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2008年6月19日 【宜野湾】慰霊の日に向け、20日に「集団自決」をテーマに児童が演じる創作劇を上演する宜野湾市立志真志小学校に抗議や中止を求めるメールや電話が十数件寄せられていることが18日までに分かった。メールの多くが県外からと記して「児童に演じさせるのは洗脳だ」「学校はプロパガンダの場ではない」などとしている。
喜納裕子校長は「さまざまな意見があるのは当然だが、劇はあくまでも命の大切さを訴えるもの。内容も偏っていないと判断しており、予定通り上演する」と話している。
創作劇「ヒルサキツキミソウ」は脚本を同校の宮城淳教諭、演出を幸喜良秀氏が担当した。現代の子どもたちが「集団自決」の犠牲になった子どもの霊が宿った石を持ち帰ったことから戦争時にタイムスリップ。島の人々が追い詰められ、手榴弾(しゅりゅうだん)を渡されて家族が命を絶った悲惨な「集団自決」の実相を知るという内容になっている。
上演が報じられると中止を求めるメールが10件あり、劇の台本の内容確認や練習見学などを求めて来校した人もいた。同校では念のため宜野湾署にも対応を求めた。喜納校長は「メールなどには圧力を感じたが、PTAや地域から反対の声は全くない。子どもたちも一生懸命練習しており、素晴らしいものになると考えている」と話している。(島洋子)
◇
集団自決訴訟の控訴審を4日後に控え、タイムス、新報が被告側の援護射撃の特集記事で連日の紙面はまさに場外乱闘の様相を呈している。
座間味、渡嘉敷両島の戦隊長の「軍命の有無」という裁判のポイントとは関係なくとも、とにかく「残虐非道の日本軍」を印象付ける証言なら何でもド派手な見出しで報じている。
両紙から受ける印象は、当時の沖縄派遣の日本軍は全国から選りすぐりの「狂気の殺人鬼集団」だったような気にさせられる。
平和な時代の日本でも秋葉原の大量殺人鬼の事件が未だ記憶に新しいが、
小説の中の「狂気の大量殺人鬼」で映画化された作品で印象に残るのが次の二場面である。
横溝正史原作の「八墓村」で気が狂った山崎努扮する旧家の当主が、頭部に蝋燭(懐中電灯?)を縛りつけ銃と日本刀で村人を大量虐殺する、凄惨なシーン。
もう一つ、森村誠一原作の「野生の証明で」高倉健扮する自衛隊秘密部隊の隊員が山中で訓練中迷い込んだ村で遭遇する、狂ったオヤジ(実は、薬師丸ひろこの父)斧で村中の人々を皆殺しにする場面。
特に山崎努の「狂った殺人気」の怪演には鬼気迫るものがあり、「タタリじゃマン」という言葉が流行ったくらいだ。
今朝の朝刊を見ても「場外乱闘記事」満載で、とても一人で細々書いているささやかな当日記では対応できない有様だ。
さて、引用記事だが。
>喜納裕子校長は「さまざまな意見があるのは当然だが、劇はあくまでも命の大切さを訴えるもの。内容も偏っていないと判断しており、予定通り上演する」と話している。
この校長先生、内容は偏っていないというが、一ヶ月前の記事が曽野内容の偏向ぶりを報道しているのに気がつかなかったとは言わせない。
2008年5月21日(水)の沖縄タイムス記事は、この劇のあからさまな偏向振りを次のように伝ている。
「集団自決」で創作劇/志真志小で来月上演
<宜野湾市立志真志小学校(喜納裕子校長)で、慰霊の日(六月二十三日)に向けた特設授業で上演する創作劇「ヒルサキツキミソウ」の準備が進められている。沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」をテーマにした物語で、日本軍の命令で、家族に手をかけざるを得なかった史実を、児童や教諭らが演じる。上演は六月二十日午前十時から同校体育館で。(平良吉弥)>
<米軍の艦砲射撃が始まり、日本軍から手りゅう弾が渡され、軍命で家族が命を絶つ直前の場面などを子どもやその両親の霊を通し、現代の子どもたちが「集団自決」の実相に触れる。
<二十日に志真志小で行われた初げいこで宮城教諭は「集団自決」で首にけがを負った幼い少女の写真や沖縄戦の「集団自決」で亡くなったとみられる住民たちの写真を児童に示しながら、当時の状況を説明。「『集団自決』で一家全滅のケースもある。亡くなった人の気持ちになり、一生懸命練習しみんなに伝えましょう」と訴えた。>
<六年生の平良佳大君(12)は「曾祖母が八歳の時に竹やりで訓練したり、一生懸命走って逃げた話を聞いた。命令さえなければたくさんの人が亡くならなかったと思う」と話した。>
高校の歴史教科書検定でも問題になり、現在係争中の「軍の命令の有無」という微妙な問題をを、
まだ判断力の乏しい小学生に「命令さえなければたくさんの人が亡くならなかったと思う」と言わしめることが偏向教育でなくてなんであろう。
脚本を書いた宮城教諭はただの教師ではなく、かつて沖教組の幹部も努めたバリバリの左翼教師で、自分の学校の生徒だけでなく阿多の教師も洗脳する活動家でもある。
沖縄戦継承に平和劇を 宮城教諭が提起
2008年5月27日
宮城淳教諭の平和劇の実践を聞く現場教諭=沖縄市の中頭教育会館
戦後63年がたち、沖縄戦をどう伝えていくかが課題となる中、沖教組中頭支部は22日、沖縄市の中頭教育会館で平和劇実践講座を開き、約20人の現場教諭が参加した。平和劇の脚本を十数作執筆し、約20年小学校での平和劇に取り組んできた講師の宜野湾市立志真志小学校の宮城淳教諭(55)は、平和劇の面白さや実践する際の校内の雰囲気づくりについて説明。「机の上だけでは伝えられない心が平和劇で伝わる」と述べた。
宮城教諭は、平和劇を作り始めた理由として「20数年前、先輩教師が元ひめゆり学徒隊だったと知り、衝撃を受けると同時に戦争が身近になった」と説明。同僚から聞いた話などを基に平和劇「ガマの中で」を制作した。その後も全校児童で劇に参加する「対馬丸」、朗読劇「すうまんぼうすう」、基地問題に焦点を当てた「ゆっかぬひい」などを制作し、児童と教諭で平和劇を実践したと話した。
宮城教諭は今年、構想3年の新作平和劇「ヒルサキツキミソウ」を完成させた。沖縄戦の「集団自決」で亡くなった家族の話と現代のいじめやドメスティックバイオレンス(DV)の問題を絡めた構成になっている。当初、軍命を強調したつくりとなっていたが「普通に暮らしていた家族が『集団自決』を選択したことを淡々と描いた方が、児童たちも考えさせられるのではないか」と、脚本を手直しした。
宮城教諭は「児童たちが平和劇を演じる姿を見て涙する体験者もいた。それを見て児童はふざけることなく真剣に演じた。このような(戦争体験の)伝え方があると実感した」と話した。また「準備が大変そうだとためらうかもしれないが、どの先生も平和劇を実践してみたいと考えていると思う」と述べ、一人に負担がかからないよう教諭同士の役割分担を勧めた。
参加した宮里中学校の根間秀雄教諭(44)は「大変勉強になった。これまで慰霊の日に向けての取り組みとしてパネル展などを実施してきたが、振り返りができていない。各校の実践や雰囲気づくりを少しでも反映させたい」と話した。
◇
宮城教諭の左翼活動は教育界にとどまらず、県内の左翼集会や「週刊金曜日」の投稿にまで及んでいるので、その活動力や恐るべしデある。
◆宮城淳先生が活躍する左翼集会
http://www.space-yui.com/oshirase/oshirase.cgi
◆「週刊金曜日」の投書欄http://www.kinyobi.co.jp/pages/vol537/mokuji⇒辺野古の海を壊さないで(宮城淳)
宮城教諭は更に新聞の「論壇」にも登場し、県民の洗脳活動に余念のない左翼教師でもある。
朝日歌壇鑑賞会【今週の作品】さんが宮城淳教諭の活躍ぶりを去年エントリーのブログで紹介している。
以下は同ブログの引用です。
◆
2007年10月27日
教科書検定ネタ!~琉球歌壇@沖縄~
今日はちょうど琉球新報の「琉球歌壇」(屋部公子選)の連載日でした。例の教科書検定ネタの作品がありましたのでご紹介します。
● 文科省へ抗う声の響きゆくサシバ舞い来る平和な空へ
(糸満市 與世田典代)
集団で圧力かけて教科書の記載内容を変えさせよう! とのこと。教科書は政治的勢力が集団で押しかければどんな内容にも変えられるんですね。検定制度などどこ吹く風です。
● 沖縄戦の教科書教科書改ざん許すまじ御霊(みたま)も叫ばん嘘は言うなと
(那覇市 當眞秋子)
そうですよ、御霊も叫んでいるでしょうよ。嘘は言うなって。2万人未満しかいないのに11万人だったなんて嘘言っちゃいけませんよねえ。もうとっくに論破されてるのに。

(10/30、←写真をUPしました)
一部内容を抜粋します。
・・・十一万六千人という数は、政府首脳も言うように過去に例がない。県民大会の様子を見てからと言っていた政府は慌てて対応に動き出し、沖縄県民の思いが伝わったのかと思った。しかし、ふたを開けてみると「教科書会社から申請があれば修正を認める」という、実に不誠実な対応である。
十一万六千人であれば、確かに過去に例がないでしょう。でも実際には2万人に満たなかったのです。この程度の集会であれば、本土はもちろん沖縄でも(?)「過去に例」はいくらでもありますwww。よくあるサヨクや労組の動員集会と大差ありません。
いまだに「主催者発表」との注意書きもなく誇大な数値を使い続けるこの沖縄サヨク・・・おっと、自分らが「主催者」だから、わざわざ「主催者発表」をつける必要がなかったのですかね。失礼いたしました。
・・・残念ながらヤマトのマスコミはこの問題に熱心とは思えない。カンパを集め、沖縄の証言を全国紙に掲載してはどうだろう。教科書の書き換えが確実に行われ、間違った歴史認識がただされるまで、毎年掲載を繰り返すのだ。心ある社会科教師はきっと資料として使うはずだ。日本人の良心に訴えよう。
うわ~大変だ。教科書に載せられないなら意見広告を出して、それを全国のサヨク教師に教材として使わせるのだと。
心ある日本人の皆さん、偏った歴史教育が行われないよう監視を強めましょう。
(参考)日教組と家庭崩壊が学業不振を招いている(草莽崛起 PRIDE OF JAPAN)
先の全国学力テストにより、教師が政治運動ばかりやって、生徒の学業がおざなりにされている沖縄のような地域の学力が低いことが顕著に示されました。この投稿者「宮城淳」も、あの悪名高き「沖教組」のバリバリの活動家のようですね。少しは反省してほしいものです。
おすすめ。
マンガ日狂組の教室 (晋遊舎ムック)引用終了 ◆
◇
http://www.ginowan-okn.ed.jp/~hpshimashi-e/
宜野湾市立志真志小学校
〒901-2211 沖縄県 宜野湾市宜野湾3-5-1
TEL 098-892-1502 FAX 098-892-1504
shimashi-e@ginowan-okn.ed.jp
http://www.ginowan-okn.ed.jp/
宜野湾市教育委員会 e-mail:kenkyujo@ginowan-okn.ed.jp
〒901-2203 沖縄県宜野湾市野嵩730 TEL. 098-892-8283 FAX. 098-892-0116


突然11万6千人の大集会の記事にショックを受け、沖縄に視点を変え情報を集めました。
私の家内は那覇の出身で、娘が2人、夫々に子供が居ます。
復帰前の沖縄には度々行きましたし、沖縄の歴史もかなり把握しているつもりです。義理の兄貴の友達とも色々話した中で、何故沖縄は独立ではなく復帰なのかと訪ねたら、当時、国費留学で東大に行き、挫折して中退したT氏は独立論で沖縄をまとめるにはそれだけのカリスマ性を持った人物が必要だが沖縄にはそのような人が居ないと言うことでした。
なるほどと感心したものです。
先の11万6千人と言う数字に驚いたのですがネットには色々情報があり、あの会場の面積から割り出すと1m四方に4・5人だったかになるそうですし、ある警備会社が航空写真を拡大して数えたら1万8千人だそうです。
他に熊大のチームが数えたのもありました。
それを受けて、県知事は激怒し、自分はウッドストックにも行ったことがあるが、11万どころかもっと多かったなどと言っていました。
沖縄のことを知りたいとネットで色々調べましたが、私が知っていたころと、余りにも変わっているので驚くことばかりです。
離島も隅々まで舗装され、グーグルアースで見る本島の海岸線は見事に開発が進んで新しくなっています。
聞くところによると県の財政の70%が国の税金で補われているようです。
沖縄の企業についても調べてみましたが、農業も工業も水が無ければ大きく発展する様には思えません。
韓国は歴史を完全に書き換え漢字を捨ててハングルのみで教育し、戦後60年を過ぎましたが、大学の教授ですら漢字の読める人は少ないようです。
その全く違ったハングルの歴史を学んだ教師が幼稚園から反日教育をするわけですから、かなり偏った思想のままで大人になるようです。
沖縄には2紙の新聞があり、どちらも反日で固まった左翼記事を書き続けます。
しかも韓国と同じように過去にこだわり、過去の責任を問い続け、反省と謝罪と独自の歴史を押し付けようとします。
サミット後の建物は県が管理し、平和記念館になっているようですが、中に展示されているものは、壕の中で銃剣を突きつける日本兵と母子などのろう人形などで、あたかも韓国や中国の南京虐殺記念館と同じような展示物が中心のようです。
沖縄は本当に日本なのかと、信じがたい気持ちに成ります。
うちなんちゅーとやまとんちゅーと言う言葉を聞いた当時、私には全く違和感が無かったのですが、今の沖縄の左翼の台頭を知るにつけ、この2つの間には一つになれない垣根を感じるようになりました。
この垣根が大きく高くなったのは、あの太田知事の時からのように思います。
象のおりとか言うアンテナ施設を巡りマスコミが騒ぎ立てましたし、あの時からの普天間の問題は過半数を握った野党ではこれからどうなるか判りません。
民主党は沖縄ビジョンと言うものを持っているようですが、1国2制度と言う、中国の香港の様な制度を沖縄に取り入れようとしています。
いま、尖閣列島の帰属をめぐり問題がおきつつあります。
極東のこの複雑な位置にあって沖縄の左翼はどの様なビジョンをもっているのでしょうか?
未来永劫に戦跡を食い物にするのでしょうか?
日本軍を貶め戦跡観光に遺族を誘うのは、かっての「基地反対首切り反対」の全軍郎労の矛盾したスローガンそのままです。
沖縄の殆どの人が、戦争でひどい目に遭ったのは沖縄だけだと思っているようです。
東京、名古屋、大阪、神戸、広島、長崎、福岡、熊本と殆どの大都市は跡形もなく一面焼け野原になりました。
その惨状を沖縄の人は殆ど知らないと思います。
義兄はこちらの高校の同級生ですが、今は沖縄に住んでいます。
電話で話していたら「自分も小学校の時転校し、沖縄だということでいじめられた」と言い出したので「じゃかまし!!」と言って電話を切りました。
70になる男が小さいときにそういう理由でいじめられたということで、沖縄の現状を正当化しようとすることに腹立たしく悲しくなりました。
沖縄は高校野球で優勝するほどに成長しました。
戦後初めて甲子園に来たころ、毎回アルプススタンドへ応援にゆきました。
当時は身長も低く初戦で負けることが多かったのですが、毎回出場の度に私の母校がブラスバンドの応援をやっていました。
そのような情景にもすがすがしさと将来への希望を感じていました。
しかし戦後60年過ぎて、基地の問題を抱えているとはいえ、左翼の新聞が声高に叫ぶ、軍の命令で!と言う声は全く同じで1歩も前へ進んでいません。
むしろ、嘘を嘘で固め、そのために嘘をつくという悪循環に陥っているようです。
某教会の前牧師は家族を守ることもせず自分の手に石を持って親や兄妹や近所の人を殴り殺したそうですが、理由はどうあれ彼はただの凶悪な殺人者です。
あの復帰の日、日本中が喜び、沖縄を埋めた日の丸の浪は何だったのでしょう?
今、ヤマトとウチナーの間には永久に乗り越えることのできない壁を感じます。
その壁は沖縄の側で造っているように思えます。
沖縄を調べるうちに韓国のマスコミとあちらの左翼に似た物を感じます。
私の娘と娘の子供たちには沖縄の血が流れています。
彼らや彼女達にとって、誇れる沖縄であって欲しいのですが・・・
しかし沖縄は独立したほうが良いのかも知れません。
沖縄の新聞が異常なのはご指摘の通りですが、沖縄県民の考えが、そこに反映されている「声」とは必ずしも一致はしていません。
琉球大学の中国人教授が毎年発表する「沖縄人の4人に一人は独立希望」は工作活動の一環であり、これを大げさに報じる地元紙の大見出しに比べて沖縄県人は冷静で、これをまともに信じるものは特殊な人々です。
ただ、左側から斜に構えて発言する方が沖縄では過ごしやすいので、楽な姿勢をとる人が多いということです。
最近の二紙の報道に辟易したこんなブログを書く人がいるのも沖縄の現実です。↓
http://blog.goo.ne.jp/tokorotokoton/e/d4ec2e69efa5e85e6cee66c63e324ab9