中国 「日本を本気で怒らせてみたいが、潜水艦で領海侵犯しても怒らない」
韓国 「竹島を占拠しても、日本の漁船拿捕して漁師殺しても怒らない」
中・韓 「俺らは日本人を怒らせようと凶悪犯罪者を大量に輸出してみたんだが、逆に小泉総理はビザ免除に動いてくれて・・・‥」
北朝鮮 「・・・テポドン等を派手にぶっ放してみたんだが、半年程度の入港禁止で許してくれるそうだ」
中国 「尖閣近海でガスを吸い取っても怒らない」
韓国 「存在もしない従軍慰安婦で騒いだら、怒るどころか国が謝ってくれる」 「じゃあ、どうすれば・・・」
北朝鮮 「日本人を拉致してもお米をくれたし、工作員が日本に住むのを許してくれる」
中・韓・北 「福沢諭吉は≪悪友は断つ≫と言っていたが・・・」
*
8年前前のテレビ番組「ここがヘンだよ日本人」の一場面。
どんなに謝罪を続けても日本を許さんと吼える韓国人、中国人相手に孤軍フン闘、一人で日本を弁護していたアフリカ人ゾマホンさん。
ゾマホンさんが言うには「韓国が日本の植民地だったのは36年だが、アフリカが欧米白人国家に植民地だったのは700年で、そのうち300年は植民地どころか奴隷国家だったが、欧米国家は一度も謝った事はない。 それに比べたら日本の36年の植民地時代はかわいいものだが、日本はこれまで何度も謝ってきた。 いい加減に日本を許して未来志向で行こう」と大体こんなところ。
だが、中国・韓国は「10代過ぎても100代経っても許さない」と言う。
取りあえずゾマホンさんの孤軍フン闘振りを動画で見てみよう。http://www.youtube.com/watch?v=-tDNx3GobLg
やしきたかじん、勝谷誠彦、橋本弁護士も中国、韓国にはフンガイしているようだ。
http://www.youtube.com/watch?v=zHqlDj9mw04
ゾマホンさんや、やしきたかじんと同じように、120年前既にに中国と朝鮮に呆れ返っていた人がいた。
≪シナ・朝鮮二国と日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。情報がこれほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、それでも過去に拘り続けるシナ・朝鮮の精神は千年前と違わない。
この近代文明のパワーゲームの時代に、教育といえば儒教を言い、しかもそれは表面だけの知識であって、現実面では科学的真理を軽んじる態度ばかりか、道徳的な退廃をももたらしており、たとえば国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。
、現在のシナ・朝鮮は日本にとって何の助けにもならないばかりか、この三国が地理的に近い故に欧米人から同一視されかねない危険性をも持っている。
すなわちシナ・朝鮮が独裁体制であれば日本もそうかと疑われ、向こうが儒教の国であればこちらも陰陽五行の国かと疑われ、国際法や国際的マナーなど踏みにじって恥じぬ国であればそれを咎める日本も同じ穴の狢かと邪推され、朝鮮で政治犯への弾圧が行われていれば日本もまたそのような国かと疑われ、等々、例を挙げていけばきりがない。
これを例えれば、一つの村の村人全員が無法で残忍でトチ狂っておれば、たとえ一人がまともでそれを咎めていたとしても、村の外からはどっちもどっちに見えると言うことだ。
実際、アジア外交を評する場面ではこのような見方も散見され、日本にとって一大不幸だと言わざるを得ない。
もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。「東アジア共同体」の一員としてその繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。
日本は、むしろ大陸や半島との関係を絶ち、先進国と共に進まなければならない。
ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならないのだ。
この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。
悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。
私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。(明治18年3月16日)≫福沢諭吉 「脱亜論」抜粋
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この文を平成18年、・・・じゃなく、明治18年に書いている福沢諭吉先生はエライ!
まるで≪100年後のおめーらのやる事は全てお見通しだ!≫とでも言っているようだ。
ゾマホンさんは福沢諭吉の「脱亜入欧論」でも勉強していたのだろうか。
◇
◆昨年の11月、福沢諭吉の「脱亜入欧」をからかった「日本よアジアに帰れ」というコラムが韓国の中央日報に掲載された。
「脱亜入欧」は今でも正論で先の見通せる福沢諭吉に斯く言わせたのは全て中国・韓国・北朝鮮の無法にある。
彼らの思考は120年前も今も何の進化もなくむしろ脳死したとお互いを罵り合ってさえいる。
やはり福沢諭吉は正しかったし、今でも正しい。
◆中央日報 【コラム】 2005.11.25 12:26:14
日本よアジアに帰れ
日本では新しい内閣がスタートするとき、コメディーの一部かというような演出がなされる。
首相と大臣たちが日本人の体格にほとんど似合わないモーニングコートを着て首相官邸階段で記念撮影をする姿だ。
服装のカジュアル化を迎え、欧州からもほとんど消えたモーニングの貴族趣向を明治維新以来今日まで内閣が固守していることから、日本人の西洋崇拝の断面が伺える。
モーニングを着た大臣たちと小泉純一郎政府のアジア軽視政策を見れば、日本はまだ「アジアを離れて欧州の仲間入りを」と言った福沢諭吉の脱亜入欧論のままだ。
近代日本最高の啓蒙思想家として今も1万円券紙幣にその肖像画を残している福沢諭吉は1884年、彼が支援した金玉均(キム・オッキュン)ら朝鮮開化派の甲申年クーデターが失敗すると1885年、時事新報に脱亜論という社説を書いた。
彼は言った。「日本は朝鮮と中国の開明を待って一緒にアジアを興す余裕はない。日本は彼らとは別れて西洋の文明国たちと進退をともにしなければならない。悪い友達と付き合えばともに汚名を避けることができない。私たちはアジアの悪い友達を謝絶しなければならない」
彼はまた、日清戦争を文明(日本)と野蛮(中国)の戦争だと言った。福沢諭吉はぼみすぼらしい知人を遠ざけるように朝鮮と中国を相手にせず、ひたすら西洋の思想と文物を受け入れ、日本を近代化しようと促した。
その時代の日本のためには、彼の処方は正しかった。
それから120年の歳月が経った。
国際化を迎え、社会、経済、文化的な国境が消え同じ文化コードが韓国と日本と中国を含む世界のほとんどすべての国を貫く時代だ。株式取引をソウルとニューヨークと東京とロンドンでリアルタイムで同時に成り立つ。
そして韓国と中国は日本より悪い友達でもなく、みすぼらしい境遇でもない。
それにもかかわらず小泉の意識の進化は19世紀後半の日本を熱狂させた福沢諭吉の脱亜論段階にとどまっているのか。
政府の外でもそのような兆しが感じられる。昨年の春、北京で韓国、中国、日本の国連協会代表たちが集まってフォーラムを開いた。テーマは国連改革だったが、話題の焦点は日本の国連安保理常任理事国選出問題だった。
ベテラン外交官出身である日本首席代表は韓国と中国が日本の安保理進出をいくら反対しても日本は予定通り安保理常任理事国になると言い切った。アフリカ多数国家と米国の支持を信じたようだ。脱亜にとどまっても、世界の指導国になることができるという態度だった。
第2次世界大戦以後、日本の入欧は入米に変わった。しかし脱亜はまだ隔世遺伝的に外国を見る日本人たちの認識と態度に現れるようだ。でなければ韓日関係と日中関係に悪材になるのがわかりきった靖国神社参拝を、あのように執拗に強行する小泉首相の行動を説明する手段がない。日本国民の多数が神社参拝が日本のアジア外交に及ぶ悪影響を心配していることを見れば、有権者たちの表を得るためだからという説明も説得力がない。民族主義としても説明できない。
小泉首相は米国のペットという嘲弄を受けるほど、親米的だ。一言で強者に弱く、弱者に強い卑しい姿勢だ。
日本がアジアを離れて西洋を徘徊する間、アジアで日本の居場所は減るほかない。中国の胡錦涛国家主席は、靖国紛争以後、小泉首相をまったく相手にしない。韓国は必要な場合にだけ首脳と外相に会うという立場だ。
政経分離によって外交的な対立が経済的な取引には大きな影響を与えないといえども、国際関係で経済が全てではない。
日本はアジア国家としてのアイデンティティを取り戻すときだ。グローバル時代に脱米と脱欧はありえない。しかし日本が時代錯誤的な福沢信仰にしばられてアジアからそっぽを向けば、高い対価を支払う日が来るだろう。
金永熙(キム・ヨンヒ)国際問題大記者
◇
◆社説・春秋
春秋(4/17)
「我国(わがくに)は隣国の開明を待て共に亜細亜を興すの猶予ある可(べか)らず、寧(むし)ろその伍(ご)を脱して西洋の文明圏と進退を共にし……」。福沢諭吉が1885年3月16日付「時事新報」社説として書いた文章の一節である。脱亜論と呼ばれる一文だ。
▼福沢は「我は心に於(お)いて亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」と中国と韓国を悪友呼ばわりして論を結ぶ。福沢の創作と思われている「脱亜入欧」の四文字熟語は実はここにはないが、様々に応用されるようになる。脱亜入欧が「奪亜入欧」を目指す路線に変わった歴史はいまに尾を引き外交関係に影を落とす。
▼コロンビア大学のジェラルド・カーチス教授によれば、中国や韓国の学者たちの間には、小泉政権の外交路線を「脱亜入米」とする見方がある。「通米入亜」も聞かされたという。日本は米国を通じてしかアジアと向き合っていないとの韓国人学者の批判だ。一方、米国人学者はいまの韓国を「脱米入中」とみる。
▼中国の胡錦濤主席が今週米国を訪問する。真珠湾から始まった1997年の江沢民訪米は対日批判で米国と足並みをそろえたい「脱倭(だつわ)入米」の思惑が見えたが、今度はどうか。94年12月20日付本紙一面では先輩記者が「伴米入亜」を日本外交に求めた。確かに米国とともにアジアの仲間になれれば、と思う。
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