狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

「証言集」に見る新たな謎★教科書執筆者と体験者が初対面

2008-04-10 07:44:45 | ★集団自決

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記述回復へ決意新た 教科書執筆者と体験者が初対面

 高校歴史教科書執筆者の坂本昇さん=東京都=が6日、座間味島「集団自決(強制集団死)」体験者の宮城恒彦さん(74)=豊見城市=と初めて対面した。昨年9月の文部科学省による教科書検定意見の撤回を求める県民大会に力を得て訂正申請した執筆者と、その執筆者を勇気づける体験者が、「撤回」と記述回復に向け、決意を新たにした。(安里真己)
 二〇〇六年末、文科省の検定意見で記述変更に追い込まれた坂本さん。昨年九月の県民大会にも参加、十月には教科書の記述を「日本軍によって『集団自決』を強いられた」と訂正申請する、と記者発表した。それを知った宮城さんは「勇気ある行動を支援したい」と、他の体験者から聞き書きした本や関連資料、書籍、村史の写しなど、一抱えほどもある小包にぎっしり詰めて、坂本さんに送った。

 坂本さんは、ちょうど発表内容に対し「訂正申請するな」など、ファクスでの嫌がらせを受け落ち込んでいたころで、小包を受け取り力づけられたという。その後も、宮城さんから資料が届き、交流が続いている。

 坂本さんは五日、那覇市内であったシンポジウムに参加するために来県していた。「宮城さんから力をもらった。ぜひお会いしたかった」と、目を潤ませながら礼を述べた。

 宮城さんは「県民大会に参加できなかった人も含め、多くの県民や犠牲者が、坂本さんを応援していると伝えたかった」と話した。

 「宮城さんは自分自身の体験だけでなく、同じ目線でいろいろな方から体験を聞き書きしている。質も高い。感銘を受けた」と坂本さん。

 宮城さんはこの日、三月に判決が出た「集団自決」訴訟で退けられた梅澤裕元戦隊長の証言について、当時島にいた者の視点で矛盾を指摘。「体験者でなければ分からないことがある。それを、次の世代に伝えるためにも、勇気を出して教科書に書いてもらわなければ」と今後に期待した。(沖縄タイムス 2008年4月7日)

                                              ◇

>高校歴史教科書執筆者の坂本昇さん=東京都=が6日、座間味島「集団自決(強制集団死)」体験者の宮城恒彦さん(74)=豊見城市=と初めて対面した。

元高校教師から教科書問題で騒いで国立大学教授に上り詰めた高嶋伸欣氏が有名だが、同じく元高校教師の坂本昇氏が沖縄の大学教授のポストを狙っているかどうかはさて置き、彼が沖縄のマスコミではすっかり有名人になっていることは事実だ。

だが、坂本氏がマルクス史観の歴史教育者協議会のメンバーであり、サヨク思想の持ち主であることを知る人は少ない。

歴史教育者協議会(歴教協)はマルクス史観の歴史家松島栄一氏の創立したものであり、

それに日教組の社会科教師が集まったとなると、全ての歴史はマルクス史観の色眼鏡を通して判断される。

この集団は「マルクス史観」の研究団体ではあっても、まともな歴史研究団体ではない。

いや、むしろ「政治団体」といったほうがその名に相応しい。

こんなブログもある。⇒沖縄教科書問題~坂本昇氏の正体~ 

一方沖縄タイムスがドラマッチックな坂本氏との対面劇を報じる相手の宮城恒彦氏も「集団自決」問題には必ず登場する証言者であり、『潮だまりの魚たち』という著書もある作家でもある。

この点では宮城晴美氏(「母の残したもの」)や金城重明氏(『「集団自決」を心に刻んで』)とも軌を一にする。

■似たもの同士の宮城恒彦と宮城晴美■

宮城恒彦氏は、当初は自著で「軍命や強制はない」という内容で出版しておきながら、後で「言葉としての命令だけでなく、強要や誘導、目に見えない命令があった」といった苦し紛れの弁明で証言を変更した。

あげくの果てに「改定も検討」とは『母の遺したもの』が「軍命なし派」の証拠として係争中の裁判の原告側証拠となると、改訂版を出版をした宮城晴美氏のケースと全く同じパターンである。

宮城恒彦氏:
「米兵が大挙壕の近くに来て住民はパニックになり死の道を急いだが、住民のパニックも軍の強制である」

◆宮城晴美氏:
「母が言及している時間帯における梅澤隊長の命令が無かったとしても、以外の時間で梅澤さんの命令があったかも知れず、梅澤さんの責任はあると思うし、そもそも軍としての命令はあったと思う」

                     ◇

以下は『潮だまりの魚』の著者宮城恒彦氏に関するエントリーの再掲です。

 

証言集『潮だまりの魚』に見る守備隊長の実像 

ひと》沖縄戦「慰霊の日」に体験記を出す

2004年06月23日

写真

宮城恒彦さん

 沖縄戦で米軍が最初に上陸した座間味(ざまみ)島で45年3月26日に起きた「集団自決」の生き残りだ。当時は11歳。母親と姉弟で逃げ込んだ壕(ごう)の中で手榴弾(しゅりゅうだん)が爆発し、19歳の姉と担任の教師が亡くなった。

 「戦後、母が戦争を語ることはなかった。毎年3月になると、思い出したように嘆息した」。書き始めたのは、母親が他界した翌88年から。「自決」で住民173人が犠牲になった。自分だけでなく、島の人にも聞いてまとめた。

 「慰霊の日」に合わせて出してきた体験記は今年、16冊目になった。毎回、1千部以上を発行し、学校などに配っている。さらに、23日には、東京の出版社から過去の15冊をまとめた「潮だまりの魚たち~沖縄・座間味島の戦世(いくさゆー)」(クリエイティブ21)を出版する。

 元小学校長。一番苦しんだのは「日の丸・君が代」問題。惨劇を招いた戦前の教育が頭をもたげたが、個人の意見も言えず、公私のはざまで悩んだ。「自決の時、校長が合図をし、女性教師が手榴弾を投げた」。教師になったのも、あの時の体験で教育の大切さを知ったからだという。

 講演をよく頼まれるが、全部断る。10年前に一度だけ引き受けたが、「自決」の場面で胸が詰まり、しばらくの間、言葉が出なかった。

 「若い人にどう伝えるかは難しい。元気なうちはとにかく聞き書きを続けたい」

(文・大矢雅弘、写真・水野義則) 朝日新聞

http://mytown.asahi.com/okinawa/news.php?k_id=48000119999991201

                    ◇

    ■証言者は「平和教育者」■

琉球新報の「沖縄戦特集<史実封殺> 届かぬ沖縄の心④」で証言をした宮城恒彦氏。

彼はこれまで何度か朝日の記事でも紹介されている。

朝日が紹介する『潮だまりの魚たち』(2004年6月発行)は、座間味島における著者宮城恒彦ほか多数の戦争体験者の証言集である。

著者自身が集団自決」の生き残りであり、集団自決に触れられている箇所も多数ある。

だが、同書では集団自決に関する梅沢命令あるいは軍命令には、伝聞も含め、全く触れられていない。

座間味島出身で集団自決の生き残りの証言集なら、当然これまでのマスコミが報じる集団自決を命じる“悪鬼”梅沢守備隊長を期待するのだが、そのような記述は一行も無い。

    ■「潮だまりの魚」に見る“悪鬼梅沢”と梅沢隊長の落差■

それどころか、集団自決発生の前後のエピソードとして、梅沢隊長が村民の女性らに山への避難を命じた記述(163頁)や、

あるいは戦闘により重傷を負った日本兵(少尉)が他の兵に対して、村の娘たちを無事親元に送り届けるよう指示した記述(167頁)などの、

軍による集団自決命令と完全に矛盾する人間的エピソードが、いくつも証言として載録されている。

これらの記述は、従来マスコミに流布している残虐非道な「悪鬼梅沢」とは全くかけ離れた普通の青年の行動が伺える。

これも、著者が、自身を含めた体験者の証言を丁寧に確認、記録した結果なのであろう。

このように、近年著される書籍においては、緻密な調査や史実の検証により、慶良間列島における集団自決については、部隊長命令あるいは軍命令によるものとはされないのが一般なのである。

より厳格に言うならば、学術的には軍命令で集団自決したという根拠は極めて薄いということになる。 

 

    ■真実と「平和教育」の狭間

その一方、元校長の宮城氏は「平和教育」との板ばさみなのか、

「軍命令」に関しては苦しい証言をしている。

<言葉としての命令だけでなく、強要や誘導、目に見えない命令があった>

「軍が直接命令をした」と言わずに「目に見えない命令があった」、

当時11歳の少年が「直接命令する軍人の姿」は理解できても、

「目に見えない命令」という抽象的な意味を理解できたとは思えない。

結局、宮城さんは多くの証言で「軍が命令して集団自決した」とは一言も証言していない。

>「自決の時、校長が合図をし、女性教師が手榴弾を投げた」

琉球新報特集でも次のように証言している。

<1945年3月26日の朝、宮城さんの家族が隠れていた壕に、気も狂わんばかりに逃げ込んできた女性が米軍上陸の様子を生々しく伝えた。  この言葉を引き金に「集団自決」が起こった>

いずれの証言も生々しい証言ではあるが、梅沢守備隊長の命令で自決したと決め付けるには根拠が乏しい。

せいぜい「目に見えない命令」とするのが精一杯。

真実の証言とマスコミの煽動で揺れ動く心のあやが読み取れる証言だ。

宮城氏は自著の証言集中では「軍の命令や強制」という部分はないが、何故かその立場は「軍命あり派」のリーダーである。

 【再掲】終了 

                      ◆

 

■日本兵と村娘と教頭先生、・・・力関係の謎■

宮城恒彦氏は元校長だが、校長は現在でも島の有力者であり、それが戦前ともなると、当時の学校の先生は島の数少ないインテリであり戦時中は村民のリーダであったことは幾多の証言で伺い知ることが出来る。

だが現在の感覚で60数年前の、しかも島を米戦艦に取り囲まれ閉塞状態になった島での人間関係を、安易に想像するのは危険である。

例えば飲み水を巡って銃剣を持った日本兵と村の女子青年団員、そして教頭先生とが争った場合を想定してみよう。

流布する伝聞に従うと飲み水を得る「権力」を持っているのは先ず日本兵、次に村のリーダーである教頭先生そして女子青年団員と考えるのが妥当だろう。

ところが宮城恒彦氏の著した「潮だまりの魚たち」には、当時の日本兵と村の住人の力関係について驚くべき証言が記載されている。

この証言は更なる次の謎を呼んでいくが、・・・

この続きは次回へ。

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2 コメント

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これだけ探しても (ヒロシ)
2008-04-10 12:26:57
これだけ探しても命令を受けた人はいないんですね。
見えない命令というのは要するに「空気を読んだ」わけで、「KY」という言葉の先取り。

続きを期待しています。
Unknown (狼魔人)
2008-04-10 20:11:27
ヒロシさん

>これだけ探しても命令を受けた人はいないんですね。

「命令を聞いた」といった伝聞は多数あるのに直接聴いた人が1人もいないのが不思議です。

村の有力者が皆「自決」した中、生き残った有力者の1人が沈黙を守ったまま亡くなったのも不可解です。

座間味島の場合これから謎が噴出してくる予感がします。

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