ブログ「狼魔人日記」に書き溜めた「集団自決」の記事の中で、資料的価値のあるものを資料集として発刊する予定である。
「狼魔人日記」以外にも、月刊誌などに寄稿した記事をサルベージしていたら、ペンネームでも数多く寄稿していることに気が付いた。
その中で、櫻井よし子氏が週刊新潮で絶賛している津嘉山武史について触れてみる。
実は、「うらそえ文藝」に寄稿した津嘉山武史とは筆者(江崎孝)のペンネームの一つである。
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以下は再掲である。
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「うらそえ文藝」の衝撃は沖縄県内に燻り続けている。
編集長の星雅彦氏によると、当初、友人として交流のある沖縄紙のOBたちから批判や抗議の嵐が巻き起こるものと予測していたが、ふたを開けてみると現在のところ抗議・批判の電話などを一本もないという。
筆者の所に入った友人知人のコメントも批判は一つもなく、「うらそえ文藝を見直した」「星編集長は勇気があるな」といった賛辞だけである。
なかには「身辺には気をつけたほうがいいよ」と老婆心を披露する人もいた。
評論家の櫻井よしこ氏が、「うらそえ文藝」を週刊新潮に記事として取り上げ、その一部を当日記でも紹介した。(6月7日号)
本日は週刊新潮から同記事を全文紹介する。
■「週刊新潮」6月7日号 「日本ルネッサンス」
沖縄の二大紙が報じない県民の声 櫻井よしこ
沖縄の二大紙、「琉球新報」と「沖縄タイムス」を幾十年か、記憶に定かでない程の年月、購読している。 感想を率直に言えば、両紙はもはや新聞ではないと思う。 理由の第一は、両紙がまったく同じ記事を掲載することが少なからずあることだ。 社説まで一言一句違わないという印象さえ抱いてしまう。 手元の直近の紙面でいえば、第6回太平洋・島サミットの5月27日の記事である。 琉球新報3面の「中国けん制狙う日本」「初参加の米と連携」などの見出しがついた10段の大記事は、同日の沖縄タイムスが2面と3面に分けて報じた「日本、絆維持に腐心」「中国、太平洋へ急伸」の見出しのこれもまた大きな記事と一言一句違わない。 恐らく共同通信の配信記事を見出しや段落の分け方などのみ各自で行って、中身はそのまま使っているのだろう。 物書きとしては恥を知れと言うしかない。 自分の足で稼ぐのが記者の誇り、自分の見識、洞察力で物するのが、社説を書く論説委員の誇りである。 にも拘わらず揃いも揃って沖縄二大紙の知的怠惰は甚だしい。 二大紙の知的欠陥は記事内容の偏りにも顕著である。 物事を公平に見たり全体像を把握する努力の跡が見えず、イデオロギーに凝り固まった記事をこれでもかこれでもかと読まされるのは、辛いものだ。 それでも私は購読し続けている。 沖縄の実態を知りたいこと、日本の行方を考えるとき、安全保障、歴史観、中国外交などを中心ととする沖縄問題の解決が非常に重要だからだ。 これらの事柄を筆頭にいわゆる沖縄問題は数多くあるが、いずれも不条理ともいえる捻じれ方をしている。 主な要因のひとつが二大紙の偏向報道と言ってよいだろう。 二大紙の伝える「沖縄の声」や「沖縄の良識」が、必ずしも沖縄県人一般の考え方や感じ方と重なるわけではない。 沖縄での取材や数百人を対象にボランティアベースの講演の体験から、私はそう感じている。
反戦平和が免罪符
むしろ、両紙と沖縄県民の思いは離れる一方ではないか。たとえば今年2月12日投開票の宜野湾市長選である。 反米基地闘争の立役者で当初、圧倒的に有利と報じられていた伊波洋一氏が、新人の左喜真淳氏に僅差で敗れた。 伊波氏は2010年の沖縄県知事選挙に宜野湾市長2期目を途中で退任して出馬し敗れ、2月の選挙で市長への返り咲きを狙い、再び敗れたわけだ。 同市には普天間飛行場があり、伊波氏が勝てば普天間問題の解決はさらに難しくなると見られていた。 二大紙は伊波氏を持ち上げたが、県民、市民は結局、氏を選ばなかった。 このことに見られるように、沖縄県民は必ずしも、米軍基地にはなんでも反対、自衛隊にはすべて反対と、日本本土には常に強い反感を抱く、というわけではないのである。
長年の沖縄取材で得たそのような沖縄観が、沖縄の小さな文芸誌「うらそえ文藝」(2012年5月号)で沖縄の人々の声として特集されている。 沖縄の人々の本当の気持ちは二大紙の社説や報道と重ならないと、同誌を読んで改めて実感した。 300頁余、年一回発行の同誌は「沖縄思想が対応する現実問題」と題した宮城能彦沖縄大学教授(社会学)と、詩人で同誌編集委員の星雅彦氏の対談をはじめ、「ゆすり犯す」を主題とする5編の時事評論を掲載している。評論集の総合タイトル「ゆすり・犯す」ががケビン・メア前沖縄総領事が学生たちへの講義で言ったとされる「沖縄はゆすりたかりの名人」と言う言葉と、田中聡前沖縄防衛局長がオフレコの場で語ったとされる「犯す前に言うか」との発言を指しているのは言うまでもない。
5本の評論の中には、沖縄人権協会理事長で、左翼運動の中心的な人物、福地曠昭氏の、メア・田中両氏に対する徹底的で感情的な非難の評論がある一方で、両氏への非難に事実関係から迫り、「ゆすり」や「犯す」と言う発言の存在自体を否定したのが評論家の津嘉山武史氏である。 どちらに説得力があるか。 事実を押さえて、事の経過を辿った津嘉山氏の評論の前では、福地氏の評論は色あせて見える。
津嘉山氏は、「沖縄を始めとする反基地運動やその他の左翼的運動を積極的に行っていた活動家で、土井たか子氏が代表を務める『憲法行脚の会』の事務局長」としての、猿田佐世という弁護士に言及し、メア氏は、「(猿田弁護士が)仕掛けた罠に、(略)見事に嵌められたという見方が今では一般的」と結論づけている。
反戦平和が免罪符となっている沖縄の言論界で、津嘉山氏の評論は言論人としての誇りと信念なしては展開できないものだ。 集団の力を恃んで碌に検証もせずに一方的な決め付け記事を書く二大紙の記者、論説委員がお手本にとすべきであろう。 同誌の迫力はここにとどまらない。 「沖縄的」なるものの「偏狭」さを歯に衣着せずに語り、沖縄の甘え分析した宮城・星両氏の巻頭対談こそ痛快である。
甘えの概念
宮城氏は1972年の沖縄復帰のとき、小学6年生だった。 その世代には「私は日本人か沖縄人か。私は何物か」という問題意識があった。 いまの若い世代は、その疑問と無縁でありながら「自分は日本人というより沖縄人と言いたい」と主張するという。 日本人であることに疑いを持つ必要がなくなった彼らが、そういった主張を許してくれる日本という国に甘えている結果だと、氏は分析する。 多くの事象の根底に、甘えの概念がこびりついていると沖縄の知識人が指摘するのだ。 そうした世論形成に貢献してきた二大紙の特徴を両氏はこう論じている。 「沖縄の新聞はこの10年、キャンペーンのためのペーパーなのかな」と感じてきたと宮城氏が言えば、星氏は、「沖縄の新聞が国を動かすようなところにきている」「その味を覚えてつぎつぎと策略するメディアが存在」し、「自己の捏造を非難する」のだと応じる。 こうして出来上がった現代の沖縄の思想の特徴を星氏は「反国家・反権力、日本に対する根強い異質感」と断じ、沖縄はこの風土の下で異論を封じ込めてきたと指摘する。 異論を唱える人物には二大紙が先頭に立って、物事を捏造し非難し、凄まじい人格攻撃を行ってきたという見方だ。 現代の沖縄の学問、研究分野に人材が払拭しているのは、沖縄の言論界において議論が封じられてきたからだとの両氏の分析は鋭い。 小さな文芸誌がこんなにも大胆に明晰に沖縄問題の本質を解き明かしている。 二大紙となんと対照的なことか。 このような文芸誌と論者が存在する沖縄に、私は大きな希望を抱きつづける。 また明日から、我慢して二大紙に目を通していこうと思う。(「週刊新潮」6月7日号より)
ちなみに、上記記事の福地曠昭氏は、上原正稔氏に「お前は福地ではなく白痴だろう!」と面罵された人物である。
以下過去ブログより抜粋。
昨日午後2時に始まった1フィートの会の記者会見は、福地会長のダラダラとした退屈極まりない自画自賛の声明文の読み上げが20分近く続き、質疑応答の時間に入った。
記者席から1フィート運動の初期の上映会に関する質問が出たが、「記憶にない」などの返事で、初期の頃についてのまともに回答ははえられなかった。
さらに「戦争の悲惨な場面のみを編集せずに、戦争中にも見られる住民や子どもたちの明るい笑顔なども公開したらどうか」との質問があったが、これに対してもまともな回答は聞かれなかった。
その時事件は起きた。
11名横並びで記者会見をする幹部の後ろ側から突然その男は現れた。
その男の顔を見た11名の幹部の顔が一瞬凍りついた。
男は大声で怒鳴った。
「さっきから裏で聞いていたら、よくも嘘八百を並べたものだ。 マスコミの皆さんこいつらがしゃべったことはすべて大嘘です。」
男は呆気にとられ沈黙のままの福地会長の面前に仁王立ちになり、上から見下ろし、指を福地会長の鼻先に突きつけてこう言い放った。
「1フィート運動は創立したのは僕だ。 この恥知らずが。お前、福地は恥もなくよくも大嘘がつけるものだ、お前は福地ではなく白痴だろう。 いや、人間のクズだ!」
筆者はこれまでの人生の中で識者と言われる一人前の男が、公衆の面前、いや、数多くのマスコミ監視の中でこのように激しく面罵される光景を見たことがない。
憤怒ダルマの形相で激しく面罵した人物はドキュメンタリー作家の上原正稔さん。
その時の幹部一同の表情が興味深かった。
先生に怒られる小学生のように、皆目を伏せ誰一人上原さんの顔を睨み返す返す勇気のある者はいなかった。
よっぽど脛に深い傷でも持っているとしか思えない幹部一同の対応だった。
上原さんの糾弾の演説は約20分ほど続いた。
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筆者は、これまで沖縄二大紙のことを「発狂新聞」と罵倒してきたが、櫻井女史は「発狂」などと下品な言葉は使わず「知的欠陥がある」と婉曲に批判されているのはサスガである。
その知的欠陥のある沖縄2紙に、連日誇らしげに、そして嬉しそうに寄稿している「識者」といわれる方々は、やはり発狂しているのだろうか。
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政治に関心がないのは、期待が持てないから
期待が持てないのは自民・公明であろうが、その他の野党であろうが、本気で政治をやろうとする気構えが見えないから
与党は腰抜け
野党はボンクラ
これじゃw 関心が低くもなりますわいな
次には、沖縄の人が、「知られつつあること」を知る必要があります。
「諦めず、短気を起こさず、ぶれず」の狼魔人さまのような人を応援するのが、本土の人の努めと思っています。
そうさせたのはオザーさん。
昔はそんなことはなかったはず。
沖縄県では新聞が候補者に拘束をかけますから、争点がなくなるのも当然です。
今日のタイムス社説では『この期に及んで、民意を無視して「辺野古が唯一の解決策だ」などと言い張るのは民主主義を冒涜するものだ』という。
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-06-11_34921/
議会で民主主義が貫かれるためには、
1.各議員が党に捉われることなく、自分の信条考えに基づいて是々非々で投票できる
(当然議員は個人の信条考えで述べた内容で選挙される)
あるいは、
2.議会メンバーが議論、妥協という協力、もしくは闘争などを、果てしなくとも議決できるまで続ける
このどちらかが必要です。
1についてはタイムス自身が自社と違う考えを述べる者に対して社会生活が脅かされるほど異常なバッシングをするので、選挙の前も後も候補者・議員の言動をコントロールしてしまいます。
するとタイムスは民主主義として2を推しているという結論になります。
しかしながらタイムスは異論を認めないので、当然異論には協力もしない、自社の意に沿う結果になるまで話し合えといっているものと思われます。
だとすればタイムスが民主主義・議会制民主主義について、またどのようなことが「民主主義の冒涜」なのかについて自社の定義を明らかにせずにこのような社説を書くのは、知的欠陥と言わざるを得ません。
また社説の終わりの方での「野党の協力なしに政策を実現することはできない」も、「協力」の自社における定義もなしにいう点で知的欠陥です。
あー面倒くさっ。あ、これも投票率が落ちる原因じゃ?
社説ではこれが民意だ!とドヤ顔の直後に「投票率の低さは深刻だ」っていっちゃうお花畑ぶりが笑えますが、異論への常軌を逸するバッシングと異論に協力はしないが話し合えという態度が、人の気持ちを萎えさせ面倒くさがらせ諦めさせるってことを、皆さんどこかでお解りのことでしょう。
けれど民主主義はもともと一面で面倒くさいものですよね。それでも独裁より最低でも1京倍はいい。
沖縄2紙が長いことやっている言論封殺やバッシングや同調圧力や恫喝、協力団体がやる住民票の移動などはどれも目的へのよりカンタンな近道です。
にもかかわらず、発狂しても新聞のいう通りに実現しているわけでもないし、今回過去最低の投票率だし、新聞と同じ側が圧倒的な力にもなっていない。
なんのことはない、この世の誰にとっても近道なんて無いってことが証明されているだけです。
私たちはこれまで通り近道せず諦めもせず、論理を考え、機会がある毎に参加していくだけです。心ある議員さん方も近道せず諦めずに。
違う考え方のどれに決まっても護県と護国の姿勢があることが保障された選択肢になるまでは。
32軍壕発言でも分かりますように、仲井真知事は普段の発言とは裏腹に、意外と筋を通します。
今まで、米軍基地は絶対無くならないとの気持ちは保革問わずあったと思います。
現実は嘉手納以南の広大な土地が返還され、普天間も移設されます。
仲井真知事も、自民の沖縄県連も一度は辺野古移設を容認しています。
大変失礼な言い方ですが、保守が過半数を取った時辺野古移転も現実味を帯びて来ま。
それは困るとの思惑が、保守層、左翼勢力問わず少なからずあったように思います。
その票が、左翼票に流れたのでしょう。
米軍基地を人質にしているから、沖縄に莫大な補助金が落ちるのも事実です。
補助金が落ちる間はそれでメシを食う。
でも3年、5年補助金の延命は出来ても、永久にある補償はありません。
沖縄県民はそれで良いと思っているのでしょうか。
より、抜粋
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アメリカ軍普天間基地の移設問題については、かつて県内への移設を容認していた与党側が過半数を獲得できなかったことで、政府が目指す名護市辺野古への移設が難しい状況は変わらない見通しです。
選挙結果について、沖縄県の仲井真知事は、10日夜、記者団に対し「過半数に達すると信じていたので、コメントのしようがない。残念だとしか言いようがない。今後10年間の沖縄の振興計画や一括交付金などが県民に歓迎され、それが追い風になると考えていた。選挙結果は、有権者の判断なので謙虚に受け止めて 県政運営を行いたい」と述べました。
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この記事を見て、複雑な気分になりました。
つまり、仲井間知事は、お金が格段に沖縄にでているから、辺野古容認になると、踏んでいた。
ところが、知事の意に反して、与党が伸びなかったのは、沖縄がやっぱりお金は欲しいが義務は嫌?
それとも、仲井間知事の宣伝不足で、本土の人々の期待を伝えきれてなかったということ?
どうか、沖縄の民意がメア氏が言うようなものでありませんように。
仲井間知事の広報不足による、あるいは沖縄のマスコミによる情報の偏りよるものでありますように。
オピニオン面に一般投稿7本(児童生徒の「ぼくも私も」除く)。
「名前シール貼り IT化しては」の浦添市・タイラジュンさん(49)は、昨年6月24日以来の掲載。
「ナンバ歩きで膝への負担軽く」の沖縄市・幸松新一さん(71)は、昨年11月2日以来の掲載。
「人類の危機 庶民の力結集を」の沖縄市・伊禮正榮さん(71)は、今年初掲載。
「おいしく鮮やか ゴーヤー料理」の那覇市・赤嶺敏子さん(74)は、昨年9月25日以来の掲載。
「公式戦 県出身選手の活躍光る」の福岡市・上治修さん(59)は、1月15日、2月4日、3月11、27日に続き今年5回目の掲載。
「『屈辱の日』 『主権回復』と言えない日」の大宜味村・金城健一さん(77)は、昨年12月7日以来の掲載。
「春の朝」の那覇市・米須盛祐さん(84)は、昨年8月10日以来の掲載。
*沖縄市・伊禮さんの「禮」は左が「ネ」。
カギカッコは投稿欄における見出し。
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