
その中で松井は国際人になるためには英語の勉強が必要だ、と言った意味の事を述べているらしい。
人気者を使って英語学習の動機付けをするという意味では理解できる。
ただ、小学校から英語の学習を導入するとなると待てよと言いたくなる。
試に【国際人】を検索してみた。
≪国際的に活躍している人。世界的に有名な人。また、世界に通用する人。≫
どうも国際人の定義が曖昧でよくわからない。
英語を話すのが条件とは何処にも書いていない。
「ネーティブスピーカーのようにベラペラ英語を話すのに話に中身の無い人が欧米では一番軽蔑される」。
これはベストセラー『国家の品格』の著者である御茶ノ水大学教授・藤原正彦の言葉。
◆英語教育の小学校導入には賛否両論が入り乱れているが、お母様たちは概ね賛成らしい。
いわく≪これから国際人になるためには、どうしても英語が・・・≫
あるいは≪子供のうちに英語の発音に慣れさしておかないと・・・≫
だが、週に一回や二回の授業で英語がマスターできるものなのか。
高校時代、英語の授業で米国留学帰りの英語教師にRとLの発音で悩まされた。
いわく「RとLの発音を疎かにすると、とんでもないことになる」
「例えばレストランに行って米のご飯を注文してライスと言うと虱を皿に盛って出される」。
なるほどriceとlice(louse虱の複数)で発音の違いの説明。
話としてはオモシロイ。
が、幸か不幸かアメリカのレストランで虱の入った皿を出されたジャパニーズイングリッシュを話す人の話を未だ聞いた事は無い。
藤原教授の話は例によって明快だ。
「人間誰でも平等に一日24時間しか持っていない。 だったらその限られた時間の小学生の時期に何を教えるかは優先順位の問題だ」
「・・・その時期に教えるものは、一に『読み書き』ニに『読み書き』、三 四が無くて、五に『算数』だ。」
「昔の人はこの教育の真理を見事に喝破していた」
「先ず、読み書きソロバンだ」」
「英語は中学に入ってからで充分だ」
本人自身が欧米大学の留学の経験のある数学者の話だけに説得力がある。
◇ ◇ ◇
◆河北新報 河北春秋 2006年03月29日水曜日
辞書を横に置けば、英文を読めないことはない。ただし話せないし、聞き取りもままにならない。学校時代、あれほど時間を費やしたのに▼そんな大人になってはいけないと4年前、小学校でも英語教育が始まった。全体の9割以上で何らかの授業を行っている。あいさつ、歌、ゲーム…。さまざまに工夫を凝らす。年間10時間程度だ
▼しかしながらそれでは足りずと、中教審が小学校の英語教育の強化を打ち出した。全国一律の必修化。中国、韓国などに刺激されてのことらしい。「会話や文法の技術よりも、国際理解を深める」ことを目標にする▼英語が流暢(りゅうちょう)であるに越したことはない。それは確か。だが、国際人を育てるなら、国語をきちんと学べとの論は多い。一例に、お茶の水女子大の藤原正彦教授の考えを紹介する
▼「彼ら(欧米人)との交際の中で痛切に感じるのは、英語の不便より日本の文化や歴史への理解不足である」(新潮文庫『古風堂々数学者』)。英語に傾けたエネルギーを古典や漢籍に向けていたら―と悔やむ▼「小学校の国語は一国の生命線」と言い切る。日本人の心性を養うのが国語。オーケストラのいろいろな楽器のようにそれぞれ個性があってこそ、全体に調和が生まれる。それが国際社会。単なる英語使いではだめだということ。
