狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

沖縄戦、県外疎開の実体、大嘘⇒「軍隊は住民を護らない」

2020-07-30 06:15:25 | ★改定版集団自決

 

狼魔人日記

 

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過去記事の再掲です。

沖縄の県外疎開の実体2008-09-23 

沖縄左翼が唱える念仏やお題目には、「日本軍は住民を守らなかった」がある。

渡嘉敷島や座間味島の場合、「集団自決」で話題の赤松隊長や梅澤隊長のことを「守備隊長」と記している文があるが、正確に言えば「守備隊長」は間違いである。特攻隊長或いは戦隊長が正しい。

彼らの任務は「特攻」であり、守備の為の武器弾薬等の装備はされていなかった。

ベニヤ板で作った特攻艇マルレは、出撃前米軍による「鉄の暴風」のような艦砲射撃で集中攻撃を受けた。

「特攻隊」は事実上、住民を守るどころの騒ぎではなく、自身さえ守れなかった。

その悲惨な状況は梅澤隊長の手記からは読み取れる。 

日本軍は住民を守ろうとしても守れなかった。

これが実態である。

ところが、沖縄タイムスや琉球新報の報道を見ると日本軍は住民を守るどころか、住民殺戮のため沖縄にやってきたような印象を受ける。

俳優の今井雅之さんが特攻隊の映画を作製したが、14歳の沖縄の少女から「琉球民族を殺戮した特攻隊を賛美するのですか」といった内容の手紙をもらって驚いたという。(テレビインタビュー)

第1回 常に僕の心の中にあり続けた作品

幸い少女に逢う機会があり、説明したら「誤解していた」と感謝されたという。

まさか学校で、「特攻隊は沖縄人を殺戮の為出撃した」と教えているとは思わないが、

戦艦大和は「沖縄県民虐殺の為出撃した」という新聞記事が掲載される沖縄では、このような少女が次々出てくるのも不思議ではない。(【おまけ】参照)

 

沖縄配備の第32軍の中でも沖縄では特に評判の悪い長参謀長が県民の県外疎開に真っ先に動いていたことは前にも書いた。

 

■沖縄ではあまり知られていない「県外疎開」の実体■

第32軍は、長勇参謀長の沖縄着任(正式には昭和19年7月8日 )の一日前には、法整備の不備だった県民の県外疎開を閣議決定させるという素早い動きをしていた。
  緊急閣議決定で法的根拠は得たが、県外疎開の実施にはさまざまな困難が伴った。今の時代で安易に想像するように、軍が圧倒的権力で有無を言わせず県外疎開を命令し、実施したわけではなかった。
 県民の県外疎開を管轄する政府機関は内務省防空総本部であり、当時の法律では空襲に備えて県外疎開を強制することは防空法に規定があったが、沖縄の場合のように地上戦に備えて非戦闘員を強制的に疎開させる法的権限は持っていなかったのだ。
  当時の沖縄の状況は新聞の扇動報道に乗せられた各民間団体の宣撫活動で巷は沸き立っていた。県外疎開の必要性を説いても、それに真面目に耳を傾けるものは少数派で、県外疎開は卑怯者と後ろ指を指される有様だった。
  民間人への命令権限の無い第32軍は、県に協力を求め、県は警察の持つ組織力と機動力が適任と考え担当部署を警察部と定めた。
  平和な時代の後知恵で、軍の命令は絶対且つ不可避であった、と主張する勢力があるが、実際は軍隊は住民に直接命令をする権限を持たず、住民の安全確保のための県外疎開にしても、県や警察機構の協力を仰がなければ実行できなかったのである。

■県外疎開が進まなかった理由■
  県外疎開には、いろんな阻害要件が次々発生して、軍の思うようにうまくは実施できなかった。
  その第一は、沖縄の地理的要因であった。 当時の沖縄では、本土他県に行くと言うことは重大事件で、特に疎開の対象が老幼婦女子に限られていたため、家族と別れるくらいだったら一緒に死んだ方がましだという風潮も阻害要因であった。東京から長野に汽車で疎開する学童に比べれば、沖縄の学童が九州各県に海路で疎開することは一大決心を要した。
  次に疎開実施を阻害したのは泉県知事が軍の指示にことごとく反抗し、県外疎開に消極的な態度を示したことである。「公的な立場では言えないが、個人の意見では引き揚げの必要はないと思う」と発言し、県外疎開などせずに済めばこれに越したことは無いといった県内の風潮に拍車をかけていた。(浦崎純著「消えた沖縄県」)
  疎開は不要という空気は、疎開を促進しようとする軍司令部の末端にもその風潮はあった。軍の指令がうまく行きわたらない地方の部隊では、軍が沖縄でがんばっているのにわざわざ疎開などする必要は無い、と疎開実施をぶち壊すような放言をするものもいた。
  遅々としてはかどらなかった疎開が一挙に盛り上がったのは昭和19年10月10日、那覇市が米軍の大空襲で壊滅的打撃を受けてからである。 何事も切羽詰まってからでないと行動を起こさない県民性は昔も今も同じことであった。
  サイパンでは米軍の投降勧告で集められた日本人の老人や子供にガソリンがまかれ火を点けられたり、呼びかけに応じて洞窟から出てきた女性が裸にされ、トラックで運び去られたという証言が記録されている。

  当時の沖縄には南方帰りの県人が多く、大本営がサイパン陥落の直前に県外疎開を準備し始めた状況から、沖縄県民が「サイパンの悲劇」を知っていた事は想像できる。
  沖縄県、陸軍省、内務省などの間で疎開計画を協議した結果、疎開人数は県内の60歳以上と15歳未満の人口(約29万人)の3分の1にあたる10万人、疎開先は宮崎、大分、熊本、佐賀の九州4県と台湾に決まった。
 
■沖縄戦の本質■
  沖縄戦記には軍の側から見た戦略的な「戦史もの」、そして住民の側から見た「証言もの」と、多数の出版物があるが、軍と住民の間に立って「軍への協力と住民の安全確保」という二律背反の命題に挑んだ地方行政側の「戦記」は極めて少ない。
次の引用は本土復帰当時の公使・日本政府沖縄事務所長・岸昌氏が荒井紀雄著『戦さ世の県庁』の序文で沖縄戦の本質を語った文の抜粋である。
戦争を遂行するために、「戦争」から国民ー非戦闘員を護るために、どのように準備をなし、どのような行動をとるべきか。 平時を前提として制定されている地方制度に何らかの特例を設けるべきか、非常の措置を行うためにどのような組織・権限ーそして特別規定が必要であるか。 すべてこのような問題に直面し、実際に回答を出さざるを得ないもの、それが沖縄県であり、沖縄県で遂行された「戦争」であった。
  沖縄戦当時、島田叡県知事と共に、県民の安全確保に努力した荒井退造警察部長(現在の県警本部長)の長男の紀雄氏が、父退造氏が軍と住民の間に立つ文官として沖縄戦を戦った様子を、多くの資料・証言を基に記録したのが『戦さ世の県庁』である。 戦火により多くの県政関係の資料が消失・散逸した中で同書は現在望みうる最高の記録と思われる。


■軍司令官vs県知事■
 泉守紀氏が第22代官選沖縄県知事の辞令を受けたのは、昭和18年7月1日のことである。 丁度同じ日付で荒井退造氏も沖縄県警察部長の辞令を受けている。
  
  まだ戦火を受けていない昭和18年の沖縄の夏は、のどかな町の風景とは裏腹に、県庁幹部が一新され、来るべき沖縄戦を予知してか県庁内外に何時にない緊張が走っていた。そんな空気の中、泉新知事は、沖縄防衛の第32軍が翌年3月に沖縄に着任すると、軍との対立を深め、修復不可能なものとなっていく。(野里洋著「汚名」)
  
そして政府は昭和19年7月7日の閣議決定で「沖縄に戦火が及ぶ公算大」と判断、沖縄県の県外疎開を沖縄県に通達したが、泉知事は公然とこれに反対したと言われている。
   当時の沖縄県の状況を称して、戒厳令に近い「合囲地境」の状態であったので軍の命令は不可避であり、県や市町村の命令も軍の命令であるという意見は、泉知事の第32軍への反抗で、軍が県民疎開の実施に苦慮している状況をみれば、それが机上の空論であることが明らかである。
  県民の疎開については、第32軍は法的には直接住民に命令を出せないので県の協力が必須であったが、泉県知事のかたくなな反抗に困り果てた結果、昭和19年1月31日に軍司令官統裁の参謀会議で「沖縄県に戒厳令を布告、行政権を軍司令官が掌握し、知事を指揮下に入れる」と検討したが、実行に移されることはなかった。
■県外疎開に水をかける「街の情報屋」■
  その頃の沖縄県民の県外疎開に対する無関心振りを、当時の那覇警察署僚警部で戦後琉球政府立法院議長を務めた山川泰邦氏は自著『秘録沖縄戦史』(沖縄グラフ社)で次のように述べている。
<だが県民は、襲いかかってくる戦波をひしひしと感じながらも、誰も必勝を疑わず、その上無責任な街の情報屋は、「まさか、沖縄に上陸するようなことはあるまい」と勝手な気炎を吐いたため、これが疎開の実施に水をぶっかけるような結果になった。それに、当時海上は潜水艦が出没して、既に2回にわたり集団疎開船が撃沈され、多数の犠牲者を出したために、「どうせ死ぬなら、海の上で死ぬより、郷里で死んだ方がよい」と疎開の声に耳をかたむけようとしないばかりか、はては疎開を命令で強制された場合のことを心配する始末だった。
  勇ましい情報を垂れ流し、県民疎開の実施に水をかけていた「街の情報屋」が誰であったかを山川氏は特定していないが、当時の新聞報道やその他の史料から推測すると、県民疎開を発案した軍や協力依頼されていた行政側ではないことは間違いない。 そして決起大会の壇上で抜刀して檄を飛ばしていた「軍人より軍人らしい民間人」と「街の情報屋」の姿がここで重なってくる。 戦後、琉球政府時代になって活躍した著名人の中にも、当時は民間団体の責任者として県民を扇動していた人物が多くいたという。そのような雰囲気では県外疎開などは県外逃亡と見なされ軍の思惑とは裏腹に県外疎開に水をかけていたのだろう。   
  
  ■軍は住民を守ろうとした■
 島田知事は泉知事とは対照的に軍と緊密に協力し県外や県内北部への疎開など県民の安全確保に全力をそそいだ。 後の沖縄県の調べでは県外疎開は昭和19年7月から翌年3月まで延べ187隻の疎開船が学童5,586名を含む6万2千名(疎開者数を8万とする資料もある)を疎開させ、これに合わせて沖縄本島北部への県内疎開は約15万と推定されている。 
  翌年3月の米軍上陸前という重要な時期に県内外の疎開が円滑に行かなかったのが、後の沖縄戦での「軍民混在」という住民巻き添えの悲劇に至った伏線になっている。 
軍を悪と見なす現代の感覚で、軍と県の対立といえば聞こえはよいが、泉知事は、軍の方針の県民疎開に反対し、住民もその風潮に煽られて疎開に必要を感じていなかった。 現在、昭和19年7月7日の閣議決定の記録は確認できないが、同じ日付の陸軍省課長が、「7月7日 課長会報 軍務(課長二宮義清大佐)沖縄軍司令官より国民引揚げの具申あり。本日の閣議で認可するならん」と述べていることから、沖縄県民の県外疎開が7月7日に閣議決定されたことと、それが軍の発議で行われたことは確認できる。(大塚文郎大佐ー陸軍省医事課長ー「備忘録」、「戦さ世の県庁」孫引き)


  「軍は住民を守らなかった」という左翼勢力のスローガンからは想像も出来ないが、昭和19年の夏に沖縄に着任した第32軍の司令官と参謀長は、沖縄が戦地になることを予見し、且つ「県外疎開」の法律の不備を危惧して、大本営の発議により着任前に「閣議決定」に持ち込むという早業を行った上で、後顧の憂いを極力小さくして沖縄に着任していたのである。

                   ◆

 

【おまけ】

戦艦大和の特別任務★それは沖縄県民の虐殺であった!

沖縄タイムスは、今年は「薩摩の琉球侵略」から400年、「琉球処分」から130年ということで、「沖縄は日本の植民地」という視点で特集を組んでいる。

多くの沖縄の「識者」が寄稿しているが沖縄紙に掲載されるには、一通り日本の侵略、差別に恨み節を述べた後、沖縄独立を扇動するのが沖縄紙で活躍する為の常道である。

識者の中でも特に反日思想の激しいお方が、いれいたかし氏である。 

しばらく紙上ではその名を見ないと思っていたが「植民地化を問う」とは、益々意気盛んなようで。

[魚眼レンズ]いれいたかしさん【01月13日】(沖縄タイムス)
植民地化問う評論を脱稿


 「制度的には日本の一部になっているが、沖縄の内部精神は本来は独自のものを持っている。日本を突き上げるような立場からさまざまな発想をするべきだ」と強調する評論家のいれいたかしさん。

 新しい年を迎え、「ちゃーすがくぬ沖縄」(どうするこの沖縄)という約二百五十枚の評論を脱稿。復帰前後から現在の沖縄が歩んだ歴史を踏まえながら、自らの時局論、状況論を展開している。

 吉本隆明の「起源を見れば本質が分かる」という言葉を引き合いに出しながら、「今年は薩摩侵攻から四百年の節目の年。そこから始まる沖縄の植民地化の過程を問い詰めていくことが必要だ」と意気込む。

                     ◇

で、このいれいたかし氏って、どんなお方?

こんな顔のお方のようで(1935年生まれ)。↓

 ●『沖縄・うむいの風土』いれいたかし著・沖縄タイムス社刊・

 

当日記では過去に「続・戦艦大和の特別任務★それは沖縄県民の虐殺であった!」で取り上げたが、いれい氏は沖縄の数ある「反日識者」の中でも特に反日、いや憎日意識の強烈なお方で、彼の主張によると日本軍はすべて悪鬼の集団だったということになる。

以下は過去のエントリーに一部加筆したものです。

                   ◇

沖縄に住むに人にとって新聞購読に、選択する自由はない。
 
二つしかない地方紙の沖縄タイムスと琉球新報は双子の兄弟のように左に偏向しているのでどちらを読んでも同じだということだ。
 
沖縄タイムスを親の代から続けて購読していたが、十数前から琉球新報に変えた。
 
双子の兄弟なら何もわざわざ変える必要も無いとも思ったが、、同級生で琉球新報の記者だった友人の1人がその頃論説委員になり 購読を頼まれたことと、双子の兄弟でもまだ琉球新報の方がタイムスよりはいくらかはましだと思ったのが購読変更の理由であった。
 
従って沖縄タイムスのウェブ記事以外の記事に目を通す機会は少ない。
 
■戦艦大和の特別任務は沖縄県民の虐殺だった■
 
一昨日のエントリーで「戦艦大和の特別任務」として、沖縄戦の援護の他に「救援物資の輸送」もあったという記事を書いたら多くの反響があり、読者コメントのやり取りの中から去年の沖縄タイムスの戦艦大和記事を紹介して頂いた。
 
当日記は、沖縄タイムスの偏向ぶりや記事歪曲について、これまでも幾度となく指摘かつ糾弾してきた。
 
沖縄タイムスの異常なまでの偏向ぶりは充分承知しているつもりの筆者にして、紹介された記事のデタラメさには暫し言葉を失った。
 
しかも書いた人物は「有識者」として沖縄の新聞で頻繁にその名前を見る人物だ。
 
呆れて言葉を失った口からため息が漏れた。
 
何と言う無知蒙昧で恥知らずの記事だ!
 
 
 
沖縄タイムスの記事によると戦艦大和の「特別任務」は沖縄住民の虐殺であったというのだ
 
記事を書いた「いれいたかし」という人物は、その歳(1935年生)にしてこのような破廉恥な駄文を書くくらいだから今更批判しても蛙の面に小便だろう。
 
だが、それを承知で紙面を提供した沖縄タイムスは、もはや報道機関としての末期症状を呈してきたとしか思えない。
 
日本では言論・思想の自由を保障されているとはいえ、事実誤認を下敷きにこのようなこのような「反日」、いや、「嫌日・憎日」記事で県民を扇動するならくらいなら中国にでも亡命することを勧めたい。
 
沖縄県人として以下に地元紙の噴飯モノの記事を晒すの恥ずべきだが、以下にその一部を抜粋引用するので反吐をこらえて読んでいただきたい。
 
 
< まず、明治以来、日本国の琉球島嶼群に対する差別政策は、人頭税をはじめとする旧慣温存による苛斂誅求(かれんちょうきゅう)と、伝統文化や言語の廃絶強制など多岐にわたるが、そのいきつくところとして、太平洋戦争における皇土防衛の為の捨石とされた事もあるが、もっともあくどい仕打ちは、戦艦大和の沖縄海上特攻作戦だったのではないかと私は思う。
 
さて、そこへ大和が攻め込んできて、世界最大最強といわれたその主砲四十六㌢砲塔九門が一斉に火を吹くと沖縄はどうなっただろうか。想像しただけで瞑目するばかりであるおそらく、大和は偵察機による誘導もないので、沖縄中南部の平地に巨大な砲弾をところかまわずに打ち込んだであろう。その弾は日米軍ばかりではなく、住民をも打ち砕いたであろう。 住民の犠牲者は、更に多数に上り、三十万人(当時の人口の半分)にも達したのではないかと、恐れる。
 
だが、大和は、米空母群から発艦したヘルダイバー急降下爆撃機による空からの攻撃と潜水艦による魚雷攻撃で、沖縄本島には一発の砲弾も放つことなく、四月七日に、三千人の乗組員とともに撃沈された。
あっ、よかった。戦艦大和が、沖縄のはるか北方の海に沈められてよかった。そう言えば、日本国民の多くは激怒するだろうし、やはり琉球人は日本人ではないと、その従来の差別感の正当性を再認識するに違いない。
 
沖縄人が、戦艦大和によりさらに多数を殺され、島の集落のことごとくが破壊されたであろうことを思えば、それはまさに明治以来の差別のいきつくところであった
 
沖縄タイムス 2007年3月20日 特集記事 
「復帰35年 揺れた島 揺れる島 19回 “踏みしだかれた島(上)” いれい たかし記」より抜粋>
 
いやはや、まことに畏れ入る珍説・チン論だ。
 
先ほどは事実誤認と遠慮がちに書いたが、読み返してみるとこれは事実誤認なんて生易しいものではない。
 
ひがみ根性と妄想をウソでで塗り固めた悪意あるデマゴギーそのものだ。
 
氏が「被差別意識」で凝り固まったひがみ根性丸出しの人物であることは、戦艦大和の沖縄派遣は「差別政策の象徴 大和特攻」という同記事の見出しに現れている。
 
沖縄援護の途中、雄図むなしく敵機の標的となり深海に沈んだ3000人の英霊を、まるで沖縄住民を虐殺に向かった悪鬼集団であるかのように貶め冒涜している。
 
沖縄タイムス発刊の『鉄の暴風』が「嘘の暴風」と呼ばれるほどウソまみれの記事に満ちた空想読み物だと言われて久しいが、
 
戦後63年経過してなおこのようなデタラメを平気で記事にする沖縄タイムスの事実歪曲体質は『鉄の暴風』出版当時と何ら変わっていない。
 
昨年来の「集団自決」にかかわる一連の歪曲記事、そして今年になってからの「米兵女史中学生暴行事件」の捏造報道。
 
一事が万事の例えどおりである。
  
全文をお読みになりたい方は以下のリンクで。
 
くれぐれも血圧の上がらないように・・・。
 
2007年04月20日
 
 

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沖縄タイムス 

【珍説】
まず、明治以来、日本国の琉球島嶼群に対する差別政策は、人頭税をはじめとする旧慣温存による苛斂誅求(かれんちょうきゅう)と、伝統文化や言語の廃絶強制など多岐にわたるが、そのいきつくところとして、太平洋戦争における皇土防衛の為の捨石とされた事もあるが、もっともあくどい仕打ちは、戦艦大和の沖縄海上特攻作戦だったのではないかと私は思う。 
 
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あくどい


さて、そこへ大和が攻め込んできて、世界最大最強といわれたその主砲四十六㌢砲塔九門が一斉に火を吹くと沖縄はどうなっただろうか。想像しただけで瞑目するばかりである。おそらく、大和は偵察機による誘導もないので、沖縄中南部の平地に巨大な砲弾をところかまわずに打ち込んだであろう。その弾は日米軍ばかりではなく、住民をも打ち砕いたであろう。 住民の犠牲者は、更に多数に上り、三十万人(当時の人口の半分)にも達したのではないかと、恐れる。
 

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弾着観測瞑目


だが、大和は、米空母群から発艦したヘルダイバー急降下爆撃機による空からの攻撃と潜水艦による魚雷攻撃で、沖縄本島には一発の砲弾も放つことなく、四月七日に、三千人の乗組員とともに撃沈された。

潜水艦


あっ、よかった。戦艦大和が、沖縄のはるか北方の海に沈められてよかった。そう言えば、日本国民の多くは激怒するだろうし、やはり琉球人は日本人ではないと、その従来の差別感の正当性を再認識するに違いない。

良かった?


沖縄人が、戦艦大和によりさらに多数を殺され、島の集落のことごとくが破壊されたであろうことを思えば、それはまさに明治以来の差別のいきつくところであった。 

差別


沖縄タイムス 2007年3月20日 特集記事 
「復帰35年 揺れた島 揺れる島 19回 “踏みしだかれた島(上)” いれい たかし記」より抜粋

(資料提供 島の人in mixi)
 


 
上記ブログに多くのコメントが書き込まれているが沖縄県人のSさんがタイムスの記事に憤慨して書き込んだコメントを以下に引用紹介します。
 
くっそ!!
言わせろ!!私は沖縄出身の沖縄在住沖縄人だ!
私は沖縄にずっと住んでる。
正直、大和の話も特攻隊の話授業でもならわなかったし、友達も家族や親戚近所もだれも話してない。
だから私はなんの先入観も無く、大和のことについて調べた(いや、十分に反戦教育を受けていたが)それでも私は、大和に感謝したいと思ってる。
結局は沖縄までこれなかったけど、でも、死ぬと分かっていても沖縄まで来てくれようとしてくれた大和と乗組員にすごく感謝してる。
沖縄で特攻隊と大和の慰霊祭をやるべきだとも思ってる。
沖縄タイムスも琉球新報も左翼新聞、そして、沖縄には左翼以外の報道機関が存在しない。
でも、私や、私の周りのように、ちゃんと知ってる人がいると言いたい。
沖縄人=左翼、ではない。沖縄の若い世代も気付き始めている。
こんな新聞で沖縄の意志を読み取らないでくれ。
ってか読み取ってる人もいないが^^;
とにかく、沖縄の報道を信じるな。
政治的な話は大体嘘だったり偏向報道だから。
沖縄人でも、大和に感謝してる。何度も言うけど、大和と大和の乗組員に私はとても感謝している。

Posted by S at 2007年04月21日 23:27:50
 
沖縄県民の中には、Sさんのようにタイムス記事に憤慨し、特攻隊や戦艦大和で戦死した若者達に感謝している人が多数いることを記しておく。
 
 
沖縄タイムスといれいたかし氏は戦艦大和と運命を共にした3000柱の英霊に己の犯した無礼を深く謝罪すべきである。
 

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本日の沖縄タイムス投稿欄 (カウンター58)
2020-07-30 09:16:36

オピニオン面に一般投稿6本(児童生徒の「ぼくも私も」など除く)。

「バス車内での『密』改善して」の沖縄市・山口文子さん(65)は、4月3日、5月13日、6月27日に続き今年4回目の掲載。
「日本と違う米国マスク事情」の糸満市・大城正雄さん(82)は、1月10日、2月13日、3月12日に続き今年4回目の掲載。
「頑張れ一輝君 亡き父が応援」の浦添市・友利澄子さん(79)は、昨年7月11日以来の掲載。
「食卓彩る わが家のゴーヤー」の沖縄市・仲宗根栄一さん(87)は、2月24日、3月25日、4月29日、5月22日、6月2日、7月4日に続き今年7回目の掲載。
「離婚後の子どものため 養育費と面会交流 両輪で」の宜野湾市・草野智洋さん(41)は、今年初掲載。
「ようこそ嘉手志川へ」の那覇市・宮城須美子さん(81)は、2月6日、3月19、27日、4月23日、5月4日、6月4日に続き今年7回目の掲載。
 
カギカッコは投稿欄における見出し。


Unknown (しま〜ぐわぁ〜)
2020-07-30 10:41:45
師匠の言う いれい氏の「被差別意識」で凝り固まったひがみ根性丸出しの人物である事は、戦艦大和の沖縄派遣は「差別政策の象徴 大和特攻」という同記事の見出しに現れている に納得すると共に、それに色を付け掲載するタイムスの偏向ぶりの酷さを今 又再確認。
同じ県民である私もコメントを投稿したS氏と全く同じ気持ちで、「沖縄人でも、大和に感謝してる。何度も言うけど、大和と大和の乗組員に私はとても感謝している」が、素直な多くの県民の気持ちではと思います。
Unknown (Kei)
2020-07-30 11:56:23
師匠の再掲されたこの記事は、私の中で「信託統治」の記事に続いて神記事になりました。
大変な力作・・と言っていいかどうかわかりませんが、そういう気持ちです。
ありがとうございます。

師匠や我那覇さんたちの活動が実を結ぶことを願い、応援します。

14歳の沖縄少女から「琉球民族を殺戮した特攻隊を賛美するのですか」 琉球民族なんて島史上に於いて存在しない。琉球民族とする言葉は本土復帰後に初代知事が内地からの観光客を導入せしめんとした宣伝文句で在った事。 (坂田)
2020-07-30 12:35:14
14歳の沖縄の少女が自習勉強して来た結論が、琉球民族と殺戮の特攻隊でしたか。

三つ子の魂百まで、もう少女は治らんな。

そう言う教科書と学書が在り、思想指導者がいたのですね。

人間として半人前の生徒が大人より思想教育される理由は、他人や上の人の言う事を信じ易いので、洗脳が出来るからだ。

日本で、国際社会で、沖縄県民を琉球民族と定義した医学者や人類学者や史学者は誰一人もいない。なぜなら、嘘に過ぎないからだ。

沖縄方言が独自の言語と主張するのが沖縄キリスト教学院大学の新垣女史准教授。

他にも、沖縄が捨て石で在ったと事実もない事を報じる琉球新報と沖縄タイムスの性。

事実がない事をすりかえ言葉で県民を騙しに勤しむ沖縄左派政治家の背信的な姿勢。

日本人の始祖は、沖縄本島南部東海岸の港川遺跡より発掘された、18000年前の港川人のDNAを保有する人間が現代日本人の証明で在る事。日本人しか保有しないからだ。

今から10000年前までは最終氷河期が数万年間続いて、海面が今よりも120m低いので沖縄と内地が地続きで在った事。

そのために、数万年間に及んで港川人が日本列島を活発に往来していた事。

いま、港川人DNAが一番多い地域が西日本で在る事。とくに、九州に一番多い事。

港川人が日本の宝石で在る糸魚川のひすいを採りに出向いていた事が、富山県弥生遺跡墓地層の港川人遺骨に因り判明した事。

その際に使用した船が伝統漁船サバ二で在るが、沖縄では縄文時代後期3000前よりサバニ造船材料を宮崎県日南市の飫肥杉で造船するきまりになっている。

今も、うるま市の越来造船が飫肥杉で造るのを琉球新報と沖縄タイムスが県民に周知させていない。杉の中で一番油分が多い飫肥杉で造らんと沈むのだ。

但し、日南市と糸満市の海人同士が今もなお3000年に及ぶ連綿とした繋がりが在る。

10年ぐらい前に、糸満海人が3000年間を祝して日南市役所に大型のサバニ・レプリカを贈呈している。



「沖縄県議会意見書 我が国固有の領土」

国際法に固有の領土と言う概念が在りません。島嶼の領有権認定に在るのは「どの国が相当の間で実効支配して来たのか」です。

ゆえに、南シナ海の南沙西沙諸島を4年前に侵奪して軍事基地にした中國に、オランダの国際司法裁判所が3年前に「中國に領有権がない」と否定した。

南沙西沙諸島領有権を否定されたが、今も違法占有中の中國で在ること。

先日、ポンペイオ国務長官が南沙西沙諸島に中國の領有権がないと発言した理由は、2017年のオランダ国際司法裁判所の判決書が基に在る。

(㊟南シナ海で中國の横暴を見て見ぬふりをしたオバマ前大統領の無責任無為無策が余りにも多きい。南沙西沙諸島の軍事基地造成に一年以上要したが、その飛行場が出来上がってもオバマ前大統領が知らん振りした。その後、侵奪する諸島を広げた時にやっと声を上げたオバマ前大統領の親中主義姿勢だった)

習近平国家主席がオランダ国際司法裁判所を否定の理由を「判事に日本人がいたから、紙くずだ」と意に介していない。

それが国連常任理事国の中國だ、自分で条約を批准して於いて、自分が真っ先に条約を否定した事を意に介しない習近平国家主席。

国際法と国連海洋法条約を否定する中國政府、大陸でもインド~ブータン~ネパールの山岳国境地帯で領土紛争をしかけている。

先週、中國がブータンの北西地域を「我が国固有の領土」と主張して来た。

中國が我が国固有の領土とする理由は、古地図に載っていたからだとさ。

だったら、チンギス・ハーン時代は欧州まで勢力圏だったのでEUまで中國のものと言う事だ。古地図に因れば、アジアの凡そもシベリアも中國のものだと言っている。

因って、「我が国固有の領土」と言う主張こそが領有の証明に成らず「実効支配して来たのか」とする事実がない事で在ること。

日本が尖閣諸島の領有権を世界に主張するためには、今まで尖閣諸島の実効支配の歴史を明すとともに(=かつおぶし製造作業場が在った事)、現実の実効支配権を世界に明示するために公務員を常駐させる事。

無人島は一旦侵奪されたら奪還が出来ないことを、日本国民なら韓国が武力侵奪した島根県の竹島の事例で身に染みていると想う。

もしも、「我が国固有の領土」と主張するなら、言葉だけでなく島に人が住んで実効支配している現実を見せ付けないと駄目なんだ。

南シナ海の南沙西沙諸島も無人島だから中國が容易く侵奪が出来た。

侵奪挑発圧力を受ける尖閣諸島も今は無人島で在り、7月初旬に中國海軍海洋調査船が沖の鳥島EEZに10日間も居座ったのも無人島で在った事。

更に、今、中國が侵奪を目指す南シナ海の東沙諸島も無人島で在る事。

中國が今まで侵奪して来た島嶼が無人島であることが共通している、容易いからだ。

2017年に習近平国家主席が、「尖閣諸島は我が国固有の領土」と国是にしたので、政府が国民に奪い返す義務を負った事。

だから、なにがあろうが起きようが、世界最大の三峡ダムがどうなろうが、まったく意に介せずに侵奪に邁進して来る事になる。


産経新聞「中国への寄付金 自民、議員数や総額公表せず」の報道が在り。

又もや、親中主義では誰にも負けない二階俊博幹事長が音頭取りしていた。

二階俊博幹事長が中國に寄付する考えを表明したが、保守系議員らの反発を招き、任意での寄付に方針転換していたとの事。


JBプレス「今井氏、二階氏、日本の対中融和勢力を米国が名指し」の報道が在り。

米国の有力研究機関が、安倍晋三首相の対中姿勢に大きな影響を与えてきた人物として、「首相補佐官の今井尚哉氏(通産省出自)、二階俊博自民党幹事長や公明党を挙げて、日本の対中融和勢力で在ると米国が名指した」との内容だった。

その大きな存在が、二階俊博自民党幹事長で在るとの事。やっぱりね、誰しもそうだと想っていたことを米国の有力研究機関が代弁してくれた。二階俊博氏の耳に届いたのか。

80歳代の老齢政商拝金中國主義の二階幹事長が、今も益々中國と自分自身に便宜を図利して、日本国家国民の安全保障をないがしろにしている現実。安倍総理が二階幹事長に沈黙しているふがいない実態の政府。

アメリカの有力研究機関も、二階幹事長の中國一辺倒姿勢にトランプ政権に邪魔者で在ると見做している。

今のままなら、二階幹事長は文在寅大統領と同じく反米疑義視線を持たれる事になる。
Unknown (CHOBI)
2020-07-30 22:27:48
今記事内の

2007年04月20日
戦艦大和の水上特攻は沖縄人に対する差別の象徴?

リンク先ブログ「週刊オブイェクト」様


以前コメントさせて頂いた際、ブログ様のお名前を失念してしまっていたのですが、鍛冶氏に関して、「軍事知識もいい加減で、軍オタの方々から笑われていた」と書きましたのは、こちらの「週刊オブイェクト」様の記事(コメント欄でのやり取り含め)です。

http://obiekt.seesaa.net/article/130947323.html
鍛冶俊樹という軍事ジャーナリストについて



篠原丈一郎さんに関しても、長年共産党で工作活動に従事していながら、唐突な転向含め、様々な疑わしい点が多々あり、軍事機密漏洩事件への関与疑惑も指摘されていたりします。

https://twitter.com/k6mxnl9e632TcfV/status/1287381178727591936

https://twitter.com/armourhigeraru/status/1288213466512109568

2012年、民主党政権時に発生した李春光事件で問題となった人民解放軍参謀部に勤務していた李氏は、公安調査で海自潜水艦技術の漏洩でも名前が上がっていた人物。

事件関連の民主党議員の樋口氏の秘書を務めていたのが篠原常一郎氏。
(このスレッド以外にも多々あり、極一部ですので、検索してみてください)


我那覇さんに近づいた真意が心配です。

共産主義者は狡猾です。一見、温厚そうで人当たりも良さげに見えたり、過去の反省の弁や左翼批判、常識的・良識的な発言や保守的な発言をしたり、最近は有田ヨシフを批判したりしてますが、この年齢になるまでの人生を反日工作活動・共産主義運動にどっぷり従事して来た、海千山千の人物である、という事をお忘れ無き様、

我那覇さんには、篠原氏に限らずですが、情報や発言を鵜呑みにせず、必ず批判的に見ている方々の分析や資料も合わせて検討し、結論を断定せず、常にリスクの想定を考慮されて下さい。


結局、どこも背後には何かしらあるわけで、その中で選んだ中で、自分が正しいと思った行動をしていくしか無い訳ですが、関りを持たれるなら、常にリスクを念頭において、多方面からの情報収集・分析を怠らず、油断なされない様に十分、お気を付けください。

毎回、こんな心配コメントばかりで本当にすみません。

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