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宮城晴美氏の苦悩(1)-母から託された「真実」を本に
原告側証拠となり、たじろぐ
(写真省略)「沖縄戦『集団自決』―教科書検定への不当な政治介入に断固反対する」緊急集会=10月15日、参議院議員会館第一会議室で(武田滋樹撮影) |
第二十二回沖縄タイムス出版文化賞正賞を受賞した『母が遺したもの』(平成十二年十二月発行)の宣伝文句である。
著者である宮城晴美氏(57)が母の初枝さんから託された「真実」とは何か。それは、昭和三十一年三月、厚生省引揚援護局の職員が住民の戦争体験の実情調査のため、座間味島を訪れたことに端を発する。住民が軍の要請を受けて物資の輸送や兵士の案内、勤労奉仕などの形で戦闘に参加・協力して死亡または負傷した人を支援する法律が施行され、沖縄もその適用の範囲に含まれることになった。これを踏まえて、聴き取り調査が行われたのである。
初枝さんは島の長老から、「梅澤隊長から自決の命令があったと証言するように」と求められた。しかし、初枝さんは証言できないと断った。だが、「島の人たちを見殺しにするのか」という長老の怒りに屈して、自決命令があったと証言したのである。
初枝さんの証言が契機となって、「梅澤隊長自決命令」説が広まって梅澤氏の家庭に暗い影を落とすことを耳にした初枝さんは激しく葛藤(かっとう)する。昭和五十二年になって、「梅澤隊長は自決の命令を出していない」と娘、晴美氏に語った。
晴美氏は体験を記したノートに込められた母の思いを受け継ぎ、さらに関係者を取材し、書き上げた『母が遺したもの』。だから、この本はあの沖縄戦の惨禍を生き抜いた母と、ジャーナリストである娘の記念碑的共同作品とも言える。
晴美氏は母のノートと関係者の取材を総合した結論として、梅澤隊長の自決命令はなく、座間味島の助役で兵事主任兼防衛隊長、宮里盛秀(せいしゅう)氏が、住民を敵の「魔の手」から守るために、「玉砕」を命令し、決行したと著書に書いた。
その記述は、沖縄戦集団自決訴訟を提訴した原告側の、有力な証拠資料として裁判所に提出された。また、ジャーナリスト櫻井よしこ氏は週刊新潮(平成十九年一月四・十一日号)の連載コラム「日本ルネッサンス」で、原告の梅澤裕氏を取材して「沖縄集団自決、梅澤隊長の濡れ衣」と題するコラムを書いた中で、宮城初枝さんの新証言に触れつつ、「幾人かの住民も真実を語り始め、自決命令は宮里助役が下したと判明した」と書くなど、隊長命令を否定する決定的根拠としてあちこちで引用されるようになったのであった。
もちろん、法廷では被告側弁護士が反論した。
<「母が遺したもの」によると、宮城初枝氏は、一九七七年(昭和五十二年)三月になって、一九四五年(昭和二十年)三月二十五日夜に原告梅澤に会った際には隊長の自決命令はなかったと宮城晴美氏に告白するに至ったとされているが、これは、この面会の際に隊長命令がなかったということにはなっても、これによって日本軍の隊長命令がなかったことにはならない>(被告準備書面(6)要旨 平成十八年十一月十日)
この裁判を前にして、著者の晴美氏に幾つかの選択肢があった。原告側から要請があれば出廷して、著書に書いたように「梅澤隊長の自決命令はなかった」と証言するという選択は、他人から見ればごく自然であろう。一方、沈黙を続けて、さまざまな誹謗(ひぼう)非難があったとしても、裁判に関与せず、母の証言と自著を守るという道もあった。
だが、晴美氏は、傍目(はため)には最も「困難」と思える道を選んだ。自著の表現が未熟であり、誤解を関係者に与えてしまった、座間味島における日本軍の責任は限りなく大きいと証言し、被告側を支援するという道である。
果たして彼女はその選択を、一体いつ決めたのだろうか。自らの主体的な意思で選んだのか。母初枝さんは昭和三十一年、村の長老の半ば脅迫じみた言辞に証言を拒めず、しぶしぶ、虚偽の証言をしてしまった。宮城晴美氏もまた、かつての母と同じように、関係者の「圧力」を受けたのだろうか。
(編集委員・鴨野 守)
◇
>これは、この面会の際に隊長命令がなかったということにはなっても、これによって日本軍の隊長命令がなかったことにはならない。
こんな支離滅裂な論旨で、「梅澤隊長の命令はなかった」と書いた自著を否定し、
更には「軍命あり派」側の証人として法廷に立ったのだから、この人の心臓はどのような構造になっているのか凡夫にはうかがい知ることは出来ない。
同書出版の時の地元紙にもこのように紹介されているというのに。
母から託された戦争記/日記を基に取材、出版
≪集団自決が当時の兵事主任だった助役によって伝令が出されたことなど当時の緊迫した状況が記されている。≫ (2000年12月8日 琉球新報)
宮城氏は被告側の証人に要請されたとき、自著の主張通り母の遺言に従うか、さもなくば黙して証言拒否をするべきであった。
だが、敢えて母の遺言を否定し、著者としての良心も踏みにじった「心の闇」は一体なんであったのか。
同調圧力か。
その同調圧力はどこからくるものか。
イデオロギー集団。
名誉欲。
「援護法」にからむ利益団体。
地域共同体の「呪縛」。
これらが複雑に絡み合って「心の闇」を形成していると思われる。
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しばしば私のブログを取り上げて下さって、有難うございます。これからは毎日寄せていただきます。
さてこの宮城晴美さんのことを読んでいて、ある人物を思い出しました。吉田清冶です。ご存知と思いますが、例の「従軍」慰安婦問題の証人として朝日や赤旗が担ぎ上げた人物です。
しかし後に彼の証言がすべてウソであったことが、日本からはもちろん、韓国側からも出され旧軍の「慰安婦狩り」などなかったことが公になりました。
宮城晴美さんは、ご自分の母上やご先祖に対して申し訳ないとは思わないのですかね?
おそらく左翼団体のヨイショをして彼女の功名心をくすぐったのでしょう。なんとも憐れな方だと思いました。
当ブログへのご来訪ありがとうございます。
勝手に引用させていただきましたが、この機会にあらため御礼申し上げます。 今後も引用したいと思いますのでよろしくお願いします。
吉田清治のような詐話師を連想する人物は、「集団自決論争」では宮城晴美氏の外にも数人思い浮かびますが、
その中の一人について過去にエントリーしていますので、覗いてください。↓
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/61557ce9fe57770e1428b72e34e0a207