狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

午後10時大勢判明!名護市長選

2014-01-19 06:49:24 | 県知事選

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本日行われる名護市長選の結果は、午後10時ごろには、大勢が判明するとのこと。
 
筆者は末松氏が勝つものと予測するが、選挙は水物、蓋を開けてみるまで予断は許されない。
 
複数の有権者の取材によると、県知事を始め政府高官が辺野古移設を事実上決定していることを考えれば、有権者の一番の関心事は辺野古移設より、現在名護市を覆う不況の打破である。
 
基地関連の交付金を基地負担する側の当然の対価と捉える末松氏と、基地交付金を不要とする稲嶺氏のどちらに軍配が上がるか。
 
辺野古移設賛否に関わらず、結果は既に決まったようなものと考えるのだが・・・。
 
いくらきれいごとを言っても、「衣食足りて礼節を知る」の例えのとおり、「稲嶺不況」に喘ぐ名護市民にとって今一番希望するのは基地交付金の導入による経済振興である。
 
稲嶺氏を支援する日本共産党や社民党、それに加え過激派学生そのままの山本太郎参議員が、「カネでふるさとをうれるか」などときれいごとを言っている。
 
 

「カネで魂を売るな」などと、奇麗ごとで有権者を騙すのは景気不景気に関係のない沖教組や自治労など公務員の皆様方。

そう、野嵩ゲートや大山ゲートでヘイトスピーチを続ける老害活動家の大多数は沖教組や自治労のOB達だと聞く。

       ☆

以下は名護振興基金500億円の発言者である石破自民党幹事長の発言を2014年1月17日の「石破茂ブログ」より転載。

石破 茂です。

昨日は沖縄県・名護市長選挙の街頭遊説に立ちました。

発展著しい沖縄県の中にあって、名護市を中心とする北部・やんばる(山原)地域は人口の伸びも、所得も、雇用も今一つといった状況が続いています。国政、県政と一体となった市政を行うことによって現状を打破し、市民の幸せを実現したいと願っています。

普天間基地の移設先として名護市・辺野古を選定したことも、現在の「ワースト」の状態を少しでも改善したいとの意図によるものです。

消費税導入の時と同様、「駄目なものは駄目!」との主張はとても分かりやすいものではありますが、「ではどうするのか」との案が全く示されない、極めて無責任な主張と言わざるを得ません。

「本土から来る人はカネの話ばかりしている」とのご批判もありますが、私たちはカネで人の心が買えるなどと全く思っておりません。ご負担をお願いする以上は、精一杯のご恩返しをすることが当然のことだと思っております。

辺野古に建設される代替施設の規模は普天間基地の42%の規模に縮小され、住宅地の上を飛行するという危険性も除去され、なおかつ「日本全体で負うべき負担は本土もこれを引き受ける」との考えのもと、現在の普天間の機能の相当部分を本土に分散移転するという、現時点で考えられる限りの方途を尽くして実現を図るものです。

尖閣をはじめとするこの地域の安全保障環境を考えた時、日本のみならずアジア太平洋地域の平和と安全のため、沖縄に一定の抑止力は保持しなくてはなりません。

かつて小沢一郎氏は「第七艦隊さえあれば十分だ」と述べましたが、そのように単純なものではありません。抑止力の意味も理解せず、普天間の危険性除去の方途にも言及せず、ただ「駄目なものは駄目!」と主張している方々を見ていると、何とも言い難い気持ちにさせられます。

あと二日、現地と連携して最善を尽くし、市民のご判断を待ちたいと思います。

名護市では「日本の春はここから」をキャッチフレーズに25、26両日に桜祭りが開催されるそうです。

沖縄には年に十回近く行っていますが、一度も公務以外で行ったことはありません。いつの日にか、公務抜きで沖縄に行ける日が来ることを願っています。

東京都知事選挙も間近です。

当欄にも舛添氏支援について様々なご意見が寄せられており、そのすべてを拝読しております。

名護市長選挙も、東京都知事選挙も、あらゆるご批判は選挙の責任者である私が負うべきものです。民主政治が多くの人の利害や意見を調整する営みである以上、「ベスト」でなければ「ベター」を追求する他はありません。

すべての人が納得する「ベスト」などは存在しませんし、政治家は思想家でも哲学家でもないのであって、これが務めなのだと思っております。

週末は、土曜日、日曜日と党大会関連の行事が続きます。

ことのほか寒い週末となりそうです。どうかご自愛くださいませ。


                                 

【おまけ】

稲嶺氏が表面では「基地関連の収入は要らない」と豪語しながら、その一方1億3千万円の軍用地収入がほしくて、返還予定の基地の延期を申し出ていた二枚舌の怪物であることは過去に述べた。

愛読するブログ依存症の独り言さんが名護市長選に関するエントリーをTBしてくださった。 重複する部分もあるが、有名ブロガーのエントリーに意義があると考え全文引用させて頂いた。

以下引用

2014/01/11

変節漢、二枚舌―無節操の典型=稲嶺進を糾弾する!

移設推進派の候補が一本化されたことに焦ったのか、名護市の稲嶺進市長が常軌を逸した発言をしている。
以下が、昨日から今日にかけて報道された稲嶺市長の発言である。

【名護】名護市の稲嶺進市長は9日の定例記者会見で、同市辺野古への米軍普天間飛行場の代替基地建設計画について「市域を管理し、市民の生命財産を守る責務から市長としての管理権が及ぶ。阻止できると思う」と述べ、市長の権限を行使して建設工事を阻止できるとの認識を示した。

稲嶺市長は具体的な権限内容は示さなかったが、辺野古沿岸部の埋め立て工事や、基地建設工事における道路や港湾の使用許可などを念頭に、漁港漁場整備法に基づく砂浜への工作物設置申請や、補助金適正化法に基づく辺野古漁港の防波堤・護岸の財産処分などで市長の権限が及ぶことを示唆したものとみられる。

稲嶺名護市長「権限で阻止」 辺野古埋め立て工事

行政上の不備がない事業を市長の政治的判断で覆すことはできない。
そんなことは当たり前のことであって、にもかかわらず行政側の責任者がそれを無視する言動をとるなんて理解不能である。
もし、市長がそういう逸脱行為に走れば、県や国は市長の権限を取り上げ、知事や関係閣僚が代わりに許可することができる。
つまり、行政による適法な事業を行政の末端に位置する一市長が妨害することなど許されないのだ。
そんな事態を許せば国家が崩壊する。

こういう言動を平気でする人間は、私の知る限り、左翼過激派とそのシンパだけだ。
なぜなら左翼過激派は遵法精神が欠如している、と言うより、もともと違法行為を“革命的だ!”と言って称賛する連中だからである。
今回の稲嶺氏の言動は、まさにそのレベルにある。
こういう人物に行政を任せるわけにはいかない、それが良識というものだ。

稲嶺氏は、既に左翼過激派と密着している。
それを証明するのが以下のチラシである。
つまり、辺野古ビーチにテント村を作り、不法占拠を続けている反社会的勢力にエールを送っているのだ。
真っ当な市長なら、不法占拠状態の解消に努めるのが普通だろう。

Henoko

ここまで来ると、もはや稲嶺氏は“過激派の同志”と言うしかない。
あの元宜野湾市長の伊波洋一氏や参院議員の糸数慶子氏と同じように。
では稲嶺氏は、ほんとうに極左思想の持ち主なのか。
反米・親中共、親北朝鮮なのか?

沖縄在住のブロガー、狼魔人日記さんのエントリに以下の記述がある(抜粋)。

辺野古移設の一番の当事者である辺野古区の大城康雅区長によると、稲嶺氏は名護市教育長時代から旧知の仲で、一緒に辺野古埋め立ての事業計画を練り、辺野古の発展を計画した「基地容認派」だったという。

それが豹変したのは、市長選挙の直前である。

当初容認派の島袋氏と共産党候補そして稲嶺氏を含む三つ巴の立候補者が予定された。

革新側としては強力な現職の島袋氏に勝利するため票を1人に絞る必要性を感じ、予定されていた共産党候補の出馬辞退とバーター取引で「辺野古受け入れ反対」を主張するようになったという。

そしてバーター取引は成功した。

稲嶺は当選後の会見で、「私は辺野古の海に基地を造らせないとの公約を信念をもって貫いていきたい」と発言し、さらには初当選の初年度の挨拶で、「基地収入に頼らずとも名護市独自の工夫でやっていく」などと大見得を切って沖縄2紙の絶賛を受けた。

ところが、現実はそんな甘いものではない。

沖縄2紙は報道しないが、稲嶺市長は、名護市の米軍基地の一部返還を申し出た防衛省に対し、継続使用を申し出たのだ。

「基地収入が欲しいので返還しないで欲しい」と泣きついて返還を猶予してもらったのである。

年間1億3千万円を上回る軍用地使用料収入が失われる上、返還後の土地使用の見通しも立たないと言うのがその理由というから、呆れて言葉を失ってしまう。

そもそも名護市に行ったことのある人なら自明のことだが、市庁舎は名護市街地にあり、辺野古移設で揺れる辺野古区は市街地から遠く離れ山一つ越した東海岸に面する。名護市街地と辺野古ちくではまるで別世界である。名護市民でも辺野古に行ったことのない人は多い。

名護市街では米軍航空機の爆音が聞こえることはないし、遠く離れた山間部で行われる実弾演習の音も全く聞こえることは無い。

稲嶺市長は何かというと「名護市民の民意」を叫ぶが、これまで米軍基地と共生してきた大城区長によると、辺野古区民の7割以上が容認派の島袋氏に投票したという。

大城辺野古区長によると、稲嶺市長誕生以来、米軍再編交付金の凍結により、久志3区の道路整備、下水道整備などが頓挫し、「区の運動公園の整備などでも、交付金は基地とは関係のない西海岸に優先的に使われている」と稲嶺市長の辺野古区民に対する明確な嫌がらせを感じると言う。

稲嶺市長とは旧知の中だった大城区長は「今では人が代わったようにまったく話しが出来なくなった」とその豹変振りに驚きを隠そうとしない。

稲嶺市長という人物の正体は、一枚の舌では「米軍基地撤去」を訴えながらもう一枚の舌では「米軍基地の継続使用」を求める「二枚舌の怪物」である。

乞食根性丸出しではないか。

「辺野古」踏襲を懸念 名護市長、防衛相発言に

Nago

もともとは移設推進派の島袋吉和氏の下で名護市の幹部だった稲嶺氏。
明らかに移設容認派だった。
にもかかわらず、市長になりたいばかりに反対派に転じた。
で、「基地収入に頼らずとも名護市独自の工夫でやっていく」などと大見得を切った。
が、結局は裏でこっそりと、米軍基地の一部返還を申し出た防衛省に対して継続使用を要請した。
理由は、稲嶺氏によると「跡地利用が難しい」からだが、本音は「基地収入が欲しい」と言うか、それがないとやって行けないからだ。

この男、政治家としてはもちろん、人間としてもサイテーである。

変節漢、二枚舌―無節操の典型=稲嶺進を糾弾する!

 

【おまけ】2

稲嶺候補を支援する政治家はこんな連中です。

 

名護のみなさん、これが現職を推している人たちです。
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12 コメント

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さぁ、運命の日がやってきました!! (loghouse1736)
2014-01-19 08:56:42
愈々、本日は運命の名護市長選の投開票日ですね。勿論、正義は末松氏にありです!!末松氏の再選なくして名護市の発展は絶対に有り得ません。末松氏は名護市の未来を真剣に考え、名護市を反日極左から守り、名護市を徹底的に浄化し、名護市を元気にすることが出来る人物です。稲嶺の再選は名護市、延いては沖縄県と日本の死を意味します。名護市民には良識を見せてもらいたいです!名護市民に告ぐ!末松氏と名護市を反日極左から守り、名護市を元気にしよう!!
燃えよ!石原慎太郎、細川護熙の正体、何ともはや、酷い、お粗末な、人間?について。 (町工場の親方)
2014-01-19 09:43:56
しばらくご無沙汰してしまいました。
一昨年十一月、狼魔神さんが上京し、チャンネル・桜に出演された時、それに関連して、田母神航空幕僚長について書き込みました。
チャンネル・桜、とは縁の深い、私が愛読する、狼魔神さんのブログに、今回は、時の人、《細川護熙》、について、少し長い文章を書き込みいたします。

注目の都知事選において、細川護煕・元総理が小泉純一郎人気に乗り、出馬することとななりました。

石原慎太郎・元東京都都知事が推す、田母神元空幕長と対決するのを見て、なんの因果、巡り合わせかと思いました。
というのは、細川護煕氏と石原慎太郎氏とは因縁浅からぬ間柄でした。
石原慎太郎氏が、今は消えてしまった、私のかっての愛読誌、「諸君!」平成八年一月号から十年八月号に連載した、石原氏の国会議員時代のメモアール、『国家なる幻影』、は長編で(約670ページ)とても面白い読み物でした。
一橋大学の学生時代に、「太陽の季節」、で芥川賞をとった作家の筆によるだけに、普通の人間の回想録では味わえない、生き生きとした、また辛辣な人間描写、政界の実態が鮮明に描き出されています。

この本に登場する多くの政治家の中で、私が今でも記憶に残っているのは、石原氏が書いた、河野洋平、宮沢喜一、細川護熙の三人でした。読んでいて、三人の人物がよく分かるとともに
実に本質を突いた辛辣な文章で、「国家なる幻影」、は後々まで読まれる書物であると思うと、書かれた方はたまらない、と読みながら強く感じました。
三人とも、私の半世紀以上に亘る、不倶戴天の敵、虐日・憎日・侮日・「朝日」、と非常に縁の深い人間たちです。

石原氏が作家生活に入って十年少し後、政治家を志し、自民党の候補者として、昭和43年の参議員全国区から出て、301万票という圧倒的な全国の国民の支持の下、トップ当選を果たしました。もう45年以上も前の話です。
参議院議員となった、石原氏が石原氏の選挙組織の母体となった、「日本の新しい世代の会」、を基盤とする、新しい有能な議員を生み出したいとの考えのもとに、昭和46年の参院選全国区から出てもらうべく、何人かの人に白羽の矢を立てました。今でも有名なプロスキーヤーの三浦雄一郎氏、ジャーナリストとして有名だった、大森実氏等が候補に挙がりましたが、色々と事情、紆余曲折があり、実現できませんでした。
そこに入ってきたのが、細川護熙なる人物でした。石原氏とはほとんど面識のない人間だったそうですが、前回の衆院選で故郷の熊本から無所属で出て惨敗したにも関わらず、政治家への夢を捨てきれず、衆院選ではとても無理だが、石原氏の人気、石原氏の最大母体である霊友会の全国組織、細川護熙の父親が理事長を務める生花協会の全国組織等から参院全国区では勝てるかもしれない、ということで日にちも差し迫って来ているので、「新しい世代の会」の候補として担ぐこととし、その結果として、石原議員は自分の時以上に七転八倒して選挙資金の工面に奔走したそうです。
熊本の殿様の子孫の細川護熙の父親にそれなりの資金を要請したものの、サッパリだったとのことでしたが、さもありなんと思います。

以下、「国家なる幻影」、[殿様候補登場]、より引用いたします。

我々、『新しい世代の会』、が三浦雄一郎氏に次いで正式の候補とした細川護煕は、決定発票臨時総会でのお披露目の時点ではなかなか初々しく、当然検挙でいかにも好ましい青年候補だった。
ただ実際の選挙のキャンペーンが推進されていくにつれ、私たち平常の生活感覚で暮らしている人間にとって意外、というより何とも解せぬ、というかどこか本質的にギャツプを覚えさすようできごとや、小さいがしかしどこか決定的な、口に言い難い違和感が互いに醸し出されていった。
それを前もって暗示するように、私の選挙の折にはまさに鍋釜提げて馳せ参じてくれた、特に東京在住のある種の仲間たちが、三浦氏の折には口にしなかった不満や不安を表して細川候補への協力をはっきり断ってきた。

連中は主に東京の下町に住む、いかにも趣味的でいなせで、つまり存分に良識的勝手で、好き嫌いのはっきりした、言い換えれば世の中のもてはやすブランドなるものに全く無頓着の、つまり自分自身のしたたかな価値観と感性を持った連中ばかりだった。
人形町の老舗の若い旦那たちとか、中にはかっての三月事件(昭和六年)の首謀者の息子とかそのスポーツ仲間と、あるいは彼らの幼馴染のもういい年の芸者衆とか、とにかく私の感じとしては、あくまで遊びの折々にだが一目も二目も置かなくてはならぬような小粋な連中ばかりだった。

※、東京の下町で生まれ育った私には、表面的な、学歴、社会的地位、などに全く重きを置かぬ、育った家庭、祖父母、両親の日常的な教え、倫理観に基づく、人間の本質に対する目利き、ともいうべき人たちの描写を面白く読みました。

何も東京に限らず日本の地方都市にもそうした連中と強い共感共鳴を持ち得るような、ある種の成熟した人物たちはいるものて゛、私の知らぬ内に私の選挙がきっかけで彼等は彼等でそうした目に見えぬ完成の共通項を媒体にした広い人間関係のようなものを持ってしまっていた。

そんな彼等が細川候補への強力に意が染まないという理由は、言われて見れば私にもわからないではなく、むしろ感覚的には納得できるような気もした。

彼らによると、「あの男はいかにも上っ面でしかない。それに何よりあんたのために決してならない。あんたはただ利用されているだけだよ」、と何度か言われたものだったが。
しかしこちらとしては、今さらそんなことをいてはいられないので、ともかくも頼むといったが、ならば俺たちはあんたのためにあの男よりは少しは役に立つはずの、別の候補を勝手に擁立してやるからそれだけは了承してくれという。
どんな候補だと質したら、以前ある人から相談を受けたが我々の会してはちょっと趣旨から外れるので一応断った、落語家の立川談志師匠だった。彼らからすれば当節でいう勝手連ということだっただろう。
私としては彼らの意にも染まぬ候補を押し付けるつもりはなく、談志は知己でもあるし、彼と気の合う連中が勝手に彼を担いで選挙を戦うのをことさらに押しつぶすつもりもなかった。

・・・ということでなんのことはない、分際に似合わず私としては二人の全国区候補を抱える羽目になった。

・・・日頃ほとんど関わりのない世間一般が細川と談志の二人の内のどちらに後援の組織など外してただ、選挙という舞台の上で喝采するかはわかりはしまい。
ということで私は暗黙にだが、私の仲間の中に同じ選挙の別働隊を作ることを許した。それはまた何よりも、前回の選挙で得た、政治家同士よりも心の繋がる市井の仲間との関わりを保つためでもあった。
結論から言えば、選挙で当選した細川や談志など以上に、はるかに深く厚い友情を人生の財産として、あの選挙の別働隊で活動してくれた仲間と今でも持ちつづけている。
それは奇妙なことだが、他のいかなる手立てによるよりも、選挙という自らに何も返ることのないいわば不毛に近い奉仕の作業の中でしか培われぬ人間の不思議な絆としかいようない。
燃えよ!石原慎太郎、細川護熙の正体、2. (町工場の親方)
2014-01-19 09:49:25
結果として、細川は半ばより上、談志は最終位で当選を果たした。

とまれ私の方はわが正式候補たる細川氏のために日夜奔走することになった。選挙の主体はなんといっても大組織の霊友会で、三浦氏が挫折してしまった後の遅れを取り戻すために候補者を手分けして、彼には参謀の飯島氏が同伴していって御披露目の後飯島氏が支援者に作業に関しての専門的な念を押すということだつた。

・・・他人から言われたことでもそれが良ければいかにももっともとうなずいて素直に認めるとうのは人徳ではあるが、彼(細川)に関してはそう見えたのも束の間、それが度を越すとこれまた奇妙、不快というか、果てはそれこそ著作権に関わりかねぬことになる。

かれがもともとどんな感性を持って生まれどんな躾け教育を受けて育ったのか知らぬが、他人の言ったこと、それもその人間の創意がもたらしたメッセイジだとするなら、それにはそれでしかるべき敬意が払われるべきものだろうが、悪しきか良きか知らぬが、それが彼の天性の一つらしく、その後いろいろこちらとしては往生させられたり怒らされたりしたものだった。
そしてそれを注意してみても当人が驚くほどあっけらかんとしているのは、もはや育ち以前に、やはり人格的に何かが欠落しているのではないかとしかいいようがない。
じつは私自身がそんな被害者の一人で、なにしろ時間が足りずに、数多い霊友会の日本中の大支部に手分けして回るのだが、それでもここはついでにもう一度私自身もでかけて念を押してくれぐれも頼んでおこうと出向いていき、集まってくれる会員たちに時局の講演会もしてきた。
ところがその後さらに時を置いて飯島参謀がいよいよ選挙に入った折の事務的、技術的な相談と注意に出向いていったら、会の大幹部の支部長が、二人きりになった折に息を潜めて、
「飯島さん、あなただから言うけれど、石原さんがここにも来てくれてね」
「はあそれでなにか」
「あの人も三年前に当選した現職の議員さんなんだから、もう少し勉強しないとねえ」
「石原が何か間違ったこととか、変なことを言いましたか」
「いやそれならまだいいんだが、石原さんの話というのがひと月前に来てくれた細川さんの話と全く同じでねえ、集まっている会員も同じだから、同じ話をまた聞かされて、私としては情けなく恥ずかしかった。あなたから一注意してくださいよ」
ということだった。

名参謀としてはその場で笑い出す訳にもいかず、殊勝に承って帰ってきたが、東京の事務所で呵呵と大笑いしながら、
「あなたも損な役目だねえ、でもこれからの名誉もあるから頭には入れておいた方がいいですよ。なにしろ相手が相手だから、しかしここはなんだろうと、とにかく耐えて耐えていかなけりゃ」

それくらいは苦笑いでもすんだが、実際に選挙が始まってから往生というか、まさに立ち往生させられたことがあった。
全国区は選挙用の車は三台公認され、候補者も私も別の車で手分けして日本中を回っていたが、東京、大阪といった大票田ではドッキングして街頭演説を行なった。
ある日候補者が東京に戻ってきて私と揃って西部地区、新宿、渋谷と盛り場での街頭演説をこなして回ったが、三年前の印象もあるから私の話には人々は立ち止まってくれたが、私が話を終えて、
「それでは今回の選挙で私たちの新しい世代の会の同志として立候補している、細川君をご紹介いたします」
といって彼を前に押しやるとそれを潮に細川などという見慣れぬみ候補を眺めただけで聴衆があらかた散ってしまうのだ。当人には気の毒だがどうにも仕方がない。
車をさらに移動して赤坂見附の交差点で演説を始めようとしたら、さすがに候補者当人が、
「石原さん、今度から演説は僕に先にやらせて下さい。せっかく人が集まっても僕の話を聞いてもらえないと意味ありませんから」
言い出したので
「そのほうがいいかも知れないな。今度からそうしよう」
うなずいて、同道していた司会役の前回の選挙以来の仲間で、保谷市の市議会議長をしていたがそのご都議会議員に当選していた、後に都議会議長も務めた、(ついでに言うと最後の選挙で、ぽっと出の日本新党の候補者に落選させられた)、小林莞爾氏に伝えて段取りを変えた。

ということで前回までと違って真打ちが私となり、その前座で細川氏が話始めたが、私の話はまだだから車を囲んでいる聴衆は段々増えては来ても誰も立ち去る者はいない。それで気をよくしたのか候補者の演説は前よりも声に張りが出てきたが、話が進むにつれて私としては思わず、真横で叫んでいる候補者の顔を、最初は遠慮がちにちらちらと、その内には不安というよりはたまげてまじまじと眺めなおさぬ訳にいかなくなった。

私だけでなく同じ屋根に立っている司会の小林氏も、東京での反応を確かめに新宿から車の下で聴衆に混じって様子を観察していた飯島氏も、視線が合うと肩をすくめながらにやにやしている。
それはそうだろう、私の真横で細川候補が大声でやっている演説の内容たるや、つい先刻まで私が池袋、新宿、渋谷でやったと全く同じ内容なのだ。

私の演説の内容が借りに十章節で成り立っていたとして、この男はいったいどこまで人の話を使うつもりなのかと思っていたら、話の折り目に入れていた軽い冗談、ここではという力の入れ具合まですべて同じで、私としては最後に彼自身のメッセイジがついて終わることだろうと思っていたら、締めくくりの言葉までそっくりさのままだったのには、唖然とし、かつ度肝を抜かれた。
聴衆の拍手はなかなかのものだった。それはそうだろうこちらとしてはあちこちで繰り返しながらブラッシュアップして来た話なのだから。その途端、司会が間を置かずに、
「それでは我々新しい世代の会の会長、前回の選挙では皆様の熱い支援の下にトップ当選させていただきました、石原慎太郎をご紹介いたします」
ということで改めての期待の拍手に迎えられ、細川候補がバトンタッチをするマイクを手にして一歩進み出してはみたが、十のうち十まで話し尽くされてしまっていま突然他の何を話していいのかにわかに言葉も出てこない。
そんな私の横で細川候補は凉しい顔をして、下にいる見知りらしい聴衆の誰かにしきりに手を振っている。
まあなんとかその場を凌ぎはしたが、私の方はどうにも出来のいい演説とはならなかった。下で聞いていた聴衆は細川という無名の候補は博識かつ迫力もウィットもあってなかなかのものだと思ったろうに。

よく俗に、世の中は駕籠にに乗る人担ぐ人、そのまたわらじを作る人などとは言うが、選挙という駕籠になり手が急にいなくになったのでこちらとしては念入りの物色の暇もなしに乗せた客だった。銀座の街頭演説で打ち上げてからの帰り道、飯島、小林の両氏ともどもいやはやと慨嘆し、それにしてもあのまったく悪びれれ様子もないところはやはり見上げたものというべきかななどと小林氏は言ったが、あの後私に向かって、にやっとでも笑ってみせ、どうもすみませんでしたと頭を下げずにいる候補者、あの時点で私としてはただただ怪訝に、異形の生き物を眺めるような気分で見直すしかなかった。

※、私のみならず、以上の文章を読んだ方々は、呆れるというか唖然としてしまったと思います。日本が大嫌い、そのかわりに、「朝日」・築地チョーニチ、が大好きな、支那・朝鮮の十八番中の十八番、《パクリ》、において、細川は連中を一枚か二枚上回っています。
これはサラリーマンとして、チョーニチの飯を何年か食った結果というより、持って生まれた、天性、独自の才能?としか考えられません。
燃えよ!石原慎太郎、細川護熙の正体3. (町工場の親方)
2014-01-19 09:54:07
その後の細川氏の政治家としての推移を眺めてみると、自分の能力の及ばぬある新しい認識や意見等に対して、前後のさしたる判断もなく簡単に飛び付いてしまう浮薄というか不気味ともいうか、それそのこと自体が彼自身にとって己の感性なり知性の証しのつもりでいるような軽率な挙動が散見される。

それは、彼の祖父の近衞文麿などという愚鈍な男が中性的な存在としかいいようのない西園寺などという元老のペットとして宰相に祭り上げられ、何を血迷ったか己の知的側近の中にソヴィエトのスパイの走狗だった尾崎秀美(=朝日新聞記者)、などという男まで加えて憚らず、結局国家の安危に関わる情報を垂れ流しにして国運を誤らしめた伝にも似ている。
自民党の内紛のとばっちりで出来てしまった、僥倖にも醜聞であえなくついえはしたが、細川内閣などという滑稽な政権の主宰者として彼が行なったいくつものあまりに短絡にすぎた発言も、私から眺めると彼の側にいた彼よりはいささかましな、しかし大方は同じ程度の誰かが口にしたことをそのまま鵜呑みにしての発言だったに違いない。
そう思って眺めれば政治家たる当人にとってはいかにも惨めで痛ましくもある話しだが、国家にとってはとてもそれですむことではない。

日本のか関わった戦争はすべて間違いであったなどという首相としての彼の発言にしろ、最初の訪米で代案もなしに、ただ見栄を切ってのNOの発言にせよ、そうした発言の根底に当人自身の歴史観なり、独自の価値観かあるというものでは決してない。自らの政治的IQの低劣さ、というよりその欠如を糊塗するための言動で国家の名誉や利益を無視、というよりそれに気づくこともなく過ごされたのではたまったものではない。
後にも記すが、野党としての自民党の代表として予算委員会で私が行なった、彼の歴史に対する発言への詰問で、その度返ってきたのは小学校の生徒が教師にこんこんなと諭された、喧嘩をするのは悪い子ですよ、といった類の稚拙な所信でしかなく、こちらの質問の理解を欠いたままそれをくどくどと繰り返される度、暗然とさせられたものだ。
新進党の最初の党首に羽田氏を退けて海部氏を据えたとき、黒幕の小沢氏が、「担ぐなら軽くてパア」、がいいと言ったと同じ原理で作られた細川内閣をあてがわれる国民の不安と不幸の代償をもー、政治はいつまでかかってどう支払うつもりなのだろうか。
・・・・
細川内閣の末期、寄せ集めの内閣としては、内閣内部とそれを構成している各野党の地方末端組織ではいろいろギャップがあって混乱を生じていた。たとえば山梨県の北富士練習場での、久し振りの日米合同演習の実施の政府決定が政党としては地方まで徹底しておらず、社会党や公明党の地方議員たちが今までと同様、反対運動の準備をしているのに困惑した見知りの地元の市町村長が相談を持ちかけてきたので、『さきがけ』、代表の武村官房長官に会い、内閣として早めに手を打って調整しないと、内閣不統一は野党たる自民党には好都合だが地元が迷惑すると忠告したことがある。
その時、すでに細川首相との不仲が伝えられていた武村氏が
「考えてみると、細川さんを最初に政治家に政治家にしたのは石原さんでしたよねえ。あなたなら詳しくご存知じゃないんですか」
真顔で言う。
「いや、私にはどうもよわからんのですが、細川というのはあれはどういう人ですか。つまりその、どんな人間なんでしょうね」
「ああ、あれは魚だよ」
いってやった。
「魚?」
「魚というのはな、痛覚がないんだ。釣り上げて真っ二つに切り裂いても、骨を抜いても、血は流れていかにも無残そうにみえるが、彼らは一向に痛くはないんだよ。それと同じだよ。あのや男には痛覚が全くない。つまり人間としての対手に対する謝意がないのだ。感謝でも陳謝でも、とにかく謝意というものを一切持ち合わせない人間なんだよ」
いったら相手は膝を打って、
「なるほど、よくわかりました」
言ってはいたが。

言いながらその時私は、細川氏の選挙に関わ私以外人間たちの苦労のの要らざる結果、候補者当人がどんな風に報いたかをいくつかの挿話で思い出していた。
彼の選挙の巻き添えでTという都議会議員は選挙違反に問われ結局議員の資格を剥奪されてしまった。その報告を聞いた折りの、Tに世話をかけた候補者当人のただただ迷惑そうな、それに対してどういう表情どんな言葉で報いたらいいのか皆目見当のつかぬ様子、それを咎めるなどという以前に私は不思議な生物を眺めるような思いでいた。

もう一つ、彼が婚約中の選挙だったが、候補者の際どいプライバシーに関わる出来事が起きてしまって、飯島氏がそれこそ献身的に対処して大きな譲歩を勝ち取ってくれた折の報告にも、当人は言い訳もあろうが、そうした事柄について他人が話すということ自体いかにも不服そうだった。
あるいは他人はそれを、ある選ばれた者としての特性などと言いかねまいが、この時代にいったいどこの誰が、自ら尽くさぬままにどう選ばれてあるということが出来るというのか。・・・・
細川=魚 (狼魔人)
2014-01-19 10:33:44
町工場の親方様

細川元首相の東京都知事選への立候補については「殿のご乱心」程度の認識でしたが、おかげで細川護熙の正体を知ることが出来ました。

少なくとも選挙権を有する都民には読んでほしいコメントですね。


>もはや育ち以前に、やはり人格的に何かが欠落しているのではないかとしかいいようがない

人格欠陥者を都知事してはいけませんよね。

>「考えてみると、細川さんを最初に政治家に政治家にしたのは石原さんでしたよねえ。あなたなら詳しくご存知じゃないんですか」
真顔で言う。
「いや、私にはどうもよわからんのですが、細川というのはあれはどういう人ですか。つまりその、どんな人間なんでしょうね」
「ああ、あれは魚だよ」
いってやった。
「魚?」
「魚というのはな、痛覚がないんだ。釣り上げて真っ二つに切り裂いても、骨を抜いても、血は流れていかにも無残そうにみえるが、彼らは一向に痛くはないんだよ。それと同じだよ。あのや男には痛覚が全くない。つまり人間としての対手に対する謝意がないのだ。感謝でも陳謝でも、とにかく謝意というものを一切持ち合わせない人間なんだよ」
いったら相手は膝を打って、
「なるほど、よくわかりました」
言ってはいたが。


「細川=魚」論を拡散すべきですね。

Unknown (TH)
2014-01-19 16:06:55
稲嶺現市長「移設推進だった」に仰天
(゜∇゜)

細川前首相=魚。

納得!(≧∇≦)。佐川急便、オレンジ共済問題にも涼しい顔の細川氏に違和感を覚えますが、何より日本の総理が短命でコロコロ変わるきっかけを作ったのがこの人だと思っていましたので知事選出馬を聞いて呆れかえったものです。

首相退任する時も何とも思っていないような、そんな印象が強かったので「痛感がない魚」というのはとても納得しましたね。

東京都民は魚を知事にしては末代までの恥ですよ。山本バカだろう氏を当選させた轍を踏まないようにしないとね。

今日の「報道2001」で自民党支持が下がっていました。その数字を信用するとして矢っ張り、舛添支持が不評なのかと考えました。

東京の為、日本の為を思ったら田母神閣下しかいないですよね\(^ー^)/

同じく名護の為、日本、沖縄の為を思ったら稲嶺じゃダメだろう( ̄・・ ̄)

午後10時頃までには、色んな仕事を片づけとかんと。

それでは失礼致します。
Unknown (igoigo)
2014-01-19 17:27:22
>一緒に辺野古埋め立ての事業計画を練り、辺野古の発展を計画した「基地容認派」だったという。

事実、稲嶺氏は前回の市長選で保守派の懐柔策として、運動員に(どんなに反対しても)「基地は無くなりませんよ。」と言わせていた。

>細川護熙

自民党: 殿、御乱心

>舛添要一

都民 :  自民殿、御冗談を
Unknown (Unknown)
2014-01-19 20:29:24
非常に残念です。。。

名護市長選、稲嶺氏が再選確実 辺野古移設に反対
http://www.asahi.com/articles/ASG1M52SPG1MTIPE01Q.html?iref=com_top6_01
名護市民にはほとほと失望しました。 (loghouse1736)
2014-01-19 20:35:53
名護市民に良識はなかったってことですかね!あんな反日極左売国奴を再選させるとはね。残念どころでは済まされず、怒りさえ覚えますね!
Unknown (Unknown)
2014-01-19 20:38:55
うーん、犬HKではまだ当確出てないようですね、もうちょっと様子を見ましょうか。。。
http://www.nhk.or.jp/okinawa2/senkyo/

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