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一昨日の日曜日終戦直後の昭和25年製作の戦争映画を見た。
古い映画を見ると物語の内容とは別にその映画が製作された時代の雰囲気が画面に垣間見れて興味深い。
ストーリー展開がスローで現代の感覚でいえば退屈する場面も多いが、テレビのない時代に動く画面を見るだけで映画そのものが面白い時代だったそこは我慢せねばならぬ。
見た映画は池部良、山口淑子主演の「暁の脱走」(1950)で、重要な役割で小沢栄(後に栄太郎)が出演している。
物語は北支派遣の日本軍で副官(小沢)付きの上等兵(池部)が戦地慰問中に戦況悪化で帰国できなくなった歌手山口淑子と恋に陥る。
敵の攻撃で負傷した池部と山口は捕虜となるが何とか脱走に成功する。
ところが上官の小沢が山口に横恋慕して、池部を軍法会議で死刑にするように報告書を捏造する。
それで同僚兵士の援助を受けて池部と山口の二人で部隊を脱走をする。
タイトルにもなっているラストの脱走シーンが見せ場なのだが、砂漠のような平野を必死で逃げる二人を悪鬼の形相の小沢上官が南京城のような城壁の上から逃げる二人を機銃掃射する。
傷を負いながらも何とか逃亡を試みるが結局二人とも射殺される。
ハッピーエンドには終わらないのだが、憎憎しい悪役の小沢隊長が日本軍を象徴しており池部、山口のラブロマンスを中心にした「反戦」が映画のテーマでである。
小沢隊長は映画の中で本人の出ない場面では「けだもの」とか「毛虫のような嫌われ者」と罵倒され、徹底的な悪役に徹していて別の興味を引いた。 何しろ暗闇の物音に懐中電灯を持った小沢隊長が
「誰だ!」と怒鳴って懐中電灯で自分の顔を下から照らすシーンには爆笑した。
フツー、暗闇では物音に向かって電灯を照らすだろう。
怪談話のように闇の中で自分の顔を下から照らした時には、
画面の小沢に向かって、思わず
「稲川淳二かよ!」
と突っ込みを入れてしまった。⇒http://tutinoko.org/blog/?p=759
ちなみに当時(昭和25年製作)の時代を反映して映画は中国兵は非常に紳士的且人道的に描かれており、『鉄の暴風』が描くヒューマニズム溢れる米兵を髣髴させるような描き方をしている。
一方の日本軍は悪役小沢副官が「渡嘉敷島の悪鬼赤松」を連想させるような徹底的な悪役に描かれていて興味深い。
映画制作(昭和25年)の二年前には東条元首相を始めとするA級戦犯の処刑が執行されており、米軍占領下の日本では連合国の一員として東京裁判にも裁く立場で参加した中国には並々ならぬ配慮をしたことが伺える。
池部の恋人役の山口淑子が得意の中国語で中国兵と交わす会話を聞くと当時の中国は現在の中国よりよっぽど民主的で紳士的に描かれており思わず苦笑させられた。
同じ昭和25年に製作の戦争映画「きけ、わだつみのこえ」は「暁の脱走」のような娯楽性は排除し徹底的に「日本軍の悪」の部分に焦点をあてた反戦映画である。
やはり、製作者の脳裏にGHQや中国の視線を感じていることが画面に伺える。
きけ、わだつみのこえ」にも登場する隊長は、空腹でやせ細った部下を尻目に、自分だけたらふく食べて慰安婦を従えて安全な壕に潜んでいる・・・まるで『鉄の暴風』に登場する「悪鬼のような隊長」そのままである。
ちなみに『鉄の暴風』も昭和25年の発刊であり、著者の大田記者が当時の戦争映画を見た可能性は充分あるが(当時沖縄でも上記2映画は上映された)、まさかそのイメージで『鉄の暴風』の「悪鬼のような部隊長」を創作したのでは無いと思うのだが・・・。
映画が作られた当時、日本は敗戦直後の荒廃から立ち直ったばかりで、朝鮮半島では、米ソの冷戦が激しくなっていた。
再び戦争の陰がたち込め、実際に1950年6 月には朝鮮戦争が勃発した。
そうした世相のなかで、『暁の脱走』や『きけわだつみのこえ』といった戦争映画に込められた「反戦」思想が共感を呼んだのだろう。
映画制作の二年後の昭和27年、GHQは日本占領を終結し日本は晴れて独立国家となる。
だが米軍占領下の沖縄は『鉄の暴風』の発刊から27年を経過してやっと悲願の「祖国復帰」を果たすことになる。
◆きけ、わだつみの声(1995)は織田裕二主演でリメイクされています。
◆昭和25年版:
1950.06.15 日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声 東横
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占領中の映画は、GHQの命令か、日本の映画人が媚びて作ったものでしょう。
只、細部は皆事実を知っていますから、荒唐無稽ではないでしょう。
居合わせた調査団が撮影したという映像が、今も洗脳中です
http://www.youtube.com/watch?v=v-_g9owxxBk。
「我が青春に悔いなし」はテレビで見ましたが、やはり民主主義を謳歌する学芸会のような作りにこれがあの黒澤映画なのかと呆れたました。
それにしても「我が青春に・・・」は本編が白黒映画で、撮影を検閲したGHQの記録用の映画が今でもカラーで鮮明に見える・・・映画は歴史を映しますね。
エントリーで取り上げた「暁の脱走」も黒澤明の脚本です。
後に黒澤天皇と言われた男もGHQにはおべんちゃらを言っていたのですね。
その通りである。太田良博は映画を見たかもしれないが、それで赤松嘉次を「悪鬼のような部隊長」とする創作をしたのでは無い。
曽野綾子とのタイムス紙上論争で言ったように、米田維好(のぶよし)元村長らからの聞き取った事を、そのまま書いたと言っているではないか。もちろん、米田が真実を言ってない可能性はあるが。
太田は「伝聞で」隊長悪鬼説を書いたと、本に書いた曽野綾子こそ創作をしたのである。