狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

殺戮者米兵が日本兵に入れ替わる!改定版集団自決、捏造された公的刊行物

2020-08-04 05:12:38 | ★改定版集団自決

 

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過去ブログの再掲です。(一部編集)

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集団自決、捏造された公的刊行物

一般の人は公的刊行物を無条件に信頼する。

集団自決に関しても、市中に出回っている雑多の出版物に記載してある証言より、公的刊行物にある証言の方が正しいと考える人は多い。

ところが実際は、沖縄縄戦を記した出版物が、一般刊行物から公的刊行物にいたるまで、虚偽の記述にあふれている。

一般的に信憑性があるといわれる公的刊行物が歪曲と捏造に満ちているのだ。

沖縄戦を綴った公的出版物の編纂・監修に、安仁屋沖国大名誉教授やその弟子の宮城晴美氏といった(大江・岩波手段自決訴訟の)被告側応援団が加わっており、意図的に証言を歪曲・捏造していた事実が判明している。

日本兵と米兵を入れ替えた捏造の沖縄戦史

「残虐非道の日本兵」と「人道精神に満ちたアメリカ兵」というイデオロギーを強調するあまり、証言者の聞き取りをした執筆者の主観で想像を交えた作文を捏造した例は珍しくない。

だが、(残虐な)「日本兵」と(人道的)「アメリカ兵」そのものを、意図的に入れ替えて「残虐非道な日本兵」を作り上げた例は前代未聞である。

証言者が「(残虐行為をしたのは)アメリカ兵」であると二度も念を押したにもかかわらず、元琉球新報記者の取材者は、公的刊行物である『那覇市史』に「残虐非道の日本兵」として記録しているのだ。

ことほどさように沖縄で発刊されている沖縄戦史はすべて眉に唾して読む必要がある。

                           *

 沖縄県文化協会会長の星雅彦氏は、県の依頼を受けて県内の知識人として初めて、『鉄の暴風』の著者よりも早い時期に、集団自決の行われた座間味、渡嘉敷両村の現地取材をした人物である。

沖縄の文芸誌『うらそえ文藝』(15号)が、同誌編集長星雅彦氏の執筆による「『集団自決』 その真相を墓場まで」と題する論文でこの公的刊行物の捏造記事を紹介している。

例えば、次のような氏独特の婉曲な表現で、従来の沖縄戦史を批判し、集団自決の核心に迫っている。(引用文の太字強調は引用者)

《隊長命令や軍命の有無について考えてみる。 すると思い付くことは、根拠がないのに当然あるかのような形を示し得るスタイルで、うまく誤魔化している場合があるということだ。また根拠や理由は不明瞭でも当然起きた筈だと言うような、妥当性の範疇の推量でもって真実性を想像させ得る背景もある。 たとえば軍命令の有無が裁判で争点になっていようとも、その背景や根本問題に真摯にむきあっていると受け取られることによって、賛同が得られる場合もある。 そしてそれらの間隙に、「捏造」が挿入され得るのである。

公的刊行物の記述に疑念を持った星氏は、その中から御存命の証言者を精力的に追跡調査し、改めてその証言を採録した。

そして公的刊行物と実際の証言との矛盾点を指摘している。 

ということは、ほとんどの証言者が、自分の証言が捏造されている事実を知らないままに長年過ごしてきたことになる。 

そして今回の星氏の指摘によって初めてその事実を知ったというから驚きである。

本文中の「避難壕の自決とその謎」という章から例を挙げてみる。

《去年(2009年)12月中旬に、筆者は那覇市の繁多川図書館で同地在住の知念勇(76歳)からミー壕(新壕)にまつわる話を聴かせてもらった。 そのいろいろ含みのある話の中には驚くべき事実が隠されていた。》

このような書き出しで始まるこの章には、当時国民学校6年生であった知念勇さんが、学校の授業はほとんどない毎日を壕掘り狩り出された様子が記されている。

そして昭和19年のいわゆる10・10空襲の時、警察署員と一緒に住民が逃げ込んだ壕に日本軍の将校が現れ、この壕は軍が使用するから民間人は移動せよと命ぜられた話を次のように記している。

《将校たちが去ったあと、壕内は打ちひしがれたように悄然となったが、それでも住民たちの多くは、身の回りの品をまとめはじめた。 署長代理は「今出て行くと危険だから、様子を見てから署員の誘導に従ってください」と告げた。
数時間後にはミー壕から次々と住民は出て行き、民間人は具志堅夫婦とその息子の古康さんと勇さん(証言者・引用者注)と父親の五名が残った。(略)

突然、歩哨が駆け込んで来た。 とすぐ、那覇署員たちは移動し始めた。 その後、日本軍も間もなく撤退して出て行った。 米軍が押し寄せてくる予報があったのだろう。 小一時間後に、数人の米兵がどかどかと入ってきた。 彼らはすぐ合図しあって、具志堅古康さんと勇さんの父親を黙って引っぱって壕から外へ連れ出した。 
一人の米兵は残って勇さんたちを見張っていたかと思うと、2、3分もたたぬうちにカービン銃の音がバラバラと外から聞こえた。 すぐに米兵が立ち去った後、少し間をおいて勇さんたちは父親たちを探しに外へ出た。 一面瓦礫の空間には人影らしきものは見当たらず誰もいなかった。 勇さんの父親は50歳くらいで一般住民の姿をしていたが、古康さんの父親は軍服を着ていたからまぎれもなく日本兵に見られたのだろう。 二人は抵抗しようとしたのか分からないが、何かトラブルで射殺されたに違いない。 連れていかれた二人はその後永久に姿を見せなかった
・・・年老いた知念さんの話はここまでである。》

■日本兵と米兵を故意に入れ替える悪質な歴史捏造■

「那覇市史」の画像検索結果

 

この面談の後、星氏は公的史料である『那覇市史」に掲載された知念さんの聞き取り調査の記述に明らかな作為的捏造部分を発見し、確認のため再度知念さんに面談することになる。

その驚きに満ちた経緯を上記文に続けてを星氏はこう記述している。

《ところが、筆者は『那覇市史 資料編弟3巻7』の中に「子どもと沖縄 繁多川の警察壕で」と題して知念勇さんの手記が載っているのを見つけた。 「《前略》父親はある日突然日本兵に連れ出された。 父親が連れ出された後、2、3発の銃声がしたが、父と共に連れ出された20歳くらいの青年と共に、再び壕には帰ってこなかった(後略)」(410頁)と記されている。 末尾に採話者「嘉手川重喜」とある。 筆者の知人であるがすでに鬼籍の人である。 
後日、再び知念勇さんに会って確かめてみた。 「自分も不思議に思っている。なぜ、米兵に連れ出されたということを、取材する人に2度も3度も言ったのに、どうして日本兵に入れ替わったのだろう?」と本人はいぶかしがるのであった。》

この部分を読んだ時、星氏が昨年、雑誌『正論』12月号に寄稿した『「鉄の暴風」はGHQの宣撫工作だった』と題する論文の次のくだりを、とっさに連想した。

沖縄戦の証言者がほとんど物故された現在、知念勇さんの例のようにご存命の方に証言を再確認して公的刊行物の意識的捏造を発見するのは奇跡に近い。

もし星氏の再調査が遅きに失し、不幸にして知念さんがなくなられていたら「知念さんの父親ら二人が、日本兵に壕から連れ出され射殺された」ということが、歴史の真実として刻まれることになる。

危うく沖縄タイムスが目論む「残虐非道な日本兵」の捏造の歴史に新たな頁が加わるところであった。

星氏はさらに、集団自決の史料として研究者なら一度は目を通したはずの『座間味村史』下巻の「村民の戦争体験記」を取り上げ、そこに記された20数名の体験記を「それらすべては伝聞であるが、隊長命令があったと記された証言が多い」として、各証言者の動きを検証している。 ここでその内容は省略するが、沖縄で集団自決を研究するに当たり異論を述べることが、いかに困難であるかを自分の経験を基に次のように述べて、論を結んでいる。

《ここで、沖縄の新聞を代表する世相を端的に言えば、沖縄では一般的に、二人の隊長の命令によって、集団自決が決行され、惨たらしく多数の住民が犠牲になったという見解だ。 それでは、もっともらしいが、よく考えると奇々怪々にさえ思えてくる。 今や軍命に意を唱えて探求すると、変人扱いされるか、他人の傷跡を暴く悪趣味に過ぎないと批判されるのだろう。 しかし沖縄戦の真実は、隠蔽されない限り、見えてこないのであろうし、そのような視線にこそ重要な意味があるような気がしてならない。(了)》

星氏は、沖縄で沖縄紙を代表する論壇に異論を唱えることは「変人扱い」と婉曲な表現に止めているが、昨年の5月に『うらそえ文芸』14号で沖縄タイムスと琉球新報を真っ向から批判して以来、それまで両紙から定期的にあった原稿依頼も全く途絶えたと聞く。 これは同時に沖縄二紙に反旗を翻したドキュメンタリー作家・上原正稔氏についても同じことが言える。

全体主義の沖縄で軍命に異論を唱えるのは変人扱いされるに止まらず、文筆で糧を求める人にとっては死活に関わる大問題でもあるのだ。

集団自決といえば沖縄タイムスやサヨク出版社の高文研や岩波書店によって発刊された本しか読まない人々にとって、星氏の今回の論文は是非とも一読を薦めたい最新の「集団自決研究」の書である。

■安仁屋教授の歴史捏造■

《私が同書に疑問を持つようになったのは、県資料編纂所が刊行する『沖縄県史第九巻 沖縄戦記録ー』の執筆のため、北谷村から南部・中部の集落を回って聞き取り調査をしたことがきっかけだった。

あれは確か1970年の暮れのことだった。 私は県資料編纂所の職員のAとBの訪問を受けた。 Aは私の書いた原稿について「なぜ日本兵の善行などを書き入れるのか」と詰問してきたのである。 取材は各区長の家に集まってもらい、これを記録するという形で行った。 取材は私一人ではなく資料編纂所の名嘉正八郎と一緒であった。 

この取材で日本兵が住民を助ける話も幾つか出たので「そういうものも記録すべきだと思った」とだけ答えた。 県資料編纂所のA職員は県史編纂時の検閲の役割りを担っていたことになる。

因みにAはマルクス主義で、一つのイデオロギーに全ての物事をはめて判断しようとする傾向があったのだ。
この取材を通して私は『鉄の暴風』は、日本軍を「悪」とするために創作された、ノンフィクションを巧みに交えた推理小説風読み物ではないかと考えるようになった。 そこには日本軍部と国民、また日本軍と沖縄住民を二極に分離させ対立させる仕掛けが巧みに織り込まれているのである。 まさしく江藤淳が『閉ざされた言語空間』で指摘したように、日本と米国の戦いを、日本の「軍国主義者」と「国民」との戦いにすり替えようとする米軍の底意が秘められているのである。(190~191頁)》

これについて筆者はA氏の正体を続々・星氏が『鉄の暴風』を批判!県資料編纂所職員の正体のなかで次のように暴露しておいた。

1970年の暮れに星氏を訪問し、氏が提出した原稿に「なぜ日本兵の善行など書き入れるのか」と詰問したマルクス主義者の県資料編纂所のA職員のことである。

ご本人の星氏は「A氏はまだ元気で沖縄で活躍されている方なので・・・」と実名を語るのを憚っておられるが、沖縄は狭いところで調べればすぐ正体はばれるもの。

1970年当時に県資料編纂所の職員であり、しかもこのような過激な発言で星氏に詰問する人物は自ずと限られてくる。

安仁屋政昭沖国大名誉教授は、沖国大の前は1967年から5年間、沖縄県資料編纂所の職員であり、そのマルクス主義的発言は現在も衰えてはいない。

なお、安仁屋教授は「集団自決」訴訟の被告側応援団の理論的中心人物であり、宮城晴美氏の恩師であることは夙に知られたことである。

その後、星氏が聞き取りした「日本兵の善行」は、安仁屋氏の独断により「沖縄県史」から削除された。

 

【参考資料】

「捏造された集団自決」の画像検索結果

 

「照屋昇雄 琉球政府 辞令」の画像検索結果

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5 コメント

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Unknown (SK)
2020-08-04 06:54:10
記事ばかりでなく、感想も書く様にというコメントがありましたが、それは別によいと思います。
ただ、長い文章だと視覚的に、読むのを避けてしまうので、コメントは数行の方がありがたいと思います。
Unknown (しま〜ぐわぁ〜)
2020-08-04 08:24:28
危うく沖縄タイムスが目論む「残虐非道な日本兵」の捏造の歴史に新たな頁が加わるところであった。

師匠の啓蒙により、一人でも多くの県民がこの事実を知る事が出来るし、沖縄タイムスの偏向報道の恐ろしさを再実感する。大手メディアが取り上げる事は無いのだろうか・・・
本日の沖縄タイムス投稿欄 (カウンター58)
2020-08-04 10:28:51

オピニオン面に一般投稿7本(児童生徒の「ぼくも私も」など除く)。

「コロナ対策で臨時国会開いて」の那覇市・岸正明さん(60)は、7月24、29日に続き今年3回目の掲載。
「なぜかむなしい今どきの退職」のうるま市・松田栄さん(59)は、1月15日、3月19日、4月14日に続き今年4回目の掲載。
「沖縄の歴史考察 未来への責任」の東京都・佐藤忠志さん(53)は、今年初掲載。
「思い出いっぱいスペイン旅行」の那覇市・山内昌一さん(79)は、1月10日、2月1、11、23日、3月18、23日、4月20、28日、5月5日、6月4日、7月4、11日に続き今年13回目の掲載。
「タクシーにも沖縄と本土の差」の浦添市・宮里直子さん(70)は、1月3日、2月23日、3月28日、7月21日に続き今年5回目の掲載。
「『六曜』と生活 潤いや喜び プラス思考で」の南城市・中村一男さん(73)は、昨年10月7日以来の掲載。
「戸隠の夏休み」の那覇市・当真嗣寿雄さん(76)は、1月21日、3月11、25日、5月14、23日、6月29日に続き今年7回目の掲載。
 
カギカッコは投稿欄における見出し。

残虐な日本兵と人道的アメリカ兵 そこまで侮辱され詰られたら戦没遺族は立つ瀬がない、虚しい。最初から捨石沖縄と言って欲しかった、ならば誰が命懸けで特攻するものか。終戦2カ月前に爆死の伯父の形見は出撃前に送 (坂田)
2020-08-04 11:02:21
「台風北上で退避か 尖閣周辺、中国公船連続航行途絶える」

魚釣島~大正島が南北110キロメートルに所在する尖閣諸島、もはや諸島ではなくて群島か列島です。

中國が侵奪すれば、大正島のEEZだけで八重山と宮古諸島を呑みこんでしまい、沖縄本島南部領海までを押さえることが出来るので、中國は大正島が沖縄本島侵略の要になるわけだ。

だから、数年前に中國原子力潜水艦が大正島の領海を潜水航行(=領海内の潜航は国際法違反)した、侵奪の暗示だった。

(㊟但し、領海侵犯した原子力潜水艦も6月の通常動力型哨戒攻撃潜水艦も、初めから入域前に世界最強の海自国産対潜哨戒爆撃機P1が捉えていた。そんなに簡単にみつかる中國製潜水艦は潜水艦に非ず。大正島潜航の際には、P1がアクティブソナーを連投下したとのこと。あんな浅い海でアクティブソナーを歯まされたら原潜も逃げようもない。潜水艦内部にソナー音がとどろいたことになる、然もずーっと響く。海自隊員が、「あんなことがずっと続くと乗組員の精神が恐怖でおかしくなる」と語る)

この際、尖閣諸島すべてを機雷で封鎖お願いします。中國第三海軍のグレー漁船は鉄鋼船だから直ぐに反応してくれます。

その様な目的の小型機雷敷設専用の水陸両用車が、福岡県小郡市陸上自衛隊駐屯地でじっと待ちかまえています。

まるで、水陸両用車が海岸沿線に提灯行列の様な小型機雷の列を、航行しながら次々と敷設して行きます。

(㊟日本海軍にも80年前から水陸両用車が在りました。その姿と大きさが、今、水陸機動団がアメリカより導入した水陸両用車とそっくりです。日本海軍の技術の凄さが判ります、米国で現存する日本海軍水陸両用車に在日海兵隊サイトが驚いていた)

その小型機雷敷設演習の様子を、今春、奄美大島海岸で見せてくれました。意図したニュース映像です。

奄美大島の演習目的が日本版海兵隊の水陸機動団を柱に総合的な離島防衛戦略に在り、その一環で本邦初を意図して公開した。中國海軍に驚くべきものを見せ付けるために在った。

小型機雷敷設専用の水陸両用車なんて、いつ使い用が在るとも判らないとんでもない戦闘車両までを陸上自衛隊が用意していたところに、旧日本陸軍伝統の戦闘精神を見出します。


産経新聞、尖閣領海侵入時にミサイル艇展開・中国軍が海警局と連動との報道が在り。

「海警局巡視船が尖閣諸島領海に侵入する際、海軍ミサイル艇が巡視船に連動して台湾付近に展開している」とのこと。

有事と捉えた場合、なにゆえ尖閣諸島領海に易々と中國軍艦艇が侵入出来るのかの理由に産経新聞が言及していない。

(㊟海中を制したものが海上艦艇の安全航行担保が出来る)

東シナ海は海中も自衛隊が制圧している。中國の潜水艦すべての動静を海上自衛隊が掌握している。24時間監視中だ。

然も、東シナ海は深度200m前後の浅い海で在るから騒音が大きい海域にパッシブソナーを向ければ直ぐに中國潜水艦が見つかること。潜水艦が一度でも潜望鏡上げたらP1に見つかる。

逆に、海上自衛隊潜水艦の場合は、音がしない海域を探索する努力を強いられること。その探索技術が中國軍にないこと。

同様に、空自は中國空軍戦闘機が大陸内部基地を離陸同時に追跡を行うこと。空自は大陸内部の航空機を識別が出来ていること。然し、その逆が出来ない中國軍の拭い去れない現実。
援護法の申請代筆者に (安仁屋 正昭)
2020-08-04 22:11:22
以前、内地の記者を案内して、援護課の申請を行っていた方々を訪ねた事がありました

皆さん、口々に「申請は全て通しました」と言っていました
通ったではなく、通しましたというから、通るようにしましたよと言いたかったのでしょう

ある援護課の女性は、「沖縄戦の時に隠れていた壕に日本軍がやって来て壕から追い出されそうになったが住民が出なかったので、黄燐弾を投げ込まれたので、喉をやられ、それ以来このように声がかすれやすくなりました」と取材の記者に話しておりました

余りの嘘に堪らず横から「日本兵が入る為に住民を追い出す毒ガスとなる黄燐弾を投げ込んだら、兵士らも中に入ることは出来ませんよね。それに黄燐弾の投げ込みは米軍の戦術だったはずです」とチャチャをいれると

その婦人、「ああ!!すみません用事を忘れていました」と言って逃げ出すようにその場を去って行きました

ここで、上原正稔氏が「沖縄戦における県民の犠牲は12万人(戦闘員3、非戦闘員9)は多すぎるし、実数では無いと主張していることが正しいと分かりました

援護法で対象となった戦没者は、約55000人でした

また、本土復帰前後に出版された戦記や県史にこのような援護課の「軍命」の作文が影響していると確信しました

1945年から1952年までに死亡者の名簿があれば、平和の礎の刻銘と同一人物が多数出てくる可能性があります

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