狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

マッカーサーの言論封殺と沖縄空手「三年殺し」の関係

2020-08-08 04:34:16 | ★改定版集団自決

 

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本記事は沖縄空手の必殺技 「マッカーサーの三年殺し」の再掲です。

                    *

筆者の友人の一人А君は沖縄空手の達人で彼の空手の師であるY先生(故人)は沖縄でも伝説の武人であった。

筆者の同級生が毎月一度集う酒席の話題で、A君が恩師の武勇伝を話してくれた。

Y先生は晩年は殆ど弟子を教える事はなく、代わりにA君が代稽古をつけていた。

それでも年に一回、新年の稽古始めにはY先生自ら必殺の突き技を披露していたという。

世界中に散らばる高弟達がこの突き技を見る為空手発祥の地沖縄に来訪した。

年末から新年にかけて道場は外人の弟子で溢れたという。

但し伝説の「突き」は年にたった一回しか披露しない。

裂帛の気合と共に繰り出した先生の拳の突きを、その瞬間クシャミでもして、目をつぶってしまったら万事休す。

「もう一度お願いします」と言っても、

「又来年来なさい」と言ってアメリカからわざわざ来た高弟達も来年又出直さざるを得なかったと言う。

Y先生の伝説の突きをA君はボクシングのパンチに例えて次のように説明する。

同じ打撃(パンチ)でもボクシングのパンチは相手は当たればその瞬間ダメージを受ける。誰の目にも明らかだ。

当然パンチを受けたらその表面は腫れあがる。

だが、Y先生のパンチ(突き)は受けた表面にはダメージを受けない。

だが後になって内部の組織を徐々に破壊すると言う。

Ý先生は、表面は傷つけず内部細胞を破壊する恐怖の必殺技を持っていたと言う。

つまりパンチを受けたときは何も感じないが三年も経過した頃内部の細胞に異常を来たし、場合によっては細胞が腐敗し死に至ることもあるという。

これを必殺「三年殺し」の技と言うらしい。

この技を使われたら殺人の現行犯を見つかっても完全犯罪が成立する。

もっともこの説明をしたH君、酔ってロレツが回らない状態での話しなので何処までが本当なのかその信憑性は保証の限りではない。

           ◇

話は変わる。

戦前の日本の軍部は意にそぐわぬ言論にはあからさまに言論弾圧をした。

当然弾圧を受けた相手は弾圧のダメージを受けるし、弾圧された意識もある。

A君の解説に従うとこれはボクシングのパンチに相当する。

誰の目にも明らかに相手はその瞬間ダメージを受ける。

戦前の新聞等が軍部の意に添う記事を書きまくったのもある意味で理解出来る。

しかし戦後のマッカーサーの言論弾圧は実に巧妙だった。

「自由と民主主義」のソフトな言葉に包んだ「マッカサーの言論弾圧」はまさに空手の達人「Y先生」の「三年殺し」の必殺技だった。

誰にも弾圧とは気付かれずに徐々にその効果を表す・・・。


現在では公表さた資料から「マッカーサーの言論弾圧」は周知の事実だと思っていた。

ところが、日本のマスコミはマッカーサーの呪縛から未だ解き放たれていない。

日本の新聞、特に朝日新聞は「マッカーサーの焚書」から抜けきっていない。

恐るべし「マッカーサーの3年殺し(いや60年殺し)」

その証拠として過去の朝日新聞、天声人語を転載。

【天声人語】2005年09月29日(木曜日)付

 一瞬を切りとった写真が、時代を語ることがある。60年前のきょう、9月29日の新聞各紙を飾った1枚がそうだ。

 両手を腰に当てた軍服姿の180センチと、モーニングを着て直立する約165センチ。朝日新聞の見出しは「天皇陛下、マツクアーサー元帥御訪問」だ。勝者の余裕と敗者の緊張が並ぶ構図は、人々に日本の敗戦を実感させた。

 撮られたのは掲載の2日前。昭和天皇が米大使館に元帥を訪ねた初会談の時だ。外務省の公式記録には「写真三葉ヲ謹写ス」とある。「元帥ハ極メテ自由ナル態度」で、天皇に「パチパチ撮リマスガ、一枚カ二枚シカ出テ来マセン」と説明した。

 未発表の2枚はいま、米国バージニア州のマッカーサー記念館にある。1枚は元帥が目を閉じている。別の1枚は天皇が口元をほころばせ、足も開いている。どちらも、発表されたものに比べて、天皇が自然体に構えている。そのぶん「敗者らしさ」が薄まって見える。

 あの写真は勝者を際立たせただけでなく、時代の歯車も回した。載せた新聞を、内閣情報局が発売禁止にすると、これに怒った連合国軍総司令部(GHQ)が「日本政府の新聞検閲の権限はすでにない」と処分の解除を命じた。同時に、戦時中の新聞や言論に対する制限の撤廃も即決したのだ。

 翌30日の新聞で、それを知った作家の高見順は『敗戦日記』(中公文庫)に書いた。「これでもう何でも自由に書ける……生れて初めての自由!」。こんな、はじける喜びの浮き浮きした感じにこそ、あの写真が語り継ぐ時代の重さの実感がこもっている。
              ★

9月29日の「天声人語」でマッカーサーが戦前の言論弾圧を解放して、日本にも「これでもう何でも自由に書ける……生れて初めての自由!」と有名作家の言葉を借りて「言論の自由の到来」を高らかに謳い上げた。

ところが、その舌の根の乾かないうちにとはこのことか。

半月後の「天声人語」は「新聞に対する検閲は、明治の初めから占領期まで約80年間続いた。」とある。

「天声人声」は戦後60年にしてやっと「マッカーサーの三年殺し」から解放されたのか。

同じ新聞の同じコラムの論調が半月ほどでこうも変わるとは。

 【天声人語】2005年10月16日(日曜日)付

第二次大戦後の占領期に実施された検閲には不可解な例がいくつもあった。「東北で疫病の恐れ」といった記事が削られる。馬追い祭りの写真も掲載できない。武者姿が復古的と見なされたようだが、恣意(しい)的である。新聞人は敗戦の悲哀をかみしめた。

 新聞の事前検閲が本格化したのは60年前の10月だった。各紙が連合国軍総司令部(GHQ)に日々大量の原稿を持参し、掲載可か否か保留か判定を待った。新聞統制に腕をふるったのは元記者でGHQ情報課長のドン・ブラウン氏である。検閲行政を進めたほか、印刷用紙の割り当ても差配した。

 ブラウン氏の足跡を紹介する企画展が30日まで横浜開港資料館で開かれている。彼が戦時中に手がけた対日宣伝ビラは巧妙だ。すし盛りのカラー写真や天皇の詠歌を載せ、日本兵を投降に誘う。占領終結後も日本にとどまり、80年に病没した。

 ブラウン氏が米国で生まれた1905年、日本は対露戦争のさなかで軍部が検閲に力を入れていた。元TBS記者竹山恭二氏の『報道電報検閲秘史』(朝日選書)を読むと、特報の数々が軍や警察でなく、地方の郵便局で気まぐれに没とされ、削られていたことがわかる。

 当時の報道合戦は電報頼みだった。「○○少佐昨夜旅順ヘ出発ス」。陸軍の拠点だった香川・丸亀の郵便局から記者たちが本社へ送った大量の電報の行方を竹山氏は克明に調べた。歴史に埋もれた電報検閲に光をあて、今年の日本エッセイスト・クラブ賞に輝いた。
 
 新聞に対する検閲は、明治の初めから占領期まで約80年間続いた。


 【付記】

戦後60数年経過しても、沖縄では言論の自由は無い

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3 コメント

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当時の雇われ検閲官 (安仁屋 正昭)
2020-08-08 08:57:02
昭和20年からGHQにやとわれたプレスコードを守らせるための検閲官は、中村 粲先生によると約5000人

その給料は、東京裁判にかけられた東條英機首相が現職時代に貰っていた給料と同等だったとの事

1700人にも及ぶBC級戦犯の処刑(骨のある指揮官達)
日本の精神的な指導者らの公職追放30000人
日本正史、、国体、葉隠れなどの武士道、修身教育などの焚書は、7000とも10000ともいわれている

戦後75年、やっと日本の覚醒が起こり始めました

尖閣襲来は、中共が眠っていた虎を怒らせることになります。 これを墓穴を掘るというのでしょう。
朝日新聞、高見順氏の主張には前提が在る。 (坂田)
2020-08-08 14:16:26

>作家の高見順は『敗戦日記』(中公文庫)に書いた。「これでもう何でも自由に書ける……生れて初めての自由!」朝日新聞。


高見順氏、終戦1カ月前から既に市中も軍部も厭戦状態で在ったことを、75年前7月22日付読売報知新聞の投書欄を読んで判った。

戦後、読売報知新聞記者が読者に成りすまして投書していたとの指摘が在ったが、事実は軍部の検閲を素通りしていたこと。

厭戦気分が軍・民に蔓延した事実が判る。

投書欄の主なものが、①政治家も日本人らしく戦え、②政治家たちも戦え、③食糧と兵器の事情に於いて誰一人として出来なかったことの責任に日本人らしく腹を切った政治家がいない、④報道陣と指導者にお願いが在る、神機来る・待望の決戦・鉄壁の要塞等々、なんたる我田引水の言で在ろう、かかる負け惜しみは止めてもらいたい。もうこんな表現は見るのも聴くのも嫌だ、⑤俺たちはどんな最悪の場合でも動ぜぬ決意を持って日々やっている、もはや俺たちを安心させるような(その実、反対の効果を生む)言葉はやめてくれ。

(㊟これらが投書欄に載った。然も、軍部の新聞検閲を素通りしたので軍が同意していたのが判る。投書内の政治家とは軍部官僚を指している。インパール作戦前から参謀に兵站出身の将校が一人もいなかった。居たのは大和魂で行け行けどんどんの将校だけだった。だから、全ての現場司令官が行け行け参謀から負託されたことで最悪の間違いが発生した、インパール作戦と沖縄地上戦の失敗だった。現場司令官は、命令を受けた自分の立場をそれなりに守ることに終始した。だから、沖縄地上戦で住民の無差別道連れがおきた。なお、読売報知新聞に厭戦の投書、沖縄地上戦が終結した一カ月後のことだった。8月9日は長崎原爆記念日です、天皇が初めて事実を知った記念日で在ること。天皇が、陸軍将校から「未だ互角です」と上奏されたことに「見込などない」と一蹴した日にソ連が対日参戦した怪しからん記念日で在ること)

なお、高見順氏が読売報知新聞のそれらの投書を、まさに世論で在ると評価した。

更に、今まではかかる世論の公開を許されなかった。許される方が遅かったと思う、民衆に無関心を要求し一方で協力せよと言っても無理で在ると記した。

嘘つきは朝日の始まり (安仁屋 正昭)
2020-08-08 18:01:29
プレスコードに震え上がり、自主検閲を徹底し
GHQにおもねて日本軍を貶める記事を書きまくった朝日新聞

ひと昔前までは、宮内庁御用達とか言っていたインテリ新聞だったが、これも内実は上記の如き、卑怯な者たちが記者や編集者になっていたわけだ

現在は、中国共産党のご機嫌を損ねないように
また、宣撫工作に評価を貰えるように「安倍つぶしは朝日新聞の社是」とまで言っている

利己主義から脱却できない物書きほど害を撒きちらず存在は無いと思う

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