宮崎哲也という評論家が北朝鮮への「太陽政策」について面白い比喩をしていた。
≪飼い主に歯を剥く犬に餌をやり続けると、腹が減ると歯を剥き唸り続け、次には噛み付いて餌を求める。≫
うーん、判りやすい。
もっと判りやすく言うと、金正日は只の犬ではなく狂犬だということ。
テレビでの発言だったが、テレビでは例え話の上手い論者がモテる。
今朝のフジテレビ「報道2001」では韓国与党の政治家が「太陽政策」を追及されて四苦八苦していた。
韓国メディアも盧武鉉大統領の「太陽政策」の結果がミサイルのプレゼント、と与党の政策に手厳しい。
盧武鉉大統領が「ミサイルの返礼」に対して何のコメントも発しないのはおかしいと言っている。
そういえば我らが東門沖縄市長も「ミサイル発射がハッキリするまでは(その時点でミサイル発射はハッキリしていた)コメント出来ない」とノーコメントを貫いたが、その後何かコメントしたっけ。
以下ミサイルで正気に戻った韓国メディアの社説2題。
記事入力 : 2006/07/08 08:32 | |
【ミサイル発射】太陽政策が生んだ「平和ボケ」 |
韓国政府の「平和ボケ」の根本的な原因は、金大中(キム・デジュン)政権に始まり、現在の盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権に引き継がれている「太陽政策」と「平和繁栄政策」だ。これらの政策にはプラス面もあるが、「平和ボケ」という副作用も生んだ。その上、政府幹部らの言動も影響を与えている。 ◆「太陽政策」8年の副産物 金大中前大統領が就任した1998年、北朝鮮は長距離弾道ミサイル「テポドン1号」を発射し、韓半島(朝鮮半島)の緊張状態を助長した。そのような中で99年1月、韓国政府は太陽政策を公式に打ち出した。北朝鮮は米国との交渉を通じ、ミサイル発射実験の中止を国際社会に約束し、韓国政府はこれを「太陽政策の成功」とアピールした。金前大統領が太陽政策を最重点政策として推進したことで、政府内部の慎重論者も急速に影をひそめ、太陽政策論者が勢力を伸ばした。いきおい、政府内部に「平和ボケ」が拡散することになった。 北朝鮮は韓国が太陽政策をとってきた8年の間、時間とカネを稼いで核開発とミサイル能力の向上に心血を注いできた。北朝鮮は金前大統領の任期切れが迫った2002年になって核開発計画を認めたが、その時韓国政府は影響を最小限に止めることだけに躍起だった。 北朝鮮は盧武鉉大統領が就任してから、さらに露骨な態度を取るようになった。2003年には核開発問題をめぐって、韓国を外して米中両国との3カ国協議を行った。韓国政府はそれでも「(核問題が)解決さえすればいい」という姿勢だった。寧辺核施設で抽出されたプルトニウムの分量は97年の時点で「原爆1、2個が作れる数キロ程度の分量」と推定されていたが、現在は「最大13個の原爆が製造可能な53キロ」にまで増えたと見られている。 北朝鮮は米アラスカまで射程圏に入るとされるテポドン2号を開発し、さらにその改良型は米国全土が射程圏に入っているともみられている。核やミサイルだけではない。北朝鮮は潜水艦や大砲など、韓国を効果的に攻撃できる通常兵器も、韓国が太陽政策をとっていた間に増強し続けていた。その一方で、太陽政策が始まって以来、国家情報院によるスパイの検挙件数は大幅に減った。 1999年の延坪海戦で北朝鮮艦艇を撃退した朴正聖(パク・ジョンソン)少将(当時は第2艦隊司令官)が、その後中将に昇進することもなく、閑職を転々とさせられた末に退役させられたのも、政府幹部らが安全保障問題から目をそらすことになった「平和ボケ」の一つの例といえる。 ◆韓国政府高級幹部らの言動 盧大統領は、大統領選出前の2002年から「南北対話さえ成功させればそれでいい」「反米だったら何だというのか」などと発言していた。就任後には政府内に公然と「自主派」(韓国の自主的な国益を強調する)が登場した。このような状況下で韓国政府内での「平和ボケ」の拡散はとどまる所を知らなかった。 盧大統領は北朝鮮の核開発問題に対しても「(核が防衛用だとする)北朝鮮の主張にも一理がある」との趣旨の発言をした。このような発言は公務員にも大きな影響を与えた。北朝鮮の国旗を燃やした人々に対して政府が取り調べたり、大統領府の首席秘書官が「親米主義者」への露骨な攻撃を行ったのもその一例だ。 盧大統領は昨年7月に海兵隊を訪問したのを最後に、1年以上軍部隊を訪問していない。鶏龍大学や士官学校などを除いた、軍部隊を訪問したのは就任以来4回しかない。盧大統領だけでなく、首相も西海交戦(2002年の北朝鮮警備艇との交戦)の戦死者追悼式典に参列していない。これら指導者の行動を見るにつけ、その部下の公務員たちも安全保障問題から目をそらすようになっているのだ。 権大烈(クォン・デヨル)記者 朝鮮日報 |
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