【正論】現代史家・秦郁彦 アジア女性基金の遅すぎる解散
現代史家 秦郁彦(撮影・大西正純)
■誤解招く「河野談話」を取り消すべき
≪元慰安婦償い事業終了≫
「アジア女性基金ニュース」第28号(最終号)なる刷り物が先日送られてきた。12年つづいた元慰安婦たちへの「償い事業」が今年3月末に終了、基金(村山富市理事長)が解散するというお知らせである。
「償い事業への募金にご協力くださったみなさまへ」と題し、韓国、台湾、フィリピンなど計285人の元慰安婦たちに対する5億6500万円の支援事業が終わったという新聞公告を見たのは平成14年7月だから、「えっ、まだ解散していなかったの」とおどろく人もいよう。
政府の補助金に全面おんぶするこの種の特殊法人は、あれこれと理由をつけては延命をはかるのが常道。女性基金も慰安婦たちのアフターケアが必要だとか、アフリカに女性会館を建てたいとか、いろいろと画策しているのを筆者も耳にしていた。
ニュース28号でも和田春樹専務理事が「政府の形を変えた支援措置が望まれる」と未練たっぷりに書いているが、かねがね基金の事業を「税金の壮大な無駄遣い」とみなしてきた筆者は、仕事もないのに5年も延命させた責任を問いたいぐらいだ。ではなぜ無駄遣いなのか。
国民から集まった浄財は5億円余だが、それを配る基金の人件費や事務経費に毎年3億~4億円、合計すると50億円前後の国費を投入しているからである。
しかも認定作業は相手国政府に丸投げ、送金は銀行がやるから、関係省庁や市民団体からの「天下り」職員は、時折開くシンポジウムのお膳立てか、作文コンクールの審査ぐらいでお茶を濁してきた。
≪米議会も対日非難決議案≫
それでも国連のお墨付きまでつく日本の恥部にされてしまった慰安婦問題が決着したのなら50億円は安いものだが、そうはならなかった。野党3党は、この解決策は国が法的責任を回避するものだとして、韓国NPOなどと連携、別に公式謝罪と国家補償を軸とする救済法案を13年から何度も提出した。
そのつど廃案になったが、まだあきらめていないようだ。条文のなかには「いまだ判明していない被害者の調査」もふくまれている。
こうした動きはアメリカにも飛び火して、同趣旨の慰安婦問題に関する対日非難決議案が下院に上程された。日本大使館の奔走もあり、決議案は昨年12月廃案となったが、日系3世のマイク・ホンダ議員らが中心となって1月31日、再上程にもちこんだ。
さすがに自民党の有志議員による「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」小委員会は、いわゆる「河野談話」の見直しに向け、年頭から活動を始めた。
河野談話とは5年8月4日、宮沢内閣の官房長官河野洋平氏(現衆院議長)が発表した政府見解で、新聞は「従軍慰安婦-政府、強制連行を謝罪」(読売)のみだしで報道した。筆者はその前日に担当の内閣外政審議室長から原案への意見を求められ、いくら政治的妥協とはいえ、たしかな証拠なしに強制連行を認めるかのような表現を入れると、必ずや将来に禍根を残すと切言したが、河野氏が事務局の抵抗を押し切ったとあとで聞いた。
それから十数年、わが国では櫻井よしこ氏らの努力でこうした内情はかなり知られてきたが、海外では国連をふくめ、河野談話は日本の公式見解として定着してしまった。この誤解を解くには、285人の元慰安婦で官憲が強制連行した例は1件も見つかっていない事実をふくめ、河野談話を明確に否定する声明を出すしかないと思う。
ついでに書けば、筆者は以前から河野という政治家のあやふやな歴史認識に危惧(きぐ)の念を抱いてきた。最近では昨年10月、ベトナムのズン首相を国会に迎えたとき「先の大戦で、わが国の軍政下において多数の餓死者を出したことを忘れてはならない」(10月25日付朝日)と挨拶(あいさつ)している。
≪ベトナム大量餓死の誤認≫
餓死説の起源は、ホーチミンの独立宣言に出てくる「200万人餓死」のくだりだが、ベトナムはフランスの統治下にあり、日本が軍政をしいたのは餓死が下火になりつつあった昭和20年3月以降の5カ月にすぎない。
それをフランスではなく日本の責任と言いだしたのはわが国の一部歴史家と運動家だが、ベトナム政府はその扇動に乗る気配はない。
河野議長の迎合的言動をズン首相は黙殺したらしいが、朝日紙上で話を振られた河野氏は「過去を学ばねば流される」とのたまった。河野さん、まさか基金を作って謝罪と補償をと言い出さないでしょうね。(はた いくひこ)
(2007/02/06 05:53)
◆参考エントリー:
■3/18付産経朝刊国際面「経度緯度」米国での慰安婦訴訟の教訓(ネットソースなし)
【ワシントン=古森義久】 慰安婦問題といえば、最近でもなおNHKの番組や朝日新聞の報道をめぐって、論議が絶えないが、米国内でこの問題で日本を非難する勢力にとって大きな後退となる最終判決がこのほど出された。米国の司法や行政の良識を思わせる適切な判決だったのだが、ここにいたるまでの五年以上の原告側の執拗な動きからは日本側にとっての多くの教訓もうかがわれる。
米連邦最高裁判所は第二次大戦中に日本軍の「従軍慰安婦」にさせられたと主張する中国や韓国 の女性計十五人が日本政府を相手どって米国内で起こしていた損害賠償請求などの集団訴訟に対し、二月二十一日、却下の判決を下した。この判決は米国内でのこの案件に関する司法の最終判断となった。もう慰安婦問題に関して日本側に賠償や謝罪を求める訴えは米国内では起こせないことを意味する点でその意義は大きい。
この訴えは最初は二〇〇〇年九月に首都ワシントンの連邦地方裁判所で起こされた。米国では国際法違反に対する訴訟は地域や時代にかかわらず受けつけるシステムがある一方、外国の主権国家については「外国主権者免責法」により、その行動を米国司法機関が裁くことはできないとしている。ところが同法には外国の国家の行動でも商業活動は例外だとする規定がある。元慰安婦を支援する側は慰安婦を使った活動には商業的要素もあったとして、この例外規定の小さな穴をついて、日本政府への訴えを起こしたのだった。
日本政府は当然ながらこの種の賠償問題はサンフランシスコ対日講和条約での国家間の合意で解決ずみだとして裁判所には訴えの却下を求めた。ワシントン連邦地裁は二〇〇一年十月、日本側の主張を認めた形で原告の訴えを却下した。原告側はすぐに上訴した。だがワシントン高裁でも二〇〇三年六月に却下され、原告側は最高裁に上告したところ、最高裁は二〇〇四年七月に高裁へと差し戻した。ちょうどこの時期に最高裁が第二次大戦中、ナチスに財産を奪われたと主張するオーストリア女性の訴えを認め、オーストリア政府に不利な判決を下したため、日本政府を訴えた慰安婦ケースも類似点ありとして再審扱いとしたのだった。
だが、ワシントン高裁の再審理でも日本政府に有利な判断がまた出て、原告は二〇〇五年十一月にまた最高裁に再審を求めた。その結果、最高裁が最終的に決めた判断が却下だったのだ。
六年近くもこの訴訟を一貫して、しかもきわめて粘り強く進めた組織の中核は「ワシントン慰安婦問題連合Inc」という団体だった。在米の韓国人や中国人から成り、中国政府関連機関とも連携する政治団体である。Incという語が示すように資金面では会社のような性格の組織でもあるという。
この「ワシントン慰安婦問題連合Inc」は実は二〇〇〇年十二月に東京で開かれた「女性国際戦犯法廷」にも深くかかわっていた。この「法廷」は模擬裁判で慰安婦問題を主に扱い、日本の天皇らを被告にして、その模擬裁判を伝えたNHK番組が日本国内で大きな論議の原因となった。「慰安婦問題連合」はまた、その少し前には中国系米人ジャーナリスト、アイリス・チャン氏著の欠陥本、「レイプ・オブ・南京」の宣伝や販売を活発に支援した。
この種の組織は日本の戦争での「侵略」や「残虐行為」を一貫して誇張して伝え、日本の賠償や謝罪の実績を認めずに非難を続ける点では間違いなく反日団体といえる。その種の団体が日本を攻撃するときによく使う手段が米国での訴訟やプロパガンダであり、その典型が今回の慰安婦問題訴訟だった。米国での日本糾弾は超大国の米国が国際世論の場に近いことや、日本側が同盟国の米国での判断やイメージを最も気にかけることを熟知したうえでの戦術だろう。日本の弱点を突くわけである。
だから「慰安婦問題連合」は日ごろワシントン地域で慰安婦についてのセミナーや写真展示、講演会などを頻繁に開いている。最高裁の最終判決が出るつい四日前も下院議員会館で慰安婦だったという女性たちを記者会見させ、「日本は非を認めていない」と非難させた。
だが米国の司法は最高裁での却下という結論を打ち出した。行政府のブッシュ政権も一貫して「日本の賠償は対日講和条約ですべて解決ずみ」という立場を裁判の過程でも示した。
しかし立法府である米国議会は「慰安婦問題連合」などの果敢なロビー工作を受けて、慰安婦問題ではまだ日本を非難する決議案をたびたび出している。その種の工作の持続性、粘り強さは今回の訴訟での軌跡がよく示している。日本側も米国という舞台でのこの種の争いの重要性を十二分に意識して、果敢に反撃すべきだろう。反撃すればそれなりの成果も得られる。今回の最高裁の判決はそんな教訓を与えてくれるようである。
2チャンネルコピペ。
205 :オレオレ!オレだよ、名無しだよ!!:2006/03/03(金) 09:28:48 0 日本軍による「従軍慰安婦」はいなかった(コピペ推奨)
ウソ:慰安婦制度は犯罪である。 真実:当時は公娼制度があり、法律で認められた管理売春が存在した。貧困が即人身売買に直結する不幸の時代であって、犯罪ではない。
ウソ:慰安婦は軍により強制連行された。 真実:「強制連行の証拠」として新聞等でも紹介された文書自体、誘拐まがいの「募集」を行う業者(多くは半島出身)に軍が警告を発し、指導するという、全く反対の性格のものだった。また、唯一の「加害証言」である吉田証言も、今日では虚偽であったことが判明している。当時は、貧しさ故に苦海に身を落とす娘が珍しくなかった。元慰安婦の「証言」以外に、「強制連行」を示す証拠は何もない。にも関わらず、河野官房長官(当時)は、その事なかれ主義により、「官憲による強制連行」を認めてしまった。
ウソ:慰安所は軍が直営していた。 真実:業者が経営し、軍が監督指導していた。
ウソ:軍は慰安婦を連れ歩いた(従軍させた)。 真実:慰安所は後方の兵站に置かれていた。師団が移動すれば兵站も移動するから、当然慰安所も移動する。つまり、軍とともに移動したのだと強弁できないことはないが、戦場を連れ歩いたかのようなイメージは誤り。また、「従軍慰安婦」という呼称は当時存在せず、そう呼ぶこと自体歴史の偽造だ。
ウソ:慰安婦は虐待酷使された。 真実:大部隊の通過で賑わう揚子慰安所では、検診の結果、オーバーワークと判断された慰安婦に、軍医が3日間の休業を命じた。すると慰安婦達は、この書き入れ時に3日も遊ばせるつもりかと、軍医に抗議した。
ウソ:性病に罹っても医者に見せなかった。 真実:慰安婦が性病に罹って兵にうつさないよう、検診は厳重に行われた。寧ろ慰安婦の方が、入院でもさせられたら収入が減るため、何とか誤魔化そうとした。
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アメリカでなぜ日本政府を訴えることが出来るのか、疑問に思ってました。
なるほど、疑問が解けました。