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これは驚いた。
朝日・社説が,
東京裁判を法律ではなく道徳で裁くという。
【8月18日朝日・社説】パル判事―心配な安倍首相の言動
≪ 確かに東京裁判は評価が割れている。事後につくられた「平和に対する罪」や「人道に対する罪」が戦争犯罪に加えられたり、原爆投下などの戦勝国側の問題が裁かれなかったりした。一方で、日本軍の虐殺や謀略が日本国民の前に初めて明らかにされた。戦争を裁く国際法を築く一里塚にもなった。 ≫
≪裁判に功罪があるとはいえ、日本はそれを受け入れることで国際社会への復帰を果たしたのは間違いない。日本として、けじめをつけたのだ。そのことを政治指導者は忘れてはならない。≫
見逃せないのは、日本ではパル氏の主張を都合よく解釈している面があることだ。一部の保守系の人たちは、「日本には戦争責任がない」と受け止めた。
しかし、パル意見書の趣旨は、当時の国際法を厳密に解釈すれば、侵略戦争の指導責任を問うことはできないという法律論である。現に、パル氏は南京虐殺などで日本軍の行動を厳しく批判した。日本には法的責任はなくとも、道徳的責任があると認めている。 ≫
◇
そもそも東京裁判は「戦争犯罪人」作り上げ断罪することがすることが目的だった。
ところがその法的根拠は、ハーグ陸戦法規(1907年)、ジュネーブ条約(1929年)など、戦時国際法規が禁止する行為を戦争中に行った者を裁くということだった。
だが東京裁判で「A級戦犯」として訴追された人々で、上記の禁止行為を行った者は皆無であった。
その結果、戦時国際法規が規定しない罪が訴因になってしまったのである。
これまでの法律概念には無い、「平和に対する罪」と「人道に対する罪」の登場でである。
近代法概念からすれば考えられない「事後法」によって裁かれたのが東京裁判であり、「A級戦犯」なのだ。
それをいみじくも朝日社説は次のようにほざく。
≪日本には法的責任はなくとも、
道徳的責任があると認めている≫ と。
語るに落ちたぞ、朝日さん。
朝日新聞は、東京裁判で日本は法的には、
その責を問われていないと仰る。
だが、いやしくも裁判を名乗る以上、裁判とは法的責任を問う場であり、
道徳的責任を問う場ではないはずだ。
道徳とは朝日がもっとも嫌う文言ではなかったのか。
◎道徳教科化、「評価」は反対意見大勢 教育再生会議(朝日新聞04月09日)
>裁判に功罪があるとはいえ、日本はそれを受け入れることで国際社会への復帰を果たしたのは間違いない。
「それを受け入れる」とはサンフランシスコ平和条約でいう「Judgemennts」を「判決」と訳さず「裁判」としているところはいかにも朝日論調なのでここでは問わない。
どこかで見たテレビ・ドラマでも次のようなセリフがあった。
「裁判に道徳を持ち込んではいけない」。
朝日さん、寝言は寝てから言ってほしい。
道徳はその寝言ででも語っていれば良い。
>確かに東京裁判は評価が割れている
東京裁判の評価が割れているって?
論理的には割れるどころか、砕け散っている。
「A級戦犯無罪」パール判事 安倍首相、長男と会談へ(8月15日 朝刊)
≪安倍首相が十九日からの外遊でインドを訪れる際、極東国際軍事裁判(東京裁判)でインド代表の判事を務めた故・ラダビノード・パール判事の長男と会談することが十四日、固まった。首相は記者団に対し「パール判事は、日本とゆかりのある方。お父さまの話など、お伺いできることを楽しみにしている」と述べた。(略)(東京新聞)≫
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