狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

目くらまし作戦② 「テルかコマンドか」 「沖縄・集団自決訴訟」

2007-04-12 08:49:53 | ★集団自決

「岩波訴訟」は大阪地裁にて現在進行中です。

裁判の進行についてはあくまでも素人意見だとしても、あまりにも粗雑な証拠証拠を見ると自ずと裁判の結果が知れてくる。

係争中の渡嘉敷島、座間味島(慶良間諸島)と紛らわしい別の慶留間島での証言を持ち出したり、

その聞き取り調査の第一次資料は提出せず、それを意識的に誤訳した新聞記事を証拠とするようではもはやこの裁判、勝負あったと見てしまう。 

                  *    

 ■恣意的誤訳作戦■

≪慶留間島の住民への尋問で「住民らは日本兵が米軍が上陸してきた時は自決せよと命じたと繰り返し語っている」と記述されている。≫

沖縄タイムス記事のこの「命じた」という訳語が裁判では問題になった。

法廷がまるで英文和訳の授業のような有様だったようだ。

以下タイムス記事を証拠とする被告側に対する原告側の反論。
(「沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会」より「原告準備書面」http://blog.zaq.ne.jp/osjes/

裁判長の英語力に疑念を持ったのか、反論文は繰り返し丁寧に単語の語源にさかのぼって説明している。

少し長くなるが熟読した方は英文和訳の力がつくこと請合える。

少なくともcommand 、order、direct、instruct そしてrequire、ask、tell 人 to ~、の使い方の達人になる事だけは間違いない。

 

 4 ③「命令」について
 英文和訳の不正確性について
 さて、上記問題点をひとまず置くと、大切なことは、乙35の1、乙35の2の沖縄タイムスの記事に断片的に掲載されている英文のみから、どのようなことが読み取ることが出来るかである。英文を仔細に検討すると、それが「軍命令」を立証するという被告らの主張は、いよいよ怪しくなるばかりである。むしろ、この英文を正確に読めば、慶良間島においても「軍命令」がなかったことを示す証拠と言うべきものとなる。
乙35の1、乙35の2に掲載されている翻訳文は、林教授の訳であるが、極めて恣意的な翻訳となっており、軍命令が存在するとの自己の見解を投影し、英文本来の意味をねじ曲げたものとなっている。
   対象の英文原文は、次のようなものである。
 
「Japanese PW’s  consisted of approximately 100 civilians, Two inclosures were established, one for males and one for women and children. Civilians, when interrogated, repeated that Japanese soldiers , on 21 March, had told the civilian population of Germa to hide in the hills and commit suicide when the Americans landed. Interrogation also revealed that Japs had been in much greater strength on the island but had been evacuated to Okinawa in early March.」

この英文につき、林教授は、第1文、第2文のみを取り出し、次のように訳している。

「約百人の民間人をとらえている。二つの収容施設を設置し、一つは男性用、もう一つは女性と子ども用である。尋問された民間人たちは、三月二十一日に、日本兵が、慶留間の島民に対して、山中に隠れ、米軍が上陸してきたときには自決せよと命じたと繰り返し語っている」(乙35の2)

そして、林教授は、この自らの翻訳文を基に、「軍命令」の存在を主張しているのである。しかし、林教授による翻訳文は、英文和訳としても大いに不正確なものであった。

 「tell 人 to ~」 の訳の誤りについて
まず、文法と語彙の問題である。最も肝心な「命じた」と訳している部分である。
「tell 人 to ~」は、「say to 人」若しくは「Do ~」
と言い換えるのが普通であり、乙35の1の見出しのように「軍命」と訳すには、全く不適切な言葉である。
「tell」の訳について、今日最も一般に使用されていると考えられるジーニアス英和辞典をみると、「tell」の「基本義」は、
「情報を言葉で相手に伝える」
であり(甲C8・1957頁)、そこから、「話す;伝える」「知る」という大きな意味が派生し、更に「話す」から「口外する」「言いつける」「・・・しなさいと言う」という意味が派生することになるのである(甲C8・1957頁)。命令の意味合いは、その延長上に派生するものであり、地位の上下を要しない「ask」(頼む) や「require」(要求する) より、強い意味合いがあるとされていることに留意すべきである。
    他方、「命令する」という単語を、これも今日一般に使用されていると考えられるジーニアス和英辞典でみると、
       「order」、「command」、「direct」、「instruct」
   という単語が示されているが(甲C9・1774頁)、「tell」は記載されていない。上位の者が下位の者に言いつけることをいう「命令する」という日本語からは、「tell 人 to ~」は示唆されないのである。
甲C9・1774頁の「direct」の記載において、
      「order、commandより弱く、instructより強い」(甲C8・550頁「direct」にも「command 、orderほど強い命令ではないが、instructより強い」と同様の説明がされている。)
   と命令の強弱についても説明がされている。これも言葉の「原義」「基本義」をもってすれば、自ずと分かることである。
    「order」の「基本義」は、「順序正しさから生まれた規律」であり、ここから、「規律・秩序」が派生し、更に「命令」(決まりに従うような指示を出すこと)という意味が派生する(甲C8・1375頁)。
    「command」の「原義」は、「まったく(com)任せる(mand)→指揮権をゆだねる」である。ここから、「〈権力者が〉〈事を〉命ずる」「〈人に〉・・・するよう命令する(order)」という意味になるのである(甲C8・392頁)。「order」と「command」との関係は、「order」がより一般的な用語であり、「原義」「基本義」からすれば、どちらかというと「command」の方が強い意味を有することになろう(甲C10)。
「direct」の「基本義」は、「ある場所・方向へ直接導く」であり、ここから、「向ける」→「道を教える」、「指導する・監督する」、「指図する」という意味が派生するが(甲C8・550頁)、上記和英辞典で「命令する」という意味を有するとされながらも、英和辞典では、項目としては、「命令する」という意味は挙がっておらず、「指図する」という訳の項目の中の例文で「The policeman directed that the crowd proceeded slowly」を「警官は群衆にゆっくり進むように命令した」と訳しているものがあるだけである(つまり、この「命令」は「指図する」と言い換えることが出来ることを辞書自体が示しているのである。)(甲C8・550頁)。
    念のため「instruct」の「原義」は、「上に(in)積む(struct)→積み上げる→築く→教える」と派生し、意味の項目としては、「指示する」「(細かく)指図する」の項目の中にこれらを強調する黒文字にして、強調されない白文字で「命令する」が入っているのである(つまり、この「命令する」は、「指示する」「指図する」と言い換えることができるものである。)(甲C8・1028頁)。
    以上からすると、上記和英辞典で「命令する」の意味を有する語を強弱で並べると、
          command >order>direct>instruct

ということになる。「tell」の「基本義」は、上記に述べたように、
   
        「情報を言葉で相手に伝える」

であるが、これは、上記「direct」の「基本義」である「ある場所・方向へ直接導く」より、更に働き掛ける力は弱い。「原義」からすれば、「instruct」の「教える」に近い。和英辞典において「命令する」という意味で、「tell」「require」「ask」を掲載していない意味は、このことをもってしても分かるはずである。「命令する」を英訳する場合に、多義的でしかも、本来の「基本義」からすれば、「direct」より弱い意味しか有していない「tell」を使用するのは不適切ということになるのである。
    つまり、「tell」(「tell 人 to ~」)は、「命令」の広い意味を持ち一般的な語でもある「order」や、上下関係に立ち、権力(権限)のあるものが公式(正式)に命令を下し、服従を予定することが前提となる言葉である「command」(本来の軍命令といえば、これである。)や「order」よりは「命令」の意味は弱く、監督や指示を与える(しかし服従を予期している)語である「direct」という直接「命令」という意味が導かれる語よりは極めて弱く、上下関係にない者同士の強い要求や依頼(「require」「ask」)のニュアンスを有するのである(この点について纏めた辞書としては、甲C10の説明が詳しい)。本件の英文は、軍人によるものであり、この用語の使い分けについても当然理解した上で「tell」を用いているものと考えられる。軍隊の文書というものは、その性質上極めて用語の使い分けには厳しいものだからである。軍人が、民間人に対する「軍命令」(command)は存在しないことが前提で(民間人は、軍の部下ではない。)、より弱い意味で多義的な「tell」を敢えて使用している――「order」でも「direct」でも「instruct」でもなく―― 英文について、「命令」と前後の意味も考えずに訳すのは明らかに間違いというべきものである。
即ち、敢えて「tell 人 to ~」の用法を使用している原文は、軍による自決命令の存在を否定することを示すものというべきなのである。

本件における「tell 人 to ~」は、せいぜい「direct」より更に弱い意味を持つ「instruct」(教える、指図する、指示する)のニュアンスを持つ「しなさいと言った」と訳すのが、その文脈からも英文本来のニュアンスからも正しい翻訳であり、「tell 人 to ~」を、その前後の意味、語自体のニュアンスの違いも考えずに「命令」と訳し、そこから「軍命令」の存在を読み込むことは明らかに誤りである。

Japanese soldiers」なる主語について
林教授も、この英文の主語が、複数形であることを認めている(乙35の2)。
そのことは、翻訳文で命令とされたものが、特定の命令者による「命令」ではく、複数の「soldiers」によるものであることを示唆している。つまり、ここから直ちに軍による「命令」を読み取ることは出来ない。
soldiers」という言葉は、それを軍人が使用したとなれば、特別な意味を持つ。「soldier」は、兵士一般を指す一般的な用語であり、士官(将校ともいう)「下士官」も含むものである。この言葉自体が誰と特定して言っている語ではないのである。本件「原告梅澤少佐」なり「赤松大尉」のような特定の将校が「命令」を出したというのであれば、例えば、将校である高級士官の意味を含む「officer」を用いているはずであるが、これらの言葉は使用されていない。翻って考えれば、この英文は、部隊の功績を示す「作戦報告書」である。仮に非道な命令を日本軍の「officer」がしていると確認出来れば、積極的に「officer」と記載しているはずであるが、そう記載されてはいないのである。
この「Japanese soldiers」という主語は、特定もされない一般的な「日本の兵隊達」と訳すのが普通であり、組織的な命令の存在が想定されていたとは到底思えないのである。

山中に隠れ、米軍が上陸してきたときには自決せよと命じた」について
林教授による上記翻訳文は、原文自体から考えれば無理があり、そこに軍命令を読み込みたいが余りの恣意的な訳であると言わざるをえない。
まず、「when the Americans landed」は、「to hide in the hills and commit suicide」の「to hide in the hills 」(山に隠れろ)まで係るものと解するのが自然である( 「commit suicide」の前に「to」がないのは、これを一連の状況として理解すべきものであることを示唆している)。ところが、林教授の訳文は、「commit suicide」に「to」が省略されていることを敢えて看過し、「to hide in the hill」と「commit suicide」を分断している。「when ~」が両方に係るとして翻訳すれば、「アメリカ軍が上陸したときは」、「山に隠れ、そして自決しなさい」「と言った(tell)」ということになる。「山に隠れろと命令した」と訳するのは明らかにおかしい。この英文は、「to hide」と「(to)commit suicide」とが共通して「tell 人 to ~」の構文を採っており、「tell 人 to ~」も両者の動詞として共通する意味を持たさなければならないのであるが、林教授は、「tell 人 to ~」に「命令」の意味を持たせたいためだけに、敢えてこの訳文では、「to hide」(隠れろ)を分断させているのである。
に、軍による「自決命令」が出ているのであれば、住民に「隠れなさい」と言うことはおかしい。兵士達が、住民に対し、強制的な自決「命令」の遂行を妨げるかのように「山に隠れなさい」と言っていること自体、「軍命令」を否定する証拠というべきである。何故「隠れなさい」と言ったかは、後述するが、占領軍の地元住民に対する非道が、国際法の存在に拘らずよく見られることから、まず自分の命・名誉を守るためにこの対処をアドバイスしたのである。
つまり、訳文としては、「Japanese soldiers」(日本の兵隊達は)は、「アメリカ軍が上陸したときは、山に隠れなさい、(そしていざとなったら)自決しなさいと言っていた。」と訳すのがニュアンス的にも正当である。

(略)

結論
以上から明らかなように、乙35の1、乙35の2の沖縄タイムスの記事は、本件における「軍命令」の存在を立証するものでは到底ない。むしろ、その英文は「軍命令」を否定するものとさえ読めるものである。林教授の和訳については、本件で対象となっていない「慶留間島」(それは「座間味島」でも「渡嘉敷島」でもない。しかも、そこでは、集団自決は報告されていない。)における日本兵達による占領軍の非道という前提事実を踏まえてされた島民に対するアドバイスについて、構文的にも恣意的に解釈されたもので、本件においては何ら意味がないものである。
渡嘉敷島と座間味島で発生した集団自決における「軍命令」の有無が問題となっている本件において、これを証明するものとして、そもそも集団自決が発生してもいない慶良間島において兵隊達が島民に語った言葉(それを命令と翻訳するには大いに疑問がある)を記載した英文を「軍命令」の証拠として提出していること自体、被告らが主張している「軍命令」の根拠が極めて乏しいこと露呈するものであると言わざるを得ない。
  
5 座間味村「座間味島」の記載について
既に述べたことであるが、本件の対象となる座間味村「座間味島」に関する部分については、乙35の1、乙35の2の沖縄タイムスの記事には、そもそもの英文自体が記載されておらず、林教授の意見を交えた和訳と、事実と意見自体を区別しない論説によっているのであり、そもそも真偽を論じるに適切ではない。
しかし、この沖縄タイムスの記事をよく読むと、林教授自身、座間味村「座間味島」について、「軍命令」はなかったことを自認する意見を記載している。つまり、林教授は、座間味の報告書について、
「明らかに民間人たちは捕らわれないために自決するように指導されていた」
  という訳文を記載し、それを基に、
「『集団自決』がおきた直後の時点において、慶留間島では複数の日本兵から米軍上陸時には自決せよと命じられていること、座間味でも島民たちが自決するように指導されていたことが、保護された島民たちの証言で示されている。」(乙35の2)
との意見を述べている。
    林教授によれば、「慶留間島」は「命令」で、「座間味」は「指導」であったということになる。恐らく「座間味」の原文は、「tell 人 to ~」よりもニュアンスが更に弱い特定の言葉を使っているのであろう。
    そして、林教授は更にいう。
    「日本軍を中心とする戦時体制が島民の生命を犠牲にしたことがよくわかる。部隊長の特定の命令があったかなかったという命題だけに『集団自決』の議論を限定し、日本軍の名誉回復をはかろうとする企てが、いかに視野の狭い、木を見て森を見ない愚論であるか、米軍資料を読みながら改めて感じた。」(乙35の2)
被告らは、既に、この資料においても論点を恣意的に移そうとしている。 被告らは、「沖縄ノート」が引用した沖縄戦史、「太平洋戦争」が記載する「部隊長の特定の命令」(軍命令)を出したとする非道な元隊長の行為について、非難し続けて来たはずである。
被告らは、当時の戦時体制について非難する前に、事実は事実と認め、誤りは誤りと認め、謝罪し、記載を書き直すことで、非情な軍命令を下したと非難された元隊長の名誉を回復することが先決であろう。言うまでもないが、裁判は、歴史観を議論する場ではない。この裁判では、被告らの著作が「『原告梅澤少佐』、『赤松大尉』が非道な軍命令を出した」と非難したことが、果たして事実に基づくものかどうかが問われているのである。当時の戦時体制や日本軍の沖縄戦についての考察や非難は、別のところでなされる問題である。 


 

 ◆「裁判証拠」となった「米公文書発見」についての参考エントリー:

沖縄の「集団自決」 米公文書に新資料

「集団自決」の米公文書 「アメリカは解放軍だった」

 

 

 

 

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