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本日は八重山地区の中学校教科書の採択日です。
昨日のエントリーで最近では、毎朝沖縄タイムスの「玉津潰し狂騒曲」の誇大な見出しを見るのが楽しみだと書いた。
で、今朝の見出しはというと・・・・何じゃこりゃ!(爆)
★一面トップ
つくる会系不採択 提案
竹富教育長が方針
選定へきょう協議会
★第一社会面トップ
選定前日 教育長が対立
竹富、異例の反旗
石垣、正当性アピール
住民すわりこみ
「戦時回帰防げ」
反対声明続く
★第二社会面
戦争マラリヤ継承危惧
つくる会系記述なし
現行の帝国書院のみ掲載
沖縄タイムスの断末魔が垣間見れる苦しい見出しである。
特に第二社会面などは紙面のほぼ全頁を教科書関連で埋める異常さである。
自分の気に入らない教科書が採択されたら、「生徒の手に触れさせない」などとヒトラーも驚く独裁発言をした慶田盛竹富町教育長が反対意見を述べたからと言って、果たしてこれが一面と社会面のトップを飾るほどのビッグニュースなのか。
竹富教育長の反対意見は当初から連日のように紙面を飾っていたことで、何をいまさらこけ脅しに紙面のトップを飾る必要があるのか。
よくよく読者をバカだと思っているのだろう。
八重山協議会の構成員は、石垣市、竹富町、与那国町の各教育委員が夫々2名で計6名、それに学識経験者と保護者代表を加えて合計8名であり、慶田盛教育長はそのメンバーの1人に過ぎない。
慶田盛教育長は当初から、教育改革には反対の立場であり、沖教組や沖縄メディアの意を汲んで、教師が独裁的に採択する従来方式に固執してきた。
そのため、協議会の役員会でも議論したが否決され、臨時総会でも緊急動議で抵抗した。 が慶田盛教育長の主張は、最終的に7対1の圧倒的多数で否決されている。
教科書採択の手続きが極めて民主的手法で否決された。 ならばら今度は「住民すわりこみ」とは驚いた。 八重山地区は無法地帯なのか。
何事でも現行の制度を改革しようとする場合、必ずと言っていいほど抵抗勢力なるものが登場する。
抵抗勢力が改革に抵抗する理由は、彼らが長年手にしてきた既得権益を手放したくないからである。
沖教組を中心にする左翼団体がまるで発狂したかのように八重山地区の教科書採択問題で騒ぎ立てる理由は沖教組の既得権を失いたくないからである。
教科書採択の既得権とは何か。
本来、現場の教師には教科書採択の権限はない。
採択権は各地区の採択協議会にある。
八重山地区の場合、八重山教科図書採択協議会に採択権はある。
ところが沖縄の教科書採択の実態は、現場の教師を勝手に「採択調査員」と呼称し、教師が推薦した教科書を「採択教科書」として独断的に決定していた。
協議会は追認するだけの名目上の機関に成り下がっていたのだ。 これは明らかな違法行為である。
教科書採択権は、「採択調査員」を意のままに動かしている沖教組にとっては、既得権そのものである。
今回の玉津教育長の改革は、事実上沖教組が独占している違法な教科書採法を、本来の正常な民主的採択法に回帰しようとしている教育改革である。
教科書採択権を独占的に支配することは沖教組にとって最も重要な案件である。
何故重要か。
沖教組が喧伝する「集団自決は軍命」というデマゴギーの最終目的は、教科書に「残虐非道な日本軍」などの反日記事を掲載させることにあるからである。
今回の八重山地区の教科書騒動で、保守・革新の見解の相違はさて措いても、これまで沖教組が教科書採択には法令を無視して独裁的に採択権を行使していた事実が明るみに出た。
沖縄メディアが火をつけた教科書騒動の思わぬ功績である。
これまで沖教組は法令で決められている教科書展示会も組合教師だけの内々の展示会に止めていたため、一般の保護者が展示会に参加することはなかったし、多くの保護者が展示会に参加できるを今回の騒動で初めて知ったという。
筆者の友人・知人の中にもリベラルな考えの持ち主もいて、教科書採択に関し必ずしも筆者とは同意見ではないが、沖縄メディアの「同調圧力」には我慢できないという人が多い。
何より許せ得ないのは新聞としての使命を忘れ、次のような重要な事実を全く報道せず県民をツンボ桟敷に置いたことだという。
(1)県の教育委が八重山協議会に介入し、当初4日に予定した採択を23日に延期させたことが国会で不当介入として問題になった事実。
(2)八重山地区で行われていた教科書採択で教師が行ってきた違法な採択手法の実態。
重要な情報を隠蔽する一方で、沖縄紙は次のようなデタラメを一方的に垂れ流して読者を誤誘導した。
玉津会長の教育改革は「採択現場から教師を締め出した独断的手法」といった印象操作である。
これを象徴的にあらわしているのが昨日(22日)付琉球新報の「論壇」の次の見出しである。
≪八重山教科書問題 姑息で独断的策動≫
投稿者の平良宗潤氏は県歴史教育者協議会委員長で沖国大非常勤講師というから有識者のつもりだろうが、民主主義の何であるかを全く理解できないで、新聞の見出しを鵜呑みにしてご高説を垂れ流す噴飯ものの駄文である。
一例を挙げると、中山市長、玉津教育長が登場したのは教科書選定のための「姑息で独断的な策動」などと延べ、恥もなく市長、教育長の「悪巧み」は必ず露見するというのである。
「悪巧み」が露見するとは、玉津会長はまるで悪代官ではないか。
この人物、中山市長が石垣市民の選挙で選ばれ、玉津教育長も民主的に選任された事実を知らずにデマを垂れ流しているが、これは中山市長を選んだ石垣市民への侮辱であり、民主主義への挑戦でもある。
こんな人物に、非常勤とはいえ教えを請う沖国大の学生がお気の毒になるが、今時の学生はネットに精通しているので平良氏のように新聞記事のみで物事を判断する化石のような人物の授業など聞き流して、腹の中で嘲笑するのがオチであろう。
さてさて、たとえ協議会で決まった教科書でも、自分のお気に召さぬ教科書の場合は竹富町では採用しないと、民主主義を真っ向から否定する発言で、世間を驚かしている慶田盛教育長だが、竹富町は八重山地区教育区からも独立、いやいや、日本の文科省の教育制度からも独立して「竹富王国」でも建国して独自の教科書で教育するつもりなのか。 その場合、教科書代は高くつくが、慶田盛教育長のポケットマネーで支払うおつもりなのか。
いやいや、ご心配無用。
これほど焚付けたのだから、教科書代は沖縄タイムスと琉球新報が竹富市の教育費は責任を持って支払ってくれると思う。
【おまけ】
沖縄タイムスと琉球新報が必死に隠蔽を試みた八重山地区の教科書選定で、現場の教師が違法行為をしていた事実を暴露した八重山日報に読者の興味深い投稿が掲載されているので引用する。
おそらく、沖縄タイムス、琉球新報ならこの投稿を掲載する勇気はないはず。
いや、おそらくではなく、「勇気はない」と断言できる。
8/9「八重山日報」寄稿欄
【地元紙の偏向報道を糺す】
一般に、日本人は新聞社を信用している。石垣島の方々も例外ではない。タイムスがどうだとか新報がどうだとか、文句を言いながらも新聞から情報を得ている人は多い。新聞に大きく取り上げられたり、多く載ると重大な事と感じ、小さく載ると大した事でなく感じる。載る場所によってもそういう印象を受けるものである。こういった印象操作を巧みに使い自分達新聞社の思想に合うものは大きく取り上げ、合わないものは無かったかのように「報道しない自由」として一切無視してしまう、これが今の多くの新聞社の状況だと思います(もちろん例外もあります)。
市民は、無意識に新聞は中立だと信じ込んでいますが、沖縄の新聞はそうでないものが殆どです。ここ石垣島の地元紙の中にも残念ながら中立と言えるものではなく、左翼思想的な編集が多く見受けられます。その新聞の社説を読むと、民主党の中でも「集団的自衛権の行使」を堂々と主張する若手グループの出現に対し、この国の未来が懸念される状況になっていると書き、さもその主張が悪いことのように印象操作していますが、世界で「集団的自衛権の行使」を主張しない国はありません。それを批判する感覚は左翼的と言われても仕方ないものです。
自衛隊反対と叫べばハト派で穏健な話し合い路線の「平和団体」と安易に高く評価し、自衛隊賛成と言えばタカ派で今にも「戦争をやりたがっている人々」と決めつけ批判的印象操作を繰り返す、そこに中立性は見られません。教科書問題を見てもまったく中立性を欠き今まで同様自虐史観の教科書を採択しないのはおかしいという論調になっていて自社の思想に近づけるように市民を煽動しているように映ります。教科書問題だけでなく、国旗、国歌、自衛隊等多くの問題で共産党発行の新聞「赤旗」と主張がほとんど同じということで、陰では、赤旗のようだと揶揄されているのもうなずけます。「赤旗」は一般市民も思想的に大きく偏っているという認識があるのでまだ救えますが、地元紙に対して市民は中立と信じているので偏向報道をされても気づかないことが多々あります。
日本は今、司法、立法、行政の三権分立で各々をチェックする機関が或るにもかかわらず、マスコミに対してはなんらのチェック機能も果たされておらず、三権を超えて第一権力者と言われるまで野放し状態です。「ペンは剣よりも強い時代」の今、マスコミは自らの報道に責任を持ち間違いがあれば素直に謝らなければいけないと思うし、出来るだけ中立の立場でいてもらいたいと考えます。それがマスコミとしてのあるべき姿だと思います。友寄永三
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今日の教科書採択、楽しみであります。
さて、つい気になってしまいましたので…
武富→竹富
武富市→竹富町
竹富町は、石垣島(石垣市)と与那国島(与那国町)以外の竹富島・西表島・小浜島・黒島…を含めた町です。
おせっかいすみません。
《危険な教科書》
『危険な思想家』
福田恒存 「知識人の政治活動」 読売新聞 昭和四十年六月八日
上記文章の冒頭の部分
私は今日まで常に日本の進歩的知識人の政治活動について否定的な態度を採って参りました。お陰で保守反動、現実主義者、危険なる思想家、天邪鬼、その他様々の過分なる尊称を頂戴し重荷に感じております。譬へば、危険なる思想家と言ふ時、
その前提として何が、《危険》、であるかを判定する基準がなければならない。
諸君にはそれが有るのか、
有るとすればそれにはたして間違ひはないか、
またそれは何処で手に入れたのか、私は素朴にさういふ問ひを発する。
処が、さういふ問ひを発したといふ廉で、吾が親愛なる日本の進歩的知識人(=左翼ブンカ人)、諸君は、《私を危険なる思想家》、と呼ぶのであります。
これは思想の画一主義であり、間接的な言論統制ではないか。私はそれより政治権力による直接的な言論統制の方が遥かに衛生的であり、開放的であると思ひます。
間接的な言論統制は陰湿と腐臭の気を生じ、人間の精神を蝕みます。それは未開人のタブーの様なもので、成文法以前の討議禁止令に等しい。大部分の知識人がそれに服しているとき、その禁止令の当否は別として、とにかくそれを公開討議に附そうではないかと私は言ひたくなる、すると人は私を天邪鬼と呼ぶのであります。
しかし、私は、単に私及び私の様な人間の精神衛生の為に、さういふ提案をしているのに過ぎません。
※、福田恒存は、論壇が赤一色に塗りつぶされていた時代、中央公論・昭和29年12月号に、戦後の雑誌論文のエポックをなす論文、「平和論に対する疑問」、を発表し、左翼知識人の考えを批判したため、当時のインテリから、総スカン、村八分を喰らい、孤立無援、正面だって味方するものはは一人もいない状態だったと述べています。
しかし、福田恒存の文章の内容は長い年月が経っても色あせず、現在ではより真価が発揮されているのに対して、「スターリン万歳」、という類の左翼の本は現在ではほとんど見向きもされていません。
狼魔人さんの文章で思い出したこと。
10年前に私が時々書き込んだ、「assahi新聞社」、(「朝日新聞を叩き潰す掲示板」、の姉妹板と言えるものでしたが数年でなくなりました。)という掲示板に、Kさんという優れた論客がいました。
新婚間もなくの、南九州在住の若い女性で、(ご本人は東京の下町の出身)、猛烈に夫婦仲がよく、ダーリンと呼ぶ、ご主人との惚気を大分読まされました。
ご主人とお義母さんの三人暮らしで、当時扶桑社教科書の採択が大きな問題になっていました。
どんな内容の教科書かと、義母、(はは)、が買って読んでみたところ、「まったく『普通の教科書じゃない』、と語っていた」、と書き込まれていたのを覚えています。
築地カルトと、日教組の宣伝から、どんな、おどろおどろしい、軍国主義の教科書かと思って読んだところ、拍子抜けされたようでした。
扶桑社教科書は市販され、ずいぶん売れました。もし、東京都全部で使用されきた、左翼度の特に強い、日本書籍が市販されても、そんなものは、いくら日教組とチョーニチが鉦や太鼓で囃し立てても買う人間はいなのは確かです。
それが証拠に、多少なりとも教育委員会が機能してからは、日本書籍は採択が激減し、あっさり潰れてしまいました。
日教組、チョーニチの左翼原理主義者には、今でもその恨みがかなりあると思います。
もちろん私はいませんが、20年後、教科書はどうなっているかと考えます。
間違いの御指摘ありがとうございます。
今後も気がついたことがあればご教示下さい。
けっしておせっかいではありませんよ。
結果がどうであれ、これから厳しく調査し、然るべき処置をしなければ、沖縄の教育問題、青少年問題の改善の糸口は、このような一部のイデオロギーに偏った人々によって、封じられることになってしまいます。
自民党の教育問題を憂慮する議員達が、国会で取り上げるようです。
慶田盛教育長には、首を洗って待つように竹富の教育委員会の関係者がご覧になっていれば、丁寧にお伝え下さい。