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沖縄タイムス 2008年1月14日(月) 朝刊 1面
政府機関が軍命否定/裁判事案 一方的に断定
防衛研究所資料/不適切と認め削除へ
【東京】防衛省の防衛研究所(東京都目黒区)が、所蔵している沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に関する資料に、渡嘉敷、座間味両島で「戦隊長の命令はなかった」という趣旨の見解を付していたことが十三日、関係者の話で分かった。両島で起こった「集団自決」への戦隊長命令の有無をめぐっては大阪地裁で訴訟が提起されており、三月に判決が出る。事実関係が裁判で争われている事案に、政府機関が一方の主張を認める断定的な記述を付していたことになる。防衛研究所は見解が「不適切」と認めており、近く削除する方針だ。
関係者によると見解は、戦時中に大本営で参謀を務め戦後に厚生省(当時)事務官に就いた馬渕新治氏が、一九六〇年に陸上自衛隊の幹部学校で「沖縄戦における島民の行動」をテーマに講演した際の講演録に添付された手記「集団自決の渡嘉敷戦」「座間味住民の集団自決」に対して付されていた。二つの手記は沖縄戦体験者によるものとみられる。
手記に付されていた見解は、「赤松大尉、梅澤大尉(集団自決発生時は少佐)による集団自決に関する命令は出されていないことが証明されている」として、両戦隊長による命令を明確に否定。根拠に宮城晴美さんの著書「母の遺したもの」(高文研、二〇〇〇年十二月出版)などを挙げている。
見解の作成は防衛研究所の戦史部と書かれているが、個人名や作成日は記されていない。宮城さんの著書が出版された後の〇一年以降に付されたとみられる。
防衛研究所は十三日、担当者が不在だったが、出勤していた職員は、沖縄タイムスの取材に対し「指摘の件について昨年末ごろに報道機関から問い合わせがあった。(見解の記述が)不適切なので削除することになったと聞いている」と説明した。
防衛研究所は安全保障に関する基本的な調査・研究や、幹部自衛官などの教育、戦史に関する基本的な調査・研究が主な業務。政府はこれらの成果を防衛政策の立案に反映させている。
◇ ◇ ◇
検定撤回あす再要請
文科副大臣と実行委が面会
沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に関する教科書検定問題で、「教科書検定意見撤回を求める県民大会」の実行委員らが十四日に上京し、十五日に池坊保子文部科学副大臣と面談、検定意見撤回などをあらためて申し入れる。実行委の構成団体のうち六団体は、県選出・出身の自民党国会議員でつくる「五ノ日の会」にも実行委への協力を要請する。
実行委は、教科書会社からの訂正申請を受け、文科省が認めた教科書の「集団自決」に関する訂正記述を、「『日本軍による強制』の記述がなくなるなど、極めて不満が残る内容となっている」と批判、「県内全市町村や県議会、県民大会での決議などを無視するもので、到底許すことはできない」として、あらためて検定意見撤回と「日本軍による強制」を示す記述回復を要請することにした。実行委結成を呼び掛けた七団体のうち、県婦人連合会など六団体は、実行委の要請行動に協力しないことを決めた「五ノ日の会」に、教科書検定問題への取り組みや県選出の全国会議員と実行委との協議を継続するよう文書で申し入れる。
◇
■<殴られて 初めてわかる 身の痛さ> 読み人知らず■
「相手の痛みを考えて・・・」とは良く言われることだが、「軍命あり派」の方々は、
実際に殴られて見ないと相手の痛みなんて分からないものらしい。
事実が確認されていないことなら、防衛研の資料に書くことを問題にするより、
教科書に書かれることを問題にすべきなのは論を待たない。
教科書に「軍の命令や強制」が記述されても何の痛みも感じず平気でいて、検定意見により「軍命」が削除されると昨年の「11万人」の大騒ぎ。
「軍命あり派」の方々は、子ども達に歴史を教えるのに議論の分かれていることを教科書に記載するのには何の痛みも感じない。
一方、同じことが防衛研の資料に書かれるのは痛くて耐えられないという。
これが左翼の体質らしい。
>事実関係が裁判で争われている事案に、政府機関が一方の主張を認める断定的な記述を付していたことになる。
一見もっともらしく聞こえるが、これを片手落ちというのですよ、沖縄タイムスさん。
上記は次のように書き換えたらどう考えますか。
<事実関係が裁判で争われて事案で、文科省が一方(実行委)の主張を認める断定的な記述を付し・・・>。
>「『日本軍による強制』の記述がなくなるなど、極めて不満が残る内容となっている」と批判、「県内全市町村や県議会、県民大会での決議などを無視するもので、到底許すことはできない」として、あらためて検定意見撤回と「日本軍による強制」を示す記述回復を要請することにした
これが同じ記事に掲載されている矛盾に沖縄タイムスは気がとがめないのだろうか。
実行委は、「あらためて検定意見撤回と「日本軍による強制」を示す記述回復を要請することにした」といっているが、
それが係争中の案件なら、少なくとも判決が確定してから教科書記載は検討しても遅くはないのではないか。
当日記も、おそらくは「軍命なし派」の殆ども、
裁判の判決が確定するまでは「軍命や強制の有無」についての記述を削除するのなら異議はない筈だ。
■敵の公文書は盲信、自国の公文書は否定の左翼学者■
防衛研「命令なし」 「集団自決」資料に見解添付
<沖縄戦に詳しい林博史関東学院大教授は、琉球新報の取材に対し「歴史的に重要な問題に、特定の解釈を示して添付するなんてとんでもない。資料室の業務として大問題だ。軍命を否定しようとする、極めて政治的な意図を感じる」と厳しく批判している。(琉球新報)>
このお方、米国の公文書館を漁って、どうでもいいような史料を「軍命の証拠」として鬼の首を取ったように舞い上がって新聞に発表するのでおなじみの左翼学者である。
参考:又しても? 林教授の新発見 集団自決の米軍文書 |
沖縄上陸時の米軍は沖縄を日本より永久分断し占領し続ける計画であり、その目的完遂のため、
「沖縄を侵略した日本軍から解放にきた米軍」という認識を住民の聞き取り調査に盛り込んでいた。
当然、その辺の状況を勘案して「米公文書」の米軍の聞き取り調書は検証すべきところを、
このお方は米軍資料を鵜呑みにし、・・・いや、鵜呑みならまだしも、恣意的誤訳をつけて新聞発表すほどの手の込んだことをするお方である。
一例を挙げると、住民が「soldiers told」(兵隊さんが言った)というくだりが、
このお方の翻訳にかかると「軍が命令した」(commanded )となるから驚きである。
参考:⇒目くらまし作戦② 「テルかコマンドか」 「沖縄・集団自決訴訟」
以下は「集団自決」の米公文書 「アメリカは解放軍だった」の再掲です。
◇
戦時に作られた文書、写真等が国策、或いは軍の作戦に沿ったプロパガンダ的要素に満ちていることはよく知られたこと。
後の世になってこれらの文書や写真を検証する場合、これらがどのような意思を持って製作されたか、その背景を考慮しながら検証しないとせっかくの資料が時代を見誤る有害物にもなりかねない。
沖縄戦といえば,日本軍が住民を壕から追い出したとか、凄惨な集団自決に追いこんだとかと住民を守らない残虐な日本軍のイメージが強調されて来た。
他方では「アメリカ軍は人道的であり、沖縄住民を残酷な日本軍から救うためにやって来た平和と民主主義の守護者、“解放者”である」かのようなアメリカが作った情報がまかり通ってきた。
アメリカ軍は沖縄侵攻作戦を、「アイスバーグ作戦」と名付け、それまでの太平洋戦争ではみられなかったカメラマン部隊を投入し、沖縄戦の様子を克明に記録している。
それらの記録映像には老婆を壕から助け出したり、赤ん坊を抱いてミルクを飲ましたり或いは負傷者の住民に手当てをしているヒューマニズム溢れる米兵の姿を記録した。
写っている米兵は気のせいかハンサムで体格のいい白人が多い。
実際に沖縄に上陸した米軍は白人、黒人それにフィリピン人や日系二世も混じっていたわけだが、プロパガンダとして残す人道的米兵としてはハンサムな白人の若者が適役だったのだろう。
それらの映像記録は、未編集のまま米国国立公文書館に保存されているが、「1フィート運動の会」によってその大部分は収集されている。
だが、スチール写真等は、沖縄の米軍統治時代に「琉米親善」のプロパガンダに有効に利用された。
米軍の従軍カメラマンの中には、有名なアーニーパイルも含まれていた。
彼の名は60-70歳代以上の人なら東京の「アーニーパイル劇場」として記憶にあるだろう。
だが、米軍占領下の沖縄で小学校時代を過ごした現在50歳代以上の人なら沖縄戦で日本兵の狙撃により非業の最期を遂げた英雄として学校で教えられていたのを思い出すだろう。
イメージとしては沖縄を解放にしに来た“解放軍”の従軍記者が、侵略者・日本軍の狙撃により非業の戦死をしたという英雄物語である。(アーニーパイル記念碑http://homepage1.nifty.com/IE-island/mido8.htm)
ルーズベルトの名は知らなくともアーニーパイルの名は知っている小学生、中学生は当時沖縄には多数いたくらいだ。
米軍は沖縄を本土と分離し、半永久的に沖縄を軍政の元に置く計画だった。
そのため沖縄のことをしばしば「太平洋の要石」と呼んだ。
その最大の根拠は、アメリカが中国、アジア支配の戦略のために、沖縄を公然と米軍基地として気兼ねなく使う目的のためであった。
アメリカは、沖縄戦の前に沖縄について綿密な調査研究をしていた。
沖縄人と日本人は違う民族であり、沖縄人は明治期以降武力で日本の植民地とされた被支配民族と言う捉え方で沖縄人に接した。
そのため収容された捕虜収容所でもはじめから本土兵と沖縄兵を分離するなど、本土と沖縄の対立を意図的に組織した。
このアメリカの意識的な本土・沖縄分断策は成功し、施政権返還後も一部のグループに受け継がれている。
以下に引用する大田前沖縄県知事の著書「沖縄の決断」の紹介文にこれが凝縮されている。
≪まぎれもなく、沖縄はかつて日本国の植民地であった。古くは薩摩の過酷な搾取に支配され、太平洋戦争で沖縄県民は軍務に活用され、やがて切り捨てられ、そして卑劣にも虐待された歴史がある。
その意味では、沖縄戦のあとに上陸してきたアメリカ軍は沖縄にとって解放軍のはずだった。≫
(大田昌秀著「沖縄の決断」朝日新聞社刊)http://www.kamiura.com/chuu18.htm
米軍が沖縄に上陸した時点で米軍の侵攻作戦には三つの分類があった。
①「解放者」 ⇒ 米軍 ⇒ 正義と民主主義の伝道者
②「侵略者」(沖縄侵略) ⇒ 日本軍 ⇒ 独裁・侵略国家の先鋒
③「被侵略者」 ⇒ 沖縄住民 ⇒ 残忍な日本軍の被害者
このような状況で“解放者”たる米軍が、“侵略者”たる日本軍について“被害者”たる沖縄住民に聞き取り調査をしたらどのようなことになるのか。
参考エントリ:目くらまし作戦①-「ケラマとゲルマ」 「沖縄集団自決」訴訟
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