかのぼって承認されており、規約違反の状態ではないとしている。
県教委は、文書で示された事実認識に基づいて、協議会に対し、委員の追加要請や「規約の手続きを遵守し、地域住民に疑念を抱かせない」ことなどを求める指導助言を行っていた。
市教委によると、一連の教科書問題で、県教委が直接、玉津教育長に聞き取り調査をしたのは8月2日、八重山教育事務所を通じて1回だけだったという。
前日の8月1日には、市議会の野党など議員有志が県教委を訪れ、協議会会長の玉津教育長を指導するよう要請したばかりだった。協議会運営に批判的なマスコミ報道も、このころから目立ち始めており、県教委の指導助言が、こうした外部事情に影響された可能性もある。
市教委の事実認識について、文書で照会することも検討している。玉津教育長は「県教委は事実を検証せず、誤認に基づいた指導を行ってきたのではないか。何を根拠に(指導助言など)判断してきたのか」と批判した。
県教委は義務教育課は5日、市教委から詳細を聞いていないとしてコメントを避けた。
☆
次々出てくる、「反対派」の「悪事」には、16年も極左市長の独裁に支配されていた八重山地区だと思えば、いまさら特に驚くこともないのだが、次のくだりにはさすがに言葉を失った。
>協議会運営に批判的なマスコミ報道も、このころから目立ち始めており、県教委の指導助言が、こうした外部事情に影響された可能性もある。
一連の騒動は、最初にマスコミが火をつけ、マスコミに平伏す県側がマスコミの意向に沿って慶田盛教育長後押しする「指導」を行ってきた考えていた。
ところが八重山日報によると、マスコミが「発狂報道」を始めたのは県側が「事実誤認」で指導した後からというではないか。
これでは県が最初から発狂して、その「発狂ビールス」がマスコミに飛び火し、さらにそれが県側に再感染して一連の「奇痴害大狂騒曲」を演じたというのが正しいのではないか。
沖縄マスコミが「全体主義」で全国に恥さらしをしているのはよく知られたことだが、県教育委も一緒になって全体主義に加担するという恥の上塗りをしているというから驚くのだ。
発狂ビールスのキャリアが跋扈する八重山地区で、良識ある住民を代弁して元校長の鳩間昇さんが、義憤に燃えて再度八重山日報に「寄稿」を寄せているので次に紹介する。
特に県教委には目を見開いて熟読して欲しいものである。
■八重山日報 9月7日 【寄稿】
県教委に望むこと
鳩間昇
八重山地区教科書採択について、先にも県県教委へ読むとして所見を述べたが、ここ2~3日の報道を見る限りで、どうしても納得しがたい2点について所見を申し上げ、一日も早い収拾を望むものであります。 なお法律名及び名称に等は、略記にてご容赦願います。
(1)一本化というマジック
本地区の教科書採択は、すでに一本化されていると認識している。 協議会が全ての教科書選定し、すでに答申も終えている。 これを一本化と言わなければ、何というべきだろうか。 竹教委は、地教行法持ち出して協議会の答申を否定し、答申外のものを採択した。 ここで問題が発生している。 地教行法だけで採択が出来るというなら、何も協議会設置の必要もないだであろう。 地教行法は、教科書無償措置法の上位法ではないから、それをのみをもって採択権だということは、独断としか言いようがない。 すなわち採択においては、教科書無償措置法及び地教育行法の両方に従わなければならない訳で、竹教委の処置は全く片手落ちであり、教科書無償措置法違反と言えよう。 協議会を置いた上、そこでの選定答申を尊重して決定することが委員会の運営ではないかと考える。 会合で協議する以上、決定に際しては多数決もあるのが、民主主義である。 協議会では多数決であったが、その決定に反対して措置することは、行政の責任者の採るべき行為ではないだろう。
(2)教委協会とは
教委協会で話し合い、一本化を図れとの声もある。これらの言動の狙いは、あくまでも竹教委の言う通り決定すべきであるとの考えであろう。 しかし、この教委協会、採択に対して如何なる権限を持つものであろうか。もともと友誼(ゆうぎ)団体の組織であると聞く。 なぜこの団体が持ち出されたのか、大方、三市町村の全教委が揃えば、竹教委の言う方向に決まるからだと思ってのことであろう。 竹教委の教育長が強力に
見出し言う地教行法でも決定は委員会であるから、各教委では答申通りということになる。 ここに至って教委協が出てくること自体がおかしい。
(3)県教委は善処を
報道によれば、県教委は「一本化できれば、教委協も一つの方法」との趣旨のコメントになっている。 しかし①県教委は、協議会が決定し答申まで終えていることを認めていないように読み取れるが、そのような認識をお持ちのことに大変疑問を感じる②教委協の話し合いに期待感を持ってのコメントのようにも読めるが、ここにも大きな疑問を持たざるを得ない③採択協議において運営されている協議会は、県教委の指導を受けて設置されているものと思う。 それを協議会決定に反対した教委が出たからといって方法を変えて採択することになれば、行政の、また民主主義の破綻ということになろう。あるいは、県教委がそのような指導をしたとなると、不当介入ともなるであろう。
(4)県教委の指導は、片手落ちの違法的行為に出ている竹教委になされるべきであると思慮する。 他に方法はなかろう。 竹教委への指導こそが本問題の解決策と考え、一日も早い善処が施されることを切望する。(石垣市平得282 元小・中学校長)
☆
★「パンドラの箱掲載拒否訴訟」第三回口頭弁論のご案内★
表現の自由と著作権の侵害を争点とした上原正稔氏の戦いは、沖縄の言論空間と歴史の偏向を糺す運動にも影響を与えるものとなっています。 三回目の口頭弁論と報告会を左記の如く行いますので、参加賜りますようご案内申し上げます。 尚。上原正稔公式サイトで検索頂ければ、裁判の経緯も順次掲載されます。
記
■第三回口頭弁論
日時:9月13日(火) 午前10時
場所:那覇地方裁判所
■報告会
日時:同日 午前11時
会場:沖縄県護国神社内社務所会議室
★
★「パンドラの箱訴訟」の支援カンパ依頼
ゆうちょ銀行 総合口座(普通)
記号 17010 番号 10347971
三善会(サンゼンカイ)
沖縄県宜野湾市真栄原1-11-1-702
三善会の振込ですが、郵貯の口座を持っている方がカードで振り込む場合は、手数料がかかりません。全国どこからでも無料となります。しかし、それが無い場合は、最寄りの金融機関からとなり、手数が発生致します。
他の金融機関からの振込 【店名】 七〇八(読み ナナゼロハチ) 【店番】 708
よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします
沖縄はまだ民主主義が浸透していないように思えてしまうのは私だけでしょうか?
玉津会長たちに踏ん張っていただきたいものです。
沖縄のために頑張ってください。
応援しています。
以下の事項に関して
(1)規約に定めた役員会を省いて調査員が選任された
(2)協議会委員の中から学校関係者が省かれた
(3)規約が採択作業の途中で変更された
これが、全くの事実誤認であれば悪質な捏造というべきものじゃないですか。沖縄タイムス、琉球新報はこれを根拠に協議会側は違法に教科書採択を行ったと大々的に狂気の喧伝を行っているのですから、県教育委員会の罪は大変重いです。県教育委員会の事実誤認をうのみにして発言した恰好のコメントがあります。
>・国民新党県連【手続きが不適正】
今回の教科書選定の問題点は、協議会長が選定手続き変更を他の了承を得ないまま決めたことだ。また採択の会合を非公開としたことも問題だ。適正手続きという民主主義の根幹を欠いていると言わざるを得ない。<
これなど、何の裏付けもなく新聞報道を鵜呑みにしたコメントですね。国民新党は県民に詫びなければなりません。ちなみにもしこの教科書問題に政治家がシャリ出てくるとすれば国民新党政務調査会長、政党そうぞうの代表である下地幹郎氏が真っ先に考えられます。
私は何度も言うように沖教組、県教育委員会、沖縄タイムス、琉球新報は四極悪人狂同体のグルだと思っていますから、県教育委員会の一連の行為は事実誤認を知りながら介入のため、あえてそれを捏造し、沖教組、メディア等と謀った計画的犯罪行為だと思っています。玉津教育長、協議会側はそれを徹底的に糾弾すべきです。
竹富町教育委員会が有償で独自での採択の許可が得られたのにも拘わらず、それを行わず飽くまで無償を要求し石垣市、与那国町の教科書採択を妨害するならば、それは犯罪行為に当たるでしょう。
それは教科書を採択する意思が全く無く、育鵬社教科書の採択を阻止するためだけの行為であると見なせるからです。それは教科書無償制度だけでなく教育理念を踏みにじるもので世の倫理、道徳に照らしてもあってはならない行為です。
もしそのような非道、犯罪行為がまかり通るようであれば、県教育委員会、竹富町教育委員会は訴えられます。国民を甘く見てはいけない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
諸悪を招く教育制度《 文部省は巨大クラゲである 》
いまの日本の教育はこのまま行くと破滅すると私は思う。これだけ豊で、これだけ教育に金をかけて、いまの若者を作っているわけだから、手のつけようがない。大失敗である。
その責任のかなりの部分は戦後一貫して急速に大学に対する管理・指導権を強化して来た文部官僚にあると私は思う。文部省はその責をたくみに教授教官に帰することはあっても、自分自身は絶対にそれを認めようとしないが、明白な事実である。
では、どうすればいいのか。教育改革を論ずるのは易しいが、なぜ一向に良くならないのか。まず頭に入れておかなければならないのは、日本の文部省、そして教育界というものの特殊性である。教育界は、普通人、つまり一般市民の思考では想像を絶する異様な世界なのだ。喩えていえば、戦前の日本の軍部、とりわけ旧陸軍に似ているといえるだろう。つまり、市民社会から隔絶した、独自の閉鎖的世界なのである。
文部省自身、他の通産省とか大蔵省といった一般官庁と異なる、独特の“くささ”をもっている。この“くささ”、異様さは、何と表現したらいいだろうか。たぶん、アメリカ人が日本社会について感じる印象―得体が知れないとか、顔が見えないとかーに近いのではないかと思う。
これはどこに由来するかというと、文部省というところは、他の官庁と違ってかつては旧師範学校卒業生をかなり多くふくむたたきあげの課長補佐ぐらいの人間が実権を握っており、キャリア組の上のほうは完全に浮いてしまっていた。今日でもそういう伝統を強くもつからだ。
「教育臨調」一つとってみても分かる。これまでの教育臨調といってはいくつかの教育審議会が組織され何度もいろいろな答申を出しているが、事務局の手でまとめられた結論は、すべて宙に浮いた無内容で抽象的きれいごとの集積と化し、膨大な報告書を出しただけで、教育界は本質的には兎の毛で突いたほどの変化も来さなかった。行革審は少なくとも国鉄を民営化した。が、「教育臨調」は、大学関係でいえば大学入試の手直し、つまり改悪を度々行って受験生を右往左往させたのが唯一的実効といってよい。すべては蛙が飛び込んだあとの古沼。腐敗した草木をためた汚水は澱んで動かなかったのだ。
旧軍部や占領軍のような独裁権力には極めて弱いが、民主的批判や反省要求には一見柔軟に対応するかに見せつつ寸分の変容、変革をも受けつけず、多少傷ついてもあとかたもなく癒ってしまうクラゲのような組織、それが文部省という巨大組織だ。その内容をもうすこし具体的な形容句でいうと、私はそれは、旧制師範学校的体質と呼べるのではないかと思う。
師範学校は明治時代に創設された学校だが、授業料免除をはじめ様々な恩典があり、高等小学校二年を卒業後五年間の教育で、小学校の教員資格を与えられることになっていた(戦争中専門学校に昇格)。
家計上、専門学校や大学へ行く余裕はない、それに政治家にはなりたくない、実業界にも向かないからという、秀才だが小心で地味、コツコツ勉強型人物を集めたものだ。その否定的側面として華やかな世界に白眼を向ける、批判的というより一種のひがんだ性格をもち、反旧制高校、反帝大、反市民的、陸軍と結びついて一番きつい教育論をやったのがここである。頑固で団結が強く系列が強い。戦後の日教組はその体質を受けついだものだ。
もう一つは、形容すれば、いわゆる教育県的体質、こういうと誤解を招きそうだが、いい点も悪い点も含めて、世界から見た日本人像にも通じる。変に理屈っぽい、岩波的、ピューリタン的、篤農的といってもいい。質素、勤勉、まじめである一方、狭量で独善的、排他的な被害者意識を持っている。模倣、改良は上手だが、飛躍的思考や独創力に欠ける。
文部省はそういう性向でもって、ねっとりとした自閉症的な世界を形成しているのだ。こいう組織、こういう世界を変革しようとして普通の市民社会の感覚で「教育臨調」などが頑張っても、歯が立たないのは当たり前である。自分たちやっていることは道徳上まともであり論理上も間違いないと信じて疑わない集団といってもよい。
教育改革はもちろん、教育論議一つにしろ、それはこんな巨大クラゲのような集団を相手にやらなければならないものなのだということを、私達はまず肝に銘じておく必要がある。
1993年 会田雄次 著 「日本の命運」より
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※今から18年前の論考ではあるが、ビルマの凄惨な地獄の戦場を奇跡的に生き延びた元京都大学名誉教授会田雄次氏の考察、叱咤は今なお褪せることなく、万人の胸を打つ。
自分たちが気に入らない結果が出れば、勝つまでやりつづける。
何の効力も無い話し合いを、ここまで大きく取り上げ狂喜するなんて・・・
沖縄の民主主義は、この瞬間消えない汚点を残したと思います。
60%の県民が反対していると煽りもありましたが、そのうちどれだけの方々が、この教科書を実際手に取り読んだのでしょう。
おそらくほとんどいないと思います。
コメントした政党関係者のコメントも、この問題の重要性を考えていないのかがよく判ります。
なんとも情けない。
子供のことより、60%と書かれた虚偽の民意、つまり票を心配しているのでしょう。
マスコミ報道だけを鵜呑みにし、それに便乗するように自らの欲望を成就させようとする教育庁、沖教組、そして慶田盛氏に、子供の為にと語る資格はありません。
この混乱を県のトップである仲井真知事はどう考えていたのでしょうか?
全く顔も見えませんでしたが、中国や韓国から観光客を呼び込むことだけに汲々としておられだったのでしょうか。
県教育庁の暴走を止めることをしなかった知事の責任は重いと考えます。
子供無視のイデオロギーが、この沖縄を暗雲のように覆いつくそうとしています。
これはまるでフアッショではないですか?