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産経新聞 2011.9.4 20:45
折れぬ竹富町、違法状態 育鵬社教科書、2度拒否 県教委の指導も根拠なく
沖縄県石垣市と与那国町、竹富町からなる「教科用図書八重山採択地区協議会」が選定した育鵬社の公民教科書を、竹富町教委のみが不採択とした問題が混迷を深めている。竹富町教委の2度にわたる“育鵬社拒否”のため、同地区は8月末の採択期限までに教科書を統一できない違法状態となった。識者からは、竹富町のみならず、法的根拠のない指導に踏み切った県教委の違法性も指摘する声が出ている。
選定前から八重山採択地区では、「日本教育再生機構」のメンバーらが執筆した育鵬社の採択反対運動が過熱していた。県教委も日程延期を求める中、3市町の教委代表者らでつくる協議会は8月23日、来春からの中学公民教科書に賛成多数で育鵬社を採択した。
教科書無償措置法は、採択地区内の教委で同一の教科書を採択するよう求める一方、地方教育行政法は、教科書採択の権限を市町村教委に与えている。
教科書採択に詳しい拓殖大学の藤岡信勝客員教授は「2つの法律の要請を満たすため、採択地区協議会の決定を市町村教委が追認するという形式が長年行われてきた。協議会の決定に最後まで従わなかった事例はない」と指摘する。
しかし竹富町教委は同協議会の決定に従わず、8月27日に育鵬社を不採択とし、東京書籍を採択した。
同協議会の規約では、協議会と教委の決定が異なる場合、3市町の教育長の役員会で再協議できる
同協議会は県教委の指導を受け、再協議を8月31日に開催。しかし合意に至らず、石垣、与那国両市町の教育長による賛成多数で、竹富町教委に、協議会の決定通りに採択するよう要請したが、竹富町教委は9月2日、再び不採択とした。
藤岡教授は「再協議という規約上、竹富町は1回は拒否できるが、それ以上は無償措置法違反になる」と指摘。「マンション建て替えで少数反対派の居住者が、個人の財産権を根拠に拒否するのと同じ。全体の利益を守るためには多数派に従わなければならない」と解説する。
県教委の狩俣智義務教育課長は当初、「地方教育行政法より無償措置法が優先され、各教委は協議会の決定を踏まえて採択しなければならない」としていた。ところが県教委は竹富町教委の2度目の不採択後、3市町の教育委員長に打開策を検討するよう指導した。
藤岡教授は「法令に従って指導するのが行政。竹富町教委の違法性を指導せず、法的根拠もない教育委員長会を求めることは無償措置法を侵犯する」と批判。「文部科学省が県教委を指導すべきだ」とする。
3市町の教育委員長は、いずれも育鵬社反対とされ、同協議会関係者は「育鵬社以外の教科書を選ばせるためとしか思えない」と不信感を募らせる。
8日には、3市町の教育委員が参加する八重山教育委員協会の臨時総会が開かれる。教育委員長会の代わりとなりそうだが、何か決まるかは白紙の状態で、採択の行方は見えない。
☆
沖縄タイムスにとって、一連の「発狂騒動」は元々無理筋の戦いであった。
何しろ八重山地区で行われていた沖教組主導による違法な採択法を是正して民主的コンプライアンスに則った教育改革を実践する玉津会長を悪玉に仕立て挙げ、本来糾弾されるべきルール破りの慶田盛・竹富町教育長を正義の人として喧伝したわけだから、時間の経過とともに化けの皮が剝げてくるのは当然の帰結である。
沖縄2紙は連日、一面と社会面のトップを発狂したような大見出しで飾り、世論を誤誘導しようとした。
が、皮肉にも、騒げば騒ぐほど良識ある読者には、事の真相が見えてきたのだ。 万策尽きた沖縄タイムスは、8日に予定している八重山教育委員協議会の会合の結果に最後の望みを託しているようだ。
ところが、肝心の仲本会長が頭を抱え込んで困惑しているのがいるの象徴的だ。
そりゃそうだろう。
事の真相を知れば知るほど、泥濘に入っていく。 これ以上の恥の上塗りは勘弁して欲しいもの。
昨日那覇市内で行われた、八重山教科書採択に抗議する集会に参加した知人の話によると、参集した反対派の面々も、育鵬社版の採択をひっくり返すのは事実上無理と踏んでいる雰囲気だったとのこと。
あとは最後の圧力運動として各市町の教育委員会と県教育委員会に採択のやり直しを要求するメールやFAX,電話を入れるように通達しているとのことである。
八重山地区の調査員(教員)が育鵬社版教科書の調査報告書に丸写ししたというパンフレットの発行元である 「子どもと教科書全国ネット21」の俵義文事務局長も参加したようだが、調査員のパクリ行為を隠蔽する沖縄2紙の姑息な行為を読者が知ったら何と思うだろう。
左翼活動家の高嶋琉球大学名誉教授の「頑張りましょう」という言葉が、9回裏ツーアウトでツーストライクまで追い詰められた監督の負けを覚悟の強がりのように聞こえてならない。
鵬社不採択へ 那覇で460人アピール 沖縄タイムス 2011年9月5日 09時54分
≪ 状況打開の期待がかかるのは、8日に予定されている八重山地区の教育委員13人による会合だ。琉球大の高嶋伸欣名誉教授は「終わり良ければすべて良しという成果につながるように、頑張りましょう」と呼び掛けた。≫
八重山教科書「意図的採択打破を」 460人、那覇で集会 琉球新報 2011年9月5日
教科用図書八重山採択地区協議会の一連の問題を受け、「八重山教科書採択問題」報告集会(沖縄戦の歴史歪曲(わいきょく)を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会主催)が4日、那覇市の教育福祉会館で開かれ、教育関係者や平和団体など約460人(主催者発表)が参加した。八重山地区からの報告や有識者による育鵬社版公民教科書の問題点の指摘が行われ、学校現場の調査研究と保護者、地域住民の意見を尊重した公民教科書採択を求める集会アピールを採択した。
大会では「子どもと教科書を考える八重山地区住民の会」の大浜敏夫事務局長がこれまでの経緯を報告。
沖教組八重山支部の上原邦夫執行委員長は、自身が調査員の依頼を取り消されたり、例年学校関係者もほとんど来場しない教科書展示会に特定政党の支持者が多く来場するなど、問題発覚前から不穏な動きがあったことを報告した。
前宜野湾市長の伊波洋一さんは、育鵬社採択の背景に尖閣諸島問題や中国を敵視した日米軍事同盟強化など政治的な思惑があると説明。「基地をなくしていく中で育鵬社の目指す教育はあり得ない。意図的な教科書採択を打破していきたい」と力を込めた。
県憲法普及協議会の加藤裕さんは「日本国憲法の価値をおとしめている」などと問題点を指摘した上で「多様な見解を記述せず、巧妙な形で一方的な価値観を押し付けているのが最大の問題点。どこをとっても使ってはならない教科書だ」と批判した。
子どもと教科書全国ネット21の俵義文事務局長は、育鵬社と自由社の教科書採択について全国の動向を報告。「現場教員の調査報告を無視するなど、八重山で起こっていることは全国共通」と指摘した。
☆
集会が行われたのが左翼の巣窟といわれる那覇市の教育会館だけに、知事選で敗退した伊波洋一前宜野湾市長を筆頭に極左思想の持ち主として知られる有名人が次々と演壇に登場し、「教育に政治を持ち込むな」の掛け声とは裏腹の「モロ政治集会」そのものだったという。
【追記】
反対派は、各市町の教育委員会と県教育委員会に採択のやり直しを要求するメールやFAX,電話を入れるように通達しています。
そこで、全国の有志の方々にもご協力頂き、与那国町の崎原教育長と石垣市の玉津教育長に激励を入れて頂ければ、幸いです。
昨日の那覇市の集会では、採択支持より、反対が数倍も寄せられているという報告をしていたようです。
また、県教育委員会には、法律の則った採択にいちゃもんをつけるのは、不当介入そのものでという意の抗議を入れて頂ければ幸いです。
■激励
石垣市教育委員会
教育長 玉津博克
TEL:0980 - 82 - 2604 / FAX:0980 - 82 - 0294
E-MAIL:kyouiku@city.ishigaki.okinawa.jp
与那国町 教育委員会
kyouiku@town.yonaguni.okinawa.jp
教育長 崎原用能
0980-87-2002
■抗議
沖縄県教育委員会
教育長 大城 浩
098-869-8753
mailto:kyouiku1@pref.okinawa.lg.jp
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毎日、本当にご苦労様です。
一週間前、石垣、与那国のりょう教育長に激励のFAXを送り、ついで教育委員会に速達を出しました。
反対意見の法が数が多いとヌカしているようですが、今まで散々経験したように、数は多いものの、内容は同じような紋切り型、金太郎飴のようなものばかりでしょう。
次回から、槙枝基文、元日教組委員長、佐久川政一・元沖縄大学長が、何より尊崇する、理想国、金日成・北朝鮮の、刑務所と収容所の実態、処刑、住民の抑圧、厳しい国内の階級制度、国民の飢餓等について、ご紹介いたします。。
以下、ステファヌ・クルトア、
ジァン=ルイ・パネ、
ジャン=ルイ・マルゴラン、
共著
「共産主義黒書」ーー犯罪・テロル・抑圧ーー<コミンテルン・アジア篇>・・・恵雅堂出版、2006年
1.北朝鮮における犯罪、テロル、秘密ーーーピエール・リグロ
〔処刑〕、より。
処刑がどのくらいの数にのぼるのか分からないが、北朝鮮の刑法から参考になる指標が引き出せるかもしれない。
ーー死刑をもって罰せられる犯罪は47をくだらないがそれは以下のように分類できる。
ーー国家の主権にたいする犯罪
ーー国家行政にたいする犯罪、国家財産にたいする犯罪
ーー個人にたいする犯罪
ーー市民の財産にたいする犯罪
ーー軍事犯罪
60年代と70年代における北朝鮮の法体系についての最良の専門家である、カン・グジン(故人。元ソウル大学法学部教授)、が、1958~1960年の非常に残忍な抑圧期に党内部で行われた粛清にかぎって試みた概算がある。
彼によれば、約9000人が党を追放され、裁かれ、死刑を宣告されただろうという!知られている大量粛清の数、(約10回)、を考慮して、この手堅い概数を一般化すれば、合計9万件の処刑と言う相当高い数字にたどりつくことになろう。
もう一度言うが、これはあくまでおおざっぱな見積もりに過ぎない。おそらく将来、ピョンヤンの公文書が公開されたあかつきに、真実は明らかになるだろう。
「民間の」、住民を対象とし、「売春」・「裏切り」・「殺人」・「強姦」・「反乱」・・・などの理由で行われた公開処刑については、国外亡命者からも若干の時を右方を収集することができた。処刑の際、群集は協力的な態度をとるように勧められ、その結果、叫び声や侮辱の言葉を発して判決言い渡しを迎え、投石することさえあるという。
ときには文字通りのリンチまでが奨励され、群集がスローガンを叫ぶなかで、死刑囚は死ぬまで殴られる。どの階層に属しているかが、この場合大きな役割を演ずる。アジア・ウォツチの調査員に二人の目撃者が断言したところによれば、「最も低い階層」、に属する市民の場合にだけ、レイプは死刑をもって罰せられると言う。
党の言いつけどおりに動くーーーそもそもの最初から、マルクス・レーニン主義の法理論に厳密に従った行動をとるように求められている。--裁判官、もっと手軽で簡略な手続きが可能なせいで、拘禁や処刑の決定のうち、ごく一部しか取り扱わない裁判、党の言いつけ通りに動くだけの弁護士。これらすべてのことから、北朝鮮の司法システムの正確についておよその見当をつけることができよう。
〔刑務所と収容所〕、より。
リ・スンオク夫人は労働党員で、幹部専用の必需品センターの責任者だった。定期的に行われる粛清の犠牲者として、彼女は他の同志たちとともに逮捕された。長時間、水責めと電気による拷問を受け、殴られ、睡眠を奪われ、ついに要求されるまま、とりよわけ国家の財産を横領したと自白し、13年の懲役刑を宣告された。公式には刑務所という言葉は使われていないが、それはまさしく刑務所であった。2000人の女性を含む6000人の囚人は、この懲罰用複合施設の中で、朝5時半から真夜中まで獣のように働き、スリッパ、ピストルのケース、バッグ、ベルト、爆薬用の雷管、造花などを作らされた。妊娠した受刑者は手荒な堕胎を強制された。刑務所内で生まれた子どもはみな、有無を言わさず窒息死させられる、あるいは喉を掻き切られたものだ。
・・・・刑務所と収容所は、抑圧を組織しいる膨大な機構総体の一部であった。それらは以下のように分類できる。
ーー「救護所」・・中継刑務所のようなもので、軽い政治犯罪、非政治的犯罪なついて裁かれるのを待つ場所
へ労働による、「更正センンター」・・社会的不適応者、無為のもの、さらには怠け者と判断された人間を100人から200人収容する。ほとんど全ての町にある。しはしば裁判も、はっきりした告訴もなしに、三ヶ月から一年間収容され続ける。
ーー強制労働収容所・・こくないに12箇所あまり存在し、それぞれが500人から2500人を収容あする。拘留されているのは、盗み、殺人未遂、強姦で告訴された一般刑事犯だが、政治犯の子供や、国外脱出に失敗して逮捕された者も収容されている。
ーー流刑地帯、(ゾーン)、・・信頼できないと見なされた分子(みなみへ逃れた者の家族構成員、元地主の家族など)、が送られる。この居住地指定の措置は遠隔の地で行われており、おそらくは数万人が収容されている。
ーー特別独裁地帯、(ゾーン)・・文字通りの強制収容所で、政治犯が収容される。2箇所ほどあり、被収容者はあわせて15万人から20万人に達する。この数字は総人口の1%に相当するが、この数字は50年代初頭のソビエトのグラーグより明らかに少ないレベルである。しかしこのような、「実績」、をあげられたのは、もちろん特別な寛容の結果ではなく、住民の管理と監視が以上に高い水準にあることの反映と解されるべきであろう。
化成、会寧、清津にある。
これらの収容所は50年代の終わりに、「政治犯」、と党内の金日成反対派・・・を閉じ込めるために造られた。被収容者がとくに増えたのは1980年で、労働党の第六回大会の際、王朝共産主義の制度化に対する反対派が敗北したのにつづく、大きな、「粛清」、の後のことだった。ヨドク地帯の第15収容所のように、収容所の中には、いつの日か外の世界に戻ることを期待できる衆人が拘束されている、「革命化区域」、と、誰一人二度と出られない、「高度安全区域」、に分けられているものがある。
とりわけ、革命化区域には、政治的エリートの受刑者や、北朝鮮に好意的な日本の団体指導者たちと個人的関係を持つ日本からの帰国者とが入っている。
めったにないそこからの脱走者よる収容所の描写には、まことに恐ろしいものがある。高く張り巡らされた有刺鉄線、獰猛なドイツ・シェパード、武装した看守、周囲に広がる地雷原。食料は不十分きわまり、外界からの孤立は完璧で、労働、(毎日12時間に及ぶ鉱山や採石場での作業、感慨水路の開削、木材伐採と、その後に加わる2時間の、「政治教育」)、は過酷だ。しかし、ここでは飢えることが最悪の責め苦である。む受刑者はどんなことをしてでも、蛙やミミズを捕まえて食べるのである。
残酷な点では結局のところ古典的な、こうした図柄を細く補足するものとして、是非とも言及しなければならないのは、囚人の肉体的な衰弱が徐々に進行していくのはもちろん、秘密トンネルの掘削のような、「特別な」、工事のため、あるいは核関係のサイトでの危険な工事のために、さらには監視兵の射撃練習用の生きた標的としてさえ、受刑者が使われることである。
さらにつけ加えるべきは、責任は家族全体に及ぶものだという、体制の断定であろう。家族のうちたった一人が有罪判決を受けただけで、その全構成員が、それも多数にのぼる一家が、現に収容所に入れられている。1958年の金日成反対派の大粛清の際には、罰がしばしば三世代に及んだことにくらべれば、今日この制度はむしろ軽減される傾向にあるが、とはいえ、比較的最近の証言は相変わらずこの奇妙な法概念を実証している。
・・・1992年に二人の脱国者が、北朝鮮最大の収容所、ヨドク収容所での生活について最新の情報をもたらした。二人の話では、拘置条件があまりに過酷なため、電流の通った鉄線や、1キロごとに設けられた監視塔にもかかわらず失敗した場合は裁判と公開処刑が間違いなく待っているにもかかわらず、毎年15人ほどが脱走を試みるということだ。これら脱走希望者は共産主義の犠牲となった人命の総数を確実に増大させつつある。なぜなら、二人によれば、脱走に成功した例はいまだかってないからだ。
フェリヨン地帯のある収容所の元監視兵によって最近もたらされた、例外的な証言の方をむしろ取り上げることにしたい。1994年に中国に脱出し、後にソウルにたどり着いた男性は、朝鮮の収容所世界に関するわれわれの知識をいちじるしく前進させてくれた。安明哲という名のこの証言者によれば、「素行の悪い者」、として処刑するために選び出されるのは、次のような人々だった。すなわち、「不服従者、氾濫の責任者、殺人者、妊娠した女性、(一切の性的関係は囚人には絶対禁止である)、家畜を殺したもの、生産に使用される道具をこわしたものである。独房で彼らはひざわ折り曲げた脚と尻の間に太い木片を結えつけられ、このようにしてひざまずいたまま放置される。血の循環が悪くなるため、ついには全般的な衰弱が引き起こされ、かりに釈放されたとしても、彼らはもう歩くことができず、数ヵ月後には死にいたるでうろう。
この収容所では処刑はもはや公開ではなくなった。以前はそれが当たり前だったが、殺戮があまりに日常的な出来事になったため、ついには恐怖を植えつけるより、反乱の気持ちを掻き立てるようになってしまったからだ。重武装した看守が処刑の場所を守らなければならなくなり、そして、1984年以降は、処刑は秘密裏に行われるようになったのである。
〔シャベルで殴って〕
処刑を執行するのはだれか?、その選択は公安係官の最良にまかされていた。彼らは手を汚したくない時は銃殺し、断末魔の苦しみを見たいときはゆっくりと時間をかけて殺した。こうして私は、棒による殴打や投石で、あるいはシャベルを使ってでも殺すことができることを知った。時には、ゲームのように、目の下を狙う射撃競争をして囚人を殺すこともあった。処刑される者同士を戦わせて、殺し合いをさせることもあった。私はこの目で、むごたらしい殺され方をした死体を何度もも見たことがある。
なかでも女性が穏やかに死ぬことは滅多にない。ナイフで切り裂かれた乳房、シャベルの柄をつっこまれた生殖器、金槌でへし折られた首、
そして、「政治犯」、は生き延びようと必死で闘っていた。彼らは少しでも多くのトウモロコシや、豚の脂肪を手に入れるためなら、どんなことでもした。とはいえ収容所では、こうした闘いにもかかわらず、毎日平均四人から五人が死んでいった。飢えや事故から、あるいは、処刑されて。
収容所から逃げ出すなんて、まず考えられなかった。逃亡者を捕まえた看守は党への入党と、さらに大学への進学まで期待できたのである。なかには、囚人を無理やり有刺鉄線に登らせる者もいた。そうしておいて発砲し、脱走者を捕まえたふりをするのだった。
看守以外に、犬も政治犯を監視していた。。非常によく訓練されたこの恐るべき動物は、殺人機械として使われていたのだ。1988年7月、第13収容所で二人の囚人が犬に襲われたとき、あとに残ったのは囚人たちの骨だけだった。1991年にも15才の少年二人がこれらの犬に貪り食われたことがある。・・・
※、この文はまだ続きますがあまりに残酷で書くに忍びず、ここで打ち切ります。
次回は、北朝鮮の、住民に対する、恐怖政治、国内の厳しい階級制度、(成分)、、飢餓、等についてご紹介いたします。