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コメント欄がヒートしているようだが、それはさておき、
小話1:北京オリンピックの代表選手から大場栄治をはずすんだって?
大場栄治選手って誰?
⇒五輪 オーバーエイジ枠使わず
7月12日 22時31分更新 <北京オリンピックでサッカー男子の指揮を執る反町康治監督は、23歳以下の年齢制限を超える「オーバーエイジ」枠の選手を、今大会は招集しないことを明らかにしました。>(NHKニュース)
小話2:ソフトバンクからメジャーリーグに行ったジョージ・マケンジーの話聞かないね。
ジョージ・マケンジーって誰?
⇒彼のプロフィール(前にも使ったネタ?スミマセン)
◇
「軍命あり派」の主張する根拠の一つに、
「軍隊のいなかった所に集団自決はなかった」というお粗末な理論があるが、あえてこれの当否には触れないが、
集団自決の起きた場所というのは軍隊というより、むしろそのグループのリーダーの判断の如何によって、生死の分岐点を分かれたということが生存者の証言から読み取れる。
つまり、「全員自決したか」あるいは「生き延びたか」の分かれ目はグループのリーダーの判断に左右されたのだ。(軍の命令なんかどうでもよく、これは後世の後知恵である)
野生動物でも人間でも、グループのリーダーはパニックに瀕すると判断を誤る場合が往々にしてある。
金城重明兄弟は年は若くともそのときのグループのリーダーとして行動した。
そして判断を誤り、多くのグループ構成員を殺害し、自分たちは生き残った。
しかしそのときの彼の行動を平和時に生きる誰もが批判することは出来ない。
ただし、彼と同じ事をしたであろう他のグループのリーダーのように「軍の命令だった」なんて責任転嫁をせずに黙して贖罪に余生を生きていた場合、という但し書きが付く。
自分の犯した「罪」の贖罪を感じるあまり、これを「赤松の命令でやった」と虚偽の責任転嫁を続ける限り、
彼は「鳴く雉」として撃たれ続けることを覚悟せねばならぬ。
◇
『WILL』増刊号の「強制された死か、尊厳死か(曽野綾子)』 の中で次のようなくだりがある。(これは集団自決裁判原告代理人の松本藤一弁護士への返信という形を取っている)
<住民の管轄は県知事
住民の管轄は、軍ではありません。 それは県知事だったはずです。そのことを改めてご確認ください。 沖縄県民行動について責任があるのは、当時の県知事です。 もっとも、激戦の最中、孤立した村まで、県知事の意向が確実に伝わり、行政が実行される極めてむずかしかったでしょうが。 また、軍が武器を民間人に渡すということも、普通の常識にはありません。>
「軍命あり派」の安仁屋沖国大名誉教授などは、
この辺をミソクソ一緒くたにしようと必死のあまり、
「合囲地境」なる聞きなれない概念を持ち出して、
「当時の沖縄は戒厳令発令下のようなものだから、県の命令も村の命令も軍命と同じだ」という暴論を展開するが、
そもそも当時の沖縄で戒厳令も合囲地境も発令されておらず、安仁屋氏が自説を固執するために勝手に思い込んでいるに過ぎない。
■日本の官僚は昔から法律バカ(法匪)だった■
日本の官僚機構は縦割り構造だといわれる。 最近の官僚の不祥事を見てもその悪い面が前面に出て、
「省益あって国益なし」という言葉が官僚を批判するマスコミの常套句として紙面を賑わす。
戦前の、武器を装備する官僚の代表の軍官僚と警察官僚(内務官僚)の意地の張り合いで有名な事件に、昭和11年に交通信号をめぐって起きたゴーストップ事件がある。
沖縄戦も末期で、県の通信力も県民の統治能力も崩壊した時点においても、バカ正直に自分の本分の埒を越えるのを弁解しながら県知事の代わりの行動を取った軍人がいた。
彼は自決直前でも県の管轄事項を軍の管轄とは峻別して、有名な電文の前置きに次のような文言を敢えて書いた。
<沖縄県民の実情に関しては、県知事より報告せらるべきも、県には既に通信力なく、32軍司令部また通信の余力なしと認めらるるに付き、本職、県知事の依頼を受けたるに非ざれども、現状を看過するに忍びず、これに代わって緊急御通知申し上げる。>
曽野氏が「住民の管轄は県知事」とわざわざ断るまでもなく、実直な日本の軍人は戦争末期の断末魔の場面に瀕しても己の管轄の埒をわきまえていた。
その立派な証拠が「県民斯く戦へり」で有名な太田少将の長文の電報である。
なお、この電文は『WILL』増刊号の冒頭部分に全文掲載されているが、サヨクや「平和学習」を実施しているグループにとっては目に触れてほしくない内容だという。
その理由は電文を熟読すれば自ずと理解できると思うので文末に全文引用しておきます。
■軍人より怖い村役場職員■座間味島の村のリーダーたちがほとんど自決で死亡してしまった理由も、証言者の言葉の中に「軍人より軍人らしい役場職人」の姿が垣間見える。 琉球新報 金口木舌 2008年6月23日 ◇ 新聞に数多く掲載される「証言」を丹念に検証していくと、座間味島にも「軍人より軍人らしい民間人」の影が浮かび上がってくる。 過去のエントリーでも書いたが「参謀長と呼ばれた教頭先生」が、若い日本兵を顎で指揮している様子が証言録に記載されている。 当時の島では、ある意味では、軍人より怖い学校の先生や村の役人がいたことも事実のようである。 「集団自決」のキーパーソンともいえる宮里盛秀氏とその父の盛永氏にもその面影が伺える。↓ 沖縄タイムス (8月25日) 連載「命語い」(42) 戦後、座間味村長を務めた宮里正太郎(86)は、戦前の座間味役場のことを知る唯一の人物だ。入庁は一九四一年六月、十九歳の時、行政書記として採用された。役場への就職を勧めたのは、当時二十九歳だった役場職員、宮里盛秀だった。 役場には村長、助役、収入役の三役の下に、兵事、勧業、税務、衛生、受付の各係が一人ずつ。盛秀は兵事係として徴兵事務や在郷軍人会関係の担当をした。「重要な仕事だけに盛秀さんは、ずっと兵事係の担当だった。村民の兵籍など熟知していた」 正太郎の入庁が決まった時、親せきが羽織袴を仕立てようと喜んだ。それほど役場職員の地位は高かった。「ジッチュウトゥヤー(月給取り)」。村民は役場職員と教師を陰で呼んでうらやんだ。「役場職員には、簡単に話し掛けることもできない。尊敬もされ、恐れられてもいた」 新米職員の正太郎にとって役場の上下関係は厳しかった。「十代の職員は私ともう一人。仕事は大先輩の盛秀さんたちの指図通りに働いた」 正太郎は、四一年徴兵検査を受け満州の部隊に現地入営するため、役場を辞した。 そのころから徴兵のため島から次々と男子青年の姿が消えた。「男子は役場に採用してもすぐ徴兵された。結果的に職員は、ほとんどが女子になった」。軍国主義体制を地域で支えた兵事係。「兵事係の職務を熟知していた盛秀さんは助役に就任しても、引き継がず兼務していた」 亡父・盛秀の写真を二女の山城美枝子(66)が友人に見せたことがあった。友人は「集団自決」のことは知らない。「怖い表情だね」。何げない一言が胸に刺さった。 ある日、座間味島に渡る船中で年老いた女性が話し掛けた。「夫の出征後、盛秀さんが暮らしぶりはどうですか、とわざわざ訪ねて来た。優しい人だった」 軍国主義体制を村で支えた父。「威厳を保つ表情の下で、心中何を思っていたのか」 盛秀ら村三役役場職員ら十五家族六十七人が、産業組合の壕で「集団自決(強制集団死)」で亡くなった。戦後、一人残った美枝子が泣かない日はなかった。父の心の真実を求め続けた。=敬称略(編集委員・謝花直美) |
◇
「おまけ」
「悪逆非道の日本軍」という考えで凝り固まった連中は、これを押し通すためにはウソの上にウソを積み重ねる。
このウソを解明しようとする地道な聞き取り・検証をヤバイと感じると、
感情的且つ非論理的な罵詈雑言でヒステリックな反応を示す。
まさに、「悪逆非道の日本軍」という「憑依妄想」の虜になった連中との論議(議論にもならないが)は不毛である。
やれやれ。
◇
沖縄県民斯く戦えり
発 沖縄根拠地隊司令官
宛 海軍次官
左の電文を次官に御通報方取り計らいを得たし
沖縄県民の実情に関しては、県知事より報告せらるべきも、県には既に通信力なく、32軍司令部また通信の余力なしと認めらるるに付き、本職、県知事の依頼を受けたるに非ざれども、現状を看過するに忍びず、これに代わって緊急御通知申し上げる。
沖縄島に敵攻略を開始以来、陸海軍方面、防衛戦闘に専念し、県民に関しては殆ど顧みるに暇(いとま)なかりき。
然れども、本職の知れる範囲に於いては、県民は青壮年の全部を防衛召集に捧げ、残る老幼婦女子のみが、相次ぐ砲爆撃に家屋と財産の全部を焼却せられ、僅(わず)かに身を以って軍の作戦に差し支えなき場所の小防空壕に避難、尚、砲爆撃下□□□風雨に曝されつつ、乏しき生活に甘んじありたり。
しかも若き婦人は、率先軍に身を捧げ、看護婦烹炊(ほうすい)婦はもとより、砲弾運び、挺身斬り込み隊すら申し出る者あり。
所詮、敵来たりなば、老人子供は殺されるべく、婦女子は後方に運び去られて毒牙に供せらるべしとて、親子生き別れ、娘を軍衛門に捨つる親あり。
看護婦に至りては、軍移動に際し、衛生兵既に出発し、身寄り無き重傷者を助けて□□、真面目にして、一時の感情に駆られたるものとは思われず。
さらに、軍に於いて作戦の大転換あるや、自給自足、夜の中に遥かに遠隔地方の住民地区を指定せられ、輸送力皆無の者、黙々として雨中を移動するあり。
これを要するに、陸海軍沖縄に進駐以来、終始一貫、勤労奉仕、物資節約を強要せられつつ(一部はとかくの悪評なきにしもあらざるも)ひたすら日本人としての御奉公の護を胸に抱きつつ、遂に□□□□与え□ことなくして、本戦闘の末期と沖縄島は実情形□□□□□□
一木一草焦土と化せん。糧食6月一杯を支うるのみなりという。沖縄県民斯く戦えり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを。
不都合な取材は一切しない沖縄の新聞は地元に在住の安里巡査には一度も取材していない。
⇒安里巡査はご存命 反対証言は取材しない地元マスコミ
そして、安里巡査は地元マスコミの一度の取材もないままお亡くなりになった。
⇒重要証言者の死
沖縄のマスコミは恥知らずと思う方、 クリックお願いします。
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おはようございます。
県官僚や村官吏をボロクソに仰っていますが、軍将校は上意下達が徹底された官僚体制の極致です。渡嘉敷島、座間味島の戦隊長は、島で最高権威権力者の「国家公務員」です。狼魔人さんが軽蔑してやまない、地方官吏といった雑魚とは違います。
曽野綾子女史の鶴の一声「県幹部を攻撃せよ!」で、否定派の攻撃目標が定まったようですが、なにやらこれは中国文化大革命のときの江青女史の鶴の一声に似ていますね(苦)。
狼魔人さん
一度ぜひ、「三二軍の戦闘指針」「長参謀長の一人十殺一戦車」などによる軍の住民指導について、ご見解をお聞かせ願います。
合囲地境であるためには、敵に包囲されているということだけではなく、参謀本部が宣言しないといけないのですが参謀本部は合囲地境による戒厳を宣言していません。
だからこの教授の主張は間違いです。
WILL誌の増刊号、なかなかの反響です。反日反基地人達が一斉に騒ぎ出したような感じですね。
戦争中、軍人以上に軍人らしく振る舞う民間人は、本土にも大勢いました。「警防団」という町内組織のボス達。それから教師達。思い出すのも不愉快。私に「一人十殺」を説いたのは中学教師でしたね。「軍命」と言うより、銃後の男子の心得としてでしょうね。それが敗戦後は反転して「民主主義」を説く。この矛盾。戦後の左翼にはそんな奴が多かったんです。
却って、軍人である中学への配属将校からはそんなことは聞かなかったですよ。軍人は、民間人との区別をキチンとしていたんでしょうね。
だから今回のスレ、よく分かる気がします。
沖縄タイムス依存症なんじゃないですか。
タイムスと新報の裏ブログ、ミラーブログですなー、ここは。
古い記事までご紹介ご苦労様です。
しかしやはり、太平洋戦争の責任を負うべき官僚のトップはどう考えても軍部でしょう。あのように無謀な戦いを始めてから、神の国だの神風が吹くだのってトンデモ似非科学を国民に吹聴してね。沖縄戦で戦った米軍は54万人だったそうじゃありませんか。国賊といっていいトンデモ官僚ですよ、当時の軍幹部は。
それとも最高責任者は陛下だったとおっしゃりたいのかな。(私はそう思うけど、まさか狼魔人さんは違うよね・・・)
なにやら、変なのに憑依されてる感じですが、前回のエントリーでの低俗な言葉の引用すいません。
板が荒れ模様なので、ロムしたいのですが、ニヒルでもなく、単に揚げ足取りだけが目的のようなのも来てるので・・。こいつら、地元紙の焦りの象徴として哀れんで見たほうがいいのでしょうね(^.^)
後で日本軍に合流したことからも、これは動かし難い事実ですよね。極悪非道の実行者だからそこには「愛」「慈悲」のかけらもありません。同情の余地もない。
「軍命あり」は、自ら悪の根源に積極的に加担した、或いはそれを利用した、卑怯な責任転嫁の殺人者
「軍命なし」は、愛のかけらもない殺人者。結局、どう言い訳しても、ただの殺人犯、他人に手をかけたことは言い訳できない。往生際の悪い殺人鬼に成り下がっている。
それをしつこく擁護するものは、無知な狂人以外のなにものでもない。
「悪の巨魁」はK氏であった。
軍命でも隊長でもなかった。
K氏に許される言い訳は、私の中の別人が殺した、しかないように思います。又は、神のお告げがあった、ぐらいがぴったりのようです。
しかし、それももう遅いか?
もう一つは、瀕死の状態の人だけに手をかけた、か?
何か、全てがK氏に凝縮されているように思います。
「軍命あり」はK氏にとって自爆行為のようです。そしてそれを擁護するものは、極悪非道なのはK氏そのものである、と認めているようなものです。
コメントがダブっていましたので一部は削除しました。
それでさんと同じ意見を言う渡嘉島の人を知っています。