辺野古移設をめぐる国と県の対決は、現在多見谷裁判長の和解案をを受け、両者は和解協議中である。
国地方係争処理委員会に県が申し立てた不服申し立ての結論が出る6月中旬までは、新聞報道は開店休業である。
係争処理委の結論が出たら、県による高裁への提訴と、筋書き通り和解案は進んでいく。
そこで、復習の意味で時々は和解案のあらましを整理する必要がある。
和解案を国と県が受諾して以来、新聞報道はあたかも国が敗訴を恐れて、和解に逃げ込んだかのよう論調である。
辺野古で抗議中のジジ・ババ活動家などは、両者が和解案を受諾した一報を聞いた瞬間、「これで県の勝利が決まった」と叫び涙ぐむ人もいたという。
下記に紹介する琉球新報・社説も辺野古の活動家と同じ「和解は国の敗訴」という趣旨で書かれているが、新報の妄想といってよい。
ただ、社説は一つだけ国側の「弱み」を指摘している。
その「弱み」が裁判長の「和解勧告」に繋がったと思われるので、本日はその「弱み」について論じてみよう。
<社説>代執行訴訟和解 新基地 根本から問え 「辺野古が唯一」は本当か
辺野古新基地の埋め立てをめぐる代執行訴訟で、安倍晋三首相は工事中断を含む暫定的和解案を受け入れた。もともと前向きだった県も応じ、和解が成立した。
一見、国が柔軟な姿勢に転じたかに見える。だがそれは見せ掛けにすぎない。真実は、敗訴間近に追い詰められた国が、やむなく代執行訴訟から退却したのである。
県と国の対立は仕切り直しとなった。だが新基地建設という国の頑迷な姿勢はいささかも揺らいでいない。沖縄の民意を踏みにじり、あくまで新基地を押し付ける姿勢が民主主義、自治の観点から正しいのか。「辺野古唯一」は本当か。根本から問い直すべきだ。
沖縄側の勝利
「暫定案」は国が工事を停止して代執行訴訟を取り下げた上で、代執行より強制力の低い手続きを踏んで再度、県に是正を求めるという内容だ。
福岡高裁那覇支部の多見谷寿郎裁判長がこの和解案を示した時点で、結論は必然だったとも言える。国と県の対立に決着を図る上で最も強権的な手法が代執行だ。他の手段を経ず、いきなり最終手段たる代執行を求めた国に対し、裁判長は代執行以外の手段を勧めたわけである。「このまま行けば国敗訴だ」と警告したのに近い。
一方で裁判長は、県側が申請していた環境や軍事専門家の証人申請を却下していた。前知事の埋め立て承認に瑕疵があったことを立証するのに不可欠な証人たちだ。却下は、翁長雄志知事の承認取り消しの適法性に対する関心の低さの表れとも見える。不適法との心証を抱いていたのかもしれない。
さらに裁判長は、違法確認訴訟で県が敗訴すれば県は確定判決に従うかと問い、県は「従う」と答え
た。このやりとりを国側にあえて見せたのではないか。代執行訴訟では国が敗訴しそうだが、仕切り直して是正の指示の取り消し訴訟になれば、いずれは国有利での解決もあり得る、とのメッセージを送ったようにも見える。
だから国は代執行訴訟取り下げという「退却」を選択したのだろう。
今後、県と国は再び協議の席に着く。溝が埋まらなければ、「是正の指示」、係争処理委員会、是正の指示の取り消し訴訟などの、より強権度の低い手続きへと進むことになる。その間、工事は止まる。いずれにせよ、あれだけ強硬だった政府の工事を暫定的ながら止めたのだから、沖縄側の勝利であり、成果には違いない。
真の仕切り直し
安倍首相は早速、「辺野古移設が唯一の選択肢という考え方に変わりはない」と述べた。この頑迷ぶりが今日の混迷を招いたという自覚はうかがえない。ましてや民主主義や地方自治の無視を恥じる姿勢は見当たらなかった。
首相の姿勢が正当化されるなら、どんな危険を強制されても、環境を破壊されても、選挙でどんな意思表示をしても、国がひとたび決めてしまえば地方は奴隷のごとく従うしかないことになる。これで民主国家だと言えるのか。それこそが本質的な問題なのだ。
是正の指示の取り消し訴訟は国有利だとささやかれる。沖縄側敗訴もあり得るだろう。だが仮に敗訴しても、次は埋め立て承認の「撤回」をすればよい。設計変更は必ずあるからそのたびに知事が承認を下さなければ、工事はできない。いずれにせよ沖縄側が折れない限り、新基地完成は不可能である。
今回、工事は1年以上、止まるだろう。米側もさすがに、日本政府の「移設に問題はない」との説明に疑念を募らせているはずだ。
真の意味での仕切り直しの好機である。海兵隊は、普天間代替基地は必要か。百歩譲って必要としても、「辺野古が唯一」とする軍事的理由はない。復帰前は海兵隊の航空団と歩兵砲兵は岩国と沖縄に分かれていた。両者が近距離にないといけないというのは虚構なのだ。「沖縄の海兵隊」という思考停止の見直しが必要だ。そこからしか真の解決は見つかるまい。
☆
>国と県の対立に決着を図る上で最も強権的な手法が代執行だ。他の手段を経ず、いきなり最終手段たる代執行を求めた国に対し、裁判長は代執行以外の手段を勧めたわけである。「このまま行けば国敗訴だ」と警告したのに近い。
国と県は昨年8月、集中的協議を行ったが、翁長知事の「あらゆる手段で辺野古阻止」という言葉に代表されるように、県は一欠けらの妥協の余地も示さなかった。
協議を繰り返しても結論が出ない場合、法廷に持ち込んで司法の判断を仰ぐのが常道だが、国は結論を急ぐがあまり、代執行訴訟を起す前に踏むべき手続きを一つ省略した。
地方自治法245条には、今回のような国と県との争いの場合の規定があるが、結論が出ない場合、245条の第7項を経て、それでも結論が出ない場合、第8項の「代執行訴訟」というより強権的手段に訴える、と記載されている。
第7項によれば場合によっては県側が裁判沙汰になる前に自主的に妥協或いは国との同意の可能性を示唆している。
ところが国は、これまでの経緯から県が妥協する可能性はゼロだと判断し、第7項の手続きを省略していきなり第8項の代執行訴訟に突入したことになる。
県側はこの点を繰り返して代執行訴訟のことを「最も強権的な手法」と批判していた。
裁判長が恐れたのは、結果的に国が勝訴するにしても、県が国の強権的手法を追及し、自棄になって、本筋から外れた枝葉末節の訴訟を連発して抵抗したら裁判が長期化することだ。
つまり翁長知事が「あら揺る手段で阻止」を掲げ裁判闘争をつづけるとより、和解案で「判決に従がう」などの言質をとったうえで、代執行訴訟を取り下げて、原点からやり直したほうが結果的に早い解決になると判断したのだ。
>一方で裁判長は、県側が申請していた環境や軍事専門家の証人申請を却下していた。前知事の埋め立て承認に瑕疵があったことを立証するのに不可欠な証人たちだ。却下は、翁長雄志知事の承認取り消しの適法性に対する関心の低さの表れとも見える。不適法との心証を抱いていたのかもしれない。
妄想も好い加減にしてほしい。
裁判長が、証人を却下した理由はサンゴ破壊、環境問題など本筋から外れた議論など最初から論じる気がないから却下したのである。
それに「風船テロ」を主唱した元新聞記者が安全保障の専門の証人とは、片腹痛いどころか、法廷侮辱罪に問われるのではないか。
「不適法との心証を抱いていたのかもしれない」とは新報の希望的観測に過ぎない。(爆)
結局、裁判長が和解提案した理由は、翁長知事が妥協しないことを承知していても、地方自治法245条に則って、手順通り第7項に従がって、第7項が不首尾の場合、第8項の代執行で提訴すべきということ。
そして急がば回れで、一旦振り出しに戻ったのが現在協議中の和解案である。
強気一点張りと思われた社説も最後にこんな本音を洩らしているのは、ご愛嬌である。
>是正の指示の取り消し訴訟は国有利だとささやかれる。沖縄側敗訴もあり得るだろう。だが仮に敗訴しても、次は埋め立て承認の「撤回」をすればよい。設計変更は必ずあるからそのたびに知事が承認を下さなければ、工事はできない。いずれにせよ沖縄側が折れない限り、新基地完成は不可能である
沖縄県祖国復帰44周年大会について
「世界に輝く日本と沖縄の未来」
《目的》
沖縄県の戦後の道のりを偲び、誇りある祖国復帰をお祝いする。
幅広い世代が集まり、沖縄県の更なる発展への決意を新たにする。
国内外に広く祖国復帰の意義を広め、「屈辱」とされてきた祖国復帰観を是正する。
と き:平成28年5月15日(日)
ところ:JAおきなわ総合結婚式場ジュビランス 4階ホール
〒901-2203 沖縄県宜野湾市野嵩736番地
Tel:892-0005
入場料:500円
14;00開演(13:00開場)
・オープニング かぎやで風(兼次エリカさん)
・国会議員・首長のご挨拶など
・各界からの提言
休憩 約10分
《第二部》記念講演(60分)
〇講 師:池間哲郎先生
(一般社団法人アジア支援機構代表理事・JAN (日本アジアネットワーク)代表)
テーマ:「アジアに愛される日本の心」
~私たち日本人が知るべきこと~
16:15分ごろ 閉会予定
主 催:沖縄県祖国復帰記念大会実行委員会
那覇市若狭1-25-1
TEL FAX 098-867-4018
担当 090-6711-5411(上野)
☆
《奉祝パレード》11:00出発(10:30集合)
普天間宮~ジュビランス前
沖縄県祖国復帰44周年記念式典(60分)
もし、「取り消しが違法」、あるいは「取り消しの取り消しが有効」、すなわち国勝訴の場合、県は工事に協力的になるということ。
辺野古の反対派のツイッターを見ていると、「和解したのに、まだ国は県に歯向かう」と、「和解=仲直り=県の言い分を国が受け入れる」と勘違いしている者たちがいる。
裁判での「和解」とは、「提示された条件を互いに受け入れる」のであって、「仲直り」でも「県の言い分が通る」でもなんでもない。
「和解」を一般の生活の用語と同じに捉えているそういう無知の人々を扇動して、反対運動を持続、激化しようとするタイムス、新報は、大変罪が重い。
正しい情報を提供していないからだ。
元はと言えば、仲井真前知事が「既に国にハンドルが移っている」と言うのに、それを強弁と片付け、まだまだ県に方策があるように記事を書き続けたことだ。
ポッポが沖縄県民に県外移設が可能のように夢見させたのと同じ大罪を、犯している。
終わっていることを終わっていないように言い続ける。
それは、終わりが無いことになる。
タイムス、新報は飯の種だから「終わりが無い」ことは歓迎だろうが、タイムス、新報の飯の種の為に県民を「怒らなくて良いことに怒り、恨まないで良いことを恨む」地獄に落とす。
沖縄に永遠に幸せが来ないようにする。
怒りと恨みのエネルギーを「幸せ構築」に使えば、どんなに沖縄が豊かになることか。
韓国を見ていれば、わかるだろう。
反日の怒りと恨みのエネルギーのせいで経済は疲弊し、観光客は寄り付かない。
オピニオン面に一般投稿6本(児童生徒限定の「ぼくも私も」除く)。
「政治家の器を 見極め投票へ」の名護市・富原守和さん(68)は、1月10日、2月7日に続き今年3回目の掲載。
「脳裏に浮かぶ リオの思い出」の糸満市・大城正雄さん(72)は、1月21日に続き今年2回目の掲載。
「大正琴演奏で 心身若々しく」の読谷村・長浜ヨシさん(88)は、2月9日に続き今年2回目の掲載。
「音楽きっかけ 外国語に挑戦」のうるま市・川崎正雄さん(73)は、昨年12月13日以来の掲載。
「役員変更登記の確認を」の南城市・座波和弘さん(33)は、今年初掲載。
「美ら島に息づく亀次郎」の那覇市・瀬長瞳さん(78)は、今年初掲載。
カギカッコは投稿欄における見出し。
「オイ翁長、在沖米軍を即時全面撤退してやるぞ
!」
翁長氏と取り巻きの沖縄政治家;
「それは困る!!。
我々の活動は基地がなくならないことが前提だ。明
日から飯を食えなくなる。それに沖縄をどうやって防 衛するんだ。」
以上は妄想ではないかも知れない。
常識と道徳が完全に欠落した、マルクス・レーニン・コミンテルン教カルト、憎日=憎日本国家、変脳左翼、に支配された日本の談合マスコミと言い換えた方が適切かもしれません。
これ関して、私が愛読する、こちらのブログに書き込みさせていただきます。
昨日(平成28.5.6.)私のところに一通の葉書が届きました。差出人は、「『南京裁判』、展転社を支援する会」、となっており、以下の報告についてでした。
謹啓、初夏の候悠愈ご清祥のこととお慶び申し上げます。
さてマスコミでは、【唯一産経新聞のみ取り上げましたが】、いわゆる、「南京取り立て訴訟」、展転社、(一審、二審とも勝訴)、の最高裁判決が、さる四月二十日、上告棄却で決定を見ました。これにより展転社の完全勝利が確定致しました。
全くの言いがかりというべき不当な訴訟は、これにより収束を迎えました。
これもひとえに皆様の暖かいご支援ご厚情があったお蔭です。最高裁まで行き判例が確定したわけで、これによって今後起こりうるであろう、シナによる、゛取り立てビジネス゛、の防波堤になれたものと細やかながら自負するものです。
いずれにしましても先ずは略儀ながら、皆様に勝利のご報告並びに御礼を申し上げます。・・・
ここで簡単に「南京取り立て訴訟」、について説明いたします。
弱小出版社突く中国 南京取り立て裁判の怪(産経新聞 10月23日)
11月9日に東京地裁で奇妙な裁判が始まる。ある老中国人女性が日本の出版社と日本人著者を訴えているのである。この女性は1937年のいわゆる南京事件の被害者だとして、これまで、さまざまな証言をしているが、その内容に矛盾があるとして、日本人研究者が疑問を呈した著書を日本で刊行した。ところが中国人女性は、言論で反論したり、事実関係で争うことをせず、「精神的苦痛を受けた」として著者と展転社という日本の出版社をなんと南京の人民法院に訴えたのである。南京の法院は日本人著者に召喚状を送ってきたが、召喚に応じる義務はなく、出廷しなかった。南京の法院が訴えを認めないはずはなく、即日、両者に日本円で500万円を超える賠償を命じる判決が下った。日本と中国は裁判の「相互保証」の取り決めがないため、判決を日本で執行することはできない。ところが、この中国人女性は、こともあろうに東京地裁に強制執行を求める訴訟を起こしたのである。いってみれば南京で下った損害賠償金を、取り立てられるように日本の裁判所に訴えてきたのである。その裁判が始まるのだ。
南京事件の被害者と名乗る他の女性も、同じ展転社の書物や著者を訴えているが、それは東京でのことだ。もし、今回の裁判で中国人女性の訴えが認められると、南京の法院で一方的に下された判決が、日本でも有効とされ執行されるという、とんでもないことになってしまう。
こういっては何だが、展転社は社員数人の弱小出版社である。しかし、これまで南京事件を疑問視する多くの出版物を刊行してきた。歴史の真実を伝えることを使命としているからだろう。弱小だから資金はない。中国側がそこを突いてきているのは明らかだ。その証拠に他の出版社に対しては訴訟を起こしていない。弱いところから攻めようというのだろう。もし、とんでも判決が出れば、言論の自由は消し飛び、出版社の命運は尽きる。中国で一方的に下された判決が日本で執行されるなどということが許されていいはずがない。
1998年、松村俊夫氏が、『南京虐殺への大疑問』、という著作を展転社から出版したところ、この本を読んだ中国人女性・夏淑琴が精神的苦痛を受けたという理由で、松村氏・展転社を被告として南京人民法院に提訴した。
2008年、被告松村氏・展転社の両者とも出廷できないまま南京人民法院で判決が下され、各510万円の賠償を命じられた。
2012年、夏淑琴は日本人弁護士を代理人として東京地裁に「中国での判決を日本で執行せよ」という裁判を起こし第一回口頭弁論が行われた。
2013年、松村俊夫氏が病により他界された。
2015年1月第九回最終弁論が行われ、3月20日(金)午後、東京地裁にて「原告の訴えを棄却する」という判決が下り、夏淑琴の敗訴、展転社の勝利となった。
この訴訟で東京地裁が原告夏淑琴の申し立てを認めるような判決を下したら、今後わが国の言論の自由は封鎖されてしまいます。中国批判の論文、著作等をやり玉に上げ中国国内で裁判を起こされれば、日本は必ず敗訴しその結果賠償金を求められます。
今回の裁判の勝利はわが国の法体系の維持という面からも非常に重要な方向を示すものと思われます。
夏淑琴(か・しゅくきん、シア・シュウチン、1929年5月5日 - )は、南京事件の一事件とされる新路口事件の生存者を名乗る中華人民共和国の女性。
この事件では2家族13人が住んでいた家屋内で、0歳の幼児を含む11人が殺害され、その内、女性3人は強姦された後、殺害されたとされる。
新しい歴史教科書をつくる会ーーー2013年8月9日
皆様は「展転社裁判」をご存知でしょうか
・・・・
では何故この強制執行を求めたかというと、中央大学法科大学院の奥田安弘という教授による意見書が訴状に添えられ、夏淑琴の代理人である日本の弁護士・渡辺春己がこれを推し進めてきたからです。
もしこの主張が日本の裁判所で認められてしまえば、松村氏や展転社が多大な被害を被るだけではなく、今後中国の批判を日本で行った場合、同様に裁判を起こされ続ける可能性もあります。
これだけの大事件を報道したのが、『産経』、だけということが暗黒社会・日本のマスコミの醜悪さ、を如実に表しています。
「『カエルの楽園』、は「悪魔の書ではない」、ーーー百田尚樹、より。
「なぜ、「カエル」、なのか?
今年で作家生活十年目を迎えました。書いていてこれほどの手ごたえを感じたのは、『永遠の0』、『海賊とよばれた男』、以来です。『カエルの楽園』(新潮社)、は私自身の最高傑作で、私はこの作品を書くために作家になったという気がしています。
発売から約一か月しています。、ツィッターで、「カエルの楽園」、を検索すると大変な数の書き込みがヒットします。私はこれまで二十冊以上の本を出してきましたが、ここまで反響が大きかったのは今回が初めてです。あまりの反響に出版社も驚いていました。
amazonのレビューもすでに二百件を優に超え、(四月四日現在)、その約八割が最高評価の五つ星です。(ただ一割強は、「アンチ」、がいて、「ネトウヨの読み物」、というレッテル貼りがされています)。とにかく驚くのは、これまでにない速度でレビューが毎日のように更新され続けていることです。
読んだ人の多くが誰かにこの本の話をせずにはいられなくなるようで、「みんなに読ませたい!」、いった声はもちろん、段階の世代の両親によませたい」、「朝日新聞を購読している両親に読ませたい」、とか、「中学生の息子や高校生の娘に読ませたい」、といった声が非常に多いのが特徴です。なかには、「小学生の息子に読ませました」、いったお母さんの書き込みも見られました。
友人や知人に配るために複数購入したという方いらっしゃいました。・・・・
・・・・・
「サイン会に爆破予告」
嬉しいことに、『カエルの楽園』、はamazonの総合ランキングで一位になったり、多くの書店で売り上げ一位を記憶したり、取次のトーハン調べでも二週連続で一位になったりと、好評をいただいています。ただ、これだけ評判が良い一方で、新聞や雑誌にには書評や紹介が一切出ません。
これまでは新刊書を出すと出版社や雑誌社などから必ずと言っていいほどインタビューの依頼がきたのですが、今回は発売から一か月過ぎても一社もきません。『HANADA』、編集部が初めてです。(笑)
もちろん書評もまったく載りません。もしかしたら、マスコミにとっては紹介したくない本なのかもしれません。
たただこれは、本当に許し難いことなのですが、三月に兵庫県の西宮ガーデンズのなかにあるブックファーストでサイン会をした際、『カエルの楽園』、のサイン会を行うなら会場を爆破する」、という脅迫電話がかかってきたのです。兵庫県警の警察官が五十人ほど来て、店舗からお客さんを全員退避させて不審物がないか捜索、その間、お店は営業停止に追い込まれました。
兵庫県警は、「危ないのでサイン会は中止してほしい」、と要請したのですが、ブックファーストの店長さんが、「こんな卑劣な犯人に屈するわけにはいきません!」と仰って下さり、また西宮ガーデンズもバックアップしてくださって、別の会場を用意してくれました。
そしてサイン会の部屋の入り口には十人を超える警察官が警備に当たり、お客さんのボディチェックと持ち物検査が行われました。
さらに会場内には私服警官も待機するなど厳重警戒のもとでサイン会は行われ、約百人の読者の方々に無事サインをすることができました。
問題はそのあとです。このことを、【産経新聞の囲みの記事と毎日新聞の小さな記事以外は、朝日も読売も日経も一切報道しないのです。】
1997年に作家の柳美里さんのサイン会が爆破予告で中止に追い込まれる事件が起きましたが、あの時の新聞各紙はこの一件を大々的に報じました。朝日などは記事以外にも読者からのこえまで次々と掲載し、「言論へのテロに対して屈するな」、と大キャンペーンを張りました。ところが私の場合には一行たりとも書かれない。この差は一体、何なのでしょうか。
実は当日私がツィッターで、「これからサイン会やるんやけど爆破予告があってえらい騒ぎになっていま!」と書き込んだのを見たのか、サイン会の途中でNHKの記者が取材に来たのです。当然、その日のニュースで放送があるのかと思っていたのですが、ローカル放送にも全く報じられませんでした。
NHKだけでなく、その他のテレビ局もこの件は一切報道しません。もし仮にこれが、「シールズ」、の人たちが書いた本で、サイン会や出版イベントに爆破予告があったらメティアの反応はどうなっていたでしよぅか。おそらく朝日をはじめ新聞各紙、NHKをはじめテレ朝、TBSなどの各局は、連日連夜にわたって大事件として大きく報道し、「言論弾圧を赦すな!」、と大キャンペーンを展開していたことでしょう。
そう考えると、朝日にしてもテレ朝にしてもよほど私のことが嫌いなのか、それとも、『カエルの楽園』、が嫌いなのかーーおそらくその両方でしょう。いくら何でも、「報道しない自由」、を行使しすぎではないでしょうか。
・・・・
肝腎な情報を国民に伝えない、日本のマスコミについて書けばキリがありませんが、
上記二つの例と、我那覇真子さんが昨年9月22日、国連で行った、非常に重要なスピーチを取り上げようとしない日本の左翼・変脳、マスコミを見ると、これらが如何に支那・中共にとり、不利益で都合の悪いものかがよくわかります。
日本のマスコミの、「報道しない自由」、の酷さについては今後も書き込むつもりです。
私が特に重要と考えだ部分を【】に入れました。