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女が三人集まると姦しいというくらいだ。
グアムに60人もの女性が集まったら、その姦しさは通常の20倍にもなるのだろう。
姦しいだけならまだしも、ナンパや単なる夜間禁止令違反の米兵を、身から出た錆びとはいえ、強姦魔に仕立て上げる理不尽ないいがかりについて昨日書いた。
いいがかり婆さん、もとい、いいがかり姉さん たちは返す刀で、思いつく不都合は全て基地のせいだと斬りつけてくる。
沖縄語が廃(すた)れてきたのも基地のせいだというのだ。
なるほど「いいがかりマニュアル」という本が出るのも納得だ。
沖縄タイムス 2009年09月21日 社会
基地負担の悩み各国共通と実感/県内参加者が帰沖/国際女性会議inグアム【社会】
グアムで開かれた「第7回軍事主義を許さない国際女性ネットワーク会議」に沖縄から参加した「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」のメンバーら8人は20日、6日間の日程を終えて帰沖した。
会議では、反基地運動や基地の影響を受けた環境問題などに取り組む世界12地域の女性団体約60人と、各地が抱える問題を報告し、解決策を話し合った。
同会の会員で初参加の仲村宮子さん(52)は「植民地支配下の人々も、基地の負担から同じような苦しみや悲しみを持っていることを会って初めて実感した。学んだことを今後の活動に生かしたい」と述べた。
琉球大学の大学院でしまくとぅばを研究している親川志奈子さん(28)は「基地を造ることで軍事に頼らざるを得ない状況や、言葉や文化、健康など当然手に入るものを手放さないといけない状況がつくり出されている。そういう地域では言葉の継承も、反基地運動も根源は同じだと思った」と感想を語った。
◇
当日記とは考え方の違う方々が世界各地から集まって、基地の弊害を語り合うのはカラスの勝手でご自由だが、
ウソのニュースを基にどんな高邁な議論を戦わしても、議論自体がいかがわしくなると書いた。
何でも悪いのは米軍基地のせいだ、と言い出したらきりが無い。
琉球大学の大学院で「しまくとぅば」(沖縄語)を研究している親川志奈子女史は、言葉や文化を失うのも米軍基地のせいだと仰る。
この伝でいくと沖縄の学力が悪いのも基地のせい。
離婚率が高いのも基地のせい。
酒気運転が多いのも基地のせい。
メタボ腹のオヤジが多いのも基地のせい。
沖縄が暑いのも基地のせい、ということになりかねない。
遥々グアムまで行って、そんなに基地の弊害を、有ること無いこと、言いふらす暇があるなら、
基地公害の極地ともいえる「米軍流弾事件」を話題にしなければ片手落ちでは無いのだろうか。
あんなに騒ぎ立てていたのに、米軍が「犯人は米軍ではない」、と公式に発表して以来沖縄の二紙がピタッと沈黙していることを不思議とは思わないのだろうか。
一時は琉球新報だけでもこの騒ぎだったのに。
「忘却とは忘れ去ることなり。 忘れ得ずして 忘却を誓う心の悲しさよ」(「君の名は」より)。
忘れ得ずして流弾事件の忘却を誓う沖縄タイムスと琉球新報のために、
金武町伊芸区の住宅地で起きた「米軍流弾被弾事件」について再掲する。
◇
たった一人の目撃証言が米軍と沖縄県警の調査能力を決める大変な事態になってしまった。
嘘つきは県警かそれとも米軍か。
事件が起きた当時は連日社説やコラム動員して米軍糾弾のキャンペーを張っていたはずだが、
4月に入ってからは沈黙を守ったままであった。
あれほどくり返し「事件をウヤムヤにするな」と叫んでいた勢いはどこへ消えたのか。
事件の決め手はアリバイだった。
「11日発生」と関与否定 伊芸区流弾事件/最終報告書 米軍「訓練なかった」【04月11日】
1日、県警が米軍から受け取った最終報告書は書簡形式のA4判3枚、日本語訳3枚も添付されている。
それによると米軍は、石川署が昨年12月19日に作成したとされる報告書を基に、発生日時を「昨年12月11日午後4時ごろ」と記述。キャンプ・ハンセンでの訓練を同11日から13日まで実施していなかったことから、「訓練場から発砲された証拠が見つからなかった」と結論づけた。
目撃者については「被害者の女性以外にはいない」などと記述。ナンバープレートに銃弾が突き刺さっていた乗用車は(昨年12月)11日午前零時から13日午前7時30分まで駐車されており、被害者が大きな音を確認したのは11日午後4時ごろとしている。
さらに報告書は、県警が銃弾の鑑定結果として断定した50口径弾は、米軍キャンプ・ハンセンのレンジ7とキャンプ・シュワブのレンジ10で使用。弾芯には通常、銅などの被帽(ジャケット)がついているが現場では確認されず、さらに弾には若干のゆがみはあるが変形していない―などと記載されていた。
県警は被害者の情報などから捜査の初期段階で発生日時を(昨年12月)10日午後3時ごろと特定。事件発覚後、米軍に発生日を随時伝えていたという。
◇
県警は住民の話などから事件発生日時を12月10日午後3時ごろと特定し、米軍側にも発生日時を伝えていた。
だが、米軍側は独自の調査により事件発生日時は12月11日と特定していた。
県警と米軍の主張するアリバイの誤差が数分間、いやせめて数時間でもあれば、推理小説の題材にもなろう。
だが、誤差がまる一日では、どちらかの捜査がずさんだったということであり、単純すぎて小説の題材にもならない。
事件発生日は、両者の主張によるとこうなる。
◆県警⇒12月10日 午後3時ごろ
◆米軍⇒12月11日 午後4時ごろ
米軍は県警の報告を基にしながらも、独自の調査で問題の乗用車が事件現場の車庫に駐車していた時間を、次のように特定している。
駐車時間⇒11日午前零時から13日午前7時30分まで
事件発生(被害者が大きな音を確認)⇒11日午後4時ごろ
米軍がこのように具体的にアリバイ調査の結果を発表しているのに対し、県警も含めてこれに客観的に反論している事実はない。
県警によると、被害者らの情報などから捜査の初期段階で発生日時を10日と特定しているが、たった一人の目撃証言を鵜呑みにして初期の裏付け捜査を怠ったのではないのか。
事件発覚後、米軍に発生日時を随時伝えていたというが、これに対して米軍は証言を鵜呑みにしないで裏付け調査をして、最終調査報告で「事件発生は訓練終了以降の11日」との結論に到ったのではないか。
米軍が目撃者は一人しかいないと事実上の名指しをされている玉城さんは、事実上「嘘つき」と言われたことに憤りを示しているし、
儀武剛金武町長も「納得できるまで説明を求めていく」といっている。
にもかかわらず、その後沈黙を護っているのは結局納得したと言うことなのか。
発生日に食い違い 流弾事件/再三通報 県警10日→米軍11日【04月10日】
複雑そうに見えて問題は簡単だ。
目撃者の証言が正しいか、それともウソだったかと言うことにもなる。
米軍発表と県警発表といずれが正しいとしても、アレだけ大騒ぎした地元二紙がこのまま沈黙を守ることは読者に対する大きな裏切りだ。
◆関連エントリー
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沖縄戦「集団自決」の謎と真実 |
気楽でいいですね、サヨクって♪
昔のアメリカが良くて、今のアメリカが悪いアメリカですと言ってますね。
その一方で日本軍は悪の軍で、自衛隊はダメだと。
何を言いたいのやら。 懐かしいアメリカ軍を望んでるのかな?
米兵どころか外国人ともほとんど関わりの無い生粋の沖縄県民である私が沖縄方言をほとんどしゃべれないのはなぜなんでしょうか?
ぜひ教えてもらいたいなぁ^^
「しまくとぅば」を学ぶ人を理解できないのは私だけでしょうか。方言は少々恥ずかしがって使うもの、「ちゅちょねえ」とインタビューに答えた方が偉大な人だから聞けたものを、沖縄語を文化に、こだわる意味がわからないです。反撃があれば管理人様ではなくカモミールにどうぞ。最近考えているのが、新報にタイムスと違う路線を走ってもらう。左右の情報意見も同じく報じ、偏向報道から足を洗い、県民の旬のニーズに応えていく記事を出す。結果売り上げはどんどん上がる。直接、県民生活に役立つ情報をまず第一に。しまくとぅばは役立たないのではないかしら。自由な新聞が売れると思うけど。新報、差をつけるなら今ですよ。社のカラーを真ん中色にしてみたら、間違いなく売れますよ。タイムスはもういいやという感じです。同じ人ばかり。ネタも何年も使いまわしかと思うほど、教科書じゃあるまいし、ニュースペーパーなのに。情報の裏づけも怪しければ何故買ってまで読まないといけないのかわからなくなる。ネットの情報は本当に凄いですね。無償提供に心から感謝です。「南京」日本公開されるんですね。
グアム住民は沖縄から移設される基地に歓迎のようなので、この女性集団は沖縄から追い出すだけではなく、引き受けるのやめよ、とでもいいたいのでしょう。
しかし、南の島の観光地に怖いおばさん集団が60名も集結して一週間も会議・・・怖わっ!
会議を名目の「一週間のグアムの夏休み」が実態でしょうね。 羨ましい話です。
DUCEさん
南の島で優雅に会議してる暇と金があれば歌舞伎町にでも行って「売春婦救済運動」に立ち上がった方が世のためになると思いますがね。
さかさん
同じ米兵でも沖縄戦当時の米兵は「神様」で現在の米兵は「悪魔」というのでは米兵も困るでしょうね。
ヒポポタマスさん
沖縄方言の研究ではこの会議に参加できないので、無理やり自分の研究を基地公害に結びつけたのがミエミエですね。
どこから金は出ているのでしょうね。
カモミールさん
このお方は自分でブログをもって「しまくとぅば」を反日、反米のネタに使っているようです。
沖縄語を文化と強調する裏には明治期の「方言札」を始めとする「皇民化政策」への恨み辛みがあるようです。
明治維新で文部省が出来、全国的教育の普及を目指した維新政府は、官僚の生真面目さと武人の生き残りの蛮勇で全国的に実施したわけで、教育の普及の妨げになった方言を廃止するため多少の荒療治もやむを得なかったのです。 「方言札」はその中の一つであり、沖縄だけに実施したわけではありません。
沖縄語を文化と崇め奉って「文化を奪った」と恨み言を言う方々は、沖縄の先人達が苦労して「国語」による学問の取得する機会を得た、というプラスの面を全く無視し、マイナス面だけを叫び続けています。
「生まれ出ずる苦しみを怨ん、で生まれたことを恨み続ける愚か者」だということが出来ます。
何より、明治期の教師が、「しまくとぅば」を尊重し標準語の普及を怠っていたら、琉球大学の大学院で優雅に「しまくとくば」など研究できなかっただろうし、グアムで国際会議に参加することも出来なかったでしょう。